フランス語

第1話 フランス語との出会い 第2話 試験 第3話 同じ釜5人衆

第4話 恐怖の「サ○○○ィック」コース(その1) 第5話 (その2)

第6話 フランスでの生活(その1:渡仏前夜、その2:銀行口座を開く)

第7話 フランスでの生活(その3:ホテル住まい)

第8話 フランスでの生活(その4:家探し)

第9話 フランスでの生活(その5:学校)

第10話 フランスでの生活(その6:女性の体格)

第11話 散髪

第12話 パン屋

第13話 フランスの女性

第14話 フランス小話(フランス語の勉強を続ける)

第15話 悪口

第16話 カフェ/バー

第17話 日本人の見え方、約束の守り方

第18話 ドービル

第19話 自動販売機

第20話 人種差別

第21話 フランス人との飲み会

第22話 フランス人が日本で生活するのに困ること

第23話 香水

第24話 フランス人の無くて七癖

第25話 フランス人の結婚観

第26話 パペットリ

第27話 以心伝心

第28話 頑固

第29話 DIYが盛んなフランス

第30話 甘いもの

第31話 フランスのトイレ事情

第32話 カタコンブ

第33話 旨いエスプレッソ

第34話 猫舌

第35話 フランス料理(1)

第36話 フランス料理(2)ビーフシチュー

第37話 散歩

第38話 鴨肉のコンフィ

第39話 Zenブーム

第40話 方言

第41話 セラヴィ

第42話 クリニャンクールの蚤の市

第43話 朝市(マルシェ)

第44話 ショコラ

第45話 フランス人が持って帰るもの

第46話 フランス人の食事スタイル

第47話 愛称(名前)

第48話 フランス人の名前

第49話 フランスの自動車

第50話 日本サッカーの弱点

第51話 日本人が自然に敏感な理由

第52話 フランス人の送別会

第53話 フランス人と100円ショップ

第54話 フランス人の帰国

第55話 カウンターの料理店

第56話 お金がなくても平気なフランス人

第57話 「節約」が美徳とされるフランスの文化的背景

第58話 バイリンガル

第59話 フランスのスーパー

第60話 パンくず

第61話 フランス人の数の数え方

第62話 フランスの高級家具

第63話 フランス人とイギリス人

第64話 フランス人の好きなレストラン

第65話 外国語が旨く聞こえるコツ

第66話 フランス人の好きな店

第67話 フランス人の結婚観(2)

第68話 カフェ

第69話 パリ

第70話 臭い

第71話 カフェオレ用ボウルの謎

第72話 T-falの電気ケトル

第73話 フランス料理の方法

第74話 カルバドス

第75話 エプロン

第76話 フェーヴ



第1話 フランス語との出会い

英語は中学から始めているので、学生の期間だけでも10年以上もやっている。でも、会話は全然旨くならない。

フランス語なんて全く無知。「セ・レレゴンス・モデルヌ」とアラン・ドロンがダーバンのCMで一言しゃべって一時代を風靡した(かどうかわからないが)のしか知らない。
当時、何て言っているかもわからず、「なんか外国人がゴニョゴニョ(ほんとにフランス語のイメージはゴニョゴニョ)言ってるな」くらいで、フランス語だという認識もなかった。(「それはエレガントで新しい」と言っていたのだった)

こんな僕が、いきなり仕事の関係でフランス語を勉強しなければならなくなった。とりあえずフランス語が何かを知るために一大決心をしてフランス語学校に通い始めた。

まず、「そもそもフランス語ってどんなものだろう?」と、お茶の水にある老舗の学校の数あるコースの中で一番簡単な初級フランス語会話のクラスに通うことにした。

行って驚いたのは、生徒が若い女性ばかり。僕の教室は30人くらいの生徒で、そのうち男性は3人だけ。しかもとてもセンスの良い(と言っているが良いセンスというのが僕には良くわかっていない、だけど普段町を歩いている女性とは全く違ったファッションであることは分かった)女性が多い。

女性がとても多いので、「フランス語って何てすばらしいのだろう!」と思うと同時に、フランスというイメージが若い女性に訴える影響力の大きさに驚いたのだった。

早速、隣に座っている若くてセンスが良(さそうな)く美しい女性に話しかけてみた。が、30代のサラリーマンなど適当にあしらわれ、とりあえずおとなしく勉強に励むことにした。

初級フランス語会話の先生は、フランス人の優男(とても女性に優しい、例えば、ドアを開けて女性が通るのを待ってあげる、エレベーターは先に決して降りない等々)の美男子。

悔しいけど、見てくれはとてもかっこいい。先生を見つめる女性との目の輝きが、一生懸命に講義を聞いているのとちょっと違った輝きを放っていたように見えたのは僕の偏見だろうか。とにかく、若い女性の持っているフランスのイメージをそのまま具現しているような人だった。

(もっとも(やっかみでは決してない!)、初級レベルの先生になっているフランス人は、日本でいうところのプー太郎に近く、定職を持たない、いわゆる、生活力のない、フランス本国では、あまり尊敬されていない部類の人たちが多いことが後で分かったのだが)

若い女性の持っているフランス人のイメージとは、美的感覚に敏感で(だって、ファッションの発信地だし)、それが証拠に日本に名の知れたフランスの俳優や歌手は皆、美男美女ばかり。(当然、センス良し、フランスで人気ある俳優は実は3枚目が多い)

女性雑誌にフランス人の部屋の特集など載っているが、なにかとても日本人にまねの出来ないデコレーション(色の使い方、照明の配置や調度品・雑貨などの選択のセンスの良さ)。
ファッションにしてもそう。ちょっとしたスカーフの使い方、色使い。そして、フランス料理の醸し出す、瀟洒な雰囲気。

きっと女性ならだれでもすてきな彼とワインを片手に、蝋燭をともしながら食事をしてみたいと思ってしまうのは当然のように思える。

人生を楽しく過ごそうとすることを第一義に考えている人生観。(セ・ラ・ヴィ「それが人生さ」とあきらめを含んだような何気ない口調、日本人なんか決して持っていないセンス)忙しいのが普通の日本人にとって、数ヶ月の夏のバカンスは、本当にうらやましい。

かくして、8割以上のセンス良い若くて美しい女性に囲まれて、美男のフランス人の先生から授業を受けることになり、僕のフランス語初級会話教室は前途洋々とスタートしたのだった。




第2話 試験

かくして、クラスの皆とも挨拶程度とチョッとした話も出来るようになって仲間意識が芽生えてきました。

初級フランス語会話は、洋子さんがフランス語の勉強にパリに来ているシチュエーションで簡単な会話(「こんにちは、元気ですか?」「どこに住んでるの?」「いくらですか?」「メニューを下さい」等)を学ぶコースです。

だから初級フランス語会話コースは、フランス語の雰囲気(フランス人の先生だし)の中で、まず、フランス語に親しみを持ってもらおうと配慮されているカリキュラムなので、フランス語を勉強しようと思っている人も別の目的?がある人も楽しく授業を受け続けることができるのです。(なんだか旨くなったような錯覚も起こします。)

会社の仕事が終わって(終わらせて)通う週2回のレッスンが楽しみとなったのでした。(「シャル・ウィー・ダンス」の世界みたい)親しい5人くらいのグループもでき、どうしてフランス語を勉強する気になったか、仕事は何か等世間話もするようになりました。(この仲間は後の「同じ釜5人衆」となります。)

ところがです。

初級フランス語を終え、さらに上級の中級クラスに継続するためには修了試験があって、これをクリアしないと先に進めなくなることが判明。(当然といえば当然ですよね!)テストに合格しないとレッスンが続けられなくなるのです。

初級フランス語会話で終わってしまうと、巷の本屋によく置いてある旅行用の「誰でもしゃべれるフランス語会話」とか「困ったときのフランス語」を買い求めて何とかフランス語を勉強しようというようなレベルで終わってしまう。

私など英会話の勉強に、この類の本をいったい何冊買っただろうか。決してしゃべれるようにならなかったし、道端で英語圏の人から声をかけられた時など、しどろもどろになって決して「とっさの一言」なんかしゃべれない。

フランス語ではこれを越えなければならない。とにかく生活がかかっている。(と一大決心をして)

「あせるぜ〜」(プロの木工家シンプルさんの「徒然なるままに:訓練校の日々(その1)」の記載を引用させていただきました。だって実感がこもっていると思いません?)と冷や汗をかきながら、クラスのまじめな人にノートをコピーさせてもらって(学生の時からの定番で進歩無し)コンジュゲゾン(動詞の活用)、単語や文章を一夜漬けで頭にたたき込む。学生から離れて早?年。錆び付いた頭にさす油は無く記憶容量も無い。ナイナイづくしで、ほんとに「あせるぜ〜」。

とりあえず、何とかギリギリ(私はギリギリでした)で合格し同じ釜の飯を食った仲間は、そのまま進級することになりました。

試験を一回クリアすると、「別の目的」で来ていた人も居なくなり、「フランス語がうまくなりたい」と純粋に思っている人に絞られてくるので、不思議とクラスが何となくまとまってくるではありませんか。

とても(他人だけど)他人とは思えない。ここで正式に「同じ釜5人衆」が結成されたのでした。かくして、同じ釜5人衆は「お祝いに食事でも行こうか?」と打ち上げに夜の町へ繰り出したのでした。




第3話 同じ釜5人衆

同じ釜5人衆は、黒一点の私を除いてすべて女性です。年齢は20歳前半から?歳くらいまで幅広く、職業はフリーター、貿易会社、技術屋、公務員といろいろで、直接外国人と関係がある人から全く関係ない人までさまざまでした。

サラリーマンの私からは想像も出来ない人生観の全く違った人が集まっていました。フランス語も中級へ進むとなると、ある程度の覚悟が必要(「勉強を継続するとういう固い意志」というとカッコいいのですが、時間を何とか作り出す努力がなによりも必要)で、フランスに憧れているだけでは、なかなか続けていけません。初級から中級へは、大きな壁があり、少なくともまじめにフランス語をマスターしようとする人たちに絞られてきます。

フランス語の難しさ

私のようにチョッとフランス語をかじっただけの経験で、「難しさは何か」と講釈をたれるつもりはありませんが素人から見て、まず取っつきにくい難しいところをまとめると、以下のようになります。

発音が難しい。

単語の発音は鼻母音に象徴されるように難しいのだけれど、綴り字と発音が一対一に対応していて英語のように例外が少ないので、一度覚えてしまえば楽である。

しかし、単語が繋がると大変なことになる。違う発音になるのだ。(リエゾン、エリズイオン等)おまけに並ぶとひっついて別の綴りになるものがあるのは驚き!

一つの単語にいろいろな意味がある。

フランス語で会話するのには、約200語の語彙が有ればいいと言う。

英語などは受験で8000語とか覚えさせられたので、忘れてしまったといえども1000語くらいは残っているだろう。

それに比べれば、なんとすばらしいことだろう!と喜んではいられない。会話の内容は洋の内外を問わず同じようなこと(人の悪口や噂をフランス人は、ことのほか好きだと言うことを後で知ったが)であるはずなので、日常使用する単語が少ないということは、一つの単語にいろいろな意味があって使い分ける能力が必要ということである。これって、かえって難しくない?

数の数え方が難しい。

日本の首都の偉い人が「フランス語は数を勘定できない言葉ですから国際語として失格している・・・」と言ったらしいが、国際語として失格しているかどうかは分からないけれど、確かに数の数え方は日本人に馴染まない。日本語の数の数え方は10進法だが、フランスのそれはいったい何進法なのだろう。

例えば、70=60+10、80=4×20等。

同じ釜5人衆は、職業に役立つかどうかは関係なく、純粋にフランス語を勉強したい、しゃべりたいと思っている人たちでした。(後で分かったことですが、初級会話コースに通っていたとき、私は「別の目的」でクラスに通っていたと誤解されていたようでした。「だって、(私の隣に座っていた)若い女性に声をかけていたでしょう!?」(日頃の言動には注意!注意!確かにその女性はセンス良くきれいな人でした。)

正直な話、私は本当にフランス語がしゃべれるようになりたかったのです。しゃべれるようにならなければ、「フランスへ行って仕事をせよ!」との社命を受けても、フランス語で生活し仕事をこなせないということになります。(マジで生活かかってるのだから。)

クラスの結束力は強く20年近く経った今でも年賀状のやり取りをしています。そのうち一人は本当にフランスの学校へ1年間留学してしまいました。

ただ、惜しむらくは、フランス語を未だに続けている(というか活用している)人は、わずか2人だけになってしまいました。

でも、使う使わないに係わらず何かを勉強して身につけようとする姿勢は、日常に埋没してしまいがちな特に女性の方(偏見かもしれませんが)にとって、リフレッシュというか気分転換に良い刺激となるのではないでしょうか。






第4話 恐怖の「サ○○○ィック」コース(その1)

私が受講した(自主的に受講したのは初・中級、これは社命でやらされた)「サ○○○ィック」コースの紹介です。

これは、お茶の水にある老舗フランス語学校の看板コースで、短期間にフランス語をしゃべれるようにすることはもちろん、フランス語の総合的基礎力を養成することができることを、うたい文句にしているコースです。

朱書きの部分は、「サ○○○ィック」コースの説明書に書かれていることを、そのまま引用しました。

(能書き)

このクラスは会話力を中心としながら、総合的なフランス語の実力を養成することを目的にしています。海外出張、留学準備等でフランス語の確実な総合的基礎力を短期間で身につけたいと望まれる方に最適のクラスです。

会社の人事が見たら、泣いて喜びそう!

〈教育理念〉

言語というものは伝達のためのあらゆる種類のサインを意味するが、これが一国の国語となるとその言語集団に適切また妥当な構造とか組織とかいうものがいつでも存在する。適切妥当なこの構造組織の中のすべての要素は、いくつかの対比関係によって弁別される。構造組織、すなわち幾つかの弁別的対比をまず理解し体得すること、これが他国語を学びとるための一番の早道である。

私には全然理解できないのですが、どうも「言語学」の学問たる所以を述べているようで、要は単語と単語のつながりは、ある法則があるのでこれを理解・体得することが語学上達の早道であると言うことでしょうか。

〈授業内容〉

視聴覚装置を駆使し、反復練習とパターン練習を通して正確な発音を身に付けつつ、フランス語でフランス語に反応する訓練を行います。

この反復練習とパターン練習は、尋常でない回数でした。

基礎文法から複雑な構文まで、無理のない進み方で揺るぎない実力を養成します。

できの悪い私は、揺るぎない実力を身につけるためには、無理があった(無理だった)。

正しいフランス文が条件反射的に作れるまで訓練します

記憶力に難がある私は、条件反射出来るようにするための反復回数は天文学的回数です。

毎日宿題が出ます。これは個々に添削され、その日のうちに返却されます。また、復習の各ポイントで試験を行い、既習事項の徹底と定着をはかります

「毎日」出る宿題は夜中の3時までかかることを知らなかった。おまけに、だんだん難しくなるので「3時まで」が終盤になると「夜明け」までとなる。試験も合格点があり、合格点に達しないと宿題が身についていないという理由から、3時までかかった宿題を、そっくりそのまま、やり直さなければならない。(このやり直しは普通の日は出来ないので唯一休みの日曜日にする事になるが、睡眠不足解消のための貴重な休日が無くなることを意味する。)

後で分かったことですが、助手の人たちはできの悪い私の提出物を懇切丁寧に添削するために、同じように夜遅くまで仕事をしていたのです。(本当に頭が下がります。ありがとう!)

〈受講課程〉

夏期講習は月曜〜土曜の週6回、6週間で修了。

休みは日曜1日だけ、ひたすら睡眠をむさぼりたかったが、しばしば試験に合格せず宿題のやり直しをしていました。

(初めて受講する方へ)

必ず説明会に出席すること。

説明会は、このような授業内容でも付いてこられると自信を持っている人及びその覚悟を確認するために開かれており、説明者からこう言われるのでした。

「それでもサ○○○ィックを受講しますか?止めるのなら今ですよ。」と。

地下1階にあるサ○○○ィック研究室

フランスに赴任する前に、この部屋を訪れることになるのですが、部屋中受講生の答案、宿題が山のように積まれていて足の踏み場もないくらい。講師陣をはじめとして助手の方々が如何に気合いを入れて指導に当たっておられたかを目の当たりにしました。

受講しているときは、「鬼」だと思っていましたが。





第5話 恐怖の「サ○○○ィック」コース(その2)

サ○○○ィックコースはとにかく厳しい。

何が厳しいかというと、とにかく宿題が多い。宿題は予習と復習から成り立っているのですが、その量がとんでもない。フランス語の知識が十分ある人たち(少なくとも大学のフランス語学科を卒業した人たちのレベル)で、アップアップするくらいの量なのです。

にわか勉強で初級・中級はクリアしたものの、上っ面しか理解していない私にとってその厳しさは倍増するのでした。宿題をするのに、フランス語学科出身の人が夜中の1時くらいまでかかるとするとすると、私は3時くらいまでかかります。それを日曜日だけ休みで毎日続けるのです。(受験の時でさえ、こんなに勉強したっけ?)

おまけに私は試験の成績が芳しくなく宿題をやり直し(小試験の結果が悪いと宿題を再提出!?)していたので、宿題をこなすのに、さらなる時間を要したのでした。

教えている講師陣は日本で指折りの実力者たちで、それをバックアップする助手たちもフランス語に命をかけている人たちです。叱咤激励も尋常ではない。

講義の様子は、T大を目指している予備校のように(さすがにネジリ鉢巻きはしていません)講師陣も生徒も一つの目標に向かって宗教団体のようでした。(大げさ!?)私の行った(行かされた)サ○○○ィックは、こんなクラスだったのです。

試験は頻繁に行われ点数が取れないと宿題のやり直し、一定以上の点数を取れないと、クラスを離脱しなければなりません。会社からの命を受け参加している以上、落第したら首かも。(首になったら一家路頭に迷う)

記憶力も劣っている年齢で、クラスの大半を占めているフランス語学科の若い学生が最大の能力を出し切っている中で同じように鍛えられるのです。心身症になりそう。しかも夏の暑さ。(ところが、夏の暑さを一回も感じませんでした)

昼御飯は、おにぎりをかじりながらテキストの暗記や予習、電車での行き帰りには吊革につかまってぶつぶつ独り言を言いながら暗記(きっと周りの人は暑さで頭おかしくなったのではと思ったでしょう)、帰ってからは寝るとき以外は勉強、風呂でも動詞の活用練習。といった具合。

サ○○○ィックでやっているフランス語は、いわゆる言語学である。言語学とは、文学ではなく、発音とか語源とかを学ぶらしい。なので発音を徹底的にやらせられる。

フランス人のようなパーフェクトな発音をする教師陣、助手たちは、日本語もフランス語のようでなんとなく発音がおかしい。動詞の活用も徹底的にやらせられる。学校で質問されて答えられなければ先生の「そんな態度だったら、もう来なくていい!」という罵声が飛び交う。(でも止められません・・・)小心者の私は本当に恐怖。

1/3くらいの生徒は、この罵声に耐えられず途中で止めていきました。でも、私はどんなに出来なくても、どんなに怒られても途中で止めるわけにはいかない。

最後まで成績は低空飛行。発音については、日本語がおかしくなるほど矯正される。なんだか日本語がしゃべれなくなりそう。本当に今にも落ちこぼれそうになったとき、約1.5ヶ月が過ぎ去っていた。

「助かった!」

とそのとき、つくづく思ったものです。

鬼のような先生も、フランスに旅立つことを報告に行くと、とっておきのワインとチーズを振る舞ってくれた。「よくがんばったね」と。先生は、私がフランス語の知識がほとんどなく、会社の命により無理矢理恐怖のサ○○○ィックを受けていることを分かってくれていたのだった。

「かえれ!もう来るな!」と罵声をとばしていたK先生は、後で知ったことだが、日本で5本の指に入るフランス語の同時通訳者だったのだ。発音を聞いているとフランス人が話しているような完璧なフランス語を話す。N○Kラジオ・フランス語の講師をなさっていたこともある。ほんとに完璧なフランス語で、日本語がフランス語訛だった。

先生方、助手の方々、本当にありがとうございました。良い経験をさせていただきました。

当時の助手の一人、國○さんはN○Kテレビ・フランス語会話で講師として現在出演中です。同じ番組に出演されているマリーさんはとても美人ですね。(関係ないか?)

今でこそ懐かしい思い出だが、当時は死ぬかと思った。






第6話 フランスでの生活(その1:渡仏前夜)

短期での海外出張は、それまで4回ほど経験しており海外に対するアレルギーはなく、フランスにも何度か行っていたので、英語であれば何とかなるといった変な自信みたいなものがありました。

まして、「恐怖のサ○○○ィック」も何とか止めずに続け、脱落寸前であったけれど、しがみついてきた。準備万端とはいかないが、それなりの自負を持って渡仏しました。

過去の海外出張は、すべて英語。イギリス、フランス、スエーデン、ドイツと幾つかの国を訪問したが、それぞれ話す相手といったら、エンジニアで英語のできる人との会話であった。

基本的には英語で、通じなければ片言のフランス語で、ということで「何とかなるだろう」、と高をくくって楽観的に考え気楽であった。「恐怖のサ○○○ィック」から解放されたという事も気分的にずいぶん楽になった要因だろう。いや、それが大半だったと思う。

期待と楽観を胸に揚々と渡仏したのでありました。長期に渡ることが予想されたので、家族で渡仏する前に、住居などの生活の基盤を作るために、とりあえず単身で渡仏した。飛行機の中で隣に座ったフランス人に片言のフランス語でしゃべったりして、とりあえず通じていそうなので「あれだけサ○○○ィックで苦労したこともあり、なんとかなりそうだ」と内心余裕であった。(サ○○○ィックで鍛えられた発音中心のレッスンは、殆ど役に立たないことを、そのとき知る術はなかった)



フランスでの生活(その2:銀行口座を開く)

なにはともあれ、日本からの給料振込先として自分の口座をフランスの銀行に作らなければならない。

また、フランスはすべて現金かチェックという小切手で料金を支払う。チェックを使う機会が多いので、銀行からチェックを発行してもらう必要がある。これには、まず自分の銀行口座を開いて、銀行にある程度ストックがあるという担保を取った上での発行となる。

口座を開いてある程度の預金をしておく必要がある。さらに、そのストックが長期間継続して口座内にあるということが保証されている必要がある。つまり、その口座に定期的に入金がありその日暮らしをしていないことの証明が必要なのである。

そこでとにかく銀行に行かなければと言うことで、銀行に足を運んだ。ところが窓口に英語で話すと、知らん顔。片言のフランス語で話をすると反応はするが全然通じない。(「恐怖のサ○○○ィック」であれだけやったじゃないか!どうしてくれる!?)

英語で話しても通じない。(赴任したのは、フランスの地方都市で、一般の人には英語が通じない。今までに何回か行ったことがある町なのだが、そのときは英語が通じた。どうしてかよく考えてみると、短期出張で接するフランス人は、英語の出来るエンジニア、ホテルのフロント、シャルル・ドゴール空港の窓口、パリでの国鉄切符売り場の人等、英語の出来る人とだけしゃべっていることに気づいた)

分からないふりをしているのか、しゃべれないのか、全然しゃべってくれないどころか相手にしてくれない。そんなこんなでとりあえず丸1日粘ったが、その日は退散せざるを得なかった。

後で分かったことだが、窓口で対応してくれた人は、英語は話せた。が、地方のこともあり、私のことをベトナムからの移民かと思ったらしい。

ベトナムからの移民は、基本的にフランスに職を求めて来ている人たちで、安定した収入をこれから得るために職探しから始めなければならない人たちである。

窓口の人はそのような先入観から、最初から私を相手にしていなかったのである。

たしかにビチッとスーツを着ていたわけでなく、ジーパンで普通の(フランスでは貧乏人の格好らしく、決して普通ではなかったのである)格好をしていた。何のために来たのかの説明もしていなかった。

そこで2度目は、自分たちが何のためにフランスに来たか、毎月の給料は定期的に日本から振り込まれること、その収入は、だいたいこれくらいで、フランス滞在中は途切れることなく継続して振り込まれること、すなわち、銀行口座を作ったはいいが、トン面する可能性は無いことを、書類をそろえて、完全武装して臨んだのであった。

やっと、話を聞いてもらえたが、今までこんな例はなく、自分では判断できないのでこの銀行の一番偉い、すなわち、支店長に会ってくれと言うことで、翌日に最終的結論は持ち越されたのであった。

わずか数行で書かれている、これらの手続きは、英語と片言のフランス語を駆使(?)し、誤解とその解消との繰り返しをさんざんやったあげく、丸1日を要したのであった。

その後の支店長とのやり取りは、窓口の人へしたことの全く同じ繰り返しであった。支店長への説明も、やっぱり丸1日を要したのであった。

とりあえず、銀行口座を作ることが出来た。既に渡仏から2週間が過ぎ去っていたのだった。






フランスでの生活(その3:ホテル住まい(家を見つけるまで))

家を見つけるまでの間、安ホテル住まいを約3ヶ月続けました。

ホテル住まいとなると食事が問題である。朝食はプチ・デジュネでクロワッサンやパン・オ・レザン(甘ったるしいレーズンパン)とカフェオレとジャムがあれば何とかなる。昼食は、勤めている会社の食堂で済ませる。

問題は夕食である。私の泊まったホテルは安くて良かったのだが、夕食を作ってくれない。(コックがいない)そこで外食となるわけだが、毎回レストランで食べるわけにはいかない。高いというのもあるが、メニューが読めない。

シェ○○ールという田舎町なのでエンジニアでもない限り英語をしゃべらない。メニューは当然フランス語で、何が出てくるか分からない。当てずっぽうで何が出てくるか分からない状況で注文するのは、たまに行く観光旅行の場合では、失敗しても笑い話で済むが、毎日となると話は別だ。

私の通ったところは、いろんな料理を見て選べる料理屋で、皿の中に気に入ったものをどんどん放り込んでいって最後に精算してくれる。

これなら少なくとも味付け以外は自分で見ることができる。味付けは日本と全然異なり、どちらかといえば素材の味を生かした(たとえば肉なら塩胡椒しかかかっていない)ものか、ぐつぐつ煮に込んだ煮物が多い。日本の味というのは、基本的に醤油ベースである。昔から日本食に慣れている人は、この食事が向こう数年間続くかと思うとぞっとしたに違いない。

ちょうどそのころ、フランスの日本に対する経済制裁措置の一環で、日本からフランスへの輸出が規制されていた。私がフランスに渡るときも日本からの食料の持ち込みは禁止されていた。おかげでどっぷりとフランス料理につかった。

フランス料理は、高くておいしいという固定観念があったが、庶民の食べる日常の食事は、簡単な煮物が多く、ローストしたものも多少あるが、焼くような料理はまず見られない。

この選べる店で私の比較的好きな食べ物はソーセージであった。日本で食べるものと見かけは似ているが味は全く異なっていた。ピリッと辛目の味付けがしてあり、飲み込んだ後に舌や喉がひりひりした。(チョリソーという)

この店は、レストランのように、ギャルソンとの会話がない。(する必要がない)客を観察してみると、皆、黙々と孤独に食事をしている。また、外国人(フランス人がいない、黒人、ベトナム人、中国人、?等)が多い。私と同じ境遇の人が結構居るのだなと勝手に思って心強かった。(!?)

土日の昼食には、困らなかった。マキシ(その店が勝手に付けた名前で、フランス人に聞いたら知らなかった)というフランスパンにステーキを細長く切ったものとフリッツというポテトを千切りにして油で揚げたものをサンドイッチにしているものである。(この食べ物は、学生風の若者がよく食べていた)

これは好物で毎週食べた。20フラン。毎週通ったので、おばさんとも顔見知りになった。この中に入っているステーキはステーキ・アッシュといって細切れ肉を寄せ集めて一枚のステーキにしたもの(だから味はステーキで安いのだ)を鉄板で焼いて塩・胡椒をしたもので、これを細く切って塩をふったポテトを山盛りフランスパンに挟んでパン一本分を丸ごと袋に詰めてくれる。(フランスパン1本分って、ひょろ長くてかなり大きいよね)

それだけでおなかいっぱいになり、日本人の昼食としては十分な量がある。

フランス食には抵抗感はなかったが、さすがに、3ヶ月の終わり頃になると、「すき焼き」が食べたくなった。(一旦思い浮かべて食べたくなると、四六時中頭から離れなくなり、何が何でも食べたくなった)

私の勤めていた会社の社長、シャロンは、大の日本びいきで、「すき焼き」が大好きである。ある日、彼から「すき焼き」をごちそうしてくれとリクエストがあった。(さて、どうしよう)

ホテルには、食事は作ってくれないが、立派なキッチンがある。プロのキッチンなので使い方が分からない道具もたくさんあった。長期滞在の特権を生かして、ホテルの女主人に頼み込み、キッチンを使わせてもらうことにした。

次は材料集めである。材料で困ったのは醤油である。町から100キロ離れた町に中国人の店があるとの情報を聞きつけ行ってみると、かびの生えた醤油らしきものがあるではないか。早速、カビを払いのけて製造年月日は見ないで買って帰った。(本当に醤油だった、醤油があると日本食っぽく、材料をアレンジすることが出来る!)

ついでに(よせばいいのに)ラー油らしきどろっとした油みたいなものもあったので、ラー油だと信じ切って購入した。(この店は、小さな間口で、がらくた屋のような店だったが、インスタント・ラーメンがあった。とりあえず、これも購入して後で食したが、日本のものと全く違った味であった。)

市場で、生卵、野菜(日本の野菜と種類が全く違うが)、豆腐やこんにゃくは無いがしかたない、一通りのものは仕入れた。(果物を売っているおばちゃんは、意地悪で(当時は意地悪だったが、帰国するときには本当に別れを惜しんでくれた)早口で言う数字きっちりの料金を払わないと、ものを売ってくれなかった。このおばちゃん以外の店では、(数の数え方は難しいし、早口なので何と言っているか分からず)大きめのお金を差し出しお釣りをもらった。おかげで、小銭が山のように増えた。)

問題は肉だった。肉食の国なのに、すき焼きにするような薄い肉は売っていないのである。肉屋で薄く切ってくれるように頼み込んだ。(たくさん買うから、たのむぜ〜)

肉屋は、ハムを切る機械で、「臭いが付くからな〜」とぶつぶつ文句を言いながら、面倒そうに肉を薄く切ってくれたのであった。

シャロンとその友達を招待して、すき焼きパーティーをやった。プロの道具とそれなりのレストランで振る舞うすき焼きは、何とも言えない雰囲気があって妙な感じであった。

味が本当に良かったのかどうか覚えていないが、そのおいしさといったらとても言い表すことが出来ない。(ような気がする)

生卵を食べないフランス人は、卵を使わずに食べていたが、おいしそうだった。(?少なくともシャロンはおいしそうだった)

このときほど、日本料理をおいしいと思ったことは一生無いだろう。ちなみにラー油と思って買ったものは、ナムプラーといってものすごい異臭を放つタイの魚醤油(魚の内臓を発酵させて、べっこう色の上澄みを集めたもの、聞いただけで臭そう)だった。

食事の後に、甘いデザートをしっかり食べる癖が付き、結局、体重は減るどころか、1ヶ月に3kgも太ってしまったのであった。(そのことをフランス人に話すと、「フランス料理は世界一」と当たり前のような顔をして言っていた)





フランスでの生活(その4:家探し)

約3ヶ月のホテル暮らしは、それなりに楽しめた。その間ずっと家探しである。

私を受け入れた会社は、土地勘がない私が借家を探すことと契約を交わすことをフランス流にやることが難しいと判断し(あたりまえじゃ〜)、女性の世話係を付けてくれた。

彼女は(本当に)女優のサンドラ・ブロック似で、黒髪(フランス人はマロ(ゴ)ン色といって、お菓子のモンブランの上に乗っている細いひもみたいなものの色、だから黒髪は珍しい)で瞳は黒、顔立ちはドイツ人風、(今だからヨーロッパ人の国の違いと顔の違いが分かるが、当時は白人系の外国人は皆同じ顔に見えた)フランス人的ではなく(やさしくて)流暢な英語を話す、とても賢い人でした。

(10年後にフランス人エンジニアの奥さんとなり、日本に数年間滞在することになるのですが、その再会の時「別人かと思った」話は後ほどするとして、とにかくすごい美人なのでした)



彼女は、自分の本来の仕事があるにもかかわらず、自分の仕事が終わってから残業代も無し(この会社のサラリーは、フランスの会社の殆どが採用している年俸制)で私につきあってくれたのでした。

まずは、この親切なサンドラ・ブロックに、私がどのような家を望んでいるか、を理解してもらうことから始めなければなりませんでした。

とりあえず、彼女が私にふさわしいと思っている家を紹介してもらったが、それは(思った通り)とんでもないところであった。

彼女は僕があまり裕福ではない(確かに裕福でない、かみさんからもらう小遣いも、独身の時に比べて減っているし・・・、信じられる?)と思っていたようだ。

というもの私が配属された会社は、工場の試運転を専門にやっている下請け業者で、比較的若い人が多くフランスのエンジニア・レベル(フランスでエンジニアといわれる人は、個室と秘書を持っており、かなりステータスは高い)からするとサラリーはかなり少ない部類であったのである。

(エンジニアとはいうものの、仮設のぺらぺらのタコ部屋(トレーラーハウスのイメージ)に数人ぶち込まれて働いた、実はこれで良い思いをしたのであるが後の話のネタにします)

紹介してもらった借家は、例えば、どんなところかというと、母屋から離れた納屋に付属したお手伝いさん用の部屋(ハリー・ポッターの○○の小屋のような、それはそれで趣がある部屋なのだが)や、かなりリフォームの必要な、長く人の住んでいない農家(石でできているので、数百年前の建物で重厚ではあるが)のような物件ばかりだった。

(確かに家賃は安い、フランスでは住み始める前にリフォームをかなりやることは常識で、それも自分の手でやる、このホームーページのようにブリコーレするのである、だからホームセンターはすばらしく何でもある)

そこで、私が日本で過ごしていたアパート、マンションのイメージを絵を描いて説明すると(文化の異なる人に説明するのは簡単ではなく、理解してもらうのに数日を要した)、(彼らにとって)非常に高い物件を紹介してくれたのだった。

この間、サンドラ・ブロックは、本当に真剣に耳を傾けてくれたし、理解しようと努力してくれた。(「フランス人にも親切な人が居るのだな」と、市場のおばさんにも、いじめられている私は涙が出る思いであった)

やっとのことで目指す家が見つかった。

次は、この部屋の家主と契約を交わすのであるが、銀行口座を開くのと同じ説明をさせられ、書類を要求されたのは言うまでもないので省略する。

家庭は安らぎ。フランス人にとって、家族は非常に重要なものである。よっぽどのことでない限り、単身赴任はあり得ない。休日は家族と過ごし、家族を大事にする。(その割には離婚が多いし(パリでは約30%の離婚がある)、男性は既婚・未婚に係わらず、道行くすてきな女性に必ずと言っていいほど声をかける)休む予定は、どんなに仕事が忙しくても仕事に優先する。「担当している人が休みなので、彼が出てくるまでその仕事は出来ません。」は当たり前である。家庭はフランス人にとって、ゆっくりと落ち着ける場所なのだ。

それと関係あるのかないのか分からないが、家の照明がやたら暗い。(測定したわけではないが、薄暗いといった感じ)ゆったり、くつろぐためには明るさのファクターは重要である。(とフランス人は主張する、確かに、日頃見慣れた奥さんの顔も、薄暗いと色っぽく見える(?)し、と言ったら怒られそうだが)

家庭はリラックスして明日からの鋭気を養うところだという考えが浸透している。確かに、バーやスナックでゆったりと酒を飲むときは、気を付けてみると確かに照明が暗い。落ち着いた雰囲気、ゆったりとした時間の流れ、リラックスできる空間。(薄暗い理由は、相手をしてくれる女性をきれいに見せるためだとばかり思っていた!?)

