音楽の楽しみ(音楽を10倍楽しむ方法)

ダレ〜としたファッション

ブルッ○ス・ブ○ザーズの金ボタン

蒲田

家へのこだわり

今度作るとしたら、こんな家にしたい(その1)

自分空間

サイクリング

カヌー工房見学

説得力のある文章

子供たちのいない空間

白神山地

サイクリング(2)

結婚できない男

しゃれた家具屋探訪

学研の科学

科学の50年史から

バレーボール世界選手権

美人顔

MAC景観

JIG雑感

老人文化の到来

テイ○ンのCM

太る

栗原はるみ

もの作り

まぼろしのレストラン

映画と感動

大人の不倫

三沢の桜

タラの芽

デブの壁

オトコの老い支度

レタス

ボーズ社

秩序

ダイエット(中間報告)

親同士の見合い

体組成計

ペリカンの万年筆「ペリカーノ・ジュニア」

収納

「ベイズの定理」を利用した迷惑メール除去フィルタ

駅の立ち食い蕎麦

役職

筋電義手の開発

ダイエット最終結果

蒲田のラーメン屋

分業化

パーティー

キャンディーズ

サイクリング(3)

ヨット界のオグシオ



分解

散髪

蒲田のラーメン屋(2)

ドングリ

捜し物

MAC雑感(2)

ジーパン

バイク雑感

万歩計

バイク雑感(2)

ファッション

牛丼

誕生日のプレゼント

マスコミの暴力

ツリーハウス

シグマリオン2

キッチン

男の料理

トランジスターラジオ

チロルチョコ

オメガの新聞広告

変革

ボイラーの故障

ロボット・クリエイター高橋智隆

中年とバイク

新手の振り込め詐欺

ハッピー・リタイアメント(3)

大雪

あぶらーめん

デジタルフォトフレーム

奇怪な現象


ガレット

ガレット(2)

ナビゲーションシステム

アナログ

ヘリコプター搭乗体験記

LED

日航機墜落事故

ホタルノヒカリ

ジョゼと虎と魚たち

FON

筋肉痛

亭主なんかパトロンと思えばいいじゃない!

零戦

お掃除ロボットルンバ

デジタル時代のコミュニケーション方法

バイク雑感(3)自然が呼んでいる

動脈硬化

Simeji

フィットネス

タイム・マネジメント

Wiiフィットの使用感と効用(ファーストインプレッション)

新しいコミュニケーション手段の到来

透明骨格標本

非常用グッズ

非常用グッズ(2)

それでも桜

ギガパワーストーブ地のオートイグナイターインプレッション

体幹筋肉を鍛える

コンフィ・ド・フォア・ド・ポーク・オー・ポモウ

三沢航空祭2011

正確に話すことと正確に伝えることの違い

蒸気を使った掃除

飛行機の燃料系統

ロートレック

非日常の体験

ブラッスリー・グー

電子書籍

トランジット・ロマン

フジコヘミング

レコード

オオワシ

文明の利器

出張明け

指導者

防衛大学校の卒業式

水泳

ブレイク

電子ブック戦争

安全・安心

電子書籍戦争(2)

楽天koboがんばれ!

キャンプ

拡大鏡付き半田作業台



音楽の楽しみ(音楽を10倍楽しむ方法)


皆さん、音楽を聴くのに
CDを買ってきたり、レンタルしたりして聴いていると思いますが、(私だけかも知れませんが)数回聴くと飽きてしまいます。

その度に
CDを買ったりレンタルしたりするのは経済的ではありません(せこいですが)。そこで、私の音楽の楽しみ方を紹介します。「音楽を10倍楽しむ方法!」。

私はボーカルよりインスツルメンタル(楽器のみ)の音楽をよく聴くので、それを例にとって紹介してみます。


渡辺貞夫のアルバム
Sweet Dealの中の主題曲Sweet Dealという曲を例にとって話をします。

まず、何の楽器で演奏されているかを知ることです。分かりにくければ、
CDの解説にあるパーソネルのところと参考にします。

この曲では、
Saxophone(サキソフォン)、Guitar(ギター)、 Keybords(エレクトリック・ピアノ、シンセサイザ)、 Bass(エレクトリック・ベース)、 Drums(ドラム)、 Percussions(パーカッション)です。

パーカッションは複雑で、ボンゴ(両膝に挟んでポコポコという音が出るやつ)、コンガ(ボンゴより大型で立ってボコボコ音が出るやつ)、マラカス(シャッツシャッツ)、タンバリン、クラペス(拍子木カッコ〜ン)、ギロ(ギョ〜、チョ、チョという音を出します)、カバサ(シャカシャカ)、ウインド・チャイム(シャララ〜ン)、ウッドブロック、カウ・ベル(牛の首に付いているベルが由来、スティックで叩きます)などの音が聞こえます。

