解剖学

興味を持った理由


裏表、左右、上下、内外



(続く) 

 

興味を持った理由

私の友達に医学部に行った友人がいるが、その友人曰く「医学部は文系だぜ!」だそうだ。入試は、物理と化学という理系科目では比較的難しいとされている教科が必須であるし、数学は数Vまであって立派な(?)理系である。

ところが入学するとひたすら覚えることが多く、どちらかというと記憶に力を入れずにロジカルなものの考え方を鍛えてきた多くの医学生を悩ませているとのこと。

その最たるものに「解剖学」が(受け売りだが・・・)ある。医学の医の字も知らない私が言うのも変だが、大学4年生のある時期卒論の追い込みのために、この友人宅に下宿していたことがある。

借りていた部屋の真下が友人の部屋で、毎夜毎夜というか明け方帰ってくると、1階の部屋はこうこうと電気が点いていてブツブツと声が聞こえ、私が万年床に潜り込んでもそれはずっと続いていたのを今でも覚えている。後で聞いたところ、骨の名前を覚えていたのだそうだ。

「おまえ知ってるか?腕の骨だけでも200個も名前があるんだぜ!」その時、友人は眠そうな顔で私に言うのだった。未だにその記憶が鮮明で、この年になるまで印象に残っている。

この度、知り合いのお医者さんに「解剖学」の本を借りて、その大変さを確かめよう(かみさんは「いまさら何を血迷ったか?!」という顔をしていたが)と思ったのが解剖学を眺めてみる気になった動機である。

知り合いのお医者さんは、何も聞かずに快く所蔵している大変高価な本を貸してくれたのであった。

私自身、工学系技術屋である関係で物を見ると「まずその構造はどうなっているのか」と分解する習性(組み立てられなくなって壊してしまったことが多いが・・・)がある。そんな習性を持っているからなのか、人間の体の構造は「いったいどうなっているのだろうか?」と興味を持つことは自然の成り行きだ。

高価な本をパラパラめくった第一印象は、「あまりにも複雑!」である。そして実に精巧に出来ている。医学部入試は難しいというが、入ってからも、この複雑な構造を理解するという点で、さらに難しいのだと納得させられた。覚える量も半端でないので、友人の言っていた「医学部は文系だ!」という言葉が実に真実身を帯びてくる。

医学部では解剖学が始まると医学生の生活は地獄と化すらしい。膨大に物事を覚えないといけない上に、さらに輪を掛けて「解剖実習」が始まる。大半の医学生は、この時点でこれから医学を続けていくか否かについて人生の決断を迫られる。「医学部は続けられない」と言って止めていく学生がたくさん出てくるのもこの時期だそうだ。

この時期、大学の生協等で医学生を観察していると、肉料理などはいっさい口にしない(できない)。レアなステーキを食べているような学生は一種の変人だ。食欲がない青い顔をしていてゲッソリしているのが普通だ。医学生にとって、それほどインパクトの大きな時期の一つなのだ。

医学部では、これ以外にもっともっと大変なことが山積していると思うが、私の経験から印象に残っており、それだから「解剖学」に興味を持った次第である。




裏表・右左・上下・内外

解剖学では人間を外側から見たときに誰でも共通の方向を決めるために、裏表、左右、上下、内外が定義されている。これが決まっていないと「心臓が左にあると」言っても人によって認識がまちまちになる。

おもしろいのは「患者側から見て」というところだ。患者側から見て左側を左、右側を右と定義する。「医者から見て」ではないところがミソで主体が患者側にあるのは好ましい。

病院で看てもらうときに、実力はあるのだろうが非常に高飛車な医者にお目にかかることがある。私の持論だが、「本当に実力のある人は威張らなくても周りが尊敬してくれる」のである。確かに医者という職業は、常に命と隣り合わせで責任も重くプレッシャーは他の職業よりも遙かに大きいと想像する。しかし、身体的に弱っていて精神的にめげているかもしれない患者さんに対して高飛車な態度を取るのはいかがなものかと思う。

話を元に戻すが、解剖学の定義によると、手の親指は外側にあるが、足の親指は内側にある。これは人間を仰向けに横たえたときに手のひらが上を向く姿勢を解剖学上の基準としているところから来ている。手のひらが上に向いている状態が基準ということだ。一方、足は仰向けに横たえると自然に親指は内側に位置することになる。したがって、このような違いが出てくる。

体の一部を切り取ったとき、もともとその一部が体に付いていたときの体の中心側の切り口を内側、反対側を外側と呼ぶのもおもしろい。この考え方は、鉄道の上りと下りというのに似ている。受け売りで恐縮だが、なぞなぞで「日本で一番高い駅は?」というのがある。答えは「東京駅」である。東京駅以外の駅から東京駅を見ると全て上りだからである。

体の幹を表す言葉に「体幹」というのがある。これに対して「体肢」という言葉があり手や足のことを言う。首から上は体肢かというとそうではなく体幹に含まれるのは「人間の人間たる所以の頭脳を幹に含めないのはおかしい」という倫理的な(?)考え方によるものだろうか。倫理的なニュアンスが含まれてくるのは人間の体を取り扱う特殊性だ。

このように、技術的な解剖学に入っていく前に方向を表す表し方がややこしい。「医学が如何に難しいか」ということだと思う。医学部に入学するのが難しいわけだ。でも倫理的な面が圧倒的に多いような気がして、私の友人が言っているように「医学部は文系だ」というのは、あながち誇張ではないような気がする。






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