やっと日本で生活していたレベルのアパートにたどり着いたが、照明が足りない。コンセントの数が少ないし、天井から垂れ下がっている照明用の配線が無い部屋もある。たくさん口の付いたデーブルタップを買ってきて、たこ足配線で照明器具を買い足した。

サンドラ・ブロックは、「日本の家はこんなに明るいのか、疲れないか」と真剣に驚くとともに、あきれていた。

やっと、居住する場所を確保した。その他、レンタカーを借りる、電気、電話、テレビ、水道、下水処理の契約等々、いろいろな契約をやった。(もう、何も怖くな〜い!)

フランスで何かを契約する場合、すべて同じ説明と書類を要求されるのであった。全くうんざりである。(確かに日本でも、保証人を求められたり、いろいろな書類を用意させられたりと大変である、まして一見ベトナム移民のように見える、どこの馬の骨か分からない人間に対しては、なおさら、当然か・・・)

この3ヶ月は、海外で暮らしを始めるノウ・ハウが凝縮された期間であった。(一つ一つ書き残してノウ・ハウ本でも出そうか、とも思うが残念ながら大半は忘れてしまった)






フランスでの生活(その5:学校)

フランスの義務教育は、「何人にも平等に教育の機会を与える」との尊大な精神があり、どんな移民の子でも受け入れてくれる制度(文房具の支給や経済的な面でも授業料免除等日本よりはるかに充実している)が整っている。

フランスの義務教育は6歳から16歳までで、それ以前の幼稚園に相当する期間は2歳〜5歳の期間である。

当時、我が家には、小学校1年生の娘と幼稚園にこれから入ろうとする息子がいた。住居をなんとか調達したので、次は子供を受け入れてくれる学校探しである。

近所に幼稚園と小学校が併設されている私立学校があった。さっそく校長先生(人徳のありそうな女性であった)に、私の素性と自分の子供を幼稚園と小学校に入れたい旨相談しに行った。当然、サンドラ・ブロックに付き合ってもらった。

子供たちには、フランス語教育を日本で事前にしていない旨話すと、「他の子供の進度に影響を与えるから」と最初は受入を拒否された。

しかし、「フランスは人種差別しないことを誇りにしている国ではないか、フランスの教育理念から外れるのではないか」、「私たちは、日本でも優秀な部類に入るレベルの人間だ(ほんとかいな?ほとんどハッタリ)」、「学校に行かなければグレて不良になるぞ、この地域の治安を脅かすかもしれない(ほとんど脅し?!)」等々、フランス流にダメ元で、いろいろと粘って校長を説得した。

サンドラ・ブロックは、あ〜だ、こ〜だと屁理屈をコネながらバックアップしてくれ、タフにネゴシエーションをしてくれた。さすが口で勝負するフランス人。優しい彼女が、豹変してタフ・ネゴシエーターに変身するのであった。

校長は根負けしたが、校長だけでは判断できないということになり、PTA総会を開くことになった。

夜8時頃から(PTA総会が夜の8時から始まるというのも共働きの多いフランスならでは、フランスのディナーなどは、夜8時頃から始まり12時過ぎに終わるのが常識だ)講堂で総会が行われた。

私のしゃべる機会はチョットしかなく(演壇でさらし者になっていただけ)、数時間に渡ってPTA間で大激論が行われた。サンドラ・ブロックが英訳してくれたが、しゃべる量が多くて理解が追いつかなかった。(何となく、教育のそもそも論が大勢を占めたようだった)

結局、総会の数日後、結論は出され受け入れてくれることになった。(めでたしめでたし!)

後で聞いたところによると、私の働いていたフランスの会社から、学校へ文房具(鉛筆とノート)の差し入れがあったのだ。どこの馬の骨とも分からない東洋人を、良くすんなり受け入れてくれたものだと思ったが、しっかり「袖の下」があったのだ。

かくして、学校の受け入れ準備も出来たし、住む家も何とか確保したし、家族が日本からやって来た。

子供たちは、フランス語を全く知らなかったが、数ヶ月するとフランス人のような完璧な発音で(帰国したら全く忘れてしまって、今では一言もしゃべれない)、友達も家につれてくるようになった。

(下の子は、生まれて初めて集団生活を学ぶ幼稚園が外国だったので、言葉を出すより先に手が出てしまい、悪ガキの一員になって物議をかもしたが、今では良い思い出だったと言っている)

赴任した地域では、日本人は珍しいらしく、フランス人の生徒たち皆に大事にされたのだった。(田舎なので良かったのかもしれない。皆、日本のことをほとんど知らなかったので、興味津々で珍しがられクラスの人気者だった)

昼食時は、皆家に帰って食事をとるのが普通だが、キャンティーヌという給食があって、共稼ぎで、どうしても昼食が作れない両親の子供たちのために、学校で昼食を取ることが出来る制度があった。

当然デザート付きのフル・メニュー。一度経験した我が家の子供たちは味を占め、昼食を家で摂らずにキャンティーヌばかりを摂るようになった。おまけに、食事を作るおばさんと友達になってチャッカリおまけ(お菓子等)を付けてもらっていたのであった。(食事を作るおばさんは親切な人で、日本の子供に食事は合うかとしきりに気を遣ってくれた)

日本の学校と同じで、フランスの学校にも奉仕活動というのがある。学校の校舎の壊れた部分を親の奉仕活動で修理したりするのである。ドブさらいもあるし、回りの木の剪定もある。業者に任せると、莫大なお金を請求されるので、これを親の奉仕活動で補うのである。

半年ぐらい経つと、この奉仕活動の募集が来た。日本を代表してフランスに来ているので日本人の印象を悪くしてはいけないと(大げさ!)大いに気負って参加した。

ところが、参加している人は非常に少なくて、しかもその道のプロばかりなのである。私のような素人は役に立たない。

皆、道具も自分たちの仕事関係から借用してきたプロ用の機械を持ってきていた。つなぎをビチット決め、装備もバッチリ。

でも、私が参加したことを喜んでくれた。終わった後、学校の食堂でチョットした食事を囲んで、ご苦労さん会が行われた。

おかげで仕事以外の友達になり、フランス生活を楽しいものにしてくれたのだった。後で、同じ学校に自分の子供を通わせているエンジニアに、「おまえ奉仕活動に来なかったな」と言ったら、「行くわけないだろう、あれは、もち屋がやるんだ」「逆におまえどうして行ったの?」と聞かれてしまった。

1つ勉強になった。学校の奉仕活動にはプロが参加する。

このように学校は文化の違いを如実に感じる出来事がいろいろある。運動会などはその最たるものだ。「明日、運動会があるので用意してくるように」とお達しがあったので、日本の運動会をイメージして、かけっこや玉入れや騎馬戦(さすがにフランスには無いだろう!)、ダンスなどの遊技が有るのかと思い、「ひょっとしたら親が参加するかけっこもあるかも」と思いながら密かに動きやすい服装に運動靴などはいて(やったるで〜)期待して参加した。

ところが、ジムナスティックというくらいだから、体操を披露する会だったのである。体操といっても、器械体操のようなものである。これには、意気込んでいっただけにガックり来てしまった。

幼稚園ではパレードというのがあって、町中を着飾って練り歩くイベントがある。そのコスチュームは全部手作りなのだが、色使いが日本の感覚と全く異なって美しくとてもかわいい(日本だと歌や遊技の発表会となるところだ)。





そんなこんなで、文化の違いをひしひしと感じたのだった。でも、PTAとの付き合いは、仕事以外の友達を生みフランス文化の一端を少しでも感じ取ることが出来たのではないだろうか。いまだに手紙などのやり取りが続いている。






第10話 フランスでの生活(その6:女性の体格)

これからのフランス・シリーズは、フランスと日本の文化の違いから生じてくる、私の体験した誤解や意外な面について書くことにします。

ただし、私の短いフランスでの生活、狭い範囲(仕事+α)のフランス人、ということで、決してフランス人のマジョリティが、このようだと言うつもりはありません。

「男女平等」。日本では労働に関して、男女平等や機会均等が叫ばれて久しいけれど、実体は、それほど進歩していないように思う。

最近、日本では、大型トラックやタクシーの運転手に女性をしばしば見るが、フランスでは日常茶飯事である。フ重い荷物を運んだりする重労働についても女性を多く見かける。

フランスの女性の体格は骨太く(やはり肉食中心だからか)力仕事でも難なくこなせそうだ。フランスで生活して戻ってくると、日本の女性の体格は、まるで子供のように華奢に見えた。(もっとも、フランス人男性の間では、華奢で可愛らしくやさしい日本女性人気は非常に高い。職場のフランス人も帰国する際に日本女性を連れて帰る人が何人かいる)

なぜ、私がフランス人女性の体格を知っているかをお話ししましょう。

私がフランスで働いていた事務所は、工場の建設途中ということもあり、日本の工事現場にあるのと全く同じ移動式仮設事務所(ぺらぺら)であった。

この仮設事務所は、幾つかの部屋に仕切ってあり、それぞれの部屋に数人のエンジニアが詰め込まれていた。私の通ったタコ部屋(以下私の通った仕事部屋を「タコ部屋」と言います)には私を含め3人のエンジニアがいた。ラッキーなことに(?)他の2人は独身の若い女性だった。(エンジニアだって1/3くらいは女性だった)

私たちはタコ部屋を根城に、そこから工場とタコ部屋を往復して仕事をしていた。工場に入るときは、つなぎ服に着替える。

一緒に仕事をしていた女性エンジニアは、ちょうど体格が私と同じくらいだったので、個々につなぎ服は持っているものの、洗濯などして自分のつなぎ服がない時は、お互いのつなぎ服を共有していた。

タコ部屋でつなぎ服に着替えて工場へ入る、工場から帰ってきて私服に着替えるという行為の繰り返しだったが、着替えるための衝立などなく皆の目の前で着替えるのが普通だった。

私はパンツ一枚になって着替えるのに抵抗はなかったが(うら若き女性の目の前で着替えるのはさすがに抵抗がなかったと言えば嘘になる)、男女平等のフランス。女性も全く同じように下着だけになって着替えるのだ。

最初、「おまえの服、大きさが同じだから貸してくれ」といって、私の目の前でパンツ一枚になって着替え始めたときは、目のやり場に困った。(彼女たちは、仕事をするときはノー不らの人が多い。ドレスアップするときは、ほとんどノーブラである。もちろん化粧も薄いし(香水はキツイがほとんどしていないと思う)、毛(?)の処理も適当)

こんな経験を1年半してきたので、フランス人女性(2人だけだけど)の体つきについては、詳細にうんちくを語ることが出来る。(本当に良い経験をし(?!)、会社には大変感謝している)

フランスにはビズーという習慣がある。家族や恋人でなくても、親しい女性同士、男性と女性が頬をすりあわせて挨拶をする。

職場では、毎朝、どんなに忙しくても、まずビズーである。

個人主義の国と言われるが、このような行為によって、個々の関係を良好に維持しているのだなと(勝手に)納得した。

タコ部屋の女性エンジニアに「おまえはどうしてビズーをしないのか」と2週間攻められ続け、清水寺から飛び降りる気持ちでビズーをした(させられた)。

習慣化するとなんでもない。毎日のように、職場だけでなく、仕事から帰っても近所の親しい女性にビズーをすることに全く抵抗感がなくなった。

おかげで、日本に帰国した直後は、職場の女性に思わず顔を近づけて(エッチな中年のおじさんだと)、妙な顔をされた。

余談だが、ビズーをしまくって(表現が良くないが)、フランスの女性は髭がかなり濃いと言うことを発見した。

髭の色が金色で肌の白さと同じなので目立たないが、しっかり髭が生えている。

どおりで、体つきは男性的でマッチョである。力も強く腕相撲などしても勝ち目はない。(きっと男性ホルモンも大いに違いない)

フランスの女性一般に共通することに、胸をあまり隠さない、というか、意に介していない(恥ずかしがらない)と言った方がよいかも知れない。

当然ノーブラが多い。夏などは話をするときに、私が机に座って、彼女たちが正面前方からかがむ体勢で話し込むときなどは、本当に目のやり場に困ってしまう(その状態で、肘などついて話し出したら・・・)。

パーティなどで着飾るときも、強調して半分露出状態である。まあ、男性にとっては、好ましいことであるが日本でも是非奨励していただきたいものだ。日本の女性だって、すばらしいバスト・ラインなのだから。

結果として、秘書付きのエンジニアではなかったが、仕事の面では、ずいぶんいい思いをしたような気がしている。





第11話 散髪

私の短い限られた地域でのフランス生活のなかで、日本の文化とフランスのそれの違いによって生じる誤解や認識の違いから起こる(笑い?)話を、書き綴ってみます。

フランスへこれから行かれる方、フランスをもっと知りたい方、異文化に接して日本を改めて見直したい方等々にとって少しでも役立てればいいかなと思い、ノートの切れ端のメモを頼りに、10年以上前の体験をまとめてみます。

退屈でしょうけれど、よろしく!


海外生活をしていて困ることがいろいろあるが、その1つに散髪がある。私の場合、髪は少ないが(少ないが故に)あ〜だ、こ〜だと本人としては注文があるものである。

この微妙な(?)ニュアンスをフランス語初心者の私が表現できるわけもなく、散髪屋を遠巻きにしていたが、数ヶ月過ぎるとさすがに髪がのびてきて、いよいよ定職のない移民のようになってきた。

フランスでは「コアフュー」といって美容院があるが、日本にあるような散髪屋はない。女性と男性両方の美容院と、男性専用の美容院の2種類がある。原則予約制で、どの人に切ってもらうか指名しなければならない。

恐る恐る電話する(電話というのはとても厄介で、面と向かって話しているより遙かに聞き取りが難しい。まして外国語初心者にとっては言わずもがなである。電話を聞き取れるようになれば、海外生活での言葉の不自由ほとんどないと言ってもいいくらいである)。

早口でマイクを通しての音声ということもあって、何て言っているかよくわからなかったが、とりあえず指名はせずに「誰でもいい」と言って何とか予約を取り付けた。

「どのようにする?」と聞かれるに違いないので、どのように答えるか予習しようと辞書やノウハウ本を引っ張り出して探したが、美容院でのシチュエーションなど書いてない。

困った困ったと思っていたところ、「写真を持っていって、このようにしてくれ!」と頼めばよいということに気付いた。雑誌(フランスの)から私と似ても似つかない格好いいモデルさんの写真を切り抜いて準備万端。

何とか1回目の散髪を終了したが、写真とは全然違うし(元が違うので仕方ないか)、同僚からは冷やかされるしで散々だった。

でも次からは、その美容師さんを指名し、「この前と同じように」と頼めばよいわけだ。(同僚の冷やかしは、そのうち慣れるだろう・・・)

この美容院に通い初めて、よく観察していると、私の髪を散髪してくれた人は、他のお客からあまり指名がない。

人気がないのかな、と思って客に聞いたら、彼は「デビュダント(新米だ)」と言われた。

なるほど、散髪している様子は何となくぎこちない。私は練習台になっていたのである。でも、人助けのためだと思って、しばらくこの美容院に通った。

これで終わりでは芸がないので、一緒に働いている「こいつはかなりお洒落」とおぼしき同僚に、行きつけの美容院を紹介してもらった。

偵察に行ってみると、小さな美容院で2人の若い女性が経営している。(当然)男性専用。一目見て気に入った(何が気に入ったのか定かでないが)ので、以降赴任している間ずっと通った。名前は「コアフュー・ヴェロニック」。



彼女たちはとても気さくで感じ良かった。紹介カードに書いてあるように、予約してもしなくてもフラッと行ってやってもらえるのも気に入った。

驚いたことに、最初に髪を濡らさずいきなり切り始める(後で知ったことだが、このカット法はドライ・カットといって技術的に高等テクニックであることが分かった。)。

カットが終了すると洗髪はない。肩に髪のくずを乗っけたまま店を出るのである。(合理的といえば合理的だが、これもずいぶん日本と異なる習慣だ。)

カットしている最中、彼女たちも面白がっていろいろ話しかけてくれるので、世間話をたくさんした。彼女たちはスキーが好きで、毎冬、
TGV(フランスの新幹線)でアルザスまで1ヶ月くらいスキーに行っているそうだ。

私もその話を参考にして、格安ツアーを計画し実行した。



ある日、突然、彼女たちから申し出があった。

私の髪型を、「自分たちに任せてくれないか」、「最近流行の格好いい髪型にしてやる」というものだった。

私の働いていた会社は比較的堅い会社なので、あまりに突飛な髪型で行くと日本の会社に変な噂が流れるのではないかなと、一瞬(ほんの一瞬)不安が頭をよぎったが、何事も経験だ、と割り切って任せることにした。

結果は、アーミー・カット(のような髪型)であった。いわゆるスポーツ刈りのようなものだが、映画「ロック」のエド・ハリスならいざ知らず、ちっとも似合っていなかったので、家族や仲間には不評であった。

短くなったので数ヶ月は美容院とご無沙汰になった。

「まかしとけ!」というフランス人はあてにならない!?ということを、このとき悟った。







第12話 パン屋

フランス人が食べる食事は当然フランス料理が主だが、日本のご飯に相当するものにパンがある。

朝は、甘みのあるパンか、プレーンなパンならジャムをドッサリ付ける(とにかく甘いのが好きだ)。バターは使わない人が多い。

甘みのあるパンには、パン・オ・ショコラ(クロワッサンのようなバターをたくさん使った焼き上げ方で歯触りはサクサク。丸い形の中にチョコレートの棒が丸ごと入っている。日本にあるような小さなチョコ・チップが点在している上品なものではなく、もっとおおらかな(おおざっぱな)作り方をしている。)。

パン・オ・レザン(いわゆるブドウパンであるが味付けは、やはり甘い。)。

バゲット(皆さんよくご存じ、棒状の細長いパン。)。

クロワッサンは言わずもがな。

ジャムは、いろいろあるがとにかく甘い味付けである。日本の明○屋のジャムのように砂糖控えめでは決してない。(甘党が多いのだろうか)そのジャムをべっとり付ける。

それと、どんぶり(失礼!)に入ったカフェ・オ・レである。

朝の忙しさは万国共通のようで、フランス人も5分〜10分で済ませる人が多い。

若い人たちは、もっと時間がないらしく、パン・オ・レザンをくわえながら、車を運転して通勤する。

日本のようにオートマチック車が普及していない(一般の人は滅多に乗らない。金持ちしか乗らないのである。)ので、ハンドルやシフトレバーを操作しながら、器用にパンを食べている。

この朝の忙しいときに(パンをくわえながら車を運転するくせに)毎朝、パン屋にパンを買いに行くのである。

パン屋は午前3時頃からパンを作り出し、6時頃には店先に、ものすごい量のパンが並ぶのである。



皆、行きつけのパン屋があり、いつも長い行列を作って毎日買いに行くのである。合理的な人たちかと思ったが、デリバリーの発想はない。

だから、パン屋に来ている人たちはパン屋ととても親しい。

パンはこれらの他に、重いディナーなどの時に出てくる、パン・ド・カンパーニュというのがある。

日本人は、松○子が宣伝している山○の食パンのように、柔らか・ふっくらが好みのようだが、フランスのパンは、どちらかというと堅めである。

パン・ド・カンパーニュは、チョッと古いのではないかと思われるほど固い。でも噛んでいると味わいが出てきて、重い食事に良く合う。重めのワインにも良く合う。

このパンは、レストランが高級であれば、レストラン独自でオリジナルなパンを作っていることが多い。

おいしいレストランはパンもおいしい。

パンの食べ方で特徴的なのはパンの粉をやたら散らかす。バゲットにしてもパン・ド・カンパーニュにしても皮がパリパリしておいしいのであるが、食べたりちぎったりする都度クズが散らかる。

日本のレストランでは、パンを乗せる皿があって、その上で食べれば散らからないように思われる。

ところが、そのクズは小さな皿では受けきれない。フランス人は、最初から散らかることに対して散らかさないようにするなどと無駄な抵抗はしない。

小さな受け皿なんて出さないので、テーブルの上に直(テーブルクロスの上)にパンを置いて食事をする。そうすると、パンの粉がそこら中に散らかるが、いっこうに気にしていない。

テーブルクロス上の散らかったパン粉をすくい取る道具があるのだ。スコップのような形をしているが、これが実に綺麗にパンの粉を取り去るのである。腕がよいのか道具がよいのかよく分からないが。

私は、フランスパンがとても好きだ。定年になったら、写真のパン屋に弟子入りして、作り方を教わってこようと思っている(本気で!、でも早起きできるかな?)。






第13話 フランスの女性

女性の髪型にソバージュというのがある。ソバージュとは野性的という意味だが、要はゴワゴワになった髪(そうではないと主張する人もいるが)のことである。

フランス人で髪を長くしている人は少ないが、たまに長くしている人は、ほとんどがソバージュである。最初はそれが流行かと思っていた。ところが良く聞いてみると、自然にそうなるらしい。

フランスの水は硬水といってカルシウム分が多い。なれない日本人旅行者などは、水を飲むと下痢をする。日本の女性が、高いお金を出してエビアンなどの水を飲んでいるのを見ると、何を好きこのんでと思わざるを得ない。

この硬水で頭の髪の毛を洗うとゴワゴワになるのである。私みたいに髪が薄くなりつつある中年は、髪にボリュームが出てきて、一瞬、髪が増えたような錯覚に陥る。

女性のように長い髪の人が、硬水で毎日洗うと自然にソバージュになるのである。

一緒に働いている女性エンジニアは、ほとんどショートであったが、秘書は髪が長くソバージュの人が多かった。

聞いてみると特に美容院で何かしてもらったことはないと言っていた。自然にソバージュになるそうだ。

前回にも述べたが、フランスの女性は骨格がガッチリしている。また、筋肉質である人が多い。だが、顔が小さく幅が狭く体が太っても顔は太らない。

典型的なフランス人女性の顔は、白雪姫に出てくる魔法使いのおばあさんのような顔をいうのだろうと思う。だから、フランスを代表する女優のソフィ・マルソーなどは例外的な顔と言わざるを得ない。アメリだって典型的はフランス人とは少し違う。典型的なフランス人の顔は禿鷹のイメージが強い。

フランスで美人というと大概混血である。夜のパリで有名な、ムーラン・リュージュやホワイト・ホースに出ている、綺麗なダンサーは、ほとんど混血らしい。

スタイルといい顔の美人さといい、出演している女性を見る、ウイットに富んだストーリーを楽しむ意味で一度は見る価値があるが、あれがフランス人の典型であると思ってはいけない。

フランスの女性へのほめ言葉というか絶対に間違いがない殺し文句に「とてもシックだね」というのがある。

年齢にもよるが20歳代後半から中年にかけては、間違いなくこのほめ言葉で1回は食事に付き合ってくれる。

シックというのは、色合いは暗い色で、でもパーティなどでは目立っていて、知性が感じられ気の利いたアクセサリーでアクセントを付けている、話が上手でウイットに富んだ話題を提供できることを意味する。

したがって、付け焼き刃でブランドものを身につけても、美人で化粧が旨くてもシックというほめ言葉はもらえない。

フランスの女性は、シックと言われるために日々自分を磨き努力しているのである。一般的に、フランス人のセンスは日本人のそれより遙かに高いものがあるが、高尚な女性はさらに上を目指し、とてもシックなのである。

あれだけデザートが好きな民族なのに、太っていない(人が多い)。アメリカ人と比べると如実だ。アメリカ人は、ハリウッド・スターは別として、一般の人は年を取ると確実に太る(特にダイエットに気を付けている人は別だが)。

しかし、フランス人は太らない。なぜだろう。

運動が尋常でないことが一因としてあげられるかも知れない。ご存じのように、自転車は国民ほとんどすべてがスポーツとしてやっているし、サッカーもしかり。

余談だが、サッカー熱は、今の日本を遙かに上回るレベルである。日本でJリーグが始まってから、日本のスポーツショップなどにも売っているが、頭でっかちの選手にそっくりな小さな人形がある。

ほとんどのフランス人は、職場の机の上にも、この人形を自分の応援するチーム分揃えていて、試合の日には必ず休む。

地域別にチームがあるので自分の住んでいる地区の試合があると皆休む。

海洋スポーツも盛んだ。ヨットなどはその最たるもので仕事仲間のうちで、毎日、会社が終わって夜にセイリングしている人たちもいた。

高校から大学にかけてヨットをやってきた実績を買われ、24時間耐久レースに参加させられた。とてもハードで死ぬかと思った。

最初、スキッパー(船長)が女性なので、楽勝だと高をくくっていた。が大間違いだった。

そのスキッパーも数年後日本に来て私と仕事を一緒にしていた。あだ名がドラゴだった(ロッ○ーに出てきたロシアの強敵ボクサーにそっくりなのだ)。

今はフランスに帰ったが、とび職の人がはいているニッカボッカを気に入ってはいて職場に通っていたワイルドな感じの女性だ。フランス土産に大量に買い込んで帰った。

レースが終わって、私はひたすら眠りたくて帰りたかったが、ドラゴがおなかが減ったと言って「つき合え」の一言で早朝のバーに付き合った。テキーラを一気飲みするし、食事は山盛りタルタルステーキをペロリと食べてしまった。

でも、とても優しい面があり、私の日本の家にも家族で遊びに来た。彼女の子供は一人で泊まりたいと言ってゴネた。今でも親しい家族の一つだ。






第14話 フランス小話(フランス語の勉強を続ける)

恐怖のサ○○○ィックでフランス語を鍛えてきたにも関わらず全然通じない。(信じられないでしょうが、本当です、これについては帰国してからサ○○○ィックのK先生に文句を言いに行った)

私の同僚などは、「シャルル・ドゴール」と発音しても、分からないふりをしてバカにする。(話の前後関係から話題にしているのはシャルル・ドゴール空港のことだと分かっているのにである、実はシャルル・ドゴールの発音は大変難しい!)

先に登場した市場のおばさんなどは全く相手にしてくれない。くやしいので、しつこくおばさんのところに通ったがなかなか彼女が要求するピッタリしたお釣りのないお金の払いが出来ない。

一所懸命聞くのだが、早すぎて分からない。(外国人なのでゆっくりしゃべってくれてもよさそうなものだが)

日本から持っていったテープ(リ○○フォン、後でフランス人に聞いたら、テープで話題になっているシチュエーションは10年前のフランスだと言っていた)をひたすら聞きまくり、特に数の言い方をリスニングした。

すっかり自信喪失して憔悴しきっていたところ、会社の同僚に、「家庭教師募集の広告を新聞に出したら」とのアドバイス。

早速、町のローカル新聞社に(難しい)電話して、「フランス語家庭教師求む」の広告を出した。

簡単に「広告を出した」と書いたが、実は、意志疎通がなかなかできず丸1日を費やしたのは言うまでもない。(何をするにしても最低丸1日なのである)

どうせ応募など無いだろうと高をくくっていたところ、思いの外反響があり10人の応募があった。

会話の練習も兼ねて、一人一人面接して決めることにした。(物事を習うとき重要なことは、自分から進んで習いたいと思う環境を作り出すことである、そうでないと決して長続きしない)

大学の教授(タカビーなので最初からお断りした)から、小学校の先生、先生をリタイヤした人、大学生、プータロウ、いろいろな人が面接を受けに我が家を訪れた。

1対1の2時間密着個人レッスンなのに、「○○の駅前留学」などよりずっと内容が濃くて安い。

調子に乗って(モチベーションを維持するために!?)女性で20歳代でという条件を付けて絞り込んだ。

結局、3人の先生を選んで滞在中ほとんど毎日レッスンしてもらった。

一人は小学校の現役の先生。彼女は、自分の自宅に来てくれとの事だったので、彼女の自宅でレッスンを受けた。フランス人の自宅の中を垣間見る(招待されるときの片づいたときの様子でなく、普段散らかっているときの様子が分かった)ことが出来て、レッスン以外で大変参考になった。

一人は髪の長い高校を卒業してアルバイトをしている綺麗な女性だった。この女性には私の家に来てもらってフランス語を習った。(彼女も日本人が普段どんな生活をしているか、きっと興味があったに違いない)手取り足取りはしてくれなかったが親切にフランスの文化やフランス人の習慣などを教えてくれた。

もう一人は、最初に面接に来たとき目が点になってしまった。(学生時代にアグネス・ラムに感動したが、それ以来の感動だった)

おじいさんが中国人でパリ大学に通っている大学生だった。混血の人は美人が多いと前に書いたが、本当に黒髪の美人だった。とても賢く、今中国で仕事をしている。

かみさんとも仲が良く今でも手紙の付き合いがある。子供たちも気に入っていて「お姉さん」と慕っていた。


いずれにしても、語学学習を効果的に長く続けるには、異性の若い先生が良いようだ。(あまり、深入りしすぎたり秘密主義に走ると、言葉を使わなくなったり(・・・?)破滅の道に足を踏み込む危険があるので注意が必要!)

もっとも「恐怖のサ○○○ィック」に出てきたベテランの老練かつ厳しい先生も決して否定はしないが・・・





第15話 悪口

洋の東西を問わず、仕事・プライベートを問わず、人間は他人のこと(会話をしている席にいない人)を話題にするのはとても好きである。特に悪口を言うのは大好きである。

フランス人と仕事をしていて文化の違いを感じるのは職場の上下関係である。

日本では部下の意見を上司が比較的良く聞く。(例外はあるが、部下に仕事を任せて大きな成果を上げている優秀な部長などは部下に気持ちよく仕事をしてもらうことに気を遣っている。

そのため、部下からの提案やアイデアの相談が出て来安い雰囲気がある。

優秀な上司は、自分の求める成果以上のプラスαを部下から自然に引き出している。(このよう職場環境が作れている部署は活気があって業績もすばらしい)職場の飲み会でも、上司と部下の交流は盛んである。

一方、フランスには、部下から上司への提案や成果以上の事を引き出すためのコミュニケーションはない。

上司は部下の進言について全く耳を貸さない人が多い。上司の命令は絶対である。

例えばこんな例がある。

私がフランスで工場の試運転をしていたとき、大学を卒業したばかりのエンジニア(フランスでエンジニアと言えば、自分一人の部屋を持ち、美人(?)の秘書が必ず付いていてスケジュール管理をしている)が試運転の現場に配属された。

当然、現場の状況や現場の経験から物事を良く知っているテクニシャン(専門学校や工業高校を卒業した人たち)の方が実力は上である。

しかし、テクニシャンは、現場を良く知らないエンジニアの指示に決して逆らわない。

きっと、エンジニアの指示に対して、「こうした方がもっとうまくいくのでは・・・」というようなアドバイスやコメントを持っているはずなのだが。

けれど、たとえ持っていても決して言わない。エンジニアの指示通りに物事を進めるのである。

したがって、エンジニアも部下に気を遣うなどといった行為を一切やらない。当然、仕事が終わって「いっぱい」という飲み会は全くない。(職場の飲み会はあるが、同僚や管理職だけというのが普通)

工場の現場などには、現場を熟知している主(匠)みたいな人が必ずいる。日本の管理職は、この主みたいな人の発言を無視しない。(無視できない、もし無視したなら部下から総スカンを食う羽目になる)

それに対して、フランスは階級を重んじる社会で、上司の言った指示・命令は絶対である。現場のたたき上げのテクニシャンが、経験のない高学歴エンジニアの若造から、どう考えてもおかしい指示を受けているにも関わらず、決して逆らわないばかりか文句も言わない。

私は、日本の方が好ましい思っている。現場の提案を無視せず旨く採用する事によって、劇的に会社が発展できることは、快進撃を続けるトヨタ自動車などの会社で実証済である。

フランス人のものの考え方は長年踏襲してきた文化である。これらの割り切りは十分慣れ親しんできていると思われるが、自分の思っていることを押し殺していやいや指示に従うことは、実際はかなりのストレスを感じるようだ。

人間無理をして従順になることは、どの人種でも苦しい。

そのせいか、フランス人は文句、不満や悪口は面と向かって言わない(上下関係がない場合には、ダメ元で言ってみるし、人一倍饒舌である)が、自分の中に閉じ込めることは出来ずに外に発散する。

人一倍その場にいない人の悪口などは大好きである。

具体的にどうしてストレスを発散するか。自分たちの部屋を閉め切って、ボロクソに悪口をまくし立てるのである。

議論好きのフランス人のこと、この締め切った部屋の中のかまびすしさと言ったら想像を絶する。

Jリーグのサポーターが、飲み屋でテレビの試合を見ながら見方にゴールしたときに騒いでいるのとほぼ同じくらいの騒がしさなのである。

直接面と向かっているときには、ニコニコしながら従順に従っているのにである。

人の悪口を言うことほど気持ちがスカッとすることはありませんね。これは万国共通。ひょっとすると人間の本能に根ざすものかも知れない。

職場では、表面的に従順なフランス人だが、不満な場合のサインがある。

手のひらと手のひらを組んで親指をくるくる回すのである。これは、不満を身体で表現している一種のボディランゲージである。

私自身は、高級エンジニアの高飛車な態度やテクニシャンの卑屈な態度を取らない(日本にそのような習慣は無い)ということもあって、フランスのテクニシャンからこの実態を教わった。

それにしても、他人の噂って楽しい。特に悪口は。(僕って相当性格悪いかな・・・)






第16話 カフェ/バー

日本だと仕事の帰りに職場の同僚と一杯というのは良くある風景だ。フランスは(アメリカでもそうらしいが)仕事が終わったらまっすぐ家に帰る。日本人のように仕事帰りにちょっとひっかけていく習慣はフランス人には全くない。

しかし、フランスでちょっとしたアルコールを出す店(日本で言うところの赤のれん?)にはカフェやバーがある。

仕事帰りはまっすぐ自分の家に帰るが、夕方カフェやバーをのぞくと結構たくさんの人がたむろしている。

どんな人がいるのかと観察してみると老人か中学生にしか見えない若い子たちが多い。働き盛りの人は一握り。(やはりまっすぐ家に帰るのだ)