ドラムもよく聴くと、バス・ドラム(ペダルを足で踏んで叩く一番大きな太鼓)の皮の張り方を少し変えながら演奏しています。たとえばロックのように、ドスを利かせるときは、張りを少し弱くして、ドスドスといった感じ。通常は、ロックの時より皮の張りを強くして普通にドンドン。この曲のようにボサノバ調の時は、ドラムの縁にスティックを当てて、カチッカチッという音も出します。

ドラムとパーカションはリズムをキープしますが、ジャズでは「ウラ」というリズムの取り方をします。タンタンとリズムを取るとき、ンというときに合わせて音を強く出す場合です。ンも、それを半分、さらに半分というように細かくしていって、出だしを微妙に遅らせ緊張感と躍動感を出します(シンコペーション)。

キーボードは、和音を刻んだりメロディとメロディの切れ目に、合いの手のようにチョロッ(センスの良いチョロットは、本当に曲を引き立たせます)と和音に従ったアドリブを入れます。キーボードは、楽器の中で和音、メロディ、リズム全てを表現できます。


ギターは、和音を刻んでピアノをカバーします。もちろん、メロディも表現できます。

ベースは、曲全体の安定感と幅を出す効果を有していると同時に、打楽器のようにリズムを刻むことも出来ます。

リズムを担当するドラム、パーカッションとベースのやりとりは、とても楽しく息の合ったプレーヤーは、会話しているように曲を進行させます。

中心となっているナベサダのサキソフォンは、アルト・サックスです。昔、ブラバス(資○堂の男性化粧品で今も売っている、根強いファンがいるのだな〜)の宣伝にトロピカルな雰囲気の曲を出して、一躍ジャズを聴かない人たちにも人気が出ましたが、覚えやすい簡単なメロディが特徴です。

また、いきなり目的の音を出すのではなく、チョッとずれたところに音を一端置いて、目的の音までズラしながら音を出すのも彼の特徴です。(ボーカルでは、平井賢の節回しが、これに近い)

曲の形式なども気を付けて聴いてみると、なかなか凝っている場合があります。

「Sweet Deal」は単純で、イントロ(導入部分)→テーマT(次に続く感じ)→テーマT’(テーマTを、曲の終わりの部分で曲が終わるような感じにアレンジ)→アドリブ(コードはテーマT’と同じでアドリブ、ナベサダの腕の見せ所です)→テーマT’(再び)→エンディング(フェードアウトして行きます、ここで再びアドリブが入ります)。

ジャズなどはワン・パターンですが、気を付けていると時々変わった曲に出会います。

等々、視点を変えて聴いてみると、聴き飽きた曲でも新たな発見があり、それなりに楽しめ飽きが来ないで長時間楽しめます。

皆さん、是非、一工夫して、このような聴き方を試みてください。きっと楽しくなりますよ!







ダレ〜としたファッション

始まりは数年前になるが、若者を中心にダレ〜としたファッションが定着してきた。最初見たときは、年寄りの私などは非常に違和感があった。

ピシッとした学生服やスーツ姿は清潔感が感じられ、私の年代ではビシッとしたファッションは当たり前で、むしろモテ線のイメージであった。(でも、私も若いころからラフな格好が好きであった。)

大学の卒業式には、まだ就職せず研究生としての数年を大学で過ごすことが決まっていたこともありジーパンで臨んだ。

男性は真新しいスーツにリクルートカット、女性は晴れ着(今のように袴は少なかった)。その中で1人だけのジーパン姿はまことに異様であった。先生方にはすこぶる評判が悪かったに違いない。

当時ジーパンといえばベルボトムといって、今のブーツカットのような形をしていた。ちょっと違うのは、ブーツカットはシルエットを強調するため太ももの部分が少しきつめである点である。私などはとても入らない。

股下も短い。もともとジーパンは腰で着るというくらい股下が短いが最近のジーパンはもっと短く、しゃがんだ姿勢をするとお尻の半分がはみ出す。若い女性がしゃがんでいる姿を後ろから偶然見たりすると思わず目が点になってしまう。

当時、流行っていたのはベルボトムであったが、私はスリムをはいて卒業式に行った。当時スリムは、お父さんたちが愛用している股引(パッチとも言う)に見えるほど本当にスリムであった。

脱いだりはいたりするのに一苦労するほど足首のほうまで細くなっていた。スリムをはいている人はまれであったのである。

ダレ〜としたファッションに対して感じた違和感は、まず、シャツをズボンから出すという着方だ。確かに私のように腹が出ている人にはシャツをズボンから出すと僅かに体型を隠すことが出来る。