老人はともかくとして、若い子たちに聞いてみると、義務教育を終了したくらいの子が多く、彼らはアルバイトで働いているような、いわゆる定職を持たないプータロウである。


彼らが飲んでいるのは、ほとんどビール。(フランスのビールは非常にまずい)ワインやエスプレッソを飲んでいるのは、常連の老人たち。

皆、時間つぶしに来ている。映画「アメリ」の中で、アメリが働いていたカフェにも個性的な常連がたむろする。

一杯のワインやエスプレッソで新聞に一通り目を通し、常連と世間話をし、店の主人と会話を楽しむ。

日本では、学生街にこのような店があった。オフィス街には、そんな暇がないので、あまり見かけない。

最近、大人の雑誌(「男の隠れ家」や「pen」等)が増えてきて、こぢんまりした個性的なバーの特集が組んであったりする。会社の延長ではなく、バーで会った、全く見ず知らずの人と会話を楽しむ。

まさに、フランスのカフェやバーの雰囲気と同じである。日本も、ゆったりした時間の流れを感じられるようになればと思う。

私は、フランス人の生態を観察するために(?)、会社帰りに同僚と2日に1回はバーに通って、小一時間過ごすことを日課とした。

フランス人を観察していると気づくことが幾つかある。

大人でも子供でも指を舐めたり爪を噛んだりする人が多い。なぜ、そうなのか。私なりに分析してみた。(本当かどうか自信はないが)

フランス人の子供たちは日本の家庭のように親と一緒に寝ない(寝させてもらえない)。どんなに小さい赤ちゃんでも、別の部屋で寝かされる。小さい子供は、寂しくなると指をしゃぶるようだ。

いったん指をしゃぶる癖が付くと、これがなかなか抜けなくなる。この癖が大人になっても残っているのではないかと推測するのである。


車を運転していても、イライラしたときも指をしゃぶったり爪を噛んだりするのを良く見かける。

ファッションは(良いかどうか分からないが)、フランス人独特のセンスがある。

見習いたいものの一つにスカーフの使い方がある。彼らはスカーフをたくさん持っている。

一張羅の服でもスカーフの使い方によって全く別の服のように見えるのである。

スカーフはデザインもいろいろあるが、大きさもいろいろある。また、バリエーションを無限大にしているのは、デザイン、大きさに加え、巻き方のバリエーション(巻き方、巻く場所)があるからだ。

ただ単にひっかけたもの、巻き付けたもの、よじって巻き付けたもの、ポケットにちょっと入れてはみ出さしているもの、ベルトに結びつけているもの、まさに無限大である。

おしゃれとは無縁の私は、センスのいい人というのはこんなものなのだと想像する。

ブランドものを身につけるだけではなく、センスだ(と服にお金をかけれない私は大いに賛成している)。

それから、東京のように、皆同じ流行のファッションをしていないということである。流行に流されていない。


自分に似合った、それがたとえ流行遅れであっても自分のセンスに合うものを選択して身につけている。

色使いはどちらかというと派手である。フランス人はもともとラテン系の血が流れている。したがって、基本的には楽天的で、熱しやすくさめやすい。議論しているのを見ても、くだらないことに議論が集中し、一気に盛り上がるが、結論が出ないまま尻切れトンボになることが多い。

約束も、かなりいい加減。というか正確でない。守らないというわけではなく、忘れた頃に守るのである。例えば、「○○を持ってきてあげるね」と言ったとしよう。

1週間たって何の音沙汰もないので、「もう忘れたに違いない。」と思っていると、1ヶ月後に持ってきてくれる。

「5分待って(サンク・ミニュッツ)」というのは彼らの口癖であるが、この言葉は時間の長さを言っているのではない。「しばらく待って」という意味で、30分〜1時間の事が多い。

「セラヴィ」という言い方がある。日本語に訳すと「それが人生さ」だが、自慢しているわけではなく、あきらめを表す表現として良く使われるようだ。

例えば、町を掃除している黒人のおばさんが言う場合、「自分の人生は一生掃除のおばさんで、賃金も上がらないし地位も上がらない、自分の人生はこんなもんさ」、という具合だ。

身分というのかどうか分からないが、上下関係はシビアである。私の仕事の関係でいうと、職種は上から、エンジニア、テクニシャン、ワーカーの順である。

学校を卒業したばかりの若い経験のないエンジニアが、プラントの建設現場に配属になって、筋の通らない指示を出しても、テクニシャンは「こうしたほうが良い」とのアドバイスは絶対にしないことは第14話で話題にした。

映画「コーラス」の中で、伯爵夫人が、生徒たちのコーラスを聴いて感激するシーンがあるが、「この子たちに歌を教えたのは誰の発案ですか?」という伯爵夫人の質問に対して、「私です」と校長が答える。


実は舎監が発案し、聴衆に感動を与えるまでに苦労してきたのであるが、舎監は「校長は理解ある人だ」と持ち上げる。「発案したのは私だ」とは決して言わないのである。

むしろ、異論を唱えず身分の上の人を持ち上げさえする。日本では、よっぽどのゴマスリでない限り、そんなことは言わない。上司は、部下に気を遣って機嫌を取ったりしたりもする。






日本人の見え方

フランス人にとって日本人は外見上どのように見えるのだろう。

ハリウッド映画で日本人として登場してくるのは、日本人から見るとほとんど中国人か、朝鮮人である。

何がどう違うかはよく分からないが日本人とちょっと違う。声のトーンが高いのと何となく顔の輪郭が四角いような気がする。

フランス人に日本人の顔の特徴を聞いてみると、目尻を両指で引っ張って、こんな顔という。

すなわち古来の美人として描かれていたような引き目鉤鼻なのである。

フランス人の女性に日本人の男性で美男子はどんな顔か聞くと歌舞伎顔が良いという。舞台化粧した松○幸○郎のような顔である。

そう、フランスの女性にもてようとしたら、外見上は引き目鉤鼻の歌舞伎顔になる必要があるのである。

顔は生まれつきなので、歌舞伎顔と似ても似つかない私などはフランスの女性にもてることはまず無い。

もっとも、私のつきあっているフランス人女性の範囲で一致している意見なので、決して悲観される事なかれ!

フランス人全体がそうかどうか甚だ疑問である。(と思っているのは私だけか?)

フランス人にもてたいと思っている方、一つの参考にしてください。




約束の守り方

約束の守り方には日本人と比べると、チョッと異なったフランス人特有の特徴がある。

ここでいう約束は、仕事上の利益が絡んでいるような約束ではなく、一般生活で使われている口約束の類である。

例えば、「この料理おいしいね、レシピ教えてあげる」、「この音楽のCD持ってるから、そのうち貸してあげるよ!」、「おまえが日本に帰ったら手紙を書くよ」、「パーティの写真を撮ったから、そのうち送るよ」等々。

約束の守り方で大きく異なっているのは、これらの約束を果たすまでの時間である。

日本の場合、このような約束を果たす期限は、明日から数日遅くても1週間の範囲だろう。

フランス人のそれはもう少し長い。

1ヶ月から数ヶ月、遅いときは半年、年オーダーになることもある。

彼らと付き合っていると、これらの約束は、いつまでたっても(日本の感覚で)果たされないので、きっと忘れてしまったのだろうと思って、こちら側も全然当てにしていないでいると、忘れた頃に約束を果たしてくれる。

まさに「そんな約束したっけ?」である。

フランス人は約束に決していい加減なわけではない。あくまでも、守る時間感覚が日本と異なっているのである。

フランス人と付き合う方、くれぐれも注意と理解を。






第18話 ドービル

出張からの帰りの飛行機で「ウイ○グ」という雑誌のなかで浅田次郎さんのエッセイを読んだ。

この雑誌は毎月1回発行され、今日(3日)は6月になったので新しい6月号が配備されていた。

この雑誌は只(定期購読するためにはお金が必要らしい)の割には意外におもしろい。

通常は飛行機に乗っている間中寝ているが、新しい号がでたときには一通り目を通すことにしている。

特におもしろいのは浅田次郎さんのエッセイである。

先々月掲載の「はげ」の話は非常におもしろかった。HPの話題にしようと思っているが自分にも共通するものがあり、一瞬躊躇したりしている。

今月号はフランスのノルマンジーのドービルの話がでていた。ドービルは夏の避暑地で有名である関係で、夏が観光のシーズンである。

氏はエッセイの中で、ドービルは冬に限ると書いている。避暑地では冬はほとんど人がいなく、よっぽど好き者か何か特別な思い出があるとかいった人しか訪れない。

当然、冬は観光スポットになっていないので外国人もいない。閑散とした中に静けさを求める人が集まってくる。何を隠そう、私も冬のドービルが好きである。

天邪鬼かもしれないが、季節外れの観光名所は意外にすばらしいことがある。

青森で言えば、真冬の奥入瀬渓流である。

奥入瀬渓流は秋の紅葉シーズンが良いに決まっているが、真冬のそれも凍りついた滝や一面真っ白な世界にところどころぽっかり渓流が見える風景はすばらしい。

ほんの少数の写真家や絵描きが訪れるだけだ。なかなかのお勧めである。



写真は冬のドービルである。雪は降らないにしても人はまばらである。海岸線の丘には豪華な別荘やホテルが点在しまさにリゾート地然としている。

気温はかなり低く皆分厚い防寒着を着ている。



中にはこのように家族で乗馬を優雅に楽しんでいる人も見受けられる。

それにしても人が少ないのだ。

氏は、閑散とした中で自分一人をホテルに置き、じっくり自分を見つめ直すそうである。まさに充電ということか。ものを創造するという生みの苦しみを伴うストレスを解消する方法なのだろう。

私も創造的な仕事とは無縁の一介のサラリーマンであるが、このような機会が持てたらと思っている。

このエッセイを読んで、冬のドービルを思い出し、その閑散とした静かなたたずまいを思い出した。私と同じ考えの人もいるものだ。

モンサン・ミッシェルについても書かれていたが、日本ではとても有名で、日本人観光客が必ず訪れる場所である。

そのおかげで、説明文や掲示板など日本語で書かれている。

モンサン・ミッシェルの中のレストランも観光客目当てで、とても正常とは思えない値段が付いている。

氏も、6千円の大枚をはたいて有名といわれているオムレツを(意に反して)食したと書いている。

私が最初にモンサン・ミッシェルに訪れたのは20年以上前であるが、当時、観光の名所として有名でなく(フランス人にとっては宗教的意味もあって非常に有名)、観光客もほとんど訪れることなく静かな場所であった記憶がある。

日本人の私を見た現地の人は珍しく思ったに違いない。(あるいはベトナム人か中国人かと思ったに違いない。)

いずれにしても、ノルマンジー地方は定年後、また訪れたい場所の一つである。





第19話 自動販売機

JALの機内誌「WING」7月号に掲載の浅田次郎のエッセイを読んだ。

「WING」は月1回発行されていて、浅田次郎のエッセイは毎号連載されておりとても楽しみにしている。発想がとてもおもしろいからである。

話題にしている題材も興味ある(「禿の話」等切実?なので)内容が多い。表面的には、おもしろおかしく書かれているのだが、実は本質的なことを結構手厳しく指摘している。

読者に共感を抱かせると同時に、深いところで手厳しい警鐘を鳴らしている。一見、冗談のような文章に隠れた鋭い観察眼がすばらしい。

林真理子の小説やエッセイにも共通するものを感じる。彼女のエッセイは、一見、ミーハー的であり若い女性の目線で書かれているので共感を集めるが、実は「もっとしっかり生きなさい」というメッセージを送っているように思えてならない。

前置きが長くなったが、今回のエッセイは「なぜ日本に自動販売機が多いのか」であった。

確かに、今まで気が付いていなかったが改めて回りを眺めてみると日本の自動販売機の設置台数は多い。日本では自動販売機は至る所にある。

飲み物、たばこの自動販売機だけでなく、ちょっとした食品の自動販売機もある。特に飲み物の自動販売機は至る所にあり、町を歩いても必ずどこかに自動販売機があるので、飲み物を持ち歩く必要はない。

至る所にあるのが当然と思っていたが、確かに日本のそれはフランスに比べて異常に多い。

駅等人が集まるところ、人が一時足を止めるところ、それだけならまだしも閑静な住宅街にも、所々に自動販売機が置かれている。いったい所有者は誰だろう。住宅街を真夏日に散歩していても、お金さえ持っていれば、のどの渇きは何とかなる。

この間プールに行って驚いた。プールはやたらにお腹が空く。私のようなオジンでも、一泳ぎしたら相当な運動量のようで本当に腹ぺこになる。

そこにある自動販売機から、フライドチキン、焼きそば、たこ焼き、もちろんカップヌードルなどインスタント食品、袋入りのお菓子、アイスクリームを買うことができる。

食べ物の自動販売機には、電子レンジが組み込まれていて、いつもアツアツの食品が手に入る。カップヌードルは当然お湯が出てくる。自動販売機だけで生きて行けそうである。

機能が複雑になるにつれて故障しやすくなるが、日本のそれはすこぶる性能が良く殆どトラブルで停止することはない。

フランスで生活していて(フランスでしか生活したことがないが)確かに自動販売機が少なかった。しかも少ししかない自動販売機の性能は言いようのないほど悪かった。

お金を入れるとしょっちゅう詰まる。(日本の自動販売機は硬貨を数枚一緒に入れても詰まらない)品物も出てこないことが多い。

フランスでの仕事場にコーヒーのベンダーマシンがあった。これはコインを入れてエスプレッソ、カプチーノ、デカフェ(カフェインの入っていないコーヒーでフランス人は夜寝る前にコーヒーを飲むときには、食事の後にあんなに濃いエスプレッソコーヒーを飲むくせにデカフェを飲むのである、眠れなくなるそうである)等いろいろなバリエーションでコーヒーが出てくるのである。これがくせ者で、すぐ壊れる。

例えば、コインが詰まるのは当たり前。おかげでベンダーマシンの表面は至る所へこんでいる。不思議なもので東西を問わず、ものが出てこないとマシンをたたくらしい。

プラスチック製のカップがカラカラと落ちてきて次にコーヒーが流れ落ちる仕組みになっているが、カラカラと勢いよく落ちてきてひっくり返ってしまう。そこに、コーヒーが流れ落ちてくるので、せっかくのコーヒーがパーである。

本当にマシンをたたきたくなってしまう。自動販売機全てがこんな調子だ。

私がフランスで生活していて感じたことは、「フランスのものは良く壊れる」である。

みんな自動販売機を信用していないので使わない。使わないから普及しない。この繰り返しで自動販売機が少ないのだろう。

エッセイのなかでは、日本に自動販売機の設置が多い理由について海外誌の理由分析が乗せられていた。

それによると、「(ものの売り買いに費やす時間を機械にやらせて子作りの時間を作り)少子化対策するため」、「移民(日本には殆どいない)の仕事の代わり」だそうだ。外国人の日本の見方はおもしろいが勘違いも甚だしい。

確かに、海外では自動販売機がやっている仕事をして生計を立てている人がいるので、その仕事を奪わないようにしているというのは一理ある。(公衆トイレの掃除のおばさんがそうである。彼女らは、それで生計を立てているのである)

フランスは失業大国である。数ヶ月前、フランスでの若者の暴動は、雇用・失業対策に抗議したものだった。死人が出るほど深刻な問題である。

フランスでは、今、職を手にしている人から仕事を奪うことは到底出来まい。ものを売るという単純な仕事は、移民の多い国ではそれらの人の生業を支えている重要な仕事なのである。

浅田次郎の理由分析では、日本人の「機械好き」と「徹底した合理主義」を上げている。

巧妙な凝った故障しない機械を作る高度な技術、物の売り買いをも合理的にと考えた末の結末であると。

でも私は少し異なった考えを持っている。

いろいろな人種が集まって異文化と異文化の触れ合いが日常茶飯事である国では、人と人のコミュニケーションが重要で、お互いに主張し合十分行う必要がある。

確かにフランスでは、物の売り買いのような基本的な人間の行為を通してこれを実現しているのではないかと思う。

いろいろな人種が混じり合っている国では日本にある「以心伝心」という概念は無い。微妙な場の雰囲気を感じ取って、角が立たないようにするといった感性は全く無い。

奥ゆかしさを重んじる日本では、ズケズケ自己主張することはどちらかというと避けられる傾向にある。いわゆる丸く納めるという手法が良しとされる。

文化の異なる人種が集まっている国では「以心伝心」が不可能だから、お互いに主張しなければ生きて行けない。だめもとで要求を突きつけることは生活のために必須なことなのだ。

眼でジッと見つめて主張しても意志は伝わらないのである。(もっとも、私などが美しい女性にうっとりして眼力で迫ってみても、セクハラだと思われるのが関の山なのだが・・・)

したがって、「以心伝心」が存在しているならば、物の売り買いを自動販売機にやらせても、人と人のコミュニケーションが衰退する恐れは無いのではないだろうか。

エッセイの中で筆者は、日本という国は、ものを手に入れるために1日一言もしゃべらなくても良い数少ない国である、と主張する。

人と人のコミュニケーションのありかたは、単一民族である(あるいは島国で今まで外国人が珍しいといった状況にある)日本においては「以心伝心」という言葉があるように、敢えて言葉を交わさなくても意志の疎通があるという文化的背景がある場合と、諸外国のように陸続きで歴史的に侵略の繰り返しが行われ、移民が多く異文化が交錯している場合とでは状況がずいぶん異なると思う。

基本的人間の生業である物の売り買いに人が必ずしも介在する必要があるかと言えば、日本という文化の特異性を考慮すると、そんなに重要な事項ではないように感じる。

しかしながら、日本は昔に比べて国際化が進み今や至る所に外国人がいる。個人の主張をしないと生きていけない風潮に変貌しつつあるのかも知れない。

そういう意味では、浅田次郎が言っているように、今後、日本でも直接的な人と人のコミュニケーションが物の売り買いに関しても必要かも知れない。


物を売り買いするという単純な作業に人間が介在しないことに対して違和感を覚えない文化を作り出している日本。今の日本には、そこまで合理化することについて違和感がないということである。奥ゆかしい昔ならいざ知らず、未来の日本を考えると、筆者が指摘していることは当たっているかもしれない。

インターネットの普及でメールや大量の情報をやりとりするようになると、人と人の関係が機械を通して行われる。人と人のコミュニケーションは、相手の表情を見ながら、本来、自分の主張が相手に浸透していく様を見ながら行うべきで、機械だけを通してコミュニケーションするのと質が大きく異なる。

浅田次郎のエッセイは、人間関係が希薄にならないように工夫が必要だと警鐘を鳴らしている。そういう意味で、なかなか味のあるエッセイである。





第20話 人種差別

いきなり重い話になりそうな雰囲気だが、映画「クラッシュ」を観て、なるほどそういえばフランスでもそんな経験をしたなと思って第20話を書こうと思った次第である。

映画「クラッシュ」
人種のるつぼであるアメリカを舞台に繰り広げられるいろいろな階級の人間模様を描いた映画「クラッシュ」を見た。

派手さはなく地味な映画であるが、根底に流れているのは人種差別問題である。マジョリティである白人の、マイノリティである他の有色人種(特に黒人)に対する差別と人種間の文化の違いによる誤解から発生する摩擦を描いている。

とても重い題材を扱っているので全体的に暗い映画である。最後に少しだけだが人生に明るい光明を与える終わり方をしているのがせめてもの救いだ。

また、一見無関係のように見える登場人物が、映画を見終わったときに意外な繋がり方をしていることが分かる仕組みになっており丁寧かつ巧妙に作られている。

最近では、マジョリティは、どの国でも人種は平等だという建前で発言する人が多い。義務教育に対する機会均等など、制度も表面的には整っている。

ところが実際にはマイノリティはいろいろな場面で、どうしようもない差別感を味わうのである。所得の低い人たちから所得が高く文化的な生活をしている人まで、マイノリティは立場こそ異なれ砂をかむような屈辱感を感じているのである。

映画は随所にこの「どうしようもない差別感」が存在していることを見る人たちに訴える。

監督ポール・ハギスは、「ミリオン・ダラー・ベイビー」で脚本を担当している。このときも尊厳死という重い題材を扱っていた。得意とする分野なのだろう。

このような映画を好みとしない人もいると思うが、凝ったストーリー展開と人種差別という思い題材を扱った映画として見応えがある映画である。

フランスの人種差別
フランスの場合、第9話フランスの生活(その4、学校)にも書いたが義務教育に関しては表面的に差別はない。

むしろ、差別してはいけないという建前が教育の理念となっている。(第9話では、ここのところを強調して交渉に臨み成功している)

ところが実際人種差別はある。例えば、学校の奉仕活動、家庭の連絡先名簿の作成について書いてみる。


奉仕活動については、日本のように「都合の悪い人以外は全員参加が原則」というような考え方をしない。

自分の職業が奉仕活動に合っているかどうかで参加・不参加が決まる。私の付き合っていたエンジニア階級は、たとえ暇でも参加しない。

例えば、学校の壁を塗り直すとしよう。奉仕活動で参加するのは、それを自分の職業にしているペンキ屋さんや壁の修理をする左官屋さんだけである。(素人が参加しても役に立たないと考えているのかも知れない)

エンジニア階級のなかには過激なのがいて「ブルーカラーの仕事だから参加しない」と言うのもいる。


同じクラスであっても日本のように連絡用名簿は作らない。お互いに必要な場合、あるいは気に入った気心の知れた相手だけに教え合う。

したがって、連絡網なども存在しない。学校が休校になる場合などは親の判断が最優先する。学校から連絡など一切無い。

学校で親同士が顔を合わせても、階級の下の人は必要以上に愛想良く(大して親しくない人に対しても媚びているように見えるほど愛想が良い)皆に挨拶するが、階級の上の人は階級の下の人に対してはほとんど無視。

私はどんな階級の人に対しても平等に挨拶を返した。

いったいフランスには、「人みな平等」などと考えている人は本当に居るのだろうかと思ってしまう。

フランスの地方で生活して、仕事以外でそのような人に巡り会ったのは数えるほどしかいない。私たちアジア人は移民の一部として見なされ、あからさまではないにしても、ずいぶん差別されたような気がする。

だから仕事以外で家族ぐるみ親しくしてくれたフランス人は今でも忘れられない。そして今でも親交がある。

語学が不自由なだけで自分たちの優れた部分をアピールできなかった悔しさは忘れられない。帰国する頃には喧嘩を売って言い負かすことが出来るようになったが、多くの移民の人たちはどれほどの屈辱感を味わっていることか。

カルト・セジュール
人種差別と両極端だが、気心の知れたマイノリティの力を借りると、難しい交渉も難なくこなせるという例もある。

カルト・セジュールはフランスに住んでいることの身分を証明するカードのことである。この身分証明書は、あらゆる場面で必要になってくる。

例えば、銀行の口座を作るとき、小切手を作るとき、クレジットカードを作るとき、いろいろな契約を結ぶとき、車の免許証を取るとき、日常の基本的な生活基盤を作るときに、すべて必要になってくる。

これが無い場合は、勤めている会社の証明を出してもらったり、書類をあれこれと作ったり、関係各所にネゴしに行ったりと、その手続きに数ヶ月かかる。(第6〜8話に詳しい)

身分証明書を持っていると数日でこれらの手続きが完了する。なので、移民たちは何とかしてこれを手に入れようと、数十回以上役所に通うのである。(数十回通ったとしても貰えない人だってたくさんいる)

カルト・セジュールを申請する窓口はいつでも長蛇の列だ。数時間待ってやっと自分の番が回ってくると、○○の書類を揃えろ、書き方がまずい、書いてあることが読めない、フランス在住理由の書き方が悪いといろいろ宿題(なんくせ)をもらう。

数時間待ってほんの30秒。それでその日は終わりである。また日を改めて、長蛇の列に再び並び宿題を一つ一つ気長に窓口に通って解決するのである。

それでも根気よく、この万能カードを手に入れようとするのである。手に入れられたらラッキー、バラ色の人生が待っているのである。一生もらえない人だって居る。

私だったら途中で根気が無くなってあきらめてしまう。

ところが生粋のフランス人同士、かつ、窓口にいる人と同じ身分以上の人のネゴがそこに存在すると、あっという間に手続きが実現するのである。

ここで紹介するのは、私の世話をしてくれたマリーという秘書である。彼女は家柄が良く高学歴であったため役所に顔が利くのであった。(おまけに美人だ、あまり関係ないが?!)



それなりの身分の人が交渉すると何の苦労も必要としない。6ヶ月かかって貰えなかったカルト・セジュールを僅か1週間足らずで手に入れることができた。まさに人種差別の典型である。

これを手に入れてからはフランスの車の免許証(終身で有効期限がないのでこれからフランスに行くと自動車はいつでも運転できる、でも貼ってある写真が30歳代のものなので警察に提示を求められたときの言い訳を考えておかなければ・・・(最近では日本同様更新制になっているらしい))など簡単に手に入れることが出来た。


市場でもそうである。私が挑戦したマルシェのおばさんは最終的には親切になったが、そもそもはベトナムの移民だとの先入観からとても意地悪だった。

けれども、ソーホーという地区に象徴されるように確かに差別せざるを得ない事情もある意味で理解できる。階級の低い人たちは、やはり犯罪を犯す確率が高いのは否めない事実なのである。

誤解
人種の違いから争いが耐えないのは、どの国も同じだと思うが、それは些細な誤解から殴り合いの喧嘩に発展する。

映画「クラッシュ」の中では、ヒッチハイクで乗せた黒人がほほえんだ理由を取り違えて、運転手は殺人を犯してしまう。

こんな些細な誤解が殺人にまで発展するのだろうか。映画ではその過程を自然に映像化している。

フランス人と生活していて、文化的バックグラウンドが異なることをつくづく感じる。(第9話で述べた運動会準備の誤解等はその一例である。

私は日本の運動会を想像して準備したが、フランスの運動会そのものが異なっていることを忘れていた。)

日本人のような単一民族の我々が経験し得ない、理解しがたい深い理由がそこにはある。外国人が増えてきた日本で、今後、問題として顕在化してくるだろう。

セキュリティ
セキュリティに対する考え方は、フランスでは性悪説に立つ。(日本では性善説)

これは人種差別とは少し異なるが、基本的に人(特に外国人)を信用しないという現れである。

パリなどでは、自分の住居に入るのにバリアが2重にあるのが普通である。日本の高級マンションに設置されているセキュリティシステムのようなもので、玄関に入る前のエントランスにテンキーで暗証番号を入れないと開かないドアがある。おまけにその鍵は定期的に替えられる。鍵には必ずと言っていいほどこじ開けようとした傷跡がある。

外部から居住者を訪れる人は、このドアの前でブザーを押して居住者と話をし、確認できたら居住者がリモートコントロールで解錠するのである。

高級なところはテレビカメラが設置されていて目で確認できるようになっている。居住者の玄関にあるドアは鍵が2つ付いていてドアチェーンはもちろん付いている。

車の駐車時には外から見える座席等に物を置かない。車中に何もものがないように見せるということに注意を払っている。(ダッシュボードに入れて鍵をかけておくか、座席のしたに入れて外から見えないようにしておく)

車内に何か物が置いてあることがガラス越しに分かると、必ずガラスを割られて盗まれるからである。このことはフランスで生活を始めたときフランス人から口やかましく言われた。

オフィスでさえ私物をデスクに置くときにも、貴重品は必ず置きっぱなしにしない。昼休みで食事する小一時間でも油断するなと言われた。

フランス人はすこぶる用心深いのである。性悪説に立つのは、いろいろな文化を持った人種が混在して生活を営んでいる国にとっては常識であるのだろう。

ところが日本に来ているフランス人は(青森に来ている人に限ってかも知れないが)フランスに住んでいるときと逆で、日本は安全だという先入観からか玄関の鍵はかけない、家の外に駐車している自分の車にも鍵をかけない。

私たち日本人が心配するくらいだ。本当に不用心なのであるが、いっこうに平気である。郷に入っては郷に従えが徹底している。(幸い泥棒に進入された人は居ないので問題になっていないが)





第21話 フランス人との飲み会

日本のサラリーマンは会社帰りにしばしば飲み屋に立ち寄る。職場の人間関係をスムーズにするために上司が部下を「今日一杯どう?」と誘ったり、同僚同士気の合う仲間たちが集まって週末に飲みに行く。

最近の若い人たちは、仕事がらみに決まっている上司からの誘いに応じない場合が多い。仕事の時間とプライベートをきっちり分けて、プライベートを大事にする故であろうか、この手の誘いはすこぶる評判が悪い。

一方、気の合う同僚や友達とは積極的に飲みに行く。いずれにしても仕事がらみの飲み会である。

上司と部下の場合の話題の中心は、もちろん仕事がらみで上司の若い頃の苦労話や部下を元気付けたり、はたまた派閥への誘い込みといったものまである。

同僚同士では、日頃のストレス発散のための話題が中心で、上司の悪口、その場に出席していない(誘っていない)同僚の悪口等を含めて一夜の肴になる。

例外はあるだろうが、話題は仕事が中心で仕事以外の話題を話していても、なにかしら仕事に通じている場合が多い。

仕事の関係でフランス人の仕事仲間と時々飲み会をやる。若い人たちに幹事をしてもらって店も選んでもらう。ただし世代は多岐にわたる。場所は居酒屋が多く車座になって飲むいわゆる日本流の飲み会である。

個人主義の象徴であるフランス人にとっては、さぞかし評判が悪いと思いきや、意に反して意外に評判がよい。一緒に仕事を始めてから数年続いている。フランス人たちは決していやがっている風はないのである。

欧米人を含めフランス人たちは仕事がらみで飲みに行く(日本のように仕事の延長のようにダラダラと飲みに行く)ことは無いと思っていた。

フランスで仕事をしていた頃は、ほとんど日本的感覚の飲み会は経験はない。フランス人は個人主義と言われるように、仕事が終わったらプライベート・タイムとなり家族と過ごす時間に費やされるのが普通である。

そんな彼らが、なぜ日本では日本流の飲み会に好んで参加するのだろうか。聞いてみると「職場関係を良くするための飲み会は非常に良い習慣だ」と言うのである。「是非見習いたい」との発言もある。

私たちが開催している飲み会は、上司を含めた皆(もちろん女性の参加は必須で幹事の手腕にかかっているが。もちろん女性に限って他の部署でもかまわないのは言うまでもない。)が集まって日頃思っていることやお互いにかなりプライベートな部分まで話題となる。

言葉は英語やフランス語中心だが、フランス人の使う得体の知れない日本語もコミュニケーションの手段として使われる。実に楽しい。

フランス人の男性は道行く見知らぬ女性に必ず声をかけるとよく言われるが(私が思っているだけかもしれないが、フランスの都会で人目を引く女性が歩いていると必ずと言っていいほどフランス人の男性は一言声をかける。きちんとした紳士までもがである。これはもう一種の礼儀かもしれないと思ったりする。もちろん例外もありシャイなフランス人も居る。)

そんなお国柄からか、初対面の女性に対しても臆せずに分け隔てなく話をする。英語、フランス語ができない女性も飲み会に参加するが、フランス人は何とか話をしようとして得体の知れない日本語が飛び出す。

このような飲み会を開催することで、職場の雰囲気が良くなり仕事が非常にスムーズに進む(ような気がする)。私たち日本人を含めてこのような飲み会は大歓迎である。フランス人が賛同するのは理解できる。フランスの職場には、このような飲み会の習慣は全く無い。

フランスでは仕事がらみの飲み会は頻度は少ないがある。新たな契約を意識したものや、ネゴシエーションを兼ねたものがほとんどである。

当然、格式は高く飲み会と言うよりは社交の一環としてのフルコース・ディナーである。こんな仕事がらみの食事会が楽しいはずはない。

お互いの腹のさぐり合いやレベルの高さの競い合いとなる。したがって、マナー、話題の豊富さ、品格などが重要視され、私など食事を楽しむ余裕がない。

日本人のもっとも不得意な分野である。後から「なに食べたの?」と聞かれても、思い出せないことが多い。

サラリーマンの悲哀とも言うべき、新橋の橋の下の焼鳥屋で上司・同僚の悪口、出世するしないの愚痴をグダグダ言い合ってストレス発散している飲み会は、決して憎めないが健全ではないような気がする。

でもフランス人に好評の、この手の日本人的発想飲み会は大いに世界に広めたいものである。

(もっともフランス人に好評な原因は、オリジンがラテン系である根っからの楽天的性格(悪く言えばいい加減な性格)が影響しているかもしれないが・・・)





第22話 フランス人が日本で生活するのに困ること

フランス人は例外はあるものの海外での生活力は日本人より遙かにある。中国人ほどでないが、自分の住む場所で楽しく暮らす術に長けている。

例えば物を買う店である。日用品や日本固有のもの、フランスで売っていない珍しいものなどを販売している店の情報を日本人より詳しく把握している。

とにかく、いろいろなところに出かけていってデーター化している。日用品を売っている店から、怪しい骨董品屋、質屋等まで。レストランに至っては、フランス食を売り物にしている店は殆ど1回は行っている。

どこの店が安くておいしいか、実に良く(というかどん欲に)サーベイしている。

という具合に、日本で生活するのに困ることなどほとんど無いのではないかと思っていた。ところが数少ないが幾つか有るようなのである。

衣料品や靴など合うサイズがない。フランス人は平均身長は若干高いと思うがアメリカ人ほど大柄な人はいない。

女性に至っては日本人の女性の身長にほぼ等しい。ところが骨太である。(第10話 女性の体格参照)華奢な人は滅多にいない。フランスから帰国した当初は日本の女性が皆子供に見えたくらいだ。

日本の女性はスマートというより華奢なのである。当然、日本で売っている衣料品は、日本人の体格に合わせたものしかないので、フランス人の骨太に合った服は売っていない。

日本人も最近大柄な人が多くなって、キングサイズなるものが置いてあるが、種類が豊富でないため選択肢が狭い。

靴も大きなサイズの物が無い。

フランス人にとって困った事の一つである。もっとも、服や靴など身につけるものは、やたらに買うものではないので切実なものではないようだ。

困ったことのもう一つに、チーズ、ワインが高い、というのがある。

ワインは飲まない人もいるので切実さはそれほどでもない。(フランス人はワインが好きかといえば、エンジニア・クラスの人では、かなりの人は控えめにしている人が多いように感じる。)

しかしである、チーズは切実なものらしい。

フランス人にとってチーズは、日本人にとっての漬け物に相当する。カレーライスの福新漬けやラッキョウ、日本食の朝食に出てくる味噌汁、といった毎日の食事に欠かすことの出来ない必須のものらしい。

その毎日必要な漬け物のようなチーズが、日本ではフランスで手に入れるより遙かに高い値段が付いているのである。

日本におけるチーズの需要が増えているのかどうかよく分からないが、最近では、少なくとも総菜の店や食料品店で、いわゆるプロセスチーズだけしか売っていなかった昔に比べ、種類も数も豊富である。

三沢などはフランス人がかなりの数住んでいるせいか、一般のスーパーでさえチーズの品揃えはすばらしく、東京の一流百貨店なみである。チーズの特設コーナーまであることがある。

だけど価格が尋常ではない。ワインと同じくフランスで購入するのと比較して3倍から6倍くらいの値段が付いている。珍しいロックフォールなどは目が飛び出るほど高い。

ロックファールは私も好きだが、月に一度口に入るか入らないかである。

日常の生活に毎日必須なものが異常に高いのは家計を大いに圧迫し、家計を守る主婦にとっては切実な問題なのだろう。






第23話 香水

西洋人は男女を問わず香水を使う人が多い。特に肉を主食としている(発展途上国でない)人種は必ずと言っていいほど香水を使っているような気がする。

フランス人も例にもれず香水をよく使う。フランス人の中で生活し始めると、最初は香水の臭いがきついのに閉口する。彼らの中にいると臭覚が麻痺しそうだ。

特にエレベーターなどの狭い空間にたくさんの人が集まるような場合は、その感覚は極致に達し頭痛すら感じる。日本で、これと同じような体験をしたければ、デパートや百貨店の1階にある化粧品売場を歩いてみればよい。

しかし慣れとは恐ろしいもので、そのうち気にならなくなってしまった。(逆に女性が身近にいることを視覚より先に察知できるようになった?!)