しかしどうもお腹や背中がスースーして具合が悪い。まして、私のように下着のシャツを着ない習慣の人間は特にそうである。

重ね着もそうである。普通ならシャツの上にパーカーを羽織るが、逆に着たりしている。薄物のシャツを一番上に着て、まるでジャケットのような着こなしである。

ジーパンしかり。スリムをいまだに愛用している私は、ストレートでも違和感があるのにだぶっとした太目のジーパンを腰の骨より下に引っ掛けて(いったいどこに引っ掛けているのだろう?そのままスルスルと落ちてしまいそう)すそは、地面を引きずるように長い。足首のところでだぶついている。

ジーパンを止めているベルトもちょうど良い長さに調整されていなく(私はベルトを買うとちょうど良い長さに切るが・・・)、買ってきた長さのままなのだろう、とても長いので端っこが太もものことろまで垂れ下がっている。

かと思えば上着は小さめである。私などはお腹の出っ張りを隠すために大き目のジャケットを好む。小さめのジャケットが似合うのはすらっとした細身の人だけだろう。

ダレ〜としたファッションも全体的に調和の取れた崩れ方だとラフな感じが出てきて、おしゃれな感じになるから不思議である。

若い人たちの着こなしはかなりなものだ。かつて私が卒業式で突っ張っていたように、今の若い人たちも大いに突っ張っていただきたいものである。そして、そのツッパリを職業や趣味に生かして、改善・改革を推進していただきたいものである。

改善・改革はかなりのパワーを必要とする。だから、突っ張るパワーを改善・改革推進に役立てれば実現に一歩近づく。

「最近の若者は・・・」と愚痴る年寄り(自分も多少そんなところがあるけれど)は、大いに根性のあるアウトローを重視すべきであると思う。





ブルッ○ス・ブ○ザーズの金ボタン

V○Nというブランド名は私たちの年代にとってなつかしい独特の響きを持つ。

トラッドを象徴するようなこのブランド名は、普段、グレーや紺のスーツに身を固めて仕事をしている私たちの年代の大半のサラリーマンにとって、憧れでありおしゃれの合言葉だった。

羽田空港にトラッドを代表するブルッ○ス・ブラ○ーズの店がある。いつも駆け込み乗車なので、あるのは知っていたが横目でチラッと通り過ぎるくらいだった。時間が出来たときにいつか行ってやろうと思っていた矢先、ラッキーにもその機会が訪れた。

折り返し便で三沢から東京へ飛んできて、東京から三沢へ折り返し飛ぶ飛行機が機材故障(最近、J○Lは多いネー)で遅れたのである。

早速、お目当ての店へ。なんとショウウインドウに素敵な紺ブレが飾ってあるではないか。これを着るときっとカッコいいだろうな。とモデルの写真と自分をダブらせて(ダブらないって)思わずよだれが・・・(食べ物でないんだから・・・)しばらく眺めていたがフト値段を見てびっくり。ブレザーだけでブランド物のスーツより高い。

私のようなサラリーマンには、とても手が届かない。ユ○クロで我慢しよう。そういえば今もっているスーツのボタンを取り替える方法があるな。

ブルッ○ス・ブ○ザーズのボタンは羊の絵が図柄になっていて一目見てわかる。「そうだ!ボタンを付け替える手があったな。」

厚顔の中年の特権で、あつかましく「店の人に聞いてみよう。」(ボタンを付け替えるなどというのは大昔流行っただけで、果たして今頃そんな事している人いるのか知らん・・・)と思いつつ恐る恐る親切そうな店の(もちろん美人)女性に聞いてみる。

○○さん(名刺までいただいた)という上品なお嬢さんは、「今、店に在庫はありませんが、お取り寄せできますよ。」「ときどきボタンを付け替えたいとおっしゃるお客さんがいらっしゃいますよ。」と親切にも答えてくれたのだった。

在庫は2個しかなかったが、それを見せてくれて「きっとお似合いですよ。」とまで言ってくれた。(店の人だから社交辞令に決まっているが・・・)

ダブルのスーツに付ける事にして、合計14個。1個600円なり。(前に付ける大きなものと袖に付ける小さなものと値段が同じ?工数が同じだから同じ値段なのだそうだ。)ボタンとしてはかなり高価だがブランド物のスーツの値段よりはるかに安い。(当たり前か・・・)

「入荷しましたら宅急便でお送りします。」送付状に住所を書くと「まあ!遠方から、いらっしゃっているのですね。ご苦労様です。」と田舎もんに優しいお言葉。(社交辞令、社交辞令・・・)

気持ちよく購入した。

普段、作業服にドップリ浸かって、おしゃれとは縁遠い生活だが、たった14個のボタンで、なんだかずいぶんおしゃれになった気分。(変なオヤジだと思っていたに違いないが、親切・丁寧な対応をしてくれた店の(美人な)お嬢さんのおかげで、小額な買い物だったが本当に良い気分を味わえた買い物だった。)