私は、当初これだけきつい香水を付けている民族はさぞかし臭いに鈍感なのだろうと思っていた。ところがである。実は彼らは臭いにとても敏感なのだ。敏感が故に、強い香水を付けているのである。

肉を主食とする人種は、恐らくどの人種もそうであろうが、香水を付けないときの体臭がとてもきつい。どんな臭いかと言えば、羊の肉を食べたときの風味に近いと思う。

日本人は羊の肉をあまり食べないがフランス人は大好物である。皆さんは「ジンギスカン料理」を味わったことがあるだろうか。タレや香辛料でかなり臭みは抑えられているが、羊の肉特有の臭みを感じるときがある。

肉食人種の体臭は、まさにこの臭いの強烈なものと想像していただければよい。また、「しし鍋」というイノシシを鍋にした料理があるが、獣固有の風味ともよく似ている。


フランス人が作る羊肉の家庭料理は、他の肉料理と同じで基本的に塩・胡椒のみを使用し素材の味を生かす。そのような料理方法だと、肉の臭みはかなりきつく、日本人では抵抗ある人が多いかも知れない。

これを好んで食べていると、当然だが体臭もきつくなる。何とも言い様のない体臭なのである。


その臭いを消すために彼らは強めの香水を使用するのである。香水には凝っている人もいて、複数の香水をブレンドして自分用にアレンジする人もいる。自分のオリジナリティを出すためだ。

フランス人と付き合う人は、奥さんや恋人に対して誤解(?)を受けないように注意が必要だ!

フランスにかなり長く住んでいる人や商社の人は、日本人でもフランス人の使う香水を使っている人がいる。(でも、きっと帰国したら使わないのではないか、女性はいざ知らず男性は使わないだろう)

一時期、男性用の香水が流行った。(今も化粧品売場に売っていて驚いたが、ブラバスという資生堂の男性化粧品にシトラス系の香りがするオード・トワレが置いてある。渡辺貞夫の覚えやすいフュージョン風のジャズ・メロディにのってCMが流れていたことを思い出す。)

今では「無香料」表示がしてある男性用化粧品が多い。現代のもてる男性は無臭男がポピュラー?なのかもしれない。

フランス人に言わせると、東洋人は特有の臭いがするそうである。僕らは気が付かないが確かにそれは有るようだ。

彼らは僕らの、ほのかな東洋人の臭いを嗅ぎ分けるほど敏感な臭覚を持っている。フランス人は臭いに鈍感ではなく実は敏感であったのである。

微妙なワインの香り(ソムリエは1本のワインを一くち口に含んだだけで10種類以上の香りを感じ取る)をかぎ分ける国民である。例外はあるだろうが臭いには敏感であるのは当然か?!

体臭のきつくない臭いにどちらかといえば鈍感な日本人が最近臭いに敏感なってきたのではないだろうかと思わせる出来事がある。

皆さん、最近、巷で「加齢臭」という言葉を聞いたことはないだろうか。中年以上の人たちから発生する臭いを表すのに使われる言葉だ。私は最初聞いたとき「カレー臭」と聞き違えてしまった。

どうして、年寄りにカレーの臭いが付くのだろうか。確かにカレーという料理は、ハンバーグ等とともに子供たちの人気料理の定番である。カレーが好きな年寄りが、そんなに沢山いるのかな、と思ったりしたのだった。


「加齢臭」とはいったいどういう臭いなのだろう。若い人たちに言わせると、いわゆる「おじさんの臭い」臭いらしい。

インターネットで調べたものを要約するとこうである。「加齢臭」とは
ノネナールという物質から発せられる臭いだそうだ。ノネナールは、老化によって血管のなかに溜まるコレステロールなどの老廃物質の一つパルミトオレイン酸という老化物質が酸化、分解することにより生成する脂肪酸の一種である。

この脂肪酸は、若者の皮脂のなかにはほとんど存在せず、40歳代から急増する。難しくてよく分からないが、要は、40歳を越える当たりから、加齢臭を発する物質を多く分泌するようになるということらしい。

加齢臭を減らすには活性酸素を発生しないようにする対策が重要とのこと。野菜類に多く含まれるポリフェノール抗酸化食品の摂取と、脂肪過多の食事、タンパク質偏食、アルコールの飲みすぎなどに気をつける。

ことにタバコは活性酸素そのものを作る。(健康にもよくない)さらにストレス、不規則な生活、激しい運動、強い日光なども、活性酸素を作るそうだ。

加齢臭にとって一番重要なのは、やはり清潔な生活で、ことに皮膚表面の汚れや過多な脂肪分は、石鹸などで洗い落とし、さっぱりすること。汗をかく暑い夏などはこまめに下着を変えて、常在菌が繁殖するのを防ぐことが大切だそうである。

加齢臭に注意し、香水の種類に敏感になって、(まだまだ)皆さん大いに活躍しようではないか。(いったい何に活躍するのだろう?)






第24話 フランス人の無くて七癖

フランス人と一緒に仕事をしていると日本人と感覚が違うことがずいぶんある。そのうち幾つか紹介してみよう。


洗濯物を外に干さない

フランスの町を歩いていても、郊外の田舎町を歩いていても、洗濯物が家の外に干していないということに気が付く。

日本に生活しているフランス人もそうである。これはどうもフランス人の習慣であるらしい。フランス人は決して洗濯物を外に干さない

いつも室内で干している。したがって、日本のような下着泥棒は存在しない。もちろん布団を外に干すということもない。

日光をふんだんに吸い込んだ布団の気持ちよさは、フランス人には経験のないことだろう。きっと、経験すれば病みつきになると思うが・・・

1戸建ての家に住んでいる人は、かなり大きな納屋を持っており、そこをリネン室として、洗濯、物干し、アイロン掛け、それらの収納にしている。

一方、パリなどの都会には、このようなリネン室が付いていない狭いアパートがたくさんある。これらのアパートは、狭いうえに洗濯物を干せるような部屋はもちろんない。

そのような狭いアパートの部屋に洗濯物を干す場合、物を干す道具が必要になる。この道具は、折り畳み式の、旅館なんかに良く置いてある、タオルを干す針金で作った物干しの大きくて本格的なものといったイメージである。当然、その場しのぎではないので、ガッチリ作ってある。

室内に洗濯物を干して日常差し障りがないのは、ヨーロッパは一般に湿度が低く、洗濯物の乾きがとても早いからだろう。室内に干しても、すぐに乾くので、日本のように変な臭いが付いたりしない。


でも、日本に住んでいるフランス人は、どうしているのだろう。オードトワレを振りまいて、ひたすら耐えているのだろうか。


食事中に思いっきり鼻をかむ

風邪をひいているときは言わずもがなであるが、何かの拍子に鼻水がズルズルと止まらなくなるときがある。特に食事をしているときなどは厄介である。

日本人の感覚からは、ティッシュでチ〜ンと食事の鼻をかむのは失礼だと思い、垂れてこないようにズルズルと吸い込むことになる。

吸い込むためには、頻繁にズルズルと音がする。フランス人にとってこの音は、食器などをカチャカチャさせたり、ズルズルと音を立ててスープを飲んだりと同様に非常に失礼な行為であるらしい。

むしろ食事の席では、一瞬で済むので、ティッシュでチ〜ンと思いっきりかむのが正しい礼儀のようだ。この行為は、たとえ食事の話が絶好調に達したときに突然「チ〜ン」でも全然失礼ではない。


「ちょっと待ってください」

「ちょっと待って!」という日本語に相当するフランス語に「サンクミニュッツ」という言葉がある。「サンク」は数字の「5」という意味で、「ミニュッツ」は「分」である。意味は「5分待って!」ということ。

フランス人は用事を言うと、必ず「サンクミニュッツ」と言う。ところが待たせること20分から30分。彼らの5分は15分から30分という感覚らしい。要するに待たせる時間を言っているのではなく、「ちょっと待ってください」である。

ちなみに日本語は難しいと言って、ちっとも覚えようとしないフランス人が多いが、「ちょっと待ってください」と「どーも」は、いち早く覚えているようだ。


好奇心

フランスは個人主義の国であるとよく言われる。個人主義の定義は良く知らないが、きっと他人のことには干渉しない、個人の主張を尊重するというのではないだろうか。

個人を尊重するのは良いが、自分の主張を無理矢理通そうとするフランス人が多い。とは言ってもはっきり無理であることおw説明すると、あっさり諦める。

個人を尊重し個人に干渉しないが、その一方で他人のことをとても知りたがる。日本人より遙かに好奇心が強いのである。

例えば、カフェでのフランス人を観察していると、それがよく分かる。フランスのカフェではテーブルを外に出している。訪れる人は、好んでこの外のテーブルを選びたがる。またテーブルにぽつんと一人座って通りを眺めているフランス人によく出くわす。

冬でもコートを着込んでしっかり防寒し外のテーブルを好んで選ぶ。日本にもこのように外にテーブルが出してあって、パリ風にしゃれた感じを出している店があるが、さすがに冬は外にテーブルは無い。

コートを着込んでまで外でコーヒーを飲もうという人などいないのである。寒い冬にわざわざコートを着込んで寒い思いをして外でコーヒーを飲むという感覚は、きっとそれを我慢することを超えた何かがあるからに違いない。

私の推測は、こうである。おそらく彼らは、通りを歩く人の品評会をしているのである。「あのファッションは、なかなかいい」、「私も参考にしよう」、「あの二人は出来てる、でも結婚していないな、いや、男性の方は、きっと妻子持ちに違いない」、「彼女の横にいる男性はそのうち捨てられるな」等々。

個人を尊重する個人主義の国であるが、人の所作は大いに気になるということか。芸能人のご実父に興味あるどこかの国民と同じ?!


シャンソン

フランス人の癖でなはないが、フランスの音楽と言えばシャンソンである。私が知っているシャンソン歌手は、お恥ずかしい話、あまりにも有名で誰でも知っているエディット・ピアフとミレイユ・マチューしかいない。

私の持っているシャンソンのアルバムは、唯一「エディット・ピアフを歌う」という題のミレイユ・マチューのアルバムである。まるでエディット・ピアフとミレイユ・マチューミレイユ・マチューを手軽に同時に味わう即席麺のようなアルバムである。

ミレイユ・マチューはピアフの再来と言われ、一介の工場労働者であったのだが、その歌唱力により一気にスターダムにのし上がった伝説の人である。

確かにアルバムを聴くと、超人的な音域(3オクターブくらい有りそう)と声量で聴衆を圧倒する。ものすごい迫力である。

世界的に有名なシャンソン歌手であるにもかかわらず、意外にフランス人に人気がない。なぜか?その理由をフランス人に聞いてみると、「ミレイユは知性がない」と言う。

学歴のことを言っているのではなく、歌そのものに知性があるかないかを言っているらしい。(フランス人は歌から知性を感じ取ることが出来るらしい)

よく分からないが、ピアフのそれは顔にも声にも人生の奥深さが感じられる。一方、マチューの方は明るく悩みのない澄んだ感じがする。想像するに「知性」とは、このような奥行きのことではないだろうか。「シャンソン歌手には知性がいる」である。


トイレ使用後手を洗わない

これは、あくまでもフランス人の男性を対象にしており、品性の高い女性のことではないので誤解無きよう。当然であるが、女性トイレで観察は出来ないので推定ではあるが。

そして手を洗わない人が多い、と訂正した方が良いかも知れない。特に手で汚いものに触るわけではないので、ある意味合理的な考え方かも知れない。

よくトイレの水は飲めないと言っている人がいるが、別にトイレは汚いところではないのである。ましてフランスのトイレのように、決まった掃除のおばさんがバッチリ監視しているトイレは、常にきれいにキープしてあって、本当にきれいなのである。

日本のように汚いトイレがあるときは、何となく手を洗おうという気になる。そこで喉が渇いているからといって水も飲む気がしないのは致し方ない。

かくいう私も白状するが、トイレで手を洗わないことがある。





第25話 フランス人の結婚観

離婚が多い

フランスは一般に離婚率が高いと言われている。実体はどうかというと、一緒に仕事をしているフランス人を見ている範囲では納得できる。

基本的に日本に来ているフランス人で結婚している人は家族を連れてくる。それは「離婚の危機を回避するためだ」と彼らは説明するが、にもかかかわらず日本に滞在中に離婚している人がかなりいる。


フランス全体ではどうだろうか。アメリカはダントツであるが、過去においては確かに日本よりフランスの方が離婚率は高い。(しかし、2000年以降若干ではあるが日本の方が離婚率は高くなっているのには驚きである。最近の若い人はドライなのだろうか。)


結婚しない人が多い

さらにフランスで特徴的なのは結婚しない人が多いと言うことである。一緒に住んでいるカップルはそれなりにいる。しかし一緒に住んでいるカップルのうち結婚手続きをしていない人が多い。

6組のカップルのうち1組は同棲カップルである。(2000年時点、さらにこの割合は増加しているという)

「どうして結婚しないカップルが多いのか」と聞いてみると、「別れるとき別れやすい」という答えが返ってくる。

冗談っぽく話してくれるが、社会的な処遇も日本と異なり、同棲がある程度優遇されていることも一因であろう。

カップルに関する法令にPACSというのがあり、申請さえすれば税金等の面で結婚しているカップルに近い処遇が受けられる制度が確立している。この制度は、法律的側面のイメージからというと、結婚と同棲の中間に位置すると考えられる。


なのに異性を求める傾向は高い

もともとフランス人の国民性として異性を求める傾向は決して消極的ではなく、むしろ「第21話 フランス人との飲み会」に示すように、少なくとも男性に関しては年齢に関係なく積極的である。

事実、私の身の回りには、最近離婚した2人のうち1人は、早速日本人の女性と同棲している。もっとも日本に来ているフランス人は、フランスに住んでいないのでフランス政府から税金を取られることは無い。

なので処遇の問題でわざわざ結婚する必要性はない。それにしても、素早くしっかり同棲しているのにはビックリしている。

「コミュニケーションはどうしてるの?」と聞くと「言葉は必要ない」と冗談で言うが、実体は「日本語と英語と少量のフランス語」をまぜこぜにして会話していることだろう。

当然であるが食事は日本食が中心であるという。が、少しずつ「手取り足取りフランス料理も教えている」とのろけられた。


ちなみに彼の年齢は50歳を越えている。若さを保ちLEONな男性を目指そうとしている諸氏は是非見習うべきであると思う。






第26話 パペットリ

今月のJALの機内誌ウィングにパリのパペットリの話が載っていた。パペットリとは文房具一般を表していて、文房具を売っている店のことも意味する。

日本にも文房具専門店はある。すてきなセンスの良い文房具をそろえている店も多い。たとえば銀座の伊東屋などがそうである。

伊東屋の店主は、帆船模型でも有名で、伊東屋の裏手に帆船模型専門の店舗もある。一度、行ったことがあるが小さな店構えにも関わらず、置いてある品々は、趣味としている人たちにとって、日本では手に入らないものもあって欲しいものばかりであろう。

パリのそれは、高級な品揃えをしている店と、TABACのように消しゴムやノートのような学校で使う文房具を中心に駄菓子も含めて売っているような庶民的な店の両極があり、中間的な店がないのが特徴らしい。

驚くべきは、数十年の歴史があるパステルの店がある。いわゆるクレヨンである。一つ一つ手作りで1本10ユーロから18ユーロで販売されている。

ずいぶん高いようだが1本1本手作りであるならば、しかたがない価格だろう。パステルだけを売っていて商売が成り立っているのは、未だに一定の固定客がいるからなのだろう。

郊外の工場で作られたパステルを、ポンピドーセンタの近くの通りの昔ながらの店で売っているというのである。

店の構えは小さな古めかしい感じで、注文した色を的確に把握して取り出してくれるそうだ。絵を書く趣味はないが訪問する価値はありそうだ。おまけに店主はうら若い知的な女性とあっては是非にである。

老舗の中には、紙だけを売っている店もある。文房具は、「使う人のセンスを表現している」と店主は主張する。手紙やちょっとした会の招待カードなどに、そのセンスは光る。微妙な色の紙は、その人柄さえも表しているといわんばかりである。

かと思えば、学生が気楽に立ち寄れる庶民的なパペットリもある。そこには、日常的な店主と客のコミュニケーションが継続されている。庶民的な店も歴史が古く、庶民の生活に深く入り込んでいる。

パリの魅力は外観ばかりではなく、そこに住む人たちの生活にもあるようだ。









第27話 以心伝心


「以心伝心」という言葉は、日本ではよい意味で用いられることが多い。例えば、チームで仕事をする場合、詳しく説明すること無しに以心伝心で仕事が進行するとき、「チームワークが良い」ということになる。夫婦に至っては、以心伝心で繋がっている「仲の良いおしどり夫婦」となる。

フランス人に限らず、外国人と付き合うとき(私はフランス人とイギリス人と付き合った経験しかないが・・・)「以心伝心」は通用しない。「きっと分かっているだろう」は、とても危険なことなのである。

外国人と一緒に仕事をしていて、重要と感じるのは「言葉を定義する」事だ。これは仕事を始める前に行うべき事で、欧米では常識である。フランス人の作成する図書には、必ず「定義」の項がある。言葉を定義することによって、一緒に仕事をする人たちの認識レベルを一定以上に保つのである。


言葉の意味について共通認識を持たずに仕事を始めると「自分はサッカーをやるつもりなのに、仲間は野球をやるつもりだった」というような、予想外のちぐはぐが起る。気付かずに仕事を進めていて、いざ仕事のまとめにかかったときに、最初からやり直しが必要になり作業効率がすこぶる悪い。

なぜ日本人は「以心伝心」が可能で美徳と考えるのだろう。島国の日本は、閉鎖された世界観がベースとなり、自分たちは似たり寄ったりの考え方をする。これが前提で「以心伝心」ができ易かったし、言葉をいちいち定義しなければならないといった事態にはならなかったのだろう。

「以心伝心」にまつわる誤解の例に次のようなものがある。


フランス人「○○のように記載を変えた方が良い。」

日本人「分かった、検討しておく。」

(しばらく経って)

フランス人「記載が変わっていないではないか!?」


日本人「検討したが採用しなかったので、変えなかった」

(政治家も良く使うが・・・)日本人の良く使う「検討しておく」は、「貴方の言っていることは分かるが、我々は採用するつもりは無い」場合が多い。「検討しておく」と言った日本人は、フランス人もきっと「採用するつもりが無い」ニュアンスを理解してくれたものと思って、放っておいたということなのだ。

また、こんな例え話もある。「砂糖は辛い」という言葉がある。砂糖も人によっては「甘い」という者もいれば、「辛い」と言う物もいるかもしれない。という例えである。こんな極端な話は、まず無いだろうが、例え話としては「さもありなん」である。(もっとも福岡の「川端ぜんざい」は、その甘さ故に有名であるが、隠し味に塩を使う)


物事をいちいち定義しないと仕事が始まらないフランス人の性分からだろうか、相手を説得する方法に特徴がある。

ランスには「だめもと主義」というのがあるかどうか分からないが、非常識と思われることでも相手を説得しようと試みる習性がある。私が勝手に付けた名前であるが、「とにかく、ためもとで要求を出してみる」という習性である。

例えば、幼稚園でこんな事があった。ある親が「子供が風邪を引いた。明日、予定されている運動会(日本の運動会とは別物で体操披露会(ジムナスティックという)というようなもの)を延期できないか。」と校長先生に話しているのを聞いた。

日本では考えられない要求だし、言っている本人も、とてもそんな要求が通るとは思っていないだろう。けれども、(どうせダメだろうけれど)とりあえず言ってみるのである。

一般的に礼儀を失しているだろうと思われることでも、とりあえず主張する。これは習慣化しているので、相手に対しても失礼ではないし、相手も「そんなことは、できません」で軽く断るのである。無理な要求をする人と断る人の間で、決して人間関係がギスギスすることはない。

フランス人と仕事をしていると、(ラテン系の気がある)私など感化されて、失礼にならない程度に自重はしているものの、ついつい、とりあえず何でも要求してみる傾向になる。

世間では熟年離婚が多いという。「以心伝心」はかっこいいが、なかなか通用しないのが現実らしい。毎日「愛してるよ」というのは照れくさいが、それくらいの努力は、悔しいが必要かなと思っている。









第28話 頑固

早坂隆さんの著「世界の日本人ジョーク集」に、こんな話が載っていた。


国際的な学会の場で遅刻してしまったので発表の時間が半分になってしまった。各国の人々はどう対応するだろうか?

アメリカ人:内容を薄めて時間内に収める。

イギリス人:普段通りのペースで喋り、途中で止める。

フランス人:普段通りのペースで喋り、次の発言者の時間に食い込んでも止めない。

ドイツ人:普段の二倍のペースで喋る。


イタリア人:普段の雑談をカットすれば時間内に収まる。

日本人:遅刻はありえない。

ここで注目すべきは、フランス人の対応である。この本に記載されているフランス人像は妙を得ている。これを表現するのに「頑固」という言葉を使おう。

フランス人は「理屈をこね回し議論好きだ」というのは有名である。話題の中心が逸れていっても、いっこうに気にしない。時間が経つのも忘れて議論を続ける。

この習性は、まさに自分の主張を曲げない「頑固」という日本語が適切である。「頑固」さは、特に建前を主張するときには一段と磨きが掛かる。

例えば、人種差別についてである。「第20話人種差別」に記したとおり、フランス義務教育は、万人に平等である。移民の子であれ、貧乏な子であれ全てのフランス人は平等に義務教育を受ける権利がある。

そのバックアップ体制は完璧である。公的バックアップはもちろんのこと、私的なボランティア支援も盛んである。(人種差別は、明らかにあるのだが・・・)


「頑固」さに結びつけるのは少々無理があるかも知れないが、フランス人にとって「歩行者保護」も建前上絶対である。

パリの街で良く見かける光景に、「歩行者が平気で信号無視し道路を横断する」というのがある。

ドライバーはチャンと止まるのである。あんなに交通混雑していて、交差点(信号のない巨大なロータリー)でせせこましく、気ぜわしく、チョットした隙間も見逃さずに割り込む運転しているドライバーなのにである。

私は、最初は恐ろしくて、信号無視など出来なかったが、フランス人歩行者は平気な顔をして横断歩道を信号無視するのである。

パリのメイン道路でさえそうである。車は慌てて急ブレーキを掛ける。そのうち私も車が確実に止まってくれるので、恐る恐る信号無視横断を始めた。

すっかり慣れ親しんだ後、日本に帰ってきて、その習性が抜けきれないうちに、東京の横断歩道を信号無視して渡り、大いにドライバーのひんしゅくを買い、危うく命を落とすところだった。

日本などでは、信号のない横断歩道で車がとぎれるまで辛抱強く渡るチャンスを待っている老人を良く見かける。気を利かせて止まってくれた車に、横断した後深々と頭を下げる、といった光景が普通なのだが。

ともあれ、ところ変わればである。フランスから帰ってこられる方、くれぐれも日本で犬死にしないように!






第29話 DIYが盛んなフランス


フランス人が手に入れたいと思っている家

フランスの新築の家は、ブロックで造ったペラペラのものが多い。若いエンジニアたちが住んでいるアパートなどは、壁も薄く叩くと隣の部屋にまで音が響く。地震の心配のない国では、ペラペラでも十分なのであろう。


ところで、彼らが、もし金持ちになったら(決してミリオネアではないが)是非、実現したい住環境というのがある。

それは、プロバンス地方で言われている「
MAS(マ)」という石造りの古い農家を手に入れ、自分流にリフォームしてゆったりと住むことである。

MASは、数百年前のものであり地方の田舎に少数しか無く、価格も相当なものである。彼らは、お金と物件に恵まれたならば、MASを購入して自分たちで(荒れ果て住むには相当手を入れないと住めない)リフォームするのである。

作りは、石で出来ており数百年も残っているので、しっかりしている。

モダンで生活臭くない洗練された都会的住環境を求めるのかと思ったら、大半の人は
MASを買い求めリフォームし田舎に住みたがるのである。

ただ、
MASのリフォームは簡単ではなく、プロ並みの腕と根気が必要であり、日曜大工が好き(少なくとも苦でない)でないと実現できない。(そのために日頃から日曜大工の腕を磨いているのである!?)

フランスで日曜大工が盛んな理由

「日曜大工が好きでないと・・・」と言うと意外な感じがする方も多いと思う。お金をかければすてきなリフォームが可能ではないか、日本人の感覚ではこうなる。ところがフランスでは日曜大工が盛んである。

度々、引用して恐縮であるが、早坂隆さんの著「世界の日本人ジョーク集」の中に、こんな話しがある。

−料金の内訳−


アメリカのとある工場で、機械がすべてダウンしてしまうというアクシデントが起きた。修理工たちは必死になってあちこち調べたが、なかなか原因がわからなかった。

そこでとうとう日本人の技師が呼ばれた。その日本人はしばらく機械をじっと眺めた後、ハンマーで機械を2〜3箇所トントンと叩いた。すると驚いたことに機械は元通りに動き始めたのだ。

日本人技師は修理代として
5,000ドルの請求書を出した。

工場長は驚いて言った。「あなたは機械をちょこっと叩いただけじゃないか。それでこの値段はあんまりだよ。詳しい明細を書いてくれ。」

日本人技師は何もいわず内訳を書いて改めて請求書を出した。それにはこう書かれていた。

「叩き代5ドル、叩き場所捜索代4995ドル」

日本の修理屋さんは、すごく優秀なのである。

19話 自動販売機 で話題にしたように、日本製品は壊れ難いし、家の施設・設備が壊れても、すぐ修理してくれる。

一方、フランスでは、機械はすぐ壊れるし、修理にはなかなか来てくれない。フランスに住んでいるとき、洗面所の配管が漏れ出した。洗面所は毎日使うものだし下に洗面器を置いてとりあえず修理が済むまで急場をしのいだ。

が、修理屋が1ヶ月間来なかったし、さんざん待ったあげく、修理もいい加減だったので、また漏れ出した。理由は「立て込んでるしバカンスのシーズンだからね」と言う。

結局、日曜大工の店に行って必要な材料と道具を買ってきて自分でやり直した。フランスの修理屋さんは、なかなか来ないし下手、というわけで、簡単な修理や修繕なんかは、自分でやるという人が結構多い。

後で同僚のフランス人に事の次第を話したら「そんなことぐらい自分でやるんだ」と反対にたしなめられた。

フランス人は、模様替えのために、壁紙を張り替えたり壁のヒビを補修したり日常的に日曜大工をしている。月曜の朝など「土・日は壁の張り替えで大忙し、会社より忙しかったよ」と、仕事の話はそっちのけで、日曜大工の話題に事欠かない。

決して器用ではないと思われる(失礼!)フランス人の間で、日曜大工が盛んなのは、「好き」というだけでなく必要に迫られてという背景もあるようだ。

日本の雑誌に載っているセンスの良いパリの瀟洒な部屋は、実は日曜大工のたまものなのである。





第30話 甘いもの

ランス人にとって甘いものは特別である。みなさんもよくご存じのようにフランス料理の締めくくりは決まってデザートである。フランス料理店などでは、シェフが出てきて必ずと言っていいほどデザートの講釈を垂れる。

フランスの家族によく食事に招待されるが、家庭で食べるフランス料理はシンプルなものが多い。が、デザートは凝っている。

彼らが作る料理が、とてもシンプルである理由は、作っている人(夫婦共同で分担して作っていることが多いが)も話の輪に参加するためである。

日本料理のように手間のかかる、しかも品数の多い食事を用意するとなると、ホスト側の主婦は、招待した人たちと話ができない。フランスではこのようなことはあり得ない。

材料を放り込んで香辛料などで味付けした後は、オーブンで煮る・焼くといった手の掛からないメニューが多い。セットしてスイッチを入れて時々加減を見ながら所定の時間が経てば出来上がりというパターンである。

盛りつけも、大皿にどさっとまとめて出してきて食卓を回す。食卓を囲んだ人が必要な分だけ自分で取り皿に取り分ける。

あるときなど驚いたことに、メインディッシュに羊肉のローストがでてきたが、付け合わせにするポテトが、丸のまま皮付きで茹であがったものが大きなざるに入って出てきたことがあった。

どうするか見ていると、個々に必要な個数を取り自分のナイフで皮を向きながら食べ始めた。皆、意外な顔一つせずいつも通り会話が弾んだのはいうまでもない。

彼らが大事にしていることは、食事を楽しむことにある。食事はサイドメニューであり、主役は会話なのである。

至ってシンプルなメインディッシュの後は、いよいよお待たせのデザートである。ダイエット中で食事の量を気にして少な目に食事をしている若い女性でも、デザートは減らさずしっかり食べる。

招いた側もデザートには妥協しない。これでもかと質・量とも圧倒的だ。ある時などティラミスが出てきた。なんと、大きなボールに入ってである。

例によって、大きなボールを、食卓を囲んだ人たちに回す。皆、自分の皿に取る量が半端ではない。甘いものが入る胃袋は別であったのだ。

ボールに入ったティラミスは、これらの人がいくらお代わりしても足りるだけの量が用意されている。味もすばらしい。見てくれとは全然異なるがデザートに命を懸けていると行った主催者の意気込み(心遣い)が感じられる。

私は元来下戸だが甘党ではない。お菓子などもどちらかといえば塩味のものを好んで食べていた。

ところが、たった2年間のフランス生活で、それは一変した。日本に帰ってきても、食事の後に何か甘いものがないと食事をした気がしない。

フランス滞在から10年以上も経っているが、未だにその習慣が抜けきれない。フランス人のデザートはアメリカ人のそれとは異なって、品の良い甘さなのである。

アメリカ人の作るスイーツは、コテコテの甘さなのである。中年のアメリカ人に肥満気味の人が多いのはこのせいだろうか。フランス人は、アメリカ人ほど太っている人はいない。どちらかというと筋骨隆々と行った人が多い。

締めくくりは、エスプレッソであるが、あの小さなカップに角砂糖を2〜3個入れる人が多い。おまけにソーサーには、チョコレートなどが乗っている。好きな人は、角砂糖だけを食べている人もいる。

ではフランス人は砂糖の摂取量が日本人に比べて多いかというと、そうでもないようだ。日本料理には、メインにみりん等砂糖を含んだ調味料や砂糖そのものをよく使う。フランス料理のそれにはいっさい砂糖を使わない。

塩と香辛料だけというものが多い。だから、デザートをこよなく愛するフランス人は、砂糖の取り過ぎにはならないようなのだ。

映画「アメリ」の中でTABACのシーンがあるが、エスプレッソに入れた角砂糖の破片がテーブルに落ちているが、この落ちている砂糖の粉を指にひっつけて舐めるところがある。本当に甘いものが好きな様子がさりげなく表現されていてフランス映画らしい。

何はともあれ、甘党に変身させられた私は、未だに食事の後に甘いものを食べないと物足りない。その習性が染みついてしまったことは微増する体重が明確に証明している。




第31話 フランスのトイレ事情

いきなり下品な話で恐縮であるが、トイレ事情というのは、人間生活に密着しているという点では、簡単にやり過ごせない問題ではなかろうか。

ランスのトイレが有料であることは、あまりにも有名である。パリの街を歩いても、トイレがどこにあるか、小銭はあるか、いつも気している必要があるのは、日本の街を歩くときと大いに異なることである。

そもそも、フランスと日本では、トイレの設置数が大いに異なるような気がしている。日本では、公園や路上に綺麗なトイレがあるし、百貨店などは各フロアにトイレがある。

必要なとき回りを見渡せば、どこに行けばトイレにたどり着けるか、矢印表示が必ずある。フランスでは、その表示すら少ない上に、その設置数が圧倒的に日本に比べて少ない。

日本人よりフランス人の方がトイレに行く回数が少ないのだろうかとも考えてみた。が、フランス人は、レストランでキャラフ・ドー(ピッチャーに入った水)の水をよく飲む。

フランス人たちは、ヴォルビックやエビアンのペットボトルを鞄の中に持ち歩いていて、歩きながら飲んでいる人もいる。

チャッカリした若者は、ペットボトルの水が無くなると、カフェで休憩するついでにキャラフ・ドーから補給している。(フランスでは水はワインより高い・・・)むしろ、日本人よりたくさんの水を飲む。

日本でも水のボトルを持ち歩いている若い女性を見かける。乾燥していない日本では、さほどニーズは無いような気がするが、フランス風が好きな日本の若い女性にとっては一種のスタイルなのであろう。それとも、身体的貯留量が違うのだろうか?

要するにトイレに重きを置いていないのである。(トイレを軽視しているフランスでは、ウオシュレット等は絶対流行らない。)

トイレに重きを置いていない(としか考えられない)トイレ事情は、ヴェルサイユ宮殿を訪れたときに感じた。フランス人のトイレの考え方はヴェルサイユ宮殿にその根っこがあったのである。

ヴェルサイユ宮殿には、フランス滞在中に3度ほど訪れた。3度も訪問したのは、ヴェルサイユ宮殿が気に入ったからではない。そのうち2度は閉まっていて空振りだったからである。

余談だが、このとき、日頃、観光客が訪れないカタコンブ(しゃれこうべがむき出しになった地下の墓)、下水道(巨大な建築物でパリの町並みが地下にあるのかと思ったくらい)、夜のジャズ・ライブハウス(独断と偏見、自己満足のジャズ)等もついでに見て回ったので、これらの話は、別の機会にまとめる。

ヴェルサイユ宮殿には、公的に認められたガイドがいる。私が選んだのは、もちろん、若い美人女性でフランス人を専門に案内している人だった。

当然、フランス語しか話さない。(歴史を解説してくれるので、単語が難しく、半分くらいしか分からなかったが・・・、話している顔を拝見しているだけで幸せな気分になったのを覚えている)

ヴェルサイユ宮殿には、秘密の通路がたくさんあって、通常の観光客が歩く順路をショートパスして歩ける。順路の中盤なのに、このショートパスを使うと、急に入り口に出てきたりして驚いてしまう。

私の選んだガイドさんは、この日秘密の通路(秘密の通路については、特に秘密と言うことはないのだろうけれど、ヴェルサイユ宮殿を仕事場にしている人たちは、この秘密の通路を有効活用しているそうだ。)を駆使して、私を含めた5人のグループを案内してくれた。

グループの他のフランス人は、何度も訪れたことがあるらしく、ヴェルサイユ宮殿を良く知っている人ばかりで、通常のコースでは満足しない人たちばかりだ。

解説を聞くだけではなく、矢継ぎ早に質問が飛び交い、ガイドさんとのやり取りがかまびすしい。このガイドさんは、訪れ慣れた観光客に対して、日頃、一般の観光客が見られない場所を案内してくれた。

この日「目玉」としてガイドさんは、トイレと風呂を案内してくれたのであった。

フランスのトイレ事情について、よく引き合いに出されるのが、「ヴェルサイユ宮殿にはトイレが無かった」である。だから「貴婦人達はあの大きく拡がったスカートの中にオマルをしのばせていた」という噂まである。

実は、ヴェルサイユ宮殿にはトイレはちゃんと存在していて、「トイレが無い」というのは必ずしも正しくないことが分かった。少なくとも、国王についてはトイレとして一定の場所が設けられていて、他にも幾つかのトイレがある。

しかし、トイレの数は必要量に比べ著しく少なかったので、貴族、貴婦人たちはオマルか椅子に取り付けられた便器に大小便をしていたと説明していた。

また、ガイドさんの話によると、当時の貴族や貴婦人たちは便意を催せば所を選ばず、ウンコやオシッコをするのが習慣になっていたらしい。

もともとの宮殿であったルーブル宮殿(拡張されて今は美術館)は、そんな事情で大小便まみれになって、住むことができなくなったため、パリ郊外のヴェルサイユに移転してきたと説明していた。

フランスといえば香水という位フランスの香水は有名であるが、香水の発達の根っこは、この「ウンコの臭い」を消すところにあったらしいのである。

何れにしても、多くの人々の出したウンコ、オシッコの類はすべて、広大な庭園に捨てられることになり、最終的には、中庭や通路にまでウンコであふれる結果になったという。

現在のヴェルサイユ宮殿やその広大な庭園は、勿論当時の面影を全く残しておらず、綺麗に整備されており、ウンコにまみれていた当時の状況を想像することはできない。

ガイドさんの解説を聞くまでは、ウンコまみれのヴェルサイユ宮殿や庭園など全くの作り話ではなかろうかと思っていた。

ちなみに、私が見たトイレは、現代の水洗トイレのように座って用を足すイスのようなもので、陶器製の便器に木の蓋がしてあった。今考えてみると、ずいぶんと貴重なものを見せてもたったものだと思っている。








第32話 カタコンブ

タコンブの起源は、今から約200年程前にさかのぼる。パリ市街拡大に伴い、共同墓地から骨を発掘し当時の石切り場に骨を移したことを発端に、1786年〜1814年までの約100年間に約600万体の遺骨がカタコンブ(地下道)に集められた。

下道の入り口には、「I'Empire des Mort(死の帝国)」と書かれており、整然とおびただしい数の骨が、通路の両側に積まれている(一区画厚さ3m奥行き30mもあるおおきなものもある)。

運び込まれた教会ごとに表札が掲げられているのみで遺骨の個人は特定できない。現在は博物館として一般に公開されパリの名所(?)の一つとなっている。

積み上げ方に特徴があり、一体一体まとめてあるわけでなく、頭蓋骨は頭蓋骨、手の骨は手の骨ばかりといったように、骨の部位毎に層を成して積み上げられている。

こういった人骨の整理方法を見ると、フランス人特有の合理性といい加減さがかいま見られる。

頭蓋骨を一つ一つ見ていくと、額に剣による傷の跡のあるもの、潰れて陥没したもの、大小さまざまである。

ひんやりとして薄暗い地下道は、独特の臭いと雰囲気があり、人骨の存在感に圧倒される。

この膨大な数の人骨は触ることができるほど無防備に置いてある。私たちの社会、世界は膨大な死者の上に成り立っていることをつくづく感じた。

カタコンブの回廊に一人立って、自分の人生、人間の一生というものを静かに考えてみる良い機会だった。

1km近く人骨の並ぶ薄暗い洞くつを延々と歩いていかなくてはならないので、気分が悪くならない等の自信とそれなりの覚悟は必要です。(第六感が鋭い人は止めた方がよいかも・・・)








第33話 旨いエスプレッソ


エピローグ

たばこを吸わず酒も飲めない私にとってのコーヒーは生活とは切っても切れない。

待ち合わせをしていて時間をつぶすために飲む比較的大容量のアメリカンコーヒー、ゆったりとした時間をぼっとして過ごすときに飲むシナモンパウダーの効いたカプチーノ、朝食のパンと一緒に飲むミルクたっぷりのカフェオーレ、食事の後や思考の途中に飲むエスプレッソ。(フランスで生活するまでは、エスプレッソを飲む機会はあまりなかった)

それぞれのシチュエーションによって飲むコーヒーが異なる。

その中でも、エスプレッソは、思考を一時停止して数分のポーズをとり、それからさらに今までの思考を継続するときに最も適している飲み物であると思う。気分転換に適しているのである。

エスプレッソの魅力は、濃厚な抽出液と砂糖の甘みの絶妙な組み合わせから引き出されるスッキリ感ではなかろうか。飲んだ後のスッキリ感によって、さらに思考を継続する力を与えてくれる。

こんな機能がデミタスカップに入っているほんの数十CCに凝縮されているのは驚きである。

コーヒーは人間が作った飲み物の中で酒やたばこと並び希にみる完成度の高い嗜好品である。エスプレッソの完成された味覚は19世紀からの人間の絶え間ない開発努力の継続がもたらしたものだ。

抽出に使う豆の選択、煎り方、粉の粒径、蒸気を使った圧力による短時間の抽出方法。これらにたどり着くまでにどれだけの時間と労力を要したのだろうか。

(大したことは考えていないが)思考を進める際に必要なエスプレッソの効用をフルに引き出すために、エスプレッソ専用の豆、かなり高価なマシン(旨いエスプレッソを作るマシンは私にとってかなり高価であった)を準備することはそんなに贅沢でないと思っている。

むしろその投資は合理的なような気さえする。

思考に疲れた頭を短時間でリセットする素早さは、エスプレッソの名前の由来であり、たくさんのコーヒーの種類の中でたぐいまれな特徴である。

それにしても、フランスは料理だけでなく、嗜好品も優れたものが多い。


エスプレッソ

元もとコーヒーは好きであったが、フランスで生活するうちにエスプレッソなるコーヒーがかなり旨いコーヒーであることを知った。

以来、日本に帰ってからもエスプレッソ通である。ご存じのようにフランス料理にワインは切っても切れないのだが、最後のデザートとともに飲むエスプレッソもワイン同様重要である。

フランス料理とワイン、エスプレッソ、チーズは、日本のカレーライスとらっきょ、ふくしん漬け、日本食にみそ汁やお新香の関係に似ている。


とはいえエスプレッソについて殆ど知識がないのでインターネットを検索してみた。以下のうんちくは、バリスタさんが運営されている

「エスプレッソの扉(
http://www.espresso.jp/index.htm)」

を参考にしているので、詳しい情報入手希望の方はバリスタさんのホームページへアクセスしてください。


エスプレッソの名前の由来

エスプレッソの語源は「エクスプレス」で、ご存じのように「急行」や「速い」という意味がある。確かに、エスプレッソは、20〜30秒で抽出が終了するという点で非常に速く準備ができて飲むことが出来る。

エスプレッソの抽出方法は、19世紀後半からイタリア、フランスで始まり「如何に早く旨いコーヒーを作るか」を追求した結果、現在の蒸気抽出方に落ち着いている。



カフェインは体に悪いか

カフェインは体に悪いと良く言われるが本当なのだろうか。バリスタさんによると、“200mg のカフェインは副作用なしに脳の活動を活性化させる(結果として思考力や集中力を高め眠気や疲労感を軽減させる)が、500mg を越えると頭痛や不眠をもたらし、1000mg を越えると動悸や目眩などの副作用を引き起こす”そうだ。

適量の摂取はメリットが大きい。


エスプレッソは一般のコーヒーよりもカフェインが多いか

私も誤解していたが、答えは否である。

バリスタさんによると、“デミタスカップで飲むエスプレッソのカフェインは一杯
100mg、普通のコーヒーのそれは一杯 150mg”なのだそうだ。

理由は、コーヒー豆に含まれるカフェインは焙煎の過程で揮発する。エスプレッソ用の豆は深煎りするので揮発量が多くなりカフェインの量が少なくなる。

また、実際に飲むコーヒーに抽出されるカフェインの量は抽出時間に従って増加する。抽出時間の短いエスプレッソはコーヒーに溶け出すカフェインの量が少ない。なるほどなるほど。

ちなみに、市販の栄養ドリンク剤のカフェイン含有量は
50mg200mgなのだそうだ。


コーヒーは胃に悪いか

一般にコーヒーが胃に悪いといわれる理由は、カフェインが含まれているからである。

カフェインが胃に悪いと言われる所以は、カフェインが胃液の分泌を活発にすることから来ているようだ。

すなわち、空腹時にコーヒーを飲むと、胃液の分泌が活発になり、その結果、不必要に胃が活発になりかえって胃に負担をかけることになる。

反対に、満腹時にコーヒーを飲むと消化促進につながりメリットになる。こってりしたフランス料理の最後にエスプレッソを飲む習慣は、この消化を促す効果もあるようだ。



エスプレッソに砂糖は必需品

エスプレッソには砂糖を入れないと不味い。

小さなデミタスカップに入ったエスプレッソに角砂糖を2個、これは普通のフランス人がエスプレッソを飲むときのほぼ決まった砂糖の量である。

さらに、ソーサーにチョコレートなどが載っていることもある。好きな人は、角砂糖だけ食べていたりする。

砂糖を控えめにして、コーヒーなどは砂糖を入れないで飲むように心がけている私などはゾッとしてしまうが、これは一種の錯覚であるらしい。

なるほど小さなデミタスカップに角砂糖2個は、あたかも普通のコーヒーに砂糖を2〜3杯入れている感覚がする。

実はそんなでもないのである。角砂糖1個なら、旨いコーヒーを飲むということと健康を天秤に掛けて、旨いコーヒーを選択できる範囲内である。エスプレッソと砂糖はセットである。


エスプレッソは苦いか


そもそも前述のようにエスプレッソは砂糖を入れて飲むものである。

コーヒーと砂糖バランスが旨いコーヒーを作り出している。また、適切な豆と抽出法で作られたエスプレッソは砂糖なしで飲んでも苦くないそうだ。

これはフランスでも滅多に経験したことがないが、4つ星のレストランなどで出てくるエスプレッソで時々砂糖なしで飲めるエスプレッソに出会うことがある。



エスプレッソは挽いた後の豆の保管、抽出量が大事

エスプレッソは、深煎りの豆を細挽きにするので酸化しやすく、豆の保管状態が良くないとコーヒーが不味くなってしまう。

また、抽出量が多すぎても出がらしの状態になり、コーヒー豆の雑味成分まで溶け出してきて苦くて不味くなる。



エスプレッソは何故旨いか

エスプレッソは、その名の通り早く抽出する事を目的として発達してきたことは前述した。19世紀後半にフランスとイタリアで開発が始まり、高い圧力を加えて一気に抽出する方式が思考される中で予想外の現象が起きた。

抽出されたコーヒーの表面にはクリーム状の濃密な泡が浮かんでいて、初めてこの泡を見たとき開発者は圧力が高すぎて「あく」が出てしまい失敗作だと思った。

しかし、試しに飲んでみて、その濃厚で深みのある味わいに驚いた。いわゆる、これが「アロマ」である。エスプレッソは、この「アロマ」があるから旨いのである。


コーヒーの昨今

外で飲むときには、今と違って昔は値段がずいぶん高かった。一杯500円は普通でストレートコーヒーになると1000円近くした記憶がある。この値段には場所代が入っていると思っていて妙に納得していた。

デートなどでは見栄を張って、味も分からないストレートコーヒーを注文して知ったかぶりをしていたものである。

バイト代がコーヒー一杯にいっぱい消えた。それにしても最近のコーヒーは安くて旨い。巷では200円以下で本当に美味しいコーヒーが飲める。


究極のマシン、ネ○プレッソのコーヒーマシン

今まで、何とか旨いエスプレッソを家庭で飲もうと試行錯誤して2台を購入した。

最初は火にかけて抽出するフランス製貰い物の簡易マシン。これは、時々旨いコーヒーが入れられるので今でも気に入っている。

が、成功率が10杯に1杯くらい。これではいかんと、本場イタリアのデ○ンギのマシンを購入した。

このマシンは良く詰まる上に成功率は前述のフランス製簡易マシンと同じくらいだった。

エスプレッソのうんちくをよくよく読んでみると、実は豆とマシンの両方が満足されない限り「アロマ」の豊富な旨いコーヒーは入れられないらしいことが分かった。

結局、日本に住んでいるフランス人にどのようにして旨いエスプレッソを入れているか聞いてみた結果、ネ○プレッソのマシンが究極のマシンであることが分かった。(今のところ素人が簡単に旨いエスプレッソを入れることが出来る唯一のマシンだ)

このマシンは、専用のカプセル(ネ○プレッソしか売っていない)に封入された豆を使う。

すなわち、ネ○プレッソマシンを購入したら最後、永久にネ○プレッソからカプセルを買い続けなければならない。

分かってはいるが、「旨いコーヒーが飲める」ということと引き替えにまんまと企業戦略にハマッテしまった。


それにしても、このエスプレッソは掛け値なしに旨い。企業戦略とはこのようにすべきという好事例である。






第34話 猫舌

フランス人は(日本人に比べて)猫舌である。

猫舌とは熱いものが苦手であることを言うが、確かにフランス料理では、日本食にあるようなフーフー息を吹きかけながら熱々の料理を食べるという場面は見たことがない。

日本にいるフランス人はコーヒーとともに紅茶や同様日本茶が好きな人が多いが、出されてくるお茶は日本人の私にとってぬるくて物足りない。

有名なブイヤベースは鍋であるが生ぬるい。

3月9日付の朝日新聞に猫舌の話しがあった。温度を感知する温点の数は、舌には1平方センチメートル当たり1個あるかないかで、皮膚には1〜4個なのだそうだ。すなわち口の中は温度に対して鈍感なのである。

それなのに猫舌があるのはなぜだろう。

舌で感じる温感は後天的なもので慣れによって熱いものまで食べられるようになるのだそうだ。熱いものを好んで食べるのが好きな家庭で育った人は猫舌にはならない。

そもそも熱を加えて食べるという所作は人間特有であるから、食べ物に火を通して食べない動物は皆猫舌なのだそうだ。決して猫だけが猫舌かというとそうではないのである。

熱を加えるのは殺菌効果もさることながら、旨みも増強されるようだ。甘みが良い例で、冷たいもので感じる甘みは熱いものよりは弱く感じる。

なぜ猫に代表されるかと言えば、日本には「猫に小判」とか「猫の手も借りたい」というように「猫」にたとえた言葉が多い。

猫に例えることの多いのは、日本固有の現象なのである。そこで「猫」におはちが回ったということであるらしい。

いずれにしても料理にはそれぞれ適温があり、それぞれに合った温度で食べるのが一番美味しいにちがいない。






第35話 フランス料理(1)

「フランス料理」シリーズを書いてみようと思っている。日本でフランス料理というと「高級」というイメージがあるが、一般のフランス人たちは、決して高級な料理を毎日食べているわけではない。でも、食事を軽んじているわけではなくて、むしろ大事なもの・大事な時間という考え方が浸透している。

博多の出身である私は、「男子台所に入るべからず」と言われて育ったせいか、全く料理に興味がない。

食事にしても、「お腹が太れば良い」といったもので、旨いまずいも分からない。

おまけに、戦後の食べ物のない時代に育った両親の教育方針で育てられたせいで、「出されたものはすべて食べるのが礼儀だ」とばかり、「もったいない」と残さず、つい食べ過ぎる傾向が染みついていて、体重はいっこうに減らずに増加傾向。

食事にかける時間も、楽しむという事からはかけ離れていて、早食いで10分もかからない。

おかずも一緒に掻き込むドンブリものなどは最も合理的な食事だと信じて疑わない。「旨いものを食べに行こう」と誘われても、付き合いはするが、その料理の旨さが分からない。

そんな私がフランスに滞在していた僅か数年で、料理に対する考え方をコロッと変えた。

世の中には、おいしい料理が存在すること、料理作りにに妥協せずゆっくり時間をかけて味わうといった文化を持っている国民がいること、その文化が人間の生き方に大きな影響を与えていることに気付かされたのである。

贅沢なものを食べる必要はないが、安い食材でおいしい料理を工夫することは、人間固有の行為であり、木工をはじめとするものづくりに通じるものがあって、自分の趣味と根っこのところでつながっていることに気付いた。

そういう目で、料理というものを改めて眺めてみると、新しい発見というか、小さな感動を感じることがしばしばある。

子羊のラムチョップというのがある。



これはフランス料理店で食べると、我々サラリーマンが気軽に食べるという値段ではない。

ところが、卸肉屋で材料を丸ごと調達すると意外に安く手に入り、おまけに簡単で美味しい。私のような料理音痴でも失敗が少ない。

ラムステーキ用の羊肉は、普通、大きなスーパーなどでは調理するだけでよいように既に切断されている。背骨の間接に沿って切断され金太郎飴のようになっており、5〜6ピースパックに入って売っているのが普通だ。

三沢のスーパーでは、いつでも手にはいるわけではないが、外国人が多く住んでいる事情からか、ときどきそれなりの値段で販売されている。

卸をやっている店に行くと、背骨の塊が売られていて、値段も比較的安い。我が家のように食べ盛りの子供がいる家庭では、スーパーで売っているパッケージでは2〜3パック必要なので、卸の店でこのブロックを買ってくる。

金太郎飴のように切断するのは比較的簡単である。背骨は小さな骨が積み重なって1本になっているので、つなぎ目(椎間板?)をねらって包丁を入れると簡単にばらせる。

料理方法は、焼く方法とローストする方法があるが、おすすめは焼く方法である。フライパンで焼いても良いが炭火で焼くのが旨い。

炭火を熾して焼くのは少々面倒であるが、その美味しさは面倒くささに勝る。塩胡椒を軽くしてサッと焼く。中心にチョット赤い部分が残っているくらいがベスト。

「強火でサッと」という焼き具合の調整に要領がいるが、何度かやってみるとちょうど良い好みの焼き具合が分かる。

骨についた肉片をこそぎ落としながら食べれば、至福の時を味わえることを保証する。

ガーリック、パン粉、パセリを一緒に炒ったものをパラパラとまぶして食べると、羊特有の臭みが消えてその旨みはいっそう引き立つ。羊肉特有の臭みが苦手な人は、こちらの方がお勧めである。

皆さん一度試されてはどうだろう。





第36話 フランス料理(2)ビーフシチュー

フランス料理店で食べると非常に高い料理である。こくのあるシチューととろとろに煮込まれた肉の旨み、中に入っている野菜との味のバランスといい、フランスパンとチーズと赤ワインがあれば至福の時を味わえる。

これが家庭で簡単に出来るのである。必要な道具は、圧力鍋(ココット・ミニュッツ)。

材料は、普通どこでも手に入るもので結構。ビーフだけでなくラム肉、鶏肉、手に入ればウサギ肉、肉はいろいろとバリエーションがある。

ここで、チョッとズルであるが、デミグラスソースを使う。これは、缶に入ったものが市販されていてどこでも安く手に入る。

肉はサッと炒めて煮ている間肉の旨みが出ていかないようにする必要があるが、後は、材料を適当に切って圧力鍋に放り込んで、ワインを加えて、ただただ、煮るだけである。

圧力鍋では肉をとろとろにする時間は短い。30〜40分も弱火で煮れば十分だろう。一緒に飲むワインは赤で渋みの強いフルボディが好ましい。ビーフシチューにびったりであり、料理を引き立ててくれる。もちろん高いワインである必要はない。

私が紹介するフランス料理は私の家で楽しめるのはもちろんであるが、「パザパ」でモアンシェール(リーズナブルで安い値段)で味わえる。

この店は85年から営業していて私も15年間通っている。丸の内線の四谷三丁目駅
4番出口下車、新宿通りから杉大門通りへ左折、徒歩3分。外苑東通りに合流する直前の左手。目立たないので注意しないと通り過ぎてしまう。

急な階段を登った2階にある。ドアを開けると、そこはフランス。2500円でアントレ(前菜)、プラ・プランシパル(メインディッシュ)、デセール(デザート)と格安。

ムニュー(メニュー)は決まっている中から選択する。選択肢は多いので好き嫌いに関係なく選べて迷うのが楽しいといった具合だ。

ただし、飲み物は別料金でヴァンドターブル(テーブルワイン)、エクスプレス(エスプレッソ)はそれぞれ400円。

食前酒やサイドメニューなども豊富に揃っているので、大事なお客さんでも十分にもてなせる。私などは、フランス人の送別会、大学生の娘(東京在住)との食事などに今でもこの店をよく利用する。


話がそれたが、要はフランス料理は高級でなく家でも十分に楽しめる、ということである。






第37話 散歩

フランス人は散歩が好きである。休日というと日本ではゴロ寝(私だけか!?)か買い物と相場が決まっているが、フランスでは店が閉まっているので運動の好きなフランス人は、おもむろに皆散歩に出かける。

郊外の何もない場所(自然はやたらたくさんあるが)を家族で延々と数時間歩き回るのである。この習慣は小さい子供たちや若い人にとっては退屈で不評のようである。

このように目的もなく歩き回るといった散歩が好きなフランス人であるが、フランスを堪能しようと思うと、フランス人よろしく、自分の足で歩くことが有効だと思っている。

歩くといえば、パリなどの都市を歩くときに忘れてはいけないことは、そこら中に犬の糞が落ちているということである。犬の散歩にシャベルとビニール袋を下げて歩く日本では考えられない。

パリを歩き回るときに気を付けることは沢山ある。運転の荒っぽい車、地下鉄のスリ等が有名であるが、まずは足下である。

油断するとグニュである。しばらくグニュを繰り返していると不思議なもので、自然と糞を踏まなくなる。

「どうして飼い主が始末しないのか」と聞くと「掃除する人の仕事を奪ってはいけない」と答えが返ってくる。

それにしても石畳をピンヒールで颯爽とかっ歩するパリジェンヌたちは、犬の糞を器用に避けて歩いているのである。

役所も全然考えていないわけではないらしく、公園などには標識を付けた場所だけのトイレやウンコ袋ポストなるものを設置している。が、飼い主たちはいっこうに気にせず。おかげでフランス人は皆、常に足元を見ながら歩く習慣があるようだ。

そんなわけで、早朝から大型路上清掃車が散水しながら掃除をしていく。みなさん散歩の折りは足下に十分注意しましょう!






第38話 鴨(モモ)肉のコンフィ

簡単に自分でも出来るフランス料理として紹介を始めたが、簡単ではないけれど是非紹介したいのがこの料理である。

この料理は私の大好物だ。パザパではこれを注文することが多い。フランス料理店を品定めするときも、この料理が有るか無いか、それが美味しいかを基準にすることが多い。

骨付き鴨モモ肉に天然塩とタイムをふりかけただけのシンプルな味付けである。

この料理は今の自分には出来ない。料理の過程で、80℃に熱した鴨脂の中で、鴨モモ肉を10時間加熱するという作業があり、特殊な調理器具を使わないと実現できないからだ。

脂で煮込んだ後に脂の下にたまった肉汁は、フランス人が目を細めて例外なく「デリシュー(デリシャス)」とのたまうほど旨い。余った脂は冷凍して残しておけば他の料理に使える。捨ててはいけない。

そもそもコンフィという料理方法は、フランスでは古くから保存食用として用いられていて作り置きが出来る。

だから、作るときは面倒だが一旦作ってしまえば、食べるときに暖めさえすればすぐに食べることができる。

コンビニ食のようで私のようなものぐさにもピッタリである。1ヶ月ほど保存した後に食べると、肉質がしっとりとしいて旨さを増す。

フランス人はなんて素晴らしい調理法を考えたのだろうと思ってしまう。一度は挑戦してみたいと思っている料理の一つである。当然、赤ワインがあれば言うことなし!






第39話Zen」ブーム(アジアティックが好きなフランス人)

最近、フランスでは空前の「Zen」ブームらしい。「Zen」という言葉を最近のフランス映画やフランスのニュースでよく耳にする。

どうやら日本をはじめとするアジアのエスプリを表す言葉として使われているようだ。そもそも仏教用語の「禅」からきている言葉で、使っている意味は、「禅」という言葉が持っている本来の意味と違って「ゆったりとした」、「余裕のある」という意味らしい。

フランス人の友達は「龍安寺の石庭」がとても気に入っていて「Zen」の象徴みたいに理解している。

それにしても、フランス人はアジアティックなものが好きである。例えば、私の近辺に住んでいるフランス人の家には、どの家にも必ず南部鉄瓶、薬箱、箱火鉢がある。

1995年から2005年にかけてパリ日本文化会館の初代館長であった磯村尚徳(NHK特別主幹)さんの話だが、最近のフランスではネオ・ジャポニズムという波があり、いわゆる日本の大衆文化に対する関心が深まり庶民層にその影響が拡がっているらしい。その証拠にフランスの一人当たりの日本文化への投資額は世界一であるそうだ。

フランスに住んでいるフランス人がそうであるので、日本文化に直接接している日本在住のフランス人にとっては絶好の環境なのだろう。私の友達などは、あやしい骨董品屋巡りが日常化している。

余談だが、日本ではどうかというと女性が一番好きな国は(当然であるが)フランスである。(ちなみに、それに反して男性は14位)

このように、切っても切れないフランスと日本の関係であるが、仕事の面での日本とフランスは、「戦略・規格」と「実行」という面で補完関係にあるようだ。

フランスは戦略や企画が得意だが実行は不得意、日本はその逆。日産ゴーンの成功は、フランス流と日本流の得意分野がうまく融合した結果だからなのだそうだ。

確かに、フランス人と一緒に仕事をしていると、アイディアは斬新で革新的であり、おまけにノー天気なラテン系であるので細かいことに拘泥しない。結果として実にスムーズに企画案が成立する。

しかし、決してそれを地道にやろうとはしない。やれバカンスだ、家族サービスだ、先約が入っている等々で腰が重い。

「日本人は休みも働いているのに」というと「セラ・ヴィ」と取り付く島もないのである。





第40話 方言

日本に方言があるようにフランスにも方言があることは、渡仏してから実感した。青森在住の私は、こちらのお爺さんお婆さん同士の会話、地元の人同士の会話は、10年以上住んでいる今でも全く理解できないことが多い。

フランスに滞在していた当時は、ノルマンジー地方の田舎(パリから約300km)に住んでいた関係で、方言というか地方出身者同士の確執を感じることが出来た。

特にひどいのは、ブルトン(フランスのブルターニュ地方出身)とノルマン(ノルマンジー地方出身)の間の確執である。まさに犬猿の仲である。

大半がラテン系であるフランス人の中で、頑固、偏屈な人種という固定観念のあるブルトンは、同じフランス人で「やつらはフランス人じゃない」とまで言う人たちが結構いる。

でも、実体は、ほとんど他の地方出身者同士の言い合いなので「田舎ものの悪あがき(私も九州福岡出身の田舎ものであるが・・・)」的で、日本でも似たような話は山のようにある。

大半のフランス人がラテン系であるのに対し、ブルトンはケルト系、つまりアイルランド人と同じ先祖を持っているそうである。

それからブルトンの話し言葉は、私のような外国人にとって聞き取りにくい。(ブルトン特有の単語などもある)

一方、付き合っているフランス人に言わせると(実感したことはないが)南仏人は訛りがひどいそうだ。いずれにしても、「田舎ものの悪あがき」的発想であり、そのような確執は日本だけでなく世界中に有りそうな気になってくる。



第41話 セラヴィ

フランス人の使う言葉に「セラヴィ」という言葉がある。直訳すると「それが人生だ」である。英語にすれば「It is the life.」。

しかし、この言葉をフランス人が使うシチュエーションを考えると、どうも直訳の意味と違うような気がしてならない。「人生そんなもんさ」と諦めのニュアンスが感じられるのである。

日本に住んでいる友人のフランス人に聞いてみた。彼は日本に5年住んでいて私と一緒に仕事をしている。彼には別のニックネームがあってそれは「夜の帝王」である。

大多数のフランス人男性と同じように、彼は(老若、洋の東西を問わず)女性が大好きである。初対面でも何でも、とにかく声をかけて女性と話をする。当然日本語でである。

来日した当初は片言の日本語であったが、今では日常会話は全く問題ない。会社ではもちろんのこと夜の町に出ていっては女性と話す。飲み屋の知識に関しては10年以上住んでいる私も舌を巻く。

他のフランス人に比べてあまりにも上達が早いので、そういう語学学習法もあるのだ、と妙に納得している。

彼に「セラヴィに一番近い日本語は?」と聞いてみると、こう言ったのである。「しょうがない」。

使われているシチュエーション(肩をすくめながら両手を上げ、首を少し傾けながらというジェスチャ)を振り返ってみると、なるほどなかなか妙を得てすばらしい訳である。

「セラヴィ」と言っている人の顔を見ていると、冷めた諦めを感じるのである。

ご存じのようにフランスの階級制度は、カッチリとしていて上流の出身でないと上流になることは難しい。末端で働いている人は、どうあがいても上流にはなれないこの階級制度に「しかたがない」と言って諦めるのである。

以前から疑問に思っていた「セラヴィ」だがやっとスッキリした。トイレの掃除をしているおばさん、朝早く路上を掃除しているおじさん、工場で決められた仕事を一生している労働者、カフェで日がな一日だべっている老人・失業者、皆が口を揃えて「セラヴィ」とため息混じりに言う。

「セラヴィ」はフランス社会の現状を的確に表現している。







第42話 クリニャンクールの蚤の市

日本人にとって(特に女性にとって)フランス雑貨と言えばセンスが良いものの代名詞のようなものであるが、それらはパリの高級ブランド店で取り扱っている値段の高いものばかりとは限らない。

蚤の市に行くと、一見ゴミのようなものから結構値の張るアンティーク家具などまで、見たこともないようなものを発見できて、買わなくとも物色する楽しみは捨てがたい。

有名なのは、パリ郊外の世界最大アンティーク街(登録店だけでも2000軒以上)である「クリニャンクール」で毎週数回開かれている。

いわゆる中古品の露天市で、私は出張の度に立ち寄ることにしている。実際に購入するのは、価格の安いガラクタばかりである。

例えば、カーテン止め、ワインのコルク抜き(白いブラスチック部分が「象牙」だと売り主が主張するのを、嘘と分かっていながら「あ〜だこ〜だ」と議論して購入するのは、まことに楽しい)等々。

ある時など、紅茶のカップ・アンド・ソーサーが6客売っていた。見るからにクラシックなデザインで少し薄汚れて黄ばんでいてチョット欠けたりしているところなど、いかにも由緒有るアンティークに見える。

売り主は一癖も二癖もありそうな魔法使い風(私にとって典型的なフランス人女性は、すごいわし鼻で魔法使い風に見える)のおばさんだったが、「ベルサイユ宮殿で使われていた」と主張して譲らない。ゆうに30分くらいは楽しめる。

こうだからフランス雑貨が好きな人にとって蚤の市見学は、たまらないだろうと思ってしまう。

値段が安くてお買い得なのは、フランスの田舎町の生活スタイルに根ざした雑貨である。もちろん日本などには売っていない。買って帰ってうんちくを語るには格好のお土産である。

大事なのは、彼らと会話を楽しむと言うことと値切るということである。彼らはダメ元でふっかけてくので言い値で買うとバカらしい。2〜3割は必ず安くなるので、是非、それ以上値切ることにトライしてみよう!