蒲田

東京へ出張するとき宿泊先を蒲田にすることが多い。(長女が京王線沿いにアパートを借りているので時々監視を兼ねてそちらの方へ泊まることもあるが)

蒲田は7年間ほど住んでいて土地勘があるということと、羽田空港が近いという位置的な面で、宿泊地として選択することが多いのである。

蒲田は下町で庶民的である。また、物価が比較的安い。そのせいか、私のような貧乏人がが住んでいる場合が多い。

最近でこそ高級マンションが国道15号線沿いに立ち並んできて、ずいぶんときれいになった。しかし一歩町の中に入ると、いわゆる木造モルタルのアパートが多く立ち並んでいる。

また、自宅ではなく仮住まいしている人も多い。風呂も各部屋にはないのか、銭湯が未だに健在である。

私は、この町の雰囲気が好きである。

一つに人間関係が親密である。店のおじさん、おばさん、近所付き合い、もっとも東京なので、地方に比べれば親密度は低い。もっとも最近、物価が安いせいかどうか分からないが、外国人が多くなり治安が悪い。

蒲田の奥の方に入り込もうとすると、かなりの土地勘がないと危ないような気がする。

私が定宿としている宿泊施設は、繁華街の奥にあり宿泊料は破格的に安い。

当然いろいろな人が宿泊している。日雇いのおじさんもいれば、接待に疲れた営業マン、かと思えば、どうしてこんな人が泊まっているのだろうと思えるような品の良い人もいたりする。

本当にいろんな人が24時間いつでも予約なしに泊まりに来る。

日雇いのおじさんの朝は早い。4時ころに起き出し一日の準備を始める。最近少し景気が回復したと巷では言っているが、日雇いのおじさんたちの世界は、まだまだ上向き傾向の恩恵が届いていない感じがする。

早起きして、一番楽で日当の高い仕事にありつかなければならない。

風呂は共同風呂なのだが、日に焼けた黒光りした鋼のような肉体を目にすると、ぶよぶよな白豚のような私などは小さく(どこが?)なってしまう。

食事も、なかなかいける。コストパフォーマンスに優れ、とにかく量が多い。肉体労働する人が必要とする栄養と満足できる量が提供される。(私などは食べきれないほどの量だ)

店の雰囲気、外観にしゃれたものは一切無い。私がいつも立ち寄る食堂はせいぜい10人くらいしか席がない中華料理屋である。

主人を含めて奥さん娘さん3人家族で切り盛りしていて、中国人だ。日本に来て日が浅いのか日本語が下手である。

でも、主人が作るレバニラ定食は最高である。餃子もすばらしい。餃子の皮は手作りであり、もっちりしていて歯ごたえがある。

レバーはチョット癖があり、好きな人と嫌いな人がはっきり別れる。レバー特有の臭みを見事に取り除く秘伝の味付けである。

私が蒲田好きの所以である。






家へのこだわり

家を立てるのは2軒目である。おかげで借金で首が回らない。何かの本で読んだが家は3軒立て替えなければ満足いく家は出来ないらしい。

家を建ててみて住んでみていろいろと改良点を次の家の設計に生かすということか。

2軒目の家での設計コンセプトは、東北建てるということで以下のように置いてみた。

・24時間暖かい
このためには家の断熱構造がしっかかりしていること、機密性が高く24時間空気を強制循環させること、外壁と内壁の間は外気温と室内の温度差から結露が避けられないので、この部分も空気を強制循環させることによって乾燥させ結露を防ぐことが必要。

・光熱費が安い
ファンヒーターを1台にして全部屋に暖気を循環させる。そのためには高機密と大開口の吹き抜けを利用した空気の循環路を確保する。各個室はプライベート確保のためのドアを付けるが基本的に通常は開放する。閉めたときでもドア下部に隙間を作り空気を循環しやすくする。

ちなみに、1年間温度分布のデーターを取ったが、ファンヒーターから一番遠い部屋の窓際の気温は、ファンヒーターの近くの温度より僅か1℃低い程度だった。おかげで冬はTシャツと短パンで過ごしている。

・皆が集まるリビングは出来るだけ広く
大きめのテーブルを自作しているので、それが入る必要がある。

・畳の部屋はなし
メンテナンスが大変な畳は省略する。

・客が泊まりに来たときに用意するような普段使っていない部屋は作らない

・車庫は母屋にビルトインし母屋から出入りできる
東北の雪国では絶対に必要。

・物置は別棟にしない
すなわち、車庫と一体型。

・外見は奇抜な形にせず単純な矩形とする
耐震上単純な矩形が強度が高い。

・収納スペースは出来るだけ少なく

・書斎は作らない
子供2人はいずれ居なくなるので書斎は造らず子供たちがでていった後改造する。

・広さは親子4人が最低限生活できるスペースのみとする

・内装にはお金をかけないが照明には凝る

・台所はリビングから見えないようにする(かみさんの強い要望)

・2階層とし、1階は共通スペース、2階はプライベート・スペース

・リビングの中に2階へ上がる階段を設ける

・当然、トータルコストが安い

・家の設計とは関係ないが、庭いじりは一切しないので、必要な土地は家の建坪と同じくらいの土地で十分

土曜の朝7:30から放送されている「建物探訪」は、都市部の狭猥な土地にゆったりとした空間を持った家を紹介していて、建築家の工夫に脱帽である。今でも毎週欠かさず見ている。

これらの要求を建築会社に話たら、最初は「そんな無茶な」と回答された。

2級建築士の勉強を、にわか勉強でやっつけて建築会社に何度も足を運んだ。

高機密、高断熱をコンセプトに規格品を販売しているトステムを採用することにした。

大開口の吹き抜けとリビングに階段を設置するコンセプトは、耐震強度上の問題がありプレファブ工法の範囲では、大開口の吹き抜けのあるリビングに階段を設置することは実現できなかった。(鉄筋コンクリート構造や鉄骨構造では実現できたと思う)

照明は東京秋葉原のヤマギワのショー・ルームで実物を見て購入した。ルイ・ポールセンのシンプルな照明が気に入って、少々高かったが、家族生活の中心であるダイニングテーブルを照らすところに設置し、家族皆が恩恵を受ける照明と割り切って購入した。

この照明を3個、約6mのリビング天井から吊り下げた。自分ではなかなか良いと満足しているのだが、我が家を訪れる客は誰も気付いてくれない。




唯一、この照明を気に入ってくれた(気付いてくれたのは)のは息子の同級生で美術科に通う少年だった。




ルイ・ポールセンの照明はインテリア雑誌やデザイン雑誌の中でよく見かける。

本当にシンプル。飾り気もなく白熱灯(白熱灯はフィラメントが良く切れる、2〜4ヶ月に1回位の頻度か)を使っているので光りも柔らかい。あんな単純なデザインなのに存在感が絶大である。

シェードの位置を良く考えてデザインされているので直接白熱灯からの光が目に入らないのでまぶしくない。

とても素人にはまねの出来ないデザインである。(一点豪華主義、その他の照明は安物だが)

部屋の雰囲気を良くするのに照明の果たす役割はとても大きい。ヤマギワの照明のショー・ルームは、私のような素人にも照明の効果が良く理解できる。

テレビドラマに出てくる生活感のないマンションの一室にあるような奇抜な照明も展示してあり、すてきではある。が、シンプルで飽きの来ない照明も多数展示してある。

照明に興味ある方は、参考に見に行かれることをお勧めする。

老後のために3軒目を考えているが、2LDKのマンションで一戸建ては考えていない。鍵ひとつで管理できる利便性と外回りのメンテナンスが管理会社任せに出来るからだ。(現在、一戸建てのメンテナンスの大変さを痛感している)

バリアフリーも必要だ。バリアフリーの極端な例として、ある雑誌に掲載されていた事例だが部屋のしきりが一切無い。敷居やスライド扉のレールが一切ないのである。只のがらんどうなのである。

ただし、プライベートスペースや水回りを確保するために、家具をしきりに使う。

しきりに使う家具は厚みがあり収納を兼ねている。キャスター付きで移動も可能。生活の方法によって幾らでも部屋のレイアウトを変えることが出来るのである。

この発想は、すばらしいと思っている。私も是非参考にしたい。

部屋を家具で仕切ると言うことは、家具の上部には空間がある。これにより空気の流れも確保でき、エアコンディションがやりやすくなるとともに、空調用の設備数も少なくて済むような気がする。

水回りの床は、ふつう他の床面より一段高くなっている。配管を引き回すためのスペースだ。

他の床の、かさ上げした空間はもったいないが、他の床の高さもこれに合わせてフル・フラットにリフォームする。オフィスにあるように、この空間は配線等に利用すればよい。

キッチンは絶対に業務用だ。プロの料理人が使い勝手を長年の経験でスリム化したもので、シンプルかつ合理的の極みである。工業デザインの究極だろう。

システムキッチンほど使い勝手が悪いものはないと思う。(料理をかみさん任せにしている私が言っているのだから当てにならないが)