人が多いので朝早く行くのがコツだ。

金持ち日本人を狙っているスリも多いので注意が必要なのは言うまでもない。





第43話 朝市(マルシェ)

フランスの食生活を語るのに朝市は重要である。どんな大都会でも週に1〜2度いたるところで必ず開かれる。

食材を売っている場合が多いが、品目を特定して市が立つこともある。例えば、花、鳥などである。

食材の場合は、その品数が豊富であるという点、新鮮である点、農家や漁師さんが直接売りに来る場合が多いので採れたて。(泥などが付いていて本当に畑から直接持ってきた感じがする。魚介類は当然生きているものが多い。)

私が住んでいたシェルブールは大きな漁港があるので魚介類が豊富である。カニやオマール(伊勢エビ)、牡蠣等である。魚も日本では見たことの無いようなものが多い。

サンマに似た魚が売っていたので煮て(本当は七輪で焼いて大根下ろしで食べたいところだが、七輪など当然無く大根も紫で日本のものとは似ても似つかない)食べたが、骨が鮮やかなブルーなのには驚いた。

カニやオマールはゆでるだけなので調理が簡単であることから頻繁に食べた。大きくておおざっぱな味がする。

チーズやヨーグルト等の乳製品、卵、手作りジャムなども売っている。信じられないが、生きたウサギやウズラも売っている。(ペットではなく食べるために売っている)

朝早くから歩き回ってお腹が減った人のために、ちょっとしたサンドイッチ(バゲットにフロマージュ(チーズ)とジャンボン(ハム)をはさんだだけ)、ギャレット(そば粉を使ったクレープ)、お菓子等のすぐに食べられるものも売っている。

物によってはスーパーマーケットのほうが安かったりすることもあるが、見たことがないものがあったりで見るだけでも楽しい。

朝市の魅力は、作っている人が直接売っているので、作り手と直接話せることだろう。ワイン焼けしたおじさんが売っているチーズはいかにも美味しそうだし、ひげ面の頑強そうな漁師風の親父さんが売っているオマールは何となく安そうな気がする。(実は結構な値段するが・・・)

私は果物が好きで、朝市の時は必ず果物を買うことにしている。第○話にも出てきたが、果物屋のおばさんはくせ者だった。計り売りなので、適当に取って「これを!」というと、「○○ソンチーム」と返事が返ってくるのだが、早くて分からない。

めんどうなので大きいお金を出してお釣りをもらおうとすると売ってくれない。後で分かったことだが、大きいお金(1万円出して数十円の品物を買うように、私の出したのはとんでもなく大きいお金だった)に対する大量のお釣りを用意できないのである。

このおばさんは私に対して特別で、ピッタリお金を払わなければ売ってくれなかった。

果物といえば、冬の時期、日本では「こたつに入ってミカン」が定番(最近の若い人たちはこたつなど入らない!?)だがフランスにはミカンは無い。よく似た食べ物にクレマンティーヌがある。

皮はミカンより少し硬いが手で剥ける。味はオレンジに近く人によってはミカンより美味しいと思うかも知れない。似ているがチョット小ぶりのマンダリンというのもある。

話は変わるが、オリーブの漬け物に多くの種類があるのを知ったのも朝市であった。オリーブの漬け物は、ザーサイ、ピクルスと並んで世界三大漬け物といわれているそうだ。

色も緑だけでなく、赤紫、黒とあり味も異なる。漬け方も、塩漬け、酢漬け、ニンニクと一緒に漬けたものや、ちょっと辛めの味付けにした漬け物ミックス等、実に種類が豊富だ。

いずれにしても、フランスを旅行される方は是非、朝市に行ってみるべきである。きっと新しい発見があるに違いない。








第44話 ショコラ

この話を、「映画」の中で書こうか、「フランス語」の中で書こうか迷った。結局、フランス人にとってチョコレート(フランス語でショコラ)は特別な食べ物なので「フランス語」の中で紹介する。

フランスのチョコレート消費量は、何と世界で第2位だそうだ。(1位だと思ったのに!ちなみに、1位はスイス)一時的にチョコレート消費量が多くなることはあるが、フランスでは1年中消費されている。

その証拠に、どんな小さな町にもチョコレートだけを売っているチョコレート屋があって、チョコレートだけを売って生業として成り立っている。

フランス人の家庭に招かれたときに持っていくのは、花かチョコレートと相場が決まっている。

食後に飲むエスプレッソには、必ずと言っていいほどチョコレートが添えられているところをみると、毎日、最低1回はチョコレートを食べているのではないかと思う。

それほどフランス人はチョコレートが好きだ。ちなみに、エスプレッソについてくるチョコレートの食べ方は、チョコレートを入れてかき混ぜ一緒に飲む、まずチョコレートを口に入れて、それを味わいながらエスプレッソを飲む(もちろん砂糖を入れて)、エスプレッソを飲んだ後、口の中に残っている余韻と一緒にチョコレートを食べる等いろいろな食べ方があり特に決まった食べ方は無いようだ。

映画「ショコラ」は、そのようなフランス文化を知らなくても、柔らかく自然な美しいライティングで、とてもステキな心温まるおとぎ話である。

撮影は、フランスの片田舎、ワインで有名なブルゴーニュ地方のFlavigny-sur-Ozerain(フラヴィニー・シュール・オズラン)という小さな村で行われたそうだ。

フランス人とフランスの町を描いている映画なのに、言葉が英語、挨拶をするときは「ボンジュール」と思い出したようにフランス語が出てくるところがチョット不自然だが、それを差し引いてもステキな作品である。

主役を演じるジュリエット・ビノシュが開いた小さなチョコレート屋「マヤ」で作られるチョット変わったチョコレートが、古いフランスの宗教や因習に縛られた生活おくる人々を少しずつ人間らしく変えていく。

それにしても、主役を演じるジュリエット・ビノシュがすばらしい。この好演をジョニー・デップがさりげなくサポートする。

脇役の中でもピカイチなのは、糖尿病を患った祖母役を演じるジュディ・デンチ。彼女は、英国の舞台女優で、Dame(男性の"サー"にあたる)の尊称を授与されている大女優だ。

また、映画の中で彼女に言わせている「死んでも良いから好きなものを食べて飲む」という意味の台詞は、フランス人の食に対する考え方を象徴している。

チョコレートで人の心を変えようなどと、日本人の感覚からすれば、あり得ないと思えるかも知れないが、フランス人の食文化やチョコレート好きを考慮するとさもありなんである。

この映画の面白さは他にもあり、例えば媚薬のようなチョコレートは堕落への隠喩だし、チョコレートの店をキリスト教の四旬節(しじゅんせつ)が始まる日に教会の隣に開店する挑戦的設定は伝統から近代化へと移り変わるフランス国全体を象徴している。

四旬節に誘惑、官能のシンボルであるチョコレート屋を開くのは、権威、因習への明らかな挑戦である。

主演のジュリエット・ビノシュは、女優としてもすばらしいが、プライベートもなかなかの強者で、結婚してないのに1男1女の母である。公私ともに、この映画のヴィアンヌ役にはうってつけである。

彼女が、主演した「イングリッシュ・ペイシェント」を見てみたくなった。

ところで、古いフランスの宗教や因習に縛られた母親役をしていたキャリー・アン・モスは、マトリックスでカッコイイ女性トリニティを演じた人である。

全然イメージが違うので驚いた。こんな新しい発見もあって、本当に映画って面白い。








第45話 フランス人が持って帰るもの


フランス人と仕事をしているが、交替と称してフランスへ帰国する人がちらほら居る。大半の人たちはどん欲に日本の生活を楽しんでいるが、日本の生活に肌に合わない人もいる。

彼らは、帰国する際、船便を使って結構大量に日本食品を持ち帰る。

一番は、やはりインスタント・ラーメンだろう。日本でかなり消費するカップ・タイプのラーメンではなく、袋に入った乾麺タイプのものである。

30食入っている箱詰めのものを大量に買い込んで持って帰る。確かにフランスにもあるが値段が高い上に韓国や中国から流れてくるものらしく(パリは例外、お金を出せば何でも手に入る)辛いばかりで日本のもののように味のバリエーションがない。

麺も湯に通してすぐにほぐれないし、ちょうど良い麺の腰が長時間持続しない。すぐにほぐれるものは、食べているうちに柔らかくなってドロドロになってしまう。

スープの美味しさもさることながら、麺にはいったいどれだけのノウハウが隠されているのだろうかと思ってしまう。

次に多いのは「寿司の子」である。これは商品名であるが、炊きたてのご飯にふりかけて混ぜるだけでちらし寿司が出来る優れものである。具も入っているので本当に混ぜるだけである。


そもそも米は「レギューム」といって、フランス料理ではメイン・ディッシュの脇に付いている野菜の一種である。しかも、日本のご飯のように蒸したものでなくゆでたものである。

少し塩味の野菜なのである。そのような習慣があるフランス人が、メイン・ディッシュとして米を食する日本人の米の食べ方を珍しく思い、発想の転換をして気に入っているようだ。

しかも砂糖を入れるのではなく、酢を入れて食べるのである。彼らにとって珍しいことこの上ない。それでもって実際食べてみると彼らの食文化に合っているということなのだろう。

アメリカ人にしても寿司が嫌いな人は少ない。寿司は、外国人に人気の日本食の代表格である。

ただ、実際に自分で作るとなるとかなり面倒である。「寿司の子」は、この問題を一挙に解決できる。熱々のご飯に混ぜるだけ。日本の食文化の優秀さには脱帽である。

大豆製品で味噌はあまり人気がないが、醤油は人気があり帰国する際に持って帰る人が多い。フランス料理のソースの隠し味にするとアクセントになって良いらしい。

意外だったのは焼きそばである。日本食は麺類なしには語れないほど面料理は普及している。ラーメン、うどん、そば、そーめん、きしめん、焼きそば等々枚挙にいとまがない。

が、フランス人のおめがねにかかったのはラーメンと焼きそばである。あのソース味が気に入ったのだろうか。もって帰る人が多い。

とにかく、大量の日本食を船便で持ち帰る。こないだなどは、フランス帰国組の家族が皆で寿司パーティをしている写真が送られてきた。フランス人が掛け軸や南部鉄瓶や得体の知れない日本のアンティーク(がらくた!?)に囲まれた瀟洒な部屋(雑誌「LEE」等でセンスの良い見本として写真などが掲載されているが)で奇妙な形にスライスした生の魚を、これまた奇妙な形に握ったご飯の上に重ねて握り寿司を食べている様子は、本当に奇妙である。

それにしても、「食」に対する飽くなき執念とでもいうのか、フランス人のそれには感心せざるを得ない。

食べれば食材が無くなるので、きっと大量注文が私のところへ殺到するのは目に見えている。

商売でも始めるか、なんて思っている今日この頃なのである。






第45話フランス人の食事スタイル

フランス人の家に食事に招待されると、もちろん食事はするが、むしろ話がメインとなり夜の8時頃から始まり12時過ぎまで延々とおしゃべりをしているのが普通だ。

フランスで生活し始めた当初は苦痛だったが慣れてくると、これが楽しくなって病みつきになる。

ホストである奥さんや旦那さんも会話にしっかり参加していて、「いったいいつ食事を作ったりしているのだろうか」と不思議に思ったものだ。

招待されることに慣れ、余裕が出来てからホストの様子を観察してみると、その合理性に納得させられた。その合理性とは、こうである。

ホストの奥さんと旦那さん(旦那さんが同じように協力しているのがミソ)が共同で(子供が小学生高学年より大きいと食事を振る舞う作業や後かたづけ作業に駆り出される、作業が終わると招待客との会話には参加することが出来ず子供部屋でおとなしくしている)食事を振る舞う。

食事はあらかじめ準備されていて、直前に暖める・ローストする等簡単な作業だけをする。この作業は、基本的にレンジやロースターのタイマーをセットしてスイッチを入れるだけである。

お客とホストのコミュニケーションがメインなので、日本のように奥さんが食事の用意のために台所に引きこもることは無い。招待した当日の準備は最低限にしているのである。だから、奥さんも旦那さんもお客としゃべっている時間が長く、意識して観察していないと、いつホストが席を外しているのか分からない。

盛り付けもシンプルで、各人にあらかじめ分けて振る舞うのではなく、大きなボールや皿に料理毎に一カ所にまとめて盛り付け、食事が始まってからボールや皿をまわして各人が取り分ける。

ホストに負担がかからない工夫が随所に見られその合理性の徹底振りが伺える。

あるフランス人は、メインディッシュの付け合わせのポテトを皮付きのまま茹でて大皿に盛り付けて振る舞った。お客は、ポテトの皮をむく作業をしてから、食事に取りかかったのである。

しかし、皆で芋の皮を剥きながら会話が弾み、ちっとも不快な気にならないのは不思議である。もてなす側の暖かい気持ちが伝わるからなのだろう。

片付ける段になると、奥さんと旦那さん(子供が大きい場合は当然子供たちも労働力として駆り出される)が、皿を台所に持っていき、残った残飯をゴミ袋に入れて、おおざっぱにサッと水を流して洗浄し食洗機へセットする。

お客とおしゃべりをしながら自然にスムーズに片付け作業が流れていく。ホストは食器が全部セットされたのを見計らって食洗機のスイッチを入れるだけなのである。

頻繁に友達と食事を楽しむ文化が、これらの合理的な仕事の流れを作っているのだろう。「お客を招待して終わったら疲れ果てていた」では長続きしないし楽しくもない。

料理のメニューもしかり、フランスの家庭料理には(私の知る限りでは)凝ったものはなく、煮物、オーブンを用いたローストもの等の一気に大量に作れる料理が比較的多い。

日本料理の定番アイテム、茶碗蒸しや刺身、見かけの良いちょっとしてつまみ等、振る舞う側の奥さんは、とてもではないがお客との会話が楽しめそうにない。これでは、人を招待することに対して、現代の奥様たちの不平不満となるのは致し方ないと思われる。

フランス家庭の食文化に触れた私の奥様は、この合理性に触れ、すっかりそれをマスターし取り入れている。したがって、我が家の食事は至ってシンプルだが(そんなに苦労していないのに、悔しいが)招待客にはすこぶる評判がよい。

材料は日本のものだが料理の方法や香辛料の使い方が異なっているので、結果として招待客の食べたことの無い料理が出てくるのも評判の良い理由の一つだ。してやられたりである。

料理の話題なので、ついでにキッチンについての疑問にも触れてみる。フランスに住んでみて驚く(アメリカでもそうだが)のは、キッチンのシンクが非常に狭いことである。

日本では、どちらかというとシンクは広めで、奥様方の選択も広めが好まれるという。日本のシンクが広いのは、シンクで食器を洗うという作業が頻繁に行われるからではないか。

洋食文化では食器を洗う作業は食洗機が分担している。日本にも食洗機が普及し多くの家庭で利用されているが、それでもシンクが広い。

これは、未だに食器を洗うという手作業が残っているということで、食洗機では良く洗えない食器があるということではなかろうか。

フランスの食事に用いる食器は皿が主である。もっとも底の深いスープ椀やコーヒーやワインなどの飲料に用いる器もあるが、これらの食器は、基本的に脂などの頑固な汚れが付き易い食材を入れない。

だから食洗機で十分綺麗に洗浄できる。そもそも食洗機は水圧と洗剤の洗浄力で汚れを落とす機械なので、比較的洗浄しやすい食器を対象としている機械である。

実際に食洗機で日本の食器を洗ってみると、日本の食卓を彩る細々とした小さな、多様な形の器を完璧に洗浄するには限界があるようだ。

日本食では、これらの食器を手で洗う必要があるので、広いシンクが必要なのだ、と勝手に分析している。





第47話 愛称(名前)

コンピュータの心臓部であるCPU(中央演算装置)の名前にいろいろな呼び方があって以前から、いったいどのように命名しているのか疑問に思っていた。

ワインの勉強をしていると似たような名前が出てくることに気が付いた。例えば、パロミノ、メンドシノ等である。

パロミノはスペインで作られるシェリー酒の原料になるブドウの種名である。同じくメンドシノはアメリカのカルフォルニア州ノース・コーストの高級ワインの産地である。

なかなか粋な命名であると思う。CPUの製造では世界的シェアを誇るインテル社の開発責任者はきっとワイン好きのセンスある人であろう。

フランス人も愛称や呼び方に同じようなセンスを持ち合わせているようだ。会社の関係でフランス製の機械や部品を取り扱うが、その機械の呼び名にセンスの良さが光る。

例えば、トボガン(toboggan)。元々の意味は「すべり台」である。湾曲した管状の部品名称であるが、その曲がり方がすべり台のなだらかな曲線の形に似ていることからこの名称が付いているらしい。管の曲がり方は何とも表現が難しいが、微妙な曲がり具合を表現するのに「すべり台」はピッタリだ。

ナセル(nacelle)というのもある。物品を移動するためのカゴ状の入れ物のことである。元々の意味は「ゆりかご」。物品を移動するためのカゴに、このような優しい名前を付けると無味乾燥な機械にいくばくかの優しさと暖かさが感じられるではないか。

このようなセンスは是非見習いたいものであると思っている。

それにしても、日本の製品にフランス語の名前を付けて、何となくフランス風のセンス良さをアピールしているつもりになっている安易なフランス語依存は如何なものか。

以下、アパートの名前について幾つか例を挙げてみる。

「ラ・パルフェ・ルミナス(完璧な光)」、「メゾン・ド・イール(ウナギの家、しかもウナギは英語)」、「レゾン・ド・デテール(詳細な理由)」、「フラット3(アパートのことをフランス語でフラットと言うが、これはサッカーのディフェンスの形?!)」、

「プチ・セレブ(小さい(チョット)セレブ)」、「ラルク・アン・シェル(歌手にもいるが虹という意味)」、「プチ・マンション(英語とフランス語がごっちゃ)」、

「メゾン・ド・レジデンス(家の家?)」、「フォワイエ・デ・フィーユ(女の園って一体どんなアパート?!女性専用?)」、「グラーサ・グランペール(おじいさんのおかげ)」、「アムール・○○(愛の○○)」等々アパートの名前だけでも枚挙にいとまがない。






第48話 フランス人の名前

皆さんもお気付きだろうがフランス人のファーストネームは同じ名前が多い。

日本の太郎、次郎ではないが、例えば、女性の場合は、エマ、マリージェーン、カトリーヌ、イザベル、ジャクリーン、サラ、アンヌ、ジャンヌ、サンドリーヌ、フローレンス等々、男性の場合は、ジャック、ミッシェル、ピエール、フィリップ、フランソア、アラン、ベルナール、ダニエル、トマ、クリストフ等々。

仕事仲間では、ムッシュー○○などと名字は呼ばずにファーストネームで呼ぶので、「ジャン」と呼ぶと何人かが振り返る。(目上の人あるいは上司に対してもファーストネームで呼ぶ、私などは、上司や年上の人に(馴れなれしく)ファーストネームで呼ぶのは何となく抵抗を感じるのだが・・・。

ファーストネームについて同じ名前が多い理由は、以前、カレンダーに載っているキリスト教の聖人の名前からファーストネームを付けるのを義務づける法律があったからなのだそうだ。限られた聖人の名前から引用しているので似た名前が多くなる。

ちなみに人気の名前は、男性1位ジャン、女性1位マリーなのだそうで、それぞれ100万人を超える。キリスト教で最も知名度の高い名前だからなのだそうだ。

したがって、個人を区別するためにフランス人は皆戸籍上の名前を3つくらい持っている。余談だが、正式な書類には戸籍上登録した複数の名前を全て書かなければならないかというと、そこは合理的な国民らしく省略が可能であるらしい。

名前の最初につく「DE」が付く名前がある。名字の最初につく「DE」は、先祖が貴族であった事を示す。もっとも、名字の前にこの「DE」が付いている人すべてが元貴族ではなく、自分で勝手につけた輩もいるのは、大名の由緒ある名前をチャッカリ拝借している日本人が居るのと同様である。

フランス人にとってはお祝いをする機会が、自分の誕生日とカレンダーに自分の名前が載っている聖人の日の2回あるということになる。おめでたいことは何度やっても構わない。当然、回りも誕生日とファーストネームの祭日を覚えておいて「おめでとう」と言う。

花屋さんも、商魂たくましく、店先に「今日は誰々の日」と書いた紙を張り出している。

ただ「おめでとう」言い方は異なっていて、誕生日は「Bon Anniversaire !(ボナニヴェルセール)」、ファーストネームの祭日は「Bonne Fete !(ボンヌ・フェット)」と言う。

さすがに最近は聖人の名前に縛られないファーストネームも多くなってきた。フランスでも流行があるようで、最近のランキング1位に輝いたのは、女性ではエマ、男性ではエンゾーだった。

ちなみに日本では、女性1位「陽菜」、男性1位「翔」であった。

それにしても、名前には懲りたいのが親心だが、読み方が難しかったり書き方が難しかったりで子供が迷惑しないような名前を考えたいものである。





第49話 フランスの自動車

瀟洒でハイセンスなデザインや小粋さ等々、フランス車には他国の車の追従を許さない魅力がある。

特に、国土狭い日本の事情を踏まえると、小粋なフランス車の合理的な設計思想は日本車にも見習うことが多々あるような気がしている。

そんな事情からか日本でもフランス車のファンが非常に多い。

しかしながら、私の経験から敢えて苦言を呈すると次のようになる。

まず、良く壊れる。これは日本車との比較でである。裏返すと如何に日本車の品質が優れているかということで、機械部分はもちろんのこと電気系統でもその信頼性は非常に高く殆ど壊れることがない。

相応の寿命期間内に部品を取り替えることで10年以上問題なく現役で走り続ける。部品の寿命以外でのトラブルがほとんどないのが最近の日本車の世界的評価である。

一方、フランス車は、多少、設計にユニークなところがある分、調子悪くなることが多いと感じる。友人のシトロエンBXのエアサスなどは、しょっちゅう壊れていたことは「フランス語」で以前紹介した。

そんなこんなで、日本でフランス車に乗ることを考えると、ディーラーの数も限られていること、ユニーク設計による特殊部品は全て輸入品なので取り寄せるのに時間がかかる、コストが高くなるなどメリットはほとんどない。

敢えてメリットというと、フランス好きの女性(巷には意外に多い)を引っかけることを目的にしている一部の男性諸氏にしか無いのではと思ってしまう。

フランス車の名誉挽回のために敢えて付け加えると、確かにシートの出来はすばらしい。自動車専門誌をみても一様に評価が高い。少し堅めで長距離を運転しても全く疲れないのである。

ヨーロッパは大陸でつながっているため車を使った旅行では、1日、4〜500kmは軽く走る。長時間快適に運転できるニーズは必須なのだ。

ヨーロッパ車の特徴であるが、当然、左ハンドルが多い。イギリスは右ハンドルで、テニスの全仏オープンと全英オープンをハシゴするときは左右逆転するので大いに注意が必要である。

ただし、シフトレバーのシフトの順番(H型)は共通なので、最初は大いにとまどう。

それとペダルの位置が多少車のセンター側に寄っている。すなわち真正面を向いて運転しているのではなく、ほんの少し車の中心に向いて運転するのである。これは小型車が多いせいか、前輪が室内に出っ張ってきているためと推察している。ただし、車の専門家でないので正しい評価なのか分からない。

それから、アウトバーンに代表されるように、高速道路が整備されているせいか、ギヤ比が少し高めに設定されている。特に3〜4段目のギヤで運転すると、ヨーロッパ車は力が無く(かなりのスピードを出して回転数を上げないとトルクが出ない)、日本車は力がある。輸出されているヨーロッパ仕様の日本車も同様である。

オートマチックが少ないのも特徴だ。ごく一部の金持ちしかオートマチック車を所有していない。

バンパーのあちこちに傷がある(縦列駐車をするときに前後の車にバンパーをぶつけて割り込むために付けた傷)小さい軽自動車のような小粋な車(ルノーが多い)を、クロワッサンやパン・オ・レザンを口にくわえ、シフトレバーをカチャカチャやりながら、ロン・ポワン(ラウンドする信号のない交差点)の中で、右側の優先ポジションを確保しつつ数十台の自動車を切り抜けていく美しいパリ・ジェンヌ。朝のパリの日常的風景だ。

ところで、燃費を言うのに日本では「リッター○キロ走る」というようにリッター当たり走る距離を目安にする。一方、フランスは100km当たり何リッター消費したかで燃費を語る。これなどは、習慣の違いとはいえ、長期滞在する人にとっては少々面食らうところではないだろうか。

「郷に入っては郷に従え」であるが、ちょっとしたことで行き違いがあり神経質な人はストレスを感じる。これも海外生活での一つの新しい発見と前向きにとらえて、ストレスを感じないように工夫することが長期海外生活をする場合のコツである。





第50話 日本サッカーの弱点

サッカーについては全くの素人でうんちくを語る資格はないと思っているが、フランス人と一緒に仕事をしながら文化の違いが分かるにつれて、日本のサッカーが弱い理由が分かったような気がする。

したがって、記念すべき第50話では敢えてサッカーを話題にしようと思う。

Jリーグが出来て早14年になるが、ご存じのように日本のサッカーはまだまだ世界に通用しない。たったの14年では、歴史ある海外のチームと比較すること自体無理なのかも知れない。個人的にはもっともっと強くなって欲しい。素質ある選手もたくさん居るのだから。

確かにJリーグが出来て日本のサッカーのレベルは格段に上がった。組織的なプレーに関しては、かなり完成度の高い部分も見られる。監督も海外から招聘し、積極的に海外の高度な技術を導入している。

また、海外で活躍する日本人選手も出てきて、中村選手などはレギュラーとして立派に通用している。

日本のサッカーチームを評してよく言われるのは、「決定力に欠ける」という点だ。確かに、海外チームとの試合をテレビで見ていると、ゴールまでは押し気味にボールを運ぶが、シュートの数が少ない上に決まらないことが多い。

フォワードの力不足が素人目に見ても明らかである。この現象を、日本文化に接したフランス人に聞いてみると、「文化の違いだ」という答えが返ってくる。彼らは日本に5年以上住み私たちと一緒に仕事をしている関係で、日本人の考え方を仕事を通じて彼らなりに理解している。したがって、彼らの言う理由の信憑性はかなり高く、なるほどと思う。

例えば仕事上の話であるが、日本側が何か決断をしなければならないとき、しかもその決断が大きければ大きいほど躊躇する。決断をする権限を持っている人でさえ「チョット待ってくれ」と言って、組織と相談した上で決断をする。

これはサッカーで例えると、敵陣に組織力でボールを持ち込み、ゴールを狙う最後の「要」であるフォワードにパスをした後、フォワードのシュートがなかなか決まらないことに似ている。

サッカーのフォワードに要求される決断力は、フォワード自身の責任で、その動物的感覚を拠り所に即シュートのコースを読み、確実にゴール内にボールを運ぶことである。フォワードが「チョット待ってくれ」と言う暇はない。

フランス人に言わせると、フォワードが最後の砦で、自分自身の判断と責任で突き進むという所作は、日本人に向かないそうだ。文化とそれに育まれた国民性では無理なのだそうだ。

日本サッカーが抱えている決定力不足は、日本人としてチームを構成している以上、練習で解決できる問題ではないと言うのである。彼らの指摘は的を得ていると思う。

フランス人は、それぞれの職位で責任を持って(的確かどうかは別として)判断を下す。それが正しい判断でも間違った判断でも、異論を唱えず皆がそれに従う。その代わり、職位の持っている責任は重い。責任の重さは当然であるがサラリーに反映されている。

アメリカでは、貧富の格差が広がりすぎるとの指摘があるようだが、責任の重さに比例してサラリーを決めるという発想は、得てして高額のサラリーを生み出し、さらには、転職が多い習慣を作り出している。フランスもしかりである。上位職の判断に下位職の人たちは、決して異論をとなえず忠実に従うのである。

フランス映画に描かれている政府高官は、一様に皮肉っぽく描かれているものの皆大金持ちである。

さらに言語自体の持つ特徴もフォワードの善し悪しを特徴付ける。

フランス語の通訳さんも言っていることであるが、フランス語は敬語や謙譲語が無いので自己主張しやすい。だから、日本語を話すときは優しい性格になるが、フランス語を話しているときは攻撃的に変身するのだそうだ。

サッカーの優れたフォワードは、自分の責任によって独自判断するという文化的背景に育てられた全フランス国民から選ばれるのである。日本がかなわないわけである。


第51話 日本人が自然に敏感な理由

JAL機内誌SkyWordの12月号に連載されている養老猛のエッセイの中に、日本人が他の国民に比べ自然に敏感な理由を面白い観点から分析していた。

日本人は、雪の平原の中にポツポツと新芽を見つけては生命力の神秘さに感動し、春に咲く道ばたの小さな花に春の訪れを喜び、青々とした雑草の生命力に初夏を感じ、モクモクと拡がる入道雲に夏を感じ、紅葉に秋を感じる。

私のような雑な人間でも自然の変化に気付く位なので、確かに日本人は自然に敏感なのだろうと思う。また、身の回りにいるフランス人に目を向けてみると、この機微な感覚は全く無いように思える。とはいえ、フランス人を弁護するわけではないが、フランス人は自然をこよなく愛する国民である。例えば、散歩がとても好きである。家族とともに何も無い田舎に毎週末足を運ぶ。自然を愛する彼らの純粋な姿勢が散歩へと導く。小さい頃から散歩に付き合わされた結果、フランス人に染みついた国民性となったのであろう。しかし、こんなに自然を愛する一方、自然の変化に敏感かというと、どちらかといえば鈍感の部類にはいるのではないだろうか。

仕事で日本に数年生活している彼らは、自然に敏感な日本人と付き合うことによって日本の文化に触れ、それなりに理解しているように思える。例えば、京都が好きで何度も訪れているフランス人は、季節の違いによって景観の趣がずいぶん異なることに気付き、そのことを興奮気味に話してくれる。

養老猛は、まず、日本には四季があり気候の移り変わりが明確であることを上げている。日本の春夏秋冬は、北と南の差こそあれ、季節によって特徴がはっきりしている。

次に、自然災害が多いことを上げている。何となく自然災害が多いことは知っていても、実際の数字で認識している人は少ないだろう。地震大国の日本は、日本以外の国の平均に対して2割程度地震災害が多い。また、地震の原因の一つである火山も多いことから噴火による災害も1割程度多いらしい。結果として、自然災害のリスクは、他国の平均より数10パーセントも高い。したがって、自然を意識せずにはいられないという分析なのである。

一緒に仕事をしているフランス人は、最初に日本で地震を体感したときに、いったい何が起こったのか想像が出来なかったという。フランスでは地震は滅多にない。したがって、建築物の耐震設計も日本より遙かに簡易である。(日本で生活するフランス人にとって)頻繁に起こる地震は、自然に関心を持たせることとなり、最近では自然の移り変わりを挨拶代わりにするようにさえなった。「郷に入っては郷に従え」ということか。

一般に、自然の変化には無関心なフランス人であるが、ファッションなどの人の容姿の変化には、冬でもカフェの外のテーブルに好んで座って人の品評をするほど敏感である。






第52話 フランス人の送別会

今年いっぱいで一部の契約が終了することから、親しく一緒に仕事をしていたフランス人との送別会が行われた。クリスマスを前に彼らは帰国する。内々で行うプライベートなものなので、送別される人は数人とこぢんまりしたものだった。

彼らが気に入っている日本食の店(内装、食器、店員の服装等は、それなりに洗練されている。座敷も掘り炬燵のようになっていてイスに座っているように食事が出来るのでアメリカ人にも人気。)で、日本食を中心にフランスの習慣を取り入れながらの一風変わった集団の飲み会であった。

「一風変わった」点は幾つか有る。

まず、お酒のオーダーの仕方だ。日本では、「とりあえずビール」を合い言葉に始まる(最近は、そうでもないらしく、お陰でビールの売れ行きが減少しているらしい)ことが多いが彼らはフランス流を通す。フランス料理は食前酒から始まる。フランス料理屋ではないので、食前酒を想定したものはない。したがって、彼らはストレート(氷などは入っていない)ウイスキーを頼む。

そもそも、食前酒とは食事の前に飲むお酒のことで、フランス語でアペリティフということは皆さんもご存じだろう。目的は、食欲増進、初対面の出席者どうしの会話を弾ませるきっかけ等々にある。だから量も少な目、代表的なアペリティフ、ジン&ビターズ、キール、シャンパン、ウイスキーなどは日本でも良く知られている。日本でも採用例があって、かなり前から天ぷら料理や会席料理には、食前酒として梅酒が用いられている。

さて、「食前酒は何にしますか?」と尋ねられたら、私の場合、あまり高級でないカジュアルなときは「キール(カシス酒+白ワイン)」、高級で正式なときは「キールロワイヤル(カシス酒+スパークリングワインorシャンパン)」を注文することにしている。変に気取って見えず無難な選択である。

少しフェイントをかけるときは「パスティス」と言ってみるのも一案だ。パスティスは、薬草を原料とし強烈な香りと味を持っている。黄色い液体であるが水で割って飲み、水を注ぐと乳白色に変わる。歯磨き粉のような味がするが飲み始めると芋焼酎のように癖になる。

次に彼らが注文するのはビールだ。日本のビールは競争が激しく品質が高いためか、外国人にとってすこぶる美味しいらしい。反対にフランスで販売されているビールは最悪である。まずくてとても飲めたものではない。フランス人は日本のビールを非常に高く評価している。しかし、フランスでは食事中にビールを飲む人は少ない。

さすがにワインは注文しない。ワインは、日本酒と違って食事を引き立てるバイプレーヤーである。ワインを注文しない理由は、日本食に合うワインを、日本食に詳しくない彼らは選べないからである。フランス料理に合うワインを上手に選択できるソムリエがいる日本のフランス料理店はフランス人に人気である。青森地区のフランス料理屋は長年住んでいる私より遙かに良く知っている。東京のミシュランが出来る前から、彼らは青森版裏ミシュランを作っているのである。

蛇足であるが、フランス料理に合うワインを無難に選ぶコツは、料理とワインの産地を合わせることであると教わった。満点ではないが、そこそこ大きく間違うことはなく、とりあえず合格点は取れる。(でも、最低限、その料理が有名な地方とその地方のワインの銘柄を知っておく必要があるのは当然で、やはり知ったかぶりをするのは大変である。「知ったかぶり」に王道は無いのである!?)

刺身にはすっかり親しんでいるフランス人でも食べない刺身がある。いわゆる青物と称するサバの類である。彼らは決して手を付けない。納豆などのネバネバ系も好みではないようだ。漬け物も苦手のようだが、あれだけ臭いチーズを好む彼らを見ていると不思議な気がする。

鍋物は大変気に入っている。フランスに帰ってもきっと鍋を流行らすに違いない。その証拠にカセットコンロと平鍋を買い込んで持って帰るフランス人が多い。気に入っている点は、「簡単」、「美味しい」である。合理的なフランスの国民性にピッタリだからだろう。

フランス文化に裏打ちされたフランスの習慣を固持すると思われがちなフランス人だが、私が付き合った(一部の)フランス人は、誰よりも日本の文化、日本人の考え方、習慣を理解し多くを学んでいる。きっと日本の良いところ悪いところを理解した上で、フランスへ戻った後も取り入れるべき多くの日本文化を持って帰るに違いない。

特に、物事を進める上で皆の合意を取るやり方は「すばらしい」との評価が高い。(ただし、時間がかかるのが欠点)一握りのエリートによりコントロールされているフランス社会に、是非、一石を投じて欲しいものである。

もちろん、私が学んだこともある。個性を大事にするという文化である。日本の社会、特に地方では、「出るクギは叩く」的な保守的思想がはびこっている。特に、学校教育の面では、先生に逆らわない、いわゆる「お利口さん」が大事にされ、個性豊かな生徒は潰される傾向がある。一様な平均的人間を作るよりは、生意気だが光るものを備えている人材を伸ばしてやる環境が、国際社会を乗り切る日本人(サッカーにおいて望まれる強いフォワードが良い例)を作るために必要である。フランス人のユニークさや個性を伸ばすという教育方針により、個人を尊重する文化が根付いている様子は見習うべきだと思っている。

個人を尊重する個人主義の国で人のことは無関心と思いきや、意外なのは個人への興味が人一倍強い点である。ファッション性に優れているのは、常に個人への興味を持ち続けるからなのではないか。見習いたいものの中に彼らのセンスの良さは重要なポイントである。

日本を去るに当たって彼らが一様に口にした言葉は「もう一度日本に来たい!」であった。一緒に仕事をしてきた仲間に贈る言葉としては、これほど嬉しいものはない。私も「きっとまたフランスに行きたい」と思わず言葉を返していた。国民性の全く異なった民族であるが友情は確実に存在するのである。

一つの契約が終わったがフランス人と一緒に仕事は続けていくので、「フランス語」の連載は続けていきたいと思っている。皆さんに、ときどき覗いてみてくれると嬉しい。






第53話 フランス人と100円ショップ

フランス人は100円ショップが大好きである。こう書くと皆さん意外な気がするかも知れないが事実である。

100円ショップのファンには申し訳ないが、ショップのイメージは「安物買いの銭失い」である。ファッションセンスを重んじるフランス人が、いくら合理主義だからといって用だけ足りればよいとばかり、100円ショップを利用するだろうか?と個人的には思っていたが、ここ三沢の100円ショップの盛況振りは目を見張るものがある。

フランス人は合理主義が徹底しており、無駄を省きリーズナブルに生活する能力に長けている人が多い。逆にいうと「けち」でもある。当然であるが彼らのファッションセンスにもこの合理主義が徹底している。

金持ちでもない限り決してブランド品は買わない。ブランドものに手を出すときは、それが本当に良いものか、自分に合っているか、一時の流行りでなく将来長く使えるか、等々何ヶ月もかけて検討し狙いを定めてソルドと呼ばれるバーゲンの時にしか買わない。

フランス人の100円ショップ好きを聞いて、私も100円ショップに足を運んでみた。とにかくいろいろなものがあり、こんなものまであると驚いてしまった。

フランス人が100円ショップで買うものは、部屋を飾るための材料が多い。買ったままのものを飾っている場合もあるが、家全体を飾るデコレーションのスパイスとして使っていることが多い。

見習いたい例もあるので紹介する。それはテーブルクロスのデコレーションである。彼らは気分や季節によってテーブルクロスをアレンジするのが好きだ。センスの良いテーブルクロスを選ぶのはもちろんのこと、この世に売っていないオリジナルのものをセンス良くアレンジする。

この世に売っていないセンス良いテーブルクロスをアレンジするのに100円ショップを利用する。100円ショップに売っていたレイ(ハワイで首にかけるやつ)をバラして、レイについていた造花の花びらをビニルクロスとテーブルクロスの間に挟んでテーブルクロスをアレンジするのである。クロスの間に挟む物を変えれば、お金をかけずに雰囲気を変えることが出来る。季節感を出しても良いだろう。招待する人に応じたアレンジや重い/軽いの雰囲気を変えるのにも応用できる。皆さんレイをテーブルクロスの材料にするなんて、とても考えつかないでしょ!?