収納があり一見きれいに見えるが、料理の途中で、なべ釜・食器などの道具を、扉を開け閉めして取り出す煩わしさは筆舌に尽くしがたい。

自動で降りてくる収納などは、いったい何を考えているのだろうと、その発想を疑う。きっと料理をしたことがない人が設計しているに違いない。

業務用キッチンは収納部が無い。料理をするための台、シンク、レンジだけである。このためシンクの下は何もなくてがらんどうである。あるのはシンクからの配管だけである。

収納スペースは、必要であるが多く設ける必要はない。生活に必要なもので収納しておかなければならないものは、リストにしてみると以外に少ない。

私などは「もったいない」という言葉を両親に言い聞かせられて育ってきている世代なので、ものを捨てきれない。「いつか役に立つときが来るにちがいない」と思って捨てずに取っておく。

こんなものに限って後に役立ったためしがない。役に立てるどころか、そんなものを持っていること事態忘れ去っているのである。引越しのときの荷物整理をしていると、「こんなものがあったのか」と驚いている始末である。

とにかく捨てる。気が付いたら捨てるのである。(もっとも捨てすぎて、しまったと思うこともしばしばある)

そのために収納スペースは出来るだけ少なくする。それから常に見えるようにする。奥にしまうとか重ならないように収納し、外から何が収納してあるか、すぐ分かるようにする。

収納の方法に隠す、というのがある。隠して部屋をすっきり見せる。しかし、家は自分たちのためにあるのである。見せるためにあるのでもなく、お客さんのためにあるのでもない。

見えない収納物は、その存在を忘れてしまって利用価値がゼロになってしまう。これも雑誌の受け売りであるが、収納をすべて透明のボックスに入れ見えるようにしているものがあった。収納されているものを一種のオブジェとしているのである。

我が家には客が泊まる部屋はない。が、それでも客が泊まりに来ることがある。

そのために優れもののソファーがある。いわゆるソファーベッドであるが、通常は背を倒してベッドにするために、ソファーとしては間延びした幅になる。

お金持ちのとても広いリビングにおいてある大きなソファーは、ゆったりとして気持ちがよさそうだが、たかだか20畳くらいのリビングでは2人がゆったりと腰掛けられる程度の幅で十分である。

ソファーは部屋にマッチしたちょうどいい幅がある。部屋の大きさに合ったバランスの取れた幅があるのではないかと思っている。下写真で左側にイスがあるが、それと比較するとソファーの幅は2人がゆったり座れる幅になっている。




この優れもののソファーベッドは、座面が全面にせり出してきてベッドになるのだ。

すなわち、通常座っている座面が頭の部分になって、足のつま先は延ばした座面になるのである。

座面がせり出すのは2段階あって、1段階目は少し長くなり座った状態で足を伸ばせる長さになる。(下写真参照)



これはゆったりと映画を鑑賞したり音楽を聴いたりするのに、とても良い。いわゆるカウチの体勢である。

2段階目でもうちょっとせり出す。ここでベッドになる。2人掛けの長さのソファーなのでベッドとしては、ちょうどダブルベッドの大きさである。




お客さんが来て泊まるときは、プライベートの確保には難があるが、寝る場所はリビングに確保されているのである。


照明が重要であると言ったが、照明はデザインとともにその光量というか照度というか明るさの度合いが重要であると思う。

私などは出来るだけ明るくさわやか(?)にしようと思うのであるが、フランスで生活してみて日本のそれと比べて、ずいぶん暗いことが分かった。

仕事や細かい趣味をやるには照明は出来るだけ明るい方がよい。(首が自由に移動できるスタンドでその機能は確保される)でも全体的に癒やしを求めるなら、幾分暗い方がよいのではないかと今では思っている。

それから光の色、素材である。フランスではまず蛍光灯は使われていない。ほとんどが白熱球である。

白熱球の光の色は少し黄色を帯びていて柔らかい。確かに耐久性という面では蛍光灯に及ばない。蛍光灯の寿命は驚くべきで本当に長い。

最近では蛍光灯の光の色もいろいろな種類がありずいぶん柔らかい光もある。

しかし、音楽をデジタル処理した半導体のシステムで聞くのと真空管アンプで聞くのとの違いのようなものがあるのではないか。

データー的には周波数特性や臨場感を出すための音位置、残響の効果を模擬できたりとデジタル処理された音楽信号の料理方法は簡単で優れている。

しかしである。ハイフィデリティの面では劣っているはずの真空管アンプからでてくる音の柔らかさ暖かさというのは、音楽を趣味としている人の心を未だにつなぎ止めている。

雑誌「無線と実験」等立ち読みしていると、いまだ真空管アンプは健在で、市販されている。真空管自体売っているのかしらんと秋葉原のラジオデパートなどを物色してみると、売っているのである。

照明の光についても同じ事が言えるのではないだろうか。我が家のリビングに付いているルイ・ポールセンの照明に使われている光源は白熱球で、しかもガラスは透明である。

ガラスが透明の白熱球は、私の祖父母の田舎(農家)の便所や台所に付いていて、うらびれた何か恐ろしささえ感じたものである。

子供のころは田舎に泊まりに行って、夜中に便所に行くことが出来なかった。

電気製品の量販店に行ってみると、白熱球はかなり大量に取り揃えられている。需要が結構多いと言うことで、照明に凝る人がかなりいると言うことであろう。






今度作るとしたら、こんな家にしたい(その1)

部屋の間仕切りを出来るだけ無くし、家族の居住スペースとしてリビングを中心にする発想は、磯矢設計事務所(http://risoya.at.infoseek.co.jp/)の提唱するユソニアン住宅に通じるものがある。この住宅は間仕切りや扉を出来るだけ無くした流れるような連続した形を特徴としている。

独立した書斎やプライベート・スペースを出来るだけ無くし、個々人の作業場とリビングを1体化するということに通じる。もちろんプライベート・スペースは必要で最小限に押さえるということである。


そのためには家族が集まれる十分なスペースと家具の確保が必要である。作業場所の中心として重要なのはテーブルである。

出来るだけ大きなデーブルが必要である。テーブルは作業をする際、資料等を広げるスペースが必要だ。そのためには横の広がりだけでなく縦の広がりも必要である。

そのためには奥行きは最低1mは必要である。奥行きは人間の手の届く範囲が上限であるとすると1mという寸法は妥当である。(食卓としても同様の寸法が必要である)

通常使用するもの(辞書、書籍、PC、電話・ファックス、AV機器等)が配備されている必要もある。これらは体積としてはかなりの量になる。効率よく配置しようとすると、壁面1面を棚にするということになる。

リビングであるからディスプレイ効果も考えなければならない。お気に入りの調度類、装飾品等心を癒やす効果のあるものも少量置けるスペースも必要だ。そうすると、棚にディスプレイ効果を持ったデザインも必要だ。ぎちぎちにものを詰め込んでも見栄えは良くない。ゆったりとしたスペースを持ちながら、これらのものを収納できる必要がある。


無駄なものを収納して、そのまま忘れ去るのを避けるために、収納しているものが見える必要があるので蓋や扉は付けない。いわゆる隠す収納ではない。

家具は作りつけというのがユソニアン住宅の設計思想である。当然であるが限られた空間を効率的に使うには作りつけの家具が必要である。

家具にはテーブルや椅子のように空間の中心にあるもの、壁に沿って配置される本棚、収納等の箱ものに大きく分けられる。


部屋の壁に沿って配置される家具は、壁の変わりが出来ることから壁に見立てることが出来る。壁が強度部材でなければ家具で代用することで壁を無くすことができる。収納スペースは生活空間から言えばデッドスペースである。これを壁の替わりに使わない手はない。

家は、人の動線、家族構成の変化に対応できる必要がある。特に家族構成の変化に合わせるということは大変難しい。子供が小さいときは、プライベート・スペースは必要ない。が大きくなるにつれてプライベート・スペースは必要となる。子供が家を離れると、また、プライベート・スペースは必要なくなる。この変化を作りつけの家具で対応するには、家具を都度作り替える必要があり大変である。


このためには、作りつけの家具をモジュール化し、部屋のどの位置にも移動できるようにしておくとよいという発想が出てくる。移動できること、モジュール化していること、がキーワードだ。

この要求を満たす家具とは、いったいどのような家具になるのだろうか。

モジュール化するには、部屋のうちのりの寸法を等分した長さを最小単位とする必要がある。

移動できるようにするためには、キャスタを付ければOKである。

床が全面フラットで間仕切りのない住居とモジュール化した家具のイメージがまとまってきた。






自分空間

ふと自分自身で自由になる空間がほしくなるときがある。これは家族とも仕事とも切り離された空間である。自分一人で思いを馳せることが出来る空間。空間とは物理的スペースと時間である。

ただ、それは書斎があって書斎に籠もればよいという問題でもなさそうだ。その空間は、日常の生活の中にいつでも存在しているように思う。例えば、10分間、回りの世界と切り離された空間を作るのは、どんなに忙しくても可能だと思う。1週間に1回で十分である。


10分もあれば自分の中に滞っていたアイデア、整理しておこうと思っているプロジェクト、自分の生き方への思考等、十分出来る。10分の時間を作ることは努力すれば誰にでも出来る。(とはいえ、なかなか難しい!)