アレンジごとにテーブルクロスを用意するのは、お金がかかって合理的ではない。お金をかけずにセンスアップする工夫である。

100円ショップで売っているものは、そのまま利用するにはセンスレスのものが多いし、概して安物であるので壊れやすかったりする。しかし、上の例のように材料としての購入を考えると結構利用できるものが多いような気がする。

白状するが、「100円ショップなんて・・・」と思っていた私も、ありとあらゆるものが売っているので、一度足を運んでからというもの、日曜大工に使えそうなものを時々物色しに行っている。

もっとも、100円ショップはお買い得感を売り物にしているが気を付けないといけない。100円のものを10個買ったら1000円になる。買い物の仕方次第では本当に「安物買いの銭失い」になってしまうのだ。






第54話 フランス人の帰国

フランス人を見ていると、海外どこででも生きていける人が多いような気がする。

まず、気候に対する適応力がある。どんなに寒いところでも、どんなに暑いところでも平気で生きていける。ここ青森の地では雪が多く寒い。私たち日本人は外を歩くとき、ぶ厚い防寒着を着ているのに、彼らはティーシャツに上着一枚しか着ていない。皮下脂肪が多いのかどうかわからないが寒くないのである。

次に食事にも適用力がある。グルメを自称してはばからないフランス人だが、基本的に何でも食べる。食わず嫌いはなく、とりあえず食べてみて自分の好みに合えば問題なく食べ続ける。

確かに納豆のようにどうしても食べられないものもあるが、日本人のように海外旅行をしていて、味噌汁、ご飯や漬け物がないとだめだということはない。

次に地元の人たちとのコミュニケーション力に優れている。日本語を教わっているわけではないが何とかコミュニケーションを取ろうとする。仕事仲間だけではなく、近所の人、夜の蝶等含めてアッという間に友達を作ってしまう。

コミュニケーション力に優れているので、地域のボランティア活動やサークル活動に参加していつの間にか主要メンバーになっている。着物の着付けや生け花などの日本文化に対しても興味津々で、紹介もしていないのに先生を見つけてきて習っている。

次に店をよく知っている。青森にいるフランス人の間には、隠れミシュランがある。隠れミシュランには、洋風、和風を問わず彼らの調査したあらゆるレストランが載っていて、その味は保証付きである。

隠れミシュランはレストラン情報だけでなく、いかがわしい(?)骨董品屋情報も載っていて実によく研究されている。食器や蹉跌で作った鉄製品などの中には、日本人の私も見たことがない珍しいものがある。

彼らが世界中どこででも生きていけるのは、体力と適応力と情報収集力にある。

どこでも生きていけるというのは、彼らのバカンスの過ごし方や旅行に仕方にも現れる。例えばバカンスに選ぶ地域は、アフリカであったり地中海の小さな島であったり、どちらかというと未開発地域が多い。気候、衛生や安全に対するバリアは日本人ほど高くない。

昨年、仕事の契約がいったん終了したことを受けて、多くのフランス人が母国に帰国したが、その帰り方もユニークである。私の友人は、日本からフランスへの帰路として陸路を選択した。飛行機を使えば11時間ちょっと。おまけに冬なので料金は格安であるのにである。

陸路は厳冬下のロシアを通らなければならない。鉄道だってまともに動くかどうか、とにかくリスクが高い。ウラジオストック、モスクワを経由してベルリン、ブリュッセル、パリと鉄道を使い、終着駅のシェルブールまでの約10日間の旅なのである。彼は決して若くない50歳である。途中のモスクワで下車し列車とともに写っている写真をメールで送ってきた。もこもこのロシア帽をかぶってまるでロシア人のように写っていた。陸路を選択する発想もユニークな上に全くタフである。






第55話 カウンターの料理店

すし屋に代表されるように、日本ではカウンター越しに料理を楽しむ店が多くある。料理人の顔を見ながら、時には世間話しながら、出来あがったばかりの料理を食す。これって日本独特で、飲み屋やカフェならいざ知らず、少なくともフランス料理の店で見たことがない。

高いので滅多に行ったことはないが、シーフードや極上の霜降り肉を客の好みに合わせて目の前で焼いてくれる店等は、料理人の腕裁きの演出、料理途中からわき上がってくる何ともいえない香りによって料理の旨さが倍増する。

日本では、この手の店は先のすし屋、飲み屋、小さな食堂など結構有って、それが日本文化だと改めて云々する必要がないほど日本人の生活にとけ込んでいる。庶民的な雰囲気を醸し出している点で、私など大好きなスタイルである。自慢できる、こぢんまりした行き付けの料理屋を知っている人は多いのではないだろうか。

そういえば、一時期センセーショナルに報道されていたが評価の分かれる「東京ミシュラン・ガイド」には、この「カウンター」の有無が記号で記載されているそうだ。カウンター越しに食事をするというスタイルは、今や一つの文化になりつつあるようだ。

フランス料理の店は、料理をしているところを客に見せない。どんな料理が出てくるか楽しみを残しておくといった意味が有るのかどうかは定かではないが、てんてこ舞いの調理場は見せてくれないのである。

JAL機内誌SkyWardにおもしろい記事があった。パリ官庁街7区(日本で言うところの丸の内)にあるカウンター越しを楽しむレストランの紹介である。

紹介されていた「あい田」は小さなカウンターしかない店だが結構フランス人の固定客が付いていて人気らしい。筆者が、毎週一回この店に訪れるフランス人夫婦に、この店にくる理由を聞いたら、「私たちは、日本料理はあまり好きではない。でも目の前で材料を確かめながら、焼き加減に注文を付けながら食べる料理スタイルが気に入っている。」と答えが返ってきた。

高級なフランス料理店の中には、材料を客に見せて、この肉を料理するといって厨房に籠もるシェフを見たことがある。でも、本当に客に見せた材料で作っているかどうかは分からないではないか。

目の前で料理をすると、間違い無く見せた材料で料理していることが分かるので、品定めと料理法への注文が付けられるのである。なんと、その客の商売は、パリの一流レストランに肉を卸す仕事だった。こう言う人種は材料にこだわりが有るので、このような店を好むのだろう。

いずれにしても、パリの中心街に進出している日本料理店はこぢんまりしている店が結構多い。欠点は結構値段が高いところだろうか。

フランス人の食へのこだわりは、やはり生半可なものではないようだ。







第56話 お金がなくても平気なフランス人

「お金がなくても平気なフランス人、お金があっても不安な日本人」

ずいぶん長いタイトルの本である。フランス生活20年の著者の話は、さすがになるほどと納得することばかりである。

この手の本は、フランスを知らない人や訪れたことがない人にとって少々鼻につく場合がある。それはフランスに住んだことのある人の優越感が見え隠れしているからに他ならない。

しかし、誰だって外国に住み始める人は、最初は異文化社会に飛び込んで恥をかき、とんでもない失敗をして大いにアタフタしたにちがいないのだ。

しかし、この本は、日本を本当に好きな作者が、たまたまフランスに長い期間住んでみて、愛する日本も見習うべきことが多々あると主張している。だから好感が持てるし嫌みのないすばらしい本だと思う。

作者は本の中で、ちゃっかりフランス人に散々利用される羽目になったことを告白しているが、持ち前の大らかさでフランス生活をエンジョイしている。そんな作者の人柄も好ましい。

さて、本題に戻るが、「自分の欲しいものが手に入らないので満足できない」と思う発想は、日本人誰しもが持っている感覚だと思う。欲しいものが手に入らないと、お金がないことを嘆き、それを買うことのできる人を羨む。

だが、考え方を変えてみよう。本当に自分が今ほしいと思っているものが無いと生活できないのか、別のもので代わりにならないか。「お金がなくても平気なフランス人」は、いったいどういう発想をしているのか大変興味あるところである。

そこには、「あるものだけでお金をかけずに楽しく生活する」というフランス人の国民性があり、その発想は私たちが学ぶべきものなのではないだろうか。

この本は、そのフランス人的発想の秘密を公開している。その秘密は、幼い頃からの教育方針にさかのぼる。

フランス人の家庭では日本に比べると、子供に対する教育は大変厳しい。男児は男性として女児は女性として生まれ落ちたときからしつけられる。また、「頭のいい成績優秀な子」に育てるよりは、「どこででも生きていけるような、たくましい子」を育てることに重点を置く。

そのためか「もったいない」という感覚を幼少の頃からたたき込む。ご存じのようにフランスの義務教育には、親はいっさいお金を払う必要はない。それは、学校で教科書、ノート、鉛筆など必要なものは全て配られる。でも教科書を含めた文房具は、卒業した生徒に使っていたものなのである。

フランス人は小さいときから、徹底してものを大事に使い切る教育をたたき込まれているのである。「大したお金でないから新しいものを買おう」という発想をしないのである。

したがって、欲しいという欲求が無い上に、自然とあるものを使い切ることになる。皆がそうなので比べる相手も居ないことからストレスにつながらない。

「節約上手」は「賢い」につながり、むしろ尊敬のまなざしで見られるのである。お金がなくても、気持ちの持ちようで心は豊かになり、ちょっとした工夫で、お金持ちより遙かに優雅な生活ができるのだ。

お金をかけなくても小さな感動や幸せというものはいたるところにあるもので、それを感動や幸せと思えるか、なんでもないことと捕らえるかは本人の気持ち次第である。

是非、私たちも見習おうではないか。人生、100倍楽しくなるに違いない。







第57話 「節約」が美徳とされるフランスの文化的背景

第○○話や第○○話で紹介したように、フランス人はケチで節約家である。どうして彼らがこのような国民性を持つのか、私なりに分析してみた。

 

虐げられる子供たち

フランス人の子供に対する教育方針は、私たち日本人から見ると実に厳しい。

赤ちゃんの時代から母親の側で寝ることは許されないし、もの心ついてからは夜更かし厳禁。

深夜まで頻繁に行われるパーティーでは、手伝いこそさせられるが、用が済んだら自分の部屋に引っ込んで、果たしてごちそうにありつけているかどうか定かではない。共働き夫婦が多いせいか小さい頃から家事をさせられる。

言うことを聞かなければ容赦なく手がでる。日本では昔話になって久しいが、日常茶飯事に厳しいしつけがなされる。フランス人の家に行って驚くことは、人が来ていようがいまいが、かまわず叱りとばす。そのすさまじさといったら想像を絶する。どんなに泣き叫んでも、はり倒す、引きずり回す等々、まことに手厳しい。

これは、フランス人が、「人間が生まれた落ちた時から、大人のミニチュア版」であるとの、むしろ子供に対して尊厳を持って育てるという教育方針に根ざすところが大きいのではないかと思っている。

母親のおなかにいる時から、既に大人のミニチュアと考えられ、「〜らしさ」を身につけることにとてもこだわる。ある母親曰く、「人間は生まれながらにして悪いから幼いうちに鍛えなくてはならない」だそうだ。

そこには「頭のいい従順で成績優秀な子供を望んでいるのではなく、バランスのとれた、モノがなくたって、どこででも生きていけるたくましい人間になって欲しい」と願う親心が見て取れる。

 

したたかな子供たち

恐ろしい親に育てられるフランス人の子供は、だからといって萎縮しているわけではない。

日本に帰国して私の子供たちも高校生になりベビーシッターを頼まれる年頃になると、夜遅く大人の時間を楽しむ習性のあるフランス人は、こぞってベビーシッターを頼んでくる。

私の子供たちも、稼ぎになるので暇なときはできるだけベビーシッターを引き受ける。ところが、日本人の感覚で預かった子供たちにやさしく接していると、フランス人の子供になめられるのである。

日頃、厳しくしつけられている子供たちは、一端「怒られない」と悟ると始末に負えない。夜遅くまで起きているし、とにかく傍若無人に振る舞い家中散らかしまくる。ここぞとばかりに日頃の鬱憤をはらすのである。フランス人の子供たちは、親の望み通りに「どこででも生きていけるたくましい人間になって」いるのである。

これに懲りた私の子供たちは、初期の頃はヘトヘトになって帰ってきたものだが、そのうち厳しく毅然と接する対応策をマスターしたらしく、寝るべき時間がくると預かった子供たちをさっさと寝かせ付けて、勉強や読書などベビーシッター中に自分たちの時間を作りだしているのだった。

 

つましい学生生活

小・中学校の義務教育は完全無料、教科書や文房具はタダで支給される。ただし教科書は新品でなく、何人もの生徒に使いまわされた代物である。生徒が使っている鉛筆やクレイヨンは、手垢が付いていてほとんどが短い。

義務教育では、古くても使えるモノは使う、モノを大切にするといった考え方をキッチリ身に付けさせる。

そんなだから、18歳になり選挙権でも与えられると、もう立派な一人前の大人と見なされ、たとえ学生を続けるとしても親から援助はストップ、奨学金を受けて通い、きりつめた必要最低限の生活を送る。

 

「貧乏」と「節約」

日本では、物質的に恵まれていない人のことを「貧乏人」と言っていることが多い。私たちは、豪邸に住み高価な調度品に囲まれ、運転手付きに車に乗っている人たちのことを「貧乏人」の対局としてイメージする。

「お金がない」→「貧乏」→「耐乏生活」という構図は、日本にあってフランスにはない。

フランスでは、「お金がない」→「幸せな人生を送るにはどう工夫するか」→「節約」→「しっかりもの」という構図になっていて、「貧乏」な人でも皆幸せそうである。「節約」は、むしろ美徳とされている。

お金がなくても、気持ちの持ちようで心は豊かになり、ちょっとした工夫で優雅な生活ができるのだ。

 

マルシェが廃れない理由

フランス人は、毎週決まった曜日に決まった広場や大通りにたつマルシェに買い物に行く。そして帰りに近くのカフェでエスプレッソを飲みながらおしゃべりをしてくつろぐ。

マルシェでは果物一個でも買えるので、食べる分だけ無駄なく買えるメリットがある。スーパーマーケットでは、ある程度の分量があらかじめパッケージされていて、売る方からは効率的かもしれないが、買う方からしてみれば買いすぎる場合が多く、中途半端な量の食材が冷蔵庫にあふれることになる。

効率化の波は、フランスでも例外ではなく、都市の郊外に大型スーパーマーケットが次々に建設されている。だが、スーパーマーケットでも量り売りは健在で、セルフサービスにて必要な分量だけ買うことができる。

マルシェで売っているものは、農家の人が、漁師さんが直接持ってきているものが多いので、新鮮であることは間違いないが、安いかというと効率化を追求したスーパーマーケットに比べると、むしろ高いことが多い。

だが、何故、マルシェが廃れないのだろう。

マルシェには、コミュニケーションを通じて人生を楽しむシステムが有るからなのだと推察する。

 

便利追求を加速してできあがった砂上の楼閣(豊かな生活)

フランス人は合理性は追求するが便利さの追求には日本人ほど固執していないように見える。その証拠にフランスにはコンビニがない。性能の悪い自動販売機の話や設置台数の少なさについては第19話で述べた。

便利を追求することで、便利さを提供してくれるモノがないと困るという危機感をあおり、なければないなりにどうにかなっていたものまで必要不可欠だと錯覚してしまっている日本人。

生活の中の創意工夫を他人任せにし、便利さを追求する知識はあっても、日々の生活を幸せに暮らすための工夫を止めてしまった日本人が増えているのではないだろうか。

 

人生は楽しむためにある

「人生は気持ちの持ちようで幸せにすることができる」というフランス人の人生観は、日本人が古くから大事にしてきた「もったいない」という感覚に似たものがあり、忘れていたものを思い出させてくれる。

お金をかけなくても(小さな)感動や幸せというものは、いたるところに転がっていて、それに感動するかしないかは本人の気持ち次第なのである。







第58話 バイリンガル

仕事の関係でフランスにしばらく住んでいたが、フランスの田舎に住んでいたので日本人学校など無かった。そのためフランスの小学校と幼稚園に子供たちを入学させた。子供たちが大きくなって、その頃のことを聞くと、ずいぶん「辛かった」そうだ。

しかし、フランス語など全く知らなかった子供たちは、帰国する頃にはフランス人と全く遜色ない発音とコミュニケーション力を身に付けていた。まさにバイリンガルである。

だからといって、彼らはフランスに居たときフランス人だったのだろうか。否である。確かに(外見は東洋人だが)フランス人に混じって遊んでいる様子を見るとフランス人そのものといってもおかしくないくらいフランス人っぽかった。だが、ものの考え方は日本人であったのだ。

イギリスを旅行した折、すてきなB&Bで外見はどう見てもイギリス人だが日本語を流暢に話す女性に出会った。

彼女は、いわゆるバイリンガルであった。おまけに、ヨーロッパの他の国の言葉は語源が同じということもあり、それ以外の言葉も話せ、いわゆるマルチリンガルであった。

彼女曰く「そもそも、バイリンガルというのは、この世に存在しないわ、どんなに複数の言語を上手に操る人でも、バイリンガルでものを考える人は居ないから」であった。

さらに「人間のものの考え方は概ね3歳頃までに形成されるので、その年頃までは一つの国でしっかり育てなければならない」と話していた。

「運悪くしっかりとものの考え方が身に付く時期に複数の国で生活すると、人間性があやふやになってくる」と言うのだ。確かに一理ある。

最近「語学を身につけるのは小さい頃からやるのがよろしい」とばかりに、小さい子供たちを対象にした語学スクールの宣伝が巷にあふれているが、教育熱心な親御さん、人間形成の観点からは要注意でありますぞ。

話を元に戻すが、彼女の言っていることは正しいようだ。流暢に複数の言語を操る人を細かく観察してみると、確かにものの考え方や国民性は一つである。

言語を使い分ける都度に性格が変わる人は今まで見たことがない。(私の親しくしている通訳のムッシュー・トー○ー(ゴルゴ13ではない!)は例外で、フランス語を話すときは、普段の穏和な性格が一変して攻撃的になる)

私は語学に対しては落第生だが、自分がフランス語を話すときのことを思い出すと、日本語で考えてからフランス語を口に出す。頭の構造が日本人なのである。

一見フランス人になってしまったような我が家の子供たちも、やっぱり日本人だったようだ。完璧な発音をしていたのに、今ではフランス語をすっかり忘れている。

コミュニケーションは、字面だけでは伝わらなくて、言外に「相手もきっとこう思っている、ここまで言わなくても分かっているだろう」といった文化的背景に裏打ちされた暗黙の了解を基になされている。

したがって、外交問題など微妙な問題では意志の疎通が非常に難しいのだろう。実際は文化的背景などのバックグラウンドを十分理解した上での会話はほとんど実現不可能だ。

それでも、何とかコミュニケーションが成立しているのは、相手の人間性を理解し「あの人が言うのだったら」という信頼関係があるからである。

相手に、自分の主張を理解してもらうのには、自分の人間性を磨くことが重要だと言うことかもしれないと改めて思った次第である。





第59話 フランスのスーパー

フランス語の良くできない外国人がフランスで生活を始めるに当たって、まず、住処を探すのは大前提だが、落ち着くと必要な物を買いに行かなければならない。とりあえず食料を調達するのは死活問題に発展しかねないので最優先だ。

市場や専門店で品物を購入するには最低限必要な会話があり、それすら満足にしゃべれない初心者は、おもむろにスーパーへ足を運ぶこととなる。

日本でもそうだが、「必要な物をかごに入れてレジに持っていけば適当に計算してくれ、値段はレジの機械が表示してくれる。数字は万国共通なので、その数字を読んで支払いを済ませば会話なんて一切必要ない」と考えるのである。

ところがフランスのスーパーは、入り口から難関が待っている。いったん売り場に入るとレジからしか出られないようになっている。つまり何か買わないと外に出にくい仕組みになっているのだ。

スーパーの自動ドアを抜けて店内に入ると小さなゲートあって、入る方向には動くが出る方向には動かない。このゲートは一方方向にしか開かないゲートなのだ。それは入ってからしか分からない。(後で落ち着いて観察してみると、ゲートに矢印が書いてあるではないか、がそんなの緊張でコチコチになっている初心者の目にはいるか!)実は買う物が無かったりして出ようとすると、そのゲートが開かないことが初めて分かるのである。

初めてフランスのスーパーに入る人は、この時頭が真っ白になるに違いない。まさに「あせるぜ〜!」である。あるいは気持ちに少し余裕のある気の強い人は、「フランス人ってあくどい奴らだ」なんて逆恨みするかもしれない。

しかたがないので何か買わなければならないとばかりに辺りを物色する。肉類は見たこともない物があるし、やたら量が多いので、「とりあえず初心者は避けておこう」とばかりに野菜や果物の売り場に来る。ところが野菜や果物は山積みされていていったいどうやって買ったら良いのか分からない。ここで第2の難関に遭遇する。

日本では、ある程度の量がパックになっていて、それぞれのパックにバーコード付きの値段シールが貼ってある。「そのまま黙ってレジへ持っていけば会話をせずに購入できるのに」と思いつつ客を観察することになる。「郷には入っては郷に従え」だ。

気を落ち着けて辺りを見回してみると、商品の山の横には、品物を入れるビニール袋とデジタル表示の秤が置いてあるではないか。しかも秤にはバナナ、りんご、キャベツ、といった商品の絵が張り着けてあるボタンがある。

人々は、まず自分の欲しいものを種類毎にビニール袋に詰め、それを秤に乗せて商品の絵のボタンを押す。ボタンを押すと値段が書いてあるシール(バーコード付き)がプリントアウトされ、それを商品入りのビニール袋に貼り付け、レジへ持っていって清算する。なるほどなるほど・・・

「なんだ、簡単じゃないか」と納得して、思わずニンマリ。真似してレジへと急ぐのである。それにしても生鮮食料品は、日によって仕入れ値段が異なる。ボタンに商品の絵が張り付いている機械の数字を毎日仕入れ値段によって修正しているのだろうか、といらぬ心配など出来る余裕が出てくればしめたもんだ。

また、バナナやリンゴといった明らかに認識できる物は良いが、野菜など姿形が微妙で絵では判別しにくい(この絵が実に漫画チック)物がある。安い絵のシールを貼って知らん顔すれば儲かりそうだな、などど考えるようになれば貴方は、もうフランス生活のプロ。

必要な量だけ購入すべきだというフランス人の合理主義がかいま見えるシステムだ。それにしても一見合理的なようなシステムだが、抜けているところもあったりして、オリジンがラテン系と言われるフランス人らしいところだとは思いませんか?





第60話 パンくず

フランス料理に欠かすことの出来ないフランスパン(パン・ド・カンパーニュのときもある)は、ワインと同様に料理を引き立てるバイプレーヤーである。ちょっと塩味のパリパリした食感はフランス料理に無くてはならないもの。

したがって、毎朝早起きして焼きたてのパンをわざわざ買いに行くフランス人の習性は分からないではない。パンを買いに行く店も決めていて、自分の味を律儀に守る。

日本に来たフランス人は、日本で売っているパン焼き機に痛く感動し、皆、購入してフランスへ持って帰る。(フランスには無い機械だそうだ)毎朝パンを買いに行かなくても焼きたてのパンが食べられるからである。(フランスパンも焼けるようになっているが、いまいちなので、フランス人が毎日パン屋に通う習慣は無くなりそうもないと思うのだが・・・)

ところで、食事の時にフランスパンをどうやって食べているか、と問われると明確に答えられる人は少ないと思う。

ちなみに、テーブルマナーの本などによると、「フランス料理店ではパンはお代わり自由だが、パンだけをパクパク食べるのはマナーに反する」なんて書いてある。さらにパンはそもそも「料理同士の味が混じってしまわないように食べるもの」という講釈まで付く。

しかし、フランス料理など滅多に食べない(当たり前か・・・)私などは、パンが好きなこともあって、(恥を忍んで)ここぞとばかりにパンのお代わりをギャルソンにお願いする。だって美味しいからしょうがないではないか。

それでバリバリと食べるわけであるが、フランスパンは特にパリパリしているのでパンくずが出る。それも半端な量ではない。どんなに注意しても、指でちぎり取るたびにパラパラと際限なく目の前に拡がっていく。

厚顔無恥な私でも、さすがに最初どうも気が引けて、テーブルを散らかすのが恥ずかしかった。が、フランス人と食事をするようになって、よくよく観察してみると「な〜んだ」である。彼らだってパンくずを散らかしまくっているではないか。

デーブルマナーを、したり顔で指導してくださる気取ったその道のプロに、是非その実態を見せてやりたいものだ。「フランス人は皆パンくずを散らかしていますぞ!」

ただ、散らかしまくったパンくずを頻繁に掃除に来てくれるギャルソンには申し訳ないと思う。ところがギャルソンにそっと聞いてみると、「パンくずは、たくさんテーブルの上に残して下さって結構です。テーブルの上のパンくずを掃除しに行った時、パンくずが一杯あると取り甲斐があるので、どうぞご心配なく。」だそうだ。皆さん大いに散らかしましょう!

パンくずを取る道具には2通り有って、一つはケーキのサーバーナイフのような平たいヘラ状のもの、もう一つは中にローラーが付いていてカラカラ回ってゴミを回収する掃除機のようなものがある。どちらもポピュラーだが、前者の道具でパンくずを回収している手慣れたギャルソンの所作は一種芸術のようだ。

幅広のナイフのような道具で、すくうようにテーブル上を撫でるとパンくずが跡形もなく無くなってしまう。この所作は、ワインをサーバーしてくれるより鮮やかでスマートに見えてしまうのは私だけだろうか。で、自分でやってみても、ギャルソンほどではないが、それなりにパンくずをすくえる。

その道具のシンプルさ(原始的?!)と持っている機能を見ると、実は非常に優れた工業製品なのではないだろうかと思ってしまう。形もシンプルであるせいか何となくしゃれていて素敵だ。もちろん、掃除機タイプは誰がやっても綺麗にテーブルの上を掃除できる。我が家にも一つと、食器売り場を物色してるが未だに見つけられない。

パンは、そのものを食べても美味しいが、フランス人を観察しているともう一つの使い方がある。

皆さんご存じのように、食べ終わりの皿に残ったソースを綺麗にふき取って食べるのである。日本では、こびりついたご飯を食べるという感覚だろうか。実は、このこびりついたご飯が何ともいえず美味しいのだ。

フランス料理はソースに凝ったものが多いが、それを知っているフランス人はソースも残さずキッチリ食べる。フランスの家庭では、ごく普通の光景だが正式な席ではマナーに反するのか聞いてみると賛否両論有る。シェフに話を聞くと「まるで洗い終わった皿のようにソースをパンで綺麗にふき取っている皿を見ると、料理人として一番の幸せを感じる」のだそうだ。こんどから胸を張ってパンくずを散らかすことにしよう!

ちなみに、余談だが左側にあるパン皿に乗っているパンが自分のパンだ。間違えないように。美味しい食べ物の恨みは恐ろしいですぞ!





第61話 フランス人の数の数え方

フランス人の数の数え方は、以前、東京都知事の発言で物議を醸したのは記憶に新しい。フランス語を知らない人も、フランス人の数の数え方が妙であるということは知っている方もいるのではないか。どのように妙かというと次のようになる。

69までは普通だが70以上はむちゃくちゃで語学の不得意な私などずいぶん泣かされたものだ。

70=60+10、71=(60+10)+1、72=(60+10)+2、・・・、

80=4×20、81=(4×20)+1、82=(4×20)+2、・・・、

90=(4×20)+10、91=((4×20)+10)+1、92=((4×20)+10)+2、・・・、100

という具合だ。これは語学不得意者だけでなく普通の人だってややこしい。

フランスで生活するには、まず、この法則無き法則を覚え使いこなさなければならない。

まず音を聞いて丸ごと覚える。覚えた音と、あらかじめ覚えて置いた数の成り立ちを頭の中で照合し、数字を割り出し、おもむろに財布を開けるのである。

これらの作業を行うのに、どうがんばっても数分を要する。「第7話 フランスでの生活(その3)」にも書いているが、市場のおばさんなどは数分間も待ってはくれない。並んでいる列の一番後ろへ後回しされるのはまだ良い方で、売ってくれないおばさんもいる。不幸にも私は、この「売ってくれないおばさん」に当たってしまった。

フランスで生活して数年経ち、やっと、これらの変換が数秒で出来るようになったときは、その成果を、一番に「売ってくれないおばさん」の前で披露したものである。

また、指で数える方法も異なる。日本では「1、2、3、4・・・」と数えるとき、パーから始まって「1(親指)、2(人差し指)、3(中指)、4(薬指)、5(小指)」と指を折り手のひらを閉じていく。しかし、フランス人は、ゼロがグーから始まり、「1(親指)、2(人差し指)、3(中指)、・・・」と指を開いて最後にパーになる。

1を相手に示すとき、今でこそエドはるかの「グ〜!」だが、「あんたはおかまよ!」と言っているようで妙な気になってくる。

ものの善し悪しはさておき、まさに「ところ変われば品変わる」である。「俺たちはややこしい高等な言語を使いこなしているのだ」と得意気に胸を張るフランス人が目に見えるようだ。





フランスの高級家具

8月10日に放映されたテレビ番組「世界ウルルン滞在記2008TBS系列)」で、俳優三田村邦彦がフランスの高級家具「フィリップ・ユーレル社」を訪れ、家具作りに挑戦するという企画があった。

フィリップ・ユーレル社フランスだけでなく世界でかなり有名である。歴史が古く、古典とモダンの調和したシンプルでナチュラルな家具を提供している。ただし、値段は私のような庶民に手の届くしろものではない。

家具作りについては趣味の領域を遙かに超えている三田村が、フランスに滞在しフィリップ・ユーレル社の工場で一緒に家具を作るという企画だ。三田村は、その手つきを見ても電動工具の扱いを見ても確かにプロ並である。

パリから車で1時間半、ロワール県クーロン村にあるフィリップ・ユーレル社の家具製作工場を訪れ、工場長の家に泊まり込んで作業を開始。実際に注文のあった同社の定番「ルーブル」というチェストを作る。当然、納期が設定される。決められた時間内にユーレル社の名をおとしめないできばえの家具を作らなければならない。

「ルーブル」のデザインは定番なので決まっている。チェストの表面にどのような飾りを付けるかが、今回の企画で許された唯一のオリジナリティだ。伝統をかたくなに守り続けている同社が、許容するはずもないデザインの変興は画期的なことである。頑固なフランス人を納得させたマスメディアの力に改めて感心する。

この企画が面白いのは、元々同社の家具のデザインは決まっていて職人のオリジナリティが出せない同社の家具を、テレビ企画のために三田村のオリジナリティで、敢えて家具の表面のデザイン変更を試みたことだ。

それによって、長い期間、オリジナルデザインの家具を、ひたすら作り続けてきた工場長に、唯一許された自由を提供したのだった。今回の企画に一番喜んだのは同社の工場長と職人達だろう。

フランスは階級制度がキッチリしているという話を前にしたことがあるが、家具作りの世界もしかり。自分のオリジナリティを出したいのだが、社命により決まったデザインしか作れない工場長のもどかしさは大変なものだったに違いない。

実は、ユーレル社は、三田村が失敗したときのことを考えて、工場長にもう一つ同じ家具を作らせていたのである。工場長は、決められたデザインの家具作りから、三田村のオリジナルデザインとはいえ、今までと若干異なった家具を作ることが出来たのだ。本当に楽しかったに違いない。

最後は、ユーレル社が工場長に内緒で作らせていたものと、三田村の作ったものを注文主に選んでもらう。結果は、三田村に軍配が上がった。

木工を趣味にしている私などは技術的なことにも興味があったので、それなりに楽しめた。だが、最後に見せた工場長の涙が、売り物の家具を一生で初めて自由に作ることが出来たうれしさを表現しているような気がしてならない。そう考えるとフランス文化の本質をかいま見たような気がして見応えがある番組であった。







フランス人とイギリス人

フランス人とイギリス人は仲が悪いというのは知っている人も多いと思う。事実、私が付き合っているフランス人もイギリス人のことは良く言わない。むしろ話題にしたくない感じだ。これにはどうも歴史的背景があるようだ。

イギリスは長い間フランスの植民地だった。したがって、イギリス文化はフランス文化の影響を受けており、フランス人に言わせれば「イギリス文化はフランス文化の一部だ」となるらしい。

とはいえイギリスも百年戦争を経てフランスから独立し大英帝国を樹立したのであるから、独自の文化があってしかるべきだ。

ご存じのように、イギリスはかつて多くの植民地を擁し、失った今でもそのプライドたるやいかほどものであろうか想像もつかない。実際、世界への影響力はアメリカを凌ぐものがある。

かつて植民地であったイギリスが自分たちより大国になり絶大な影響力を持ってくるとフランスにはこれが面白くない。やっかみが入ってくるのは止むを得ないのだろう。

イギリスに住んだことがないのでフランスほど明確に言えるわけではないが、逆にイギリス人はフランス人に対してそれほど反感を持っていないようだ。

歴史的背景もあるが、イギリスと近い港町シェルブールに住むフランス人がイギリス人を嫌うのは、イギリス人の行動によるところが大きい。

例えばこうである。シェルブールはドーバー海峡を境にイギリスとフェリーで結ばれていて人の行き来が頻繁だ。夏のバカンスシーズンになるとキャンピング道具を満載した車両がフェリーにたくさん乗っている。

しかしシェルブールに来たイギリス人は、酒税の安いフランスでしこたま酒を仕入れて帰る。小さな町のスーパーの酒は、シーズン突入とともに売り切れる。日常生活で日々必要な分だけ買っているフランス人にとって、大量に買い占められると大いに迷惑なのである。

店の方でも、商売っ気が全く無くシーズンだけ大量に仕入れるなどと気の利いたことはしないので、シェルブールの住人達は困った状況になるのだ。

この買い占めに対してフランス人はあからさまにいやな顔をする。数箱の酒のカートンを積み込んだキャンピングカーで大にぎわいのフェリー乗り場は、夏のバカンスシーズンお定まりの光景なのである。

その品行がフランス人に嫌われるイギリス人ではあるが、イギリスの朝食は旨い。

フランスに限らず日本でも朝食のメニューはシンプルで決まっていることが多い。ご存じのようにフランスの朝食は、どんぶり(?)になみなみとついだカフェオーレとクロワッサンにジャムをたっぷり付けてというパターンが多い。なぜか朝食に関しては、食にこだわりのある人種の割にはとても簡素である。

食事に関しても喧嘩のネタになるのだが、イギリス人もフランス料理をこき下ろしお国自慢を始める。しかし、どうひいき目にみても軍配はフランスに上がる。フランス料理が世界的に旨いという評価だからだ。

しかし、朝食についていえばイギリスに軍配が上がるのではないかと思っている。いわゆるイングリッシュ・ブレイクファーストと呼ばれるものだ。メニューはといえば、イギリスのどこに行ってもあまりバリエーションはなく、厚切りのベーコン、ソーセージ、焼きトマト、卵料理、ビーンズ、マッシュルーム、ブラッックプディング(血の入ったソーセージ)、薄切りのトースト(日本の食パンをさらに薄く切った感じ、トーストの焼きたてのパリパリ感を保つために、トーストを縦に差して置く道具がある。この道具はCDを立てておくのにちょうどいいので我が家ではCDの整理に使っている)、紅茶、ジャムである。特に厚切りのベーコンは格別でとても美味しい。日本ではほとんど手に入らない。単にベーコンをあつく切っても、微妙な塩味や薫製っぽい風味はまねできない。きっと香辛料に工夫があるのだろう。

ブラックプディングは実物を見るまでは、デザートかと思ったがとんでもない。豚の血を混ぜたケーキで未だに好きになれない。焼きトマトは少し焦げた風味がトマトの熟成感を増長しているようでまろやかさが堪能できる。

「イギリスでおいしいものを食べたかったら朝食を3度食べよ(サマーセット・モーム)」という言葉があるが、なるほどとうなずける。

イギリスの料理をさんざんこき下ろすフランス人も、イギリス朝食の旨さは不承不承認めている。その証拠に、イギリスに渡ったフランス人は、ホテルに泊まってもフランスの朝食を食べない人が多い。頑固なフランス人は決してイギリス朝食を旨いとは言わないが、彼らの行動をみていればその答えは歴然としている。

それにしてもイギリスの朝食に出てくる厚切りのベーコンを食べられる日本のレストランはないものだろうか。









第64話 フランス人の好きなレストラン

日本人にとってフランス料理は高級というイメージがある。一流といわれるフランス料理は私たち庶民にはとても手が届かないので食べたことがない。したがって、美味しいかどうかの評価対象外だ。

もっぱら庶民的なレストランを試すことになる。今回、ご紹介するのは南仏家庭料理を振る舞ってくれるお店だ。

フランス人は週末家族でレストランに行ったり結構外食が好きだが、日本に滞在しているフランス人も例外ではない。ただし、決して高級なフランス料理には手を出さない。10年住んでいる私たちでも知らない店を探してくる。リーゾナブルな値段で美味しいレストランを探すことにかけては労を惜しまないし、その嗅覚は卓越している。

ここ青森の地にも、フランス人推薦のフランス料理店がいくつかある。八戸にある「ポ・デタン(Pot d’Etain)」もその一つである。店の名前は「錫製の壺」という意味だがヨーロッパの家庭ではよく見かける食器だ。名前も庶民的だが、振る舞ってくれる料理も南仏家庭料理そのものだ。

味付けはフランスっぽい。日本人に人気のフランス・レストランは日本人の口に合うように少々アレンジしてあることが多いが、この店の味はフランスそのものである。

味もさることながら、店の雰囲気も気取ったところが無くスタッフも若くて気さくだ。若夫婦と弟さんだろうか、3人で切り盛りしている。子供さんも小さいので時々お母さんの背中に張り付いてお客に愛嬌を振りまいている。まるでフランスの家庭に招待されているような錯覚に陥るほどアット・ホーム。

フランス料理店の中には料理の説明を過剰にするところもあって鼻に付くことがあるが、お客の雰囲気を感じ取って、詳しく聴きたい人には詳しく、分かっていて簡単でよい人には簡単に、と気を遣ってくれるのもうれしい。フランス人にはフランス語で説明してくれる。

席はカウンターを含めて21席と小さめなところも家庭的な雰囲気を助けている。席のおすすめは料理をしているところが見えるカウンターだ。カウンターの席が高めにセットされているせいで手際がよく見える。

本来、フランス料理は料理をしている舞台裏は見せないが、パリでも最近人気の店は目の前で料理してくれるカウンター式の店が流行っている。

プラ・プランシパル(メイン・ディッシュ)も言うことなしだが、食事の最後にでてくるエスプレッソは、いわゆる「ガツン」といったきれがあり、素晴らしく美味しい。長時間かけて水だけで抽出したコーヒーを冷蔵庫に入れてあり、お客に出すときに冷蔵庫から取り出し鍋で暖める。エスプレッソマシンでその都度プシュッと抽出したエスプレッソも美味しいが、このような手順で美味しいエスプレッソが飲めるのが不思議だ。きっと抽出の仕方や鍋の暖め方にノウハウがあるに違いない。

会計の折、「とても美味しかった」と声をかけると、小さな声で「フランスの家庭料理をやっているだけですから」と謙虚な対応。特に私の好きなメニュー「鴨のコンフィー」はフランス人にも大人気でおすすめだ。是非、お試しあれ!







第65話 外国語が旨く聞こえるコツ

外国語を上手にしゃべりたいと思って真剣に勉強している人には「邪道だ!」と一蹴されそうな話題だが、そんな考え方もあるのかと気晴らしに読んで欲しい。

端で見ていて海外生活がそんなに長くないのに外国語がペラペラになる人がいる。もちろん個人の才能に依存するところが大きいが、よくよく聞いてみるとそんなに難しい話はしていないようだ。

遠藤周作が何かのエッセイのなかで「英会話が上手に聞こえるコツは話題を自分から提供し会話の中心になることだ」と語っていた。会話全体の流れを先導することだというのだ。

確かに自分が会話の話題を提供していると単語を予想して聞くことが出来る。単語の予想がつけば会話の内容も理解出来そうだ。自分が母国語で話しているときを省みると、相手の会話を一語一語正確に聞いているのではなく、キーワードだけを聞いて後はほとんど聞き流している。予測で話している部分が半分以上あるような気がする。

その証拠に、全く違った話題に予想もせずに切り替わると面食らって話についていけない。母国語でさえそうである。まして外国語ではさもありなんである。

ネイティブに比べて劣っている外国人が話題の中心になるのは難しいように感じるが、周りの人たちが話し手を理解しようとしているシチュエーションでは、下手な外国語でも通じ易い。

会話は「話題の予測をしながらおおざっぱにする」ということだろうか。

これとは反対に、語学にかなりの自信があり実力もある人が言っていた話だが、外国で生活を初めて最初の3ヶ月は「俺の語学力も大したもんだ」と優越感に浸っていた。が、それを過ぎると「自分がわかっているのは3割しかなかった」と思い知って愕然としたそうだ。

半分くらいを想像して会話をしている段階から卒業して、さらに先にスキルアップしてくると、このような感じを持つらしい。このような人は、私の言うところの「邪道」ではなく、いわゆる「スペシャリスト」を目指すまじめな人の言である。語学の達人になるにはレベルが違う。

話を元に戻して、さらに旨く聞こえるためには、会話と会話のつなぎが旨くなることも重要だ。日本語で言うところの「え〜」とか「う〜」を初めとするつなぎの言葉を駆使することである。これらを適材適所で使えるようになると、端から見て流ちょうに外国語をしゃべっているように見える。

フランス語で言うと「ボン」「セ・シュー?」「アロー」などである。「ケル・・・」「ネ・ス・パ?」「シ・シ」などは相手を冷やかしたり念を押すときに用いる。「ウ〜」(ウではないが口を半開きにしエというような発音をするフランス人独特のつなぎの音)など旨く織り交ぜるとまさにペラペラに聞こえるのである。

会話が旨く聞こえるということは、見栄だけのためではなくいくつかのメリットがある。グループで仕事をしていて一番のメリットは外国人に人気が出るということだ。人気が出てくると知名度が上がる。知名度が上がると何かと便利であるのは洋の東西を問わない。

外国語は1つでも2つでも通じれば楽しい。旨くしゃべっているように見えるのは、見てくれだけではなく相乗効果も相まって必ず上達すると信じたいものである。







第66話 フランス人の好きな店

皆さん意外かも知れないが、フランス人の大好きな店の一つにワー○マンがある。ご存じのようにワー○マンは工事労働者のためのグッズが豊富にそろえられている。

例えば、ニッカボッカ、地下足袋、作業用ゴム手袋、長靴、防寒用品、等々。特に人気商品はニッカボッカと地下足袋である。ニッカボッカは、日本で私たちと一緒に働いていたフランス人がとても気に入ってオフィスでも履いていた。それも女性である。

彼女がニッカボッカを気に入っている理由は、とても動きやすいからである。裾のヒラヒラが無く膝部分がゆったりしている。

ファッション性も気に入っている。颯爽とした貴族の乗馬服をイメージさせる。確かにオフィスをうろうろしている彼女を見ると、元々男っぽい女性であることを割り引いても、颯爽でキリリとしている。

先日、別のフランス人が日本にやって来た。友人の結婚式に出席するためなのだが、何はさておきワー○マンにニッカボッカを買いに行った。

三沢のワー○マンの主人も常連だったようで親しそうに話していた。(いったい何語で話しているのだろう・・・)

次に人気なのは地下足袋である。地下足袋は地面の感覚が鋭敏に伝わり高所作業を命綱無しに平気でやっているとび職の人に愛用されているのはご存じだろう。

この地面の感覚を直接感じられるというところがとても気に入っているようだ。フランスにはもちろん売っていない。

友人の分も大量に買い込んで帰った。フランスで大流行するかどうかは分からないがパリの至る所でニッカボッカを見かける日も遠くないような気がする!?

ワー○マンの買い物に付き合ったかみさんも行くのは初めて。その品揃えの豊富さに驚いていた。折り畳み式耳当て(これから青森では外を歩くときに必需品といっても過言ではない)を私の分まで買ってきてくれた。

バネでくるっと丸めるとポケットに入る大きさになる。使うときは首に巻くようにして使用する。ヘッドフォンのように頭のてっぺんで支えるようになっていないので髪型が気になる人は重宝だろう。

値段が安いことも魅力の一つだ。「これ何に使うんだろう」と用途不明のものもたくさんあって、プラプラと商品を見て回るだけでも楽しい。一度足を運ばれることをおすすめする。







第67話フランス人の結婚観(2)

第25話に引き続きフランス人の結婚観を話題にする。

フランス人カップルの形態は3つある。法的手続きをしない共同生活、いわゆる同棲(ユニオン・リーヴル)、連帯市民協約パックス、それと結婚(マリアージュ)の3つだ。

まず、「ユニオン・リーヴル」であるが、被扶養者への保険適用や子供に対する給付など社会的に認知された権利があるのに比べ、日本の「同棲」は、将来、結婚する予定があって一時的に一緒に共同生活をしていることを意味していることが多い。もっとも、私たち「神田川」の世代は「同棲」に対して、旨くいかないイメージが強いが・・・

「パックス」は、「ユニオン・リーヴル」のより進化したもので結婚と同等の優遇措置があるのはもちろんのこと離婚手続きが簡単なのである。そもそもカップルの生活を支援する制度なので、異性であれ同性であれ外国人であれあらゆるカップルに適用される。優遇措置がある上に離婚もしやすいとなれば、自ずと割合が増える。(フランスでの離婚手続きは弁護士が必要でお金もずいぶんかかるらしい)

ちなみに、フランスでは、結婚適齢期にある18〜24歳の人たちの実に20%が結婚していないカップルであり、20年前と比較すると40%も結婚するカップルが減っているそうだ。

また、離婚も多い。平均すると1日に300組もの離婚が成立している。子供なんかいたら大変だろうなと思うが、フランス人のものの考え方は「離婚は子供を不幸にするが、親の不幸の方が子供にとってより不幸である」なのである。「子は鎹」と言って、子供のために親にとって不幸な結婚生活を無理に続けていこうとする日本人の考え方と全く異なっている。

離婚が多いフランス人だが、身近にいるフランス人を観察していると決して家庭を軽んじているわけではない。休日にゴルフだ何だと夫婦別行動を取ることが多い日本の熟年層と違って、むしろ家族を大事にしている。共働きの多いフランスでは、夫婦が一緒に過ごせる時間は限られているからなのだろう。

その証拠というほどものもではないが、フランス人にとって「恋愛関係にあるカップル」の定義は、「週末やバカンスを一緒に過ごす」カップルなのだそうだ。

フランスの離婚割合は日本に比べて多いがカップルは非常に多い。フランス・カップルの考え方は、常に相手との距離感覚を保ち、相手への妥協や従属を許容せず、お互いの自立と自由を尊重し、恋愛関係の新鮮さをどのように保ち続けていくかに重きを置く。フランス人の結婚観の根っこはこういうところに有るのだ。

定年離婚はもってのほかだが、熟年になっても仲の良い夫婦は、このような考え方のひとが多いような気がするのは私だけだろうか。







第68話
 カフェ

フランスのカフェは有名で特にパリとカフェは切っても切れない関係だ。カフェの特徴は3つ有る。一つは皆さんご存じのように外側に拡がったテラス、一つは店主と会話も出来るカウンター、そして最後の一つは深夜まで開いているという営業時間の長さである。

野外に拡がったテラスは、とても洒落ていて日本のカフェも真似ている。でもフランスのテラスは良く観察してみると日本のそれとはずいぶん違っている。例えばイスの並べ方だ。フランスは外に向かって配置されている場合が多い。しかも道にはみ出している。これは明らかに道行く人を眺めるためだ。

フランスは個人主義の国で有名だが、他人に対して関心がないかと言えば、全く逆で内心は興味津々なのである。カフェのテラスに座って小一時間時間を費やすパリジェンヌは、通りを過ぎゆく人々のファッションや容姿をじっくり研究している。あくまでイスの配置は外向きなのである。

次に、店主と会話も出来るカウンター、というのがある。これは日本でいうところのバー、寿司屋、鉄板を使って料理を目の前で実演してくれるステーキ屋などのイメージに近い。横に座っている客同士が話す場合もあるが、店の主人やシェフと直接話が出きるのが特徴である。

もともとフランス料理の店には、このような風習がない。その代わりと言っては何だが、カフェがその役割を担っていると考えられる。カフェではアルコールも振る舞ってくれるのはバーの機能も兼ね備えていると言いうことだろう。

もっとも、最近、パリの比較的格式の高いレストランでは、目の前で料理をしてくれる日本式カウンターを備えた店が流行っているという。舞台裏を見せないフランス料理店が伝統の殻を破って変革を遂げているのである。

バーと同じように利用されることから当然のごとく営業時間は長くなる。パリジェンヌは宵っ張りなのだ。

それにしてもテラスとカウンターの料金が2倍ほど違うのは、テラスではギャルソンの人件費がかかるのは理解できるが、あまりにも高すぎるような気がするのだが・・・

フランスにおけるカフェは、「リビン・グルームの延長」だという人が居るが、確かに妙を得た言い方である。

それと忘れてはならないことに禁煙がある。最後まで禁煙を拒んでいた航空会社エール・フランスが全面禁煙に踏み切ったことは皆さんご存じだろうが、治外法権であったカフェでも現在のフランスでは全面禁煙になった。ただし、テラスでは喫煙可能。

いずれにしてもカフェは「社交の場」として人が集まり1人でも気兼ねなく時を過ごせる場所なのである。日本ではさしずめMACかな?







第69話 パリ

例によって、JAL機内誌スカイ・ワードにパリの特集があった。「シャンパンの似合う町パリ」という如何にも日本人の好きそうな題名である。

パリにシャンパンが似合うかどうかわからないが、フランス人の友人に聞くと、最近、パリジャンも頻繁にシャンパンを飲むようになったそうだ。確かにシャンパンは値段が高いせいもあって、何かのセレモニーかお祝い事など特別な機会でないと飲まないというのは、フランス人にとっても日本人とさほど変わらない感覚だった。

特集記事では、エスプレッソやシャンパンをテーブルの上に並べて思い思いにカフェでくつろぐパリジャンの写真が掲載されている。注目すべきはイスの並べ方である。ほとんどのイスが店の外に向かって配置されている。カップルで来ている人も何人かグループで来ている人も皆イスの向きを通りに面した側に向けて座っている。視線も道行く人たちを見ているのである。

シャンパンを入れるグラスはフリュートグラスと呼ばれていてヒョロ長いものが多い。我が家にもあるにはあるがヒョロ長いのですこぶる洗いにくい欠点がある。したがって、我が家ではシャンパンを買う金もないのが本当の理由だが、表向き「洗い難くて面倒なので」と言い訳しつつ、シャンパンを飲む機会は滅多にない。

シャンパンはシャンパン地方でしか作られていないかというとフランス至る所で作られている。ただ、シャンパンと名前が付けられるのはシャンパン地方の限られた地区で生産されるものに限定されている。しかし、フランス人に言わせるとヴァン・ド・シャンパニゼと呼ばれる発泡性ワインがあり、製法も全く同じ、味も全く遜色ない。

同じものなのにシャンパンと呼ばれないため価格は驚くほど安い。合理性を求めるフランス人は、もっぱらこのヴァン・ド・シャンパニゼを飲む。バカ高いシャンパンを飲みながら「さすがに美味しい」とのたまう諸氏には、その財力に頭が下がる思いだ。

シャンパンに合う料理と言えば、シャンパンが基本的に白ブドウ品種(もちろん例外もあり赤ブドウ品種から作られるロゼもある)から作られることを考えても、魚介類や野菜を食材として使ったものだ。日本でシャンパンは食前酒と相場が決まっているが、ワインと同様、食事に合わせて飲んでもいっこうにかまわない。フランス人の中には経済的なヴァン・ド・シャンパニゼを食事とともに味わう人も結構いる。

シャンパンの素晴らしいところは、飲んで美味しいのはもちろんのこと、ボトルから注ぎ入れた後のグラスのたたずまいである。最初の泡が消えて金色の液体に細かい泡が程良く立ち上っている様子は実に美しい。ド○モの携帯待ち受け画面に採用されているが、品の良さが秀逸である。

私はアルコールには弱く下戸であるが、ジャズでも聞きながらゆったりとした気分でお酒をちびちびやるのが似合うようになりたいものだと常々思っているのだが、未だ新橋の橋の下のいっぱい飲み屋でくだを巻いているサラリーマン風が似合っているのが実態だ。まだまだ修行が足りないのである。







第70話 臭い

フランスの話をするとき、切っても切れないのは香水である。「第23話 香水」で臭いに敏感なフランス人の話題を、「第31話 フランスのトイレ事情」で香水の起源をヴェルサイユ宮殿の「うんこ臭い」を消すためだといい加減な話題をご披露したが、人間と臭いとは深い関係があるらしい。

スカイ・ワード3月号、浅田次郎氏のエッセイに臭いの話題が掲載されている。エッセイの中に、シャルル・ド・ゴール空港に降り立つと香水のにおいに辟易したという話が載っていた。私も全く同じ印象を持ったのである。(白状すると不謹慎にも日本のいかがわしい飲み屋を思い出してしまったのだ)しかしフランスにしばらく住んでいるといつの間にか気にならなくなる。慣れてしまうのである。

それにしても成田に降り立った外国人が「魚臭い」と言ったのには驚く。普段の生活では全く感じないが、魚を食べる機会の多い日本では微妙に魚の臭いがするのかもしれない。

臭いと言えば、犬たちが散歩の途中にたびたび立ち止まって電柱などにオシッコをかける習性があるのはご存じだと思う。動物たちは、自分の縄張りを示すために臭いを付ける。臭いは動物の種類や群によって異なる。動物たちは、この縄張りを何となく守りながら均衡を保っているのである。

野性味が無くなって久しい人間も、動物の端くれなので自分の縄張りに臭いを付けるという行為は本能的に持っているのではないだろうか。そう思う理由は、個々の家庭で違った家庭の臭いが有るからである。人の家を訪れる際、玄関に入ると何となく違った雰囲気を感じるときがある。

もちろんその家のセンスで飾り付けも異なっているから視覚的なものが多いのだろうが、それを差し引いても何かが違う。よくよく思い返してみるとそれは臭いであるようだ。家族には独特の臭いがある。

自分の家に帰ると全く臭いは感じないが、他人が玄関に入ってくると感じる臭いが有る。ここで言うところの臭いというのは香水のように敢えて追加した強烈な(?)臭いのことではい。そんなこんなを考えていると、家系や家族に何となく違う臭いがあるような気がする。

縄張りには出来るだけ立ち入らずに、ある程度の距離を保って生活することになる。満員電車に乗るだけでストレスを感じるのは、この習性に逆らって必要以上に距離を縮めるからだという分析もある。

もともと野生の人間は他の人間とある程度の距離を保つのが普通で、現代社会がそれを不可能にしているのである。人間は長年集合して生活してきたので、表面的には苦痛に感じないのであろうが本能はどうしようもない。

エッセイは臭いのうんちくを披露していたが、「まずは加齢臭を何とかせねば」と締めくくっていた。全くその通りである。








第71話 カフェオレ用ボウルの謎

フランスの朝食は、サクサクのクロワッサンとなみなみと入れたカフェオレと相場が決まっている。甘いものが好きなフランス人はクロワッサンにたっぷりとコンフィテュー(ジャム)を付ける。その他にパン・オ・ショコラ(なんとチョコレートの棒入り!)、パン・オ・レザン(レーズン入り)、バゲット(甘くないのでこれもジャムをたっぷり付ける)がある。

ところで昔から疑問に思っていたが「どうしてカフェオレのボウルは丼みたいに大きいのだろう?」

巷のネットショップには洒落た模様の入ったカフェオレ・ボールが売られている。しかし、どうひいき目に見てもそのデザインはフランス的エスプリやセンスからほど遠い。

百歩譲って並々と入れたカフェオレは、ゆったりとした感じがして生活の余裕を表しているのだとしよう。だが朝の小一時間をゆったりしている人は、洋の東西を問わずあまり居ないのではないかと思う。朝は数分を惜しんで時間と格闘している。朝のゆったりした時間を味わえるのは休日のダラダラとしている時くらいのものだ、と思っているのは私だけではないだろう。

フランス人の生活に密着して、その生態を観察する機会は、たとえフランスに住んでいても滅多にない。子供達がフランス人の家に泊まりに行ったことがあったが、そのときに子供達が話してくれたのが、まさにフランス人の生態なのだった。

子供達が、フランス人に密着して朝食を観察した結果、彼らはパンをボールに浸して食べているのだそうだ。確かにパンをちぎってカフェオレに浸すとすると、口が大きいボールのような器が都合が良い。はたして以前から気にかかっていた謎が解けたのである。

サクサク感、パリパリ感、バゲットの固めの食感など、フランスのパンは、その感触でも美味しいのだが、試しにカフェオレに浸してぐじゅぐじゅにして食べてみると見かけは悪いがそれなりに美味しいのである。特にバケットはソフトな感触の中に適当に粘り気があって微妙に美味しい。皆さん、だまされたと思ってお試しあれ!

日本に来ているフランス人がラーメンの丼がちょうど良いと言って、ラーメン丼にカフェオレを入れている理由が理解できるというものだ。








第72話 T-falの電気ケトル

朝日新聞6月13日版に「買ったのに使わない家電ランキング」という記事があった。確かに我が家にもあるある。その1位はジューサー、ミキサー、フードプロセッサである。

目覚ましの鳴らない、ゆったりとした休日に、好みの野菜やフルーツに蜂蜜を加えてジュースを作る。ゆったりとした気持ちで過ごす余裕の朝・・・、世の中健康ブーム、きっと健康に良いのではとCMのイメージが重なってジューサーを買いに走った。

しかしである。使った後の掃除がまことに大変。3日坊主となってどこか台所の奥にしまってある。捨てきれないのは、「また使うことがあるかも・・・」とばかり、高価な買い物の言い訳をしている。

T-falの電気ケトルが何故「フランス語」に出てくるか。それはこの家電がフランス人のものの考え方を良く表しているからだ。T-falの調理器具は、鍋の取っ手を取り外し自由にする等、発想のユニークさで有名である。

日本にある同種の家電は、電気でお湯を沸かして保温しておくもので、「いつでも必要なときにお湯が手に入る」をキャッチフレーズにしている。「いつでも必要なときにお湯が手に入る」→「湯を沸かし」「保温する」という発想に基づき設計された家電だ。

このような発想で作られた家電は、まず常に電気を消費しているのでもったいない、常にお湯をキープしているのでカルシウム分が付着し易くやっかいな使用後の掃除を頻繁にしなければならない、大型で食卓に置いておくには結構目障り、というように欠点だらけだ。結果として「買ったのに使わない家電ランキング」の上位にランクインする。

合理的なフランス人は、「いつでも必要なときにお湯が手に入る」→「湯を必要なときに瞬間に沸かす」と発想する。つまり発熱体の加熱能力をアップさせ水との接触面積を広くして数十秒でお湯を沸かす。もちろん保温機能は無い。

結果として出来上がったものは、保温機能が無いので、急須を一回り大きくしたくらいの大きさで小さく出来て、デザインも素敵な家電が出来上がる。必要なときにしかお湯を沸かさないので、カルシウム分の付着も少なくやっかいな掃除の頻度も少なくなる。

電源の供給は専用の台から行い、ケトルは自由に取り外せるので、まさに急須のように取り回すことが出来る。おまけに台上でケトルはくるくる回るのでどちら方向からでも取り外すことが出来る。

フランス人の発想は合理性が徹底していて感心するものが多い。もっとも、古風なルーヴル美術館のエントランスに超近代的なガラス張りのピラミッドを建てたりして、その感性には理解に苦しむところもあるが・・・。

T-falの電気ケトルが「買ったのに使わない家電ランキング」に載らないように祈るのみだが、それにしてもフランス人は面白く憎めない国民である。




第73話 フランス料理の方法

最近、「おとなのねこまんま」という本を手に入れたこともあって、とても料理とは言えないが自分で「ねこまんま」をアレンジして、男の料理をしているつもりになっている。

そんなこんなで料理に興味を持ち初めた。それにしても、昔から不思議に思っていることの一つに、「フランス家庭料理に揚げ物と焼き物が無い」ということがある。

料理とは、そもそも食材に火を通すこと(もっとも生で食べるものもすこぶる美味しいが・・・)で、火を使えるのは唯一人間だけである。火を通す料理方法は、洋の東西ひろしといえども、そんなに変わらない。煮る、焼く、揚げる、蒸す、炒める等・・・

ところが、フランス家庭料理で、揚げる、焼くという料理方法は全く使われない。その証拠にフランス家庭の台所には大きなフード付きの換気扇が無い。油でべとべとになったフィルタを交換する作業だの換気扇の羽にこびりついた油を取るという作業は無いし、専用の強力な洗剤も売っていない。

もっとも、ブローシェットという「焼く」料理やエスカロップという「揚げる」料理もあるが、レストランでしか振る舞われない。家庭の台所を油でべとべとにする料理方法は、フランスには無いのである。

ではフランス人は揚げ物や焼き物が嫌いかというと、どちらかというと好きな方ではないだろうか。マルシェで売っている鶏の丸焼きなどは大好物だし、日本に旅行に来るフランス人たちは、共通して天ぷらが大好きだ。しかし、家庭では揚げ物焼き物は御法度なのである。







第74話 カルバドス

フランスの北方ノルマンジー地方では、私の住んでいる青森県と同様リンゴの生産で有名である。フランスのリンゴは、日本のリンゴと異なり、リンゴをそのまま食べるというよりは、料理の材料として使われることが多い。フランスに住んでいたとき、朝市で買ってそのまま食べてみたが酸っぱくてとても食べられないしろものだった。

リンゴの料理としてコンポートと言えば日本でも有名で、ご存じの方も多いと思う。砂糖でリンゴを丸ごと煮たデザートだ。

リンゴは、お酒にもする。一つにはシードルだ。シードルは「サイダー」のフランス語で、発砲する5%程度のアルコール度の低いお酒で、ガレット(そば粉のクレープ)と一緒に飲む。日本でいうところのカレーと福神漬けorらっきょうの関係とでも言おうか。ガレットを食べるときにシードルは不可欠である。

もう一つのお酒はカルバドスだ。カルバドスはリンゴを使った蒸留酒でいわゆるブランデーである。40%程度ととてもアルコール度が高く、私など下戸はなめる程度でたくさんは飲めない。

フランスでは料理の後、食後酒としてエスプレッソとともに仕上げで飲むお酒だ。アルコール度が高いので、頻繁に飲むと食道癌になりやすいとも言われている。

カルバドスは通常下の写真のような瓶に入っているが、エスプリのあるフランス人は面白いことを考える。

 

下の写真はカルバドスの原料であるリンゴが瓶の中に入っている。だいぶ消費してカルバドスはほとんど残っていないが、購入したときは、このリンゴはカルバドスにどっぷり浸かっていた。


ここでクイズ。このリンゴはどうやって瓶に入れたのだろうか。ビンの口より遙かに大きな実だ。答えはこの話の最後に!

 

カルバドスは、40%くらいの強いお酒だが、リンゴのブランデーなので、ほのかな甘い香りが楽しめる。柔らかい香りがする飲み物だ。2時間くらいかけて夕食をゆっくり楽しんだ後、気心の知れた仲間とカルバドスを傾けながら語り合う時間は、正に至福の時である。

パーティを頻繁に行う習慣のない日本人は、このような楽しみがチョット足りないかなと思ったりしている。さしずめ私なら「居酒屋へ繰り出そう!」で、安い(最近はブームか?結構な値段が付いている)ホッピーをしこたま飲んでグデングデンになっているのが関の山である。

癌は、カルバドスに限ったことではないが、強いお酒を好む人に比較的発生頻度が高いそうだ。WHOのレポートによると、特にアルコールを分解する酵素の働きが弱い東洋人の場合、飲酒を習慣にしている人は、していない人に比べ、食道癌になる確率は12倍、大腸癌になる確率は14倍高くなるそうだ。

嗜好品はストレス解消の特効薬だが程々にと言うことか。

さて、クイズの答えだが、正解は「リンゴの実が小さいときに瓶をかぶせる」である。当然だが日光は植物にとって重要なので瓶は透明だ。





第75話 エプロン

エプロンのフランス語「タブリエ」という言葉があるところを見ると、フランスにエプロンは有るのだろうが、フランス人が家庭で料理をするときエプロンをしているところを見たことがない。

先日、たまたま料理を紹介していたテレビフランス語会話(NHK)を見ていて、「何か変だな?」と思って妙に気になったことから、「そういえば」と気付いた。

フランスの家庭料理は日本料理に比べて、すこぶる簡単・合理的だという話を以前書いた記憶があるが、この番組ではグラタンと豚肉のソテーが紹介されていた。その料理方法が実に簡単なので、改めて「あ〜なるほど!」と思い出したのだった。と同時に「何か変だな?」と違和感を覚えた。

最初、この違和感の原因が分からなかったが、改めて番組を見直してみると、登場しているジェニファーさんがエプロンをしていないのである。テレビに登場しているので、おしゃれをしている(素敵なスカーフもしていた)のかなと見過ごしていたが、フランス生活を振り返って「フランス人の自宅に招待されたときにエプロン姿の夫人を一度も見たことがない」ということに気付いた。何となく感じた違和感は、どうもここに端を発していたようだ。

話は、脱線するが、遅ればせながら我が家にも地デジを導入した。地デジとは直接関係ないが、最近のテレビはとても便利である。番組予約が、番組表を見ながらワンプッシュで予約できる。一昔前(ずいぶん昔か!?)チャンネルやら時間やらを苦労して設定していたビデオ録画を思い出す。以前、フランスの自動販売機の話を書いたが、フランス製電化製品は、ここまできめ細かく利便性を追求しないので、フランス製テレビは、このような機能は備わっていない。日本で暮らしていたフランス人が日本製の電化製品を買って帰った理由が分かるというものだ。

私のように普段テレビを見る時間がない人間は、この簡単予約をかみさんがやってくれているので、休日の空いた時間に、しかも見たいところだけ選択して見ることが出来る。何と効率的なことか!おかげで、若い人たちに時代遅れだと置き去りにされず、流行っているテレビ番組などの話しに何とかついていける。

話を元に戻すが、この番組で再認識したのは、フランス人が家庭料理をするときはエプロンをしないということと、改めてフランス料理が簡単だという点である。

エプロンといえば、昔は割烹着というのがあって、家庭の主婦のユニフォームのような感じだった。私の母などは、買い物に行くとき等、近所に出歩くときはいつも着ていたような気がする。フランスには、そんな習慣がないのである。店を歩いていると、フランス製のエプロンが売っていて、とてもセンスの良いデザインで、フランスの人は家庭で料理するときもおしゃれなのだな〜、てなことを想像しがちだが、そんなことは全くないのである。

テレビに登場したジェニファーさんを見ていると、おしゃれはエプロンでするのではなく、料理するときでもスカーフをしていたり、着ている服に一寸したアクセサリーを付けて、ブランドではない一工夫を凝らしているのが分かる。おしゃれとは、こんな風にするのだなと感心させられる。

この番組を見て、フランスの料理の仕方は本当に簡単だ!かみさんなどは、「目から鱗だ」と言っていた。

例えば、グラタンは、ポテトやマカロニなど具になるものを一緒に茹でて、お湯をきり、牛乳をぶち込んでグラタン皿に盛り、千切りにしたチーズを乗せてオーブンで温める。これだけである。まるでインスタント食品並の手軽さである。

豚肉のソテーは、さらにその上を行く。塩こしょうで豚肉を炒め、その中に生クリームぶち込んで皿に盛りつける。本当にこれだけ?である。

極めつけは、料理を作ったジェニファーさんは、自分の作った食事にワイン片手に舌鼓を打つ。「ク・セ・ボン!」

この番組を見て、かみさんが、泣いて喜んだ(?)のは言うまでもない。




第76話 フェーヴ

久々に飛行機で出張。例によって機内誌ネタで恐縮である。JAL機内誌には最近「これな〜に」という特集が巻頭に連載されている。主に道具類が多いのであるが「一体何に使うのだろう」と想像も付かないような道具が写真とともに掲載されている。

これらの道具は、世界各国から取り寄せられていて、私など殆ど正解が出せない。いろいろと想像を巡らすのだが、なかなか分からない。答えを改めて見てみると「え〜!」という物にしばしばお目にかかるので、面白い特集だと密かに楽しみにしている。

今月号では、フェーヴが載っていた。2〜3cmくらいの磁器製の人形や鳥や王冠などいろいろな形があるが、掲載写真を見て思い出した。

フランスはデザートに代表されるようにお菓子に凝っていることはご存じであろう。フランスの家庭では、毎年1月6日の公現節に、ガレット・デ・ロワというお菓子を食べる。

丸いケーキのような形のお菓子だが、この小さな磁器製のおもちゃを1つケーキの中に入れて焼き上げる。家庭でこのお菓子を食べるときに切り分けるが、自分のケーキにフェーヴが入っていた人は、その日1日中王様(女王様)になれ、また、向こう1年間は幸福が訪れると言われている。

フェーヴは空豆のことで、16世紀に修道院の後継者を決めるときに空豆を使ったことからの由来である。

フェーヴにはいろいろな形のものがあり、それぞれがとてもかわいい。あまりにかわいいので、コレクションしている人もいるくらいだ。

フェーヴの当たった子供の喜びようは、尋常ではなく実にほほえましい。フランスの子供達の様子が思い出されてとても懐かしい気分になった。

フェーヴは欠点もある。私のように大口を開けて一気に食べる習慣の人間は、ケーキと一緒にフェーヴをがぶっと噛むことがあるのだ。これは実に危険なことで、歯が折れそうになる。

楽しいことには危険が伴う。油断大敵だ。



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