私は、この空間を確保するために出張の移動期間をよく利用する。移動の時間には乗り物に乗っている時間、待ち合わせのための調整時間等々、チャンスはいくらでもある。

移動している時間は、日頃の睡眠不足を補っているので大抵は寝ている。だから、よく利用する場所としては、ド○ール・コーヒーのような、おいしいコーヒーを安い価格で提供してくれ、コーヒー1杯で30分から1時間静かに集中できる環境を提供してくれる施設である。

外資系の店もあるが、ノートPCを開いて何かをする雰囲気ではない。価格の設定が高めでハイカラを売りにしているように思える関係で、優雅におしゃべりをしている人が多く、貧乏くさく何かをせかせかとしている人はあまり見かけないような気がする。


喧騒の中の独立した煙のない空間と、心を落ちつかせてくれる美味しいコーヒー。そしてハンドヘルド・コンピューター。これらがそろっていれば、自分の考えを整理することが出来る。この時間は30分以下のことが多いのだが、本当に集中しているようで、あっという間に時間がたってしまう。

ド○ール・コーヒーは、町中至る所にあるので、人と待ち合わせしていても待ち時間にいらいらすることもなく、考えを整理することが出来る。

何を整理しているかといえば、仕事に全く関係のない事が多い。趣味のこと、日頃感じている雑感、いわゆるホームページネタのようなものが多い。

ホームページは、私の精神安定剤になっている。

数年前、ストレスで入院(顔面神経麻痺で顔の半分が動かなくなってしまった)したりもしたが、精神的ストレスの解消方法を工夫することの重要性をしみじみ認識したものである。


今はとても精神的バランスが良いと思っている。仕事一辺倒で人生の半分を生きてきた自分を考え直したのも入院がきっかけだった。

精神的バランスを保つための自分空間、皆さんも工夫してみたら如何でしょう。書斎のような特別な空間、たいそうな時間は必要ないのです。





サイクリング

私の住んでいる三沢にはサイクリングロードがある。自宅の近くから小川原湖までの約15km。平坦な田園と森の中を走る。天気がよい初夏の頃は、とてもすがすがしい。

本人は、ツール・ド・フランスよろしく、引き締まった筋肉の選手のような自分が颯爽と走っている姿をイメージして走っているが、実は、中年太りのおじさんが、ヨレヨレと走っているのである。



サイクリングロードの出発点。田園の中を延々と湖までつながっている。



これから森の中に入っていく。入り口付近で休憩。



森の中は、このような道が延々と続く。アップ・ダウンが激しいのでMTBでないと走破は難しい。



巨木が道にせり出している。写真では分かりにくいが、道の左側が崖になっていて、湖にそのまま吸い込まれる。この山道は獣道ではないが、獣道を横切っている箇所が幾つかあるので、季節と時間を良く考えて通らないと熊に遭遇する。(冗談ではなく、本当に熊がいるのだ)



森の道を抜けると、再びサイクリングロードに出てくる。森の中のアップ・ダウンをひとしきり走った後は、とりあえず休憩。



暫く行くと、小川原湖畔に出てくる。サイクリングロードは湖畔に沿って続く。湖畔には別荘が建てられていて、夏になるとバーベキューや海水浴、日光浴でにぎわう。



湖畔には別荘だけでなく、いろいろな施設がある。私の興味があるのは、カヌー工房である。ここでは、木造のカヌーを作っている。



ガラス越しに工房の中をのぞいて見た。作りかけのカヌーが数台おいてある。いつか時間を見つけて見学させてもらおうと考えている。特殊な手工具が置いてあり、木工の参考になりそうである。



小川原湖唯一のマリンショップ。ジェット・スクーターが中心。(今はヨットは流行らないのかな〜?)ヨットはあるにはあるが埃をかぶっており最近使用した感じはしない。



さらに湖畔のサイクリングロードを走っていくとキャンピングサイトにたどり着く。



キャンピングサイトには、コテージがある。もちろん、コテージだけでなくテントサイトもあり、夏には若者や家族連れでにぎわう。私も、子供が小さいときは、家族でよくキャンプをした。

以上は往路である。これを戻るとちょうど30kmくらいなり、ちょうど良い(実はヘトヘト)運動となる。時間にすれば約2時間。

湖畔には、米軍のプライベート・ビーチがあり、日本人は立ち入り禁止となっている。撮影禁止となっているので残念ながら日光浴しているグラマーな女性の写真はない。

ちなみに私が愛用している自転車はMTBである。私の部下が、ツール・ド・北海道で入賞したときの賞品を譲り受けたものである。自動車1台分くらいの値段の自転車を持っている彼は、10万円くらいの安物?の自転車は要らないとのことだったので譲り受けた。

私にとっては、自転車とはママチャリの感覚なので、高級自転車の部類である。サスペンションは付いていないが、シマノの変速機が付いているし、ハンドル、ペダル、サドルなどは、フランスの○○社製と書いてある。

余談だが、シマノの変速機は、世界のトップ・プロが使用しているそうだ。変速がスムーズに行えるように、ギアの歯の形が1枚1枚異なるそうだ。(皆さん知ってた?)






カヌー工房見学

サイクリングの途中で遭遇したカヌー工房を見学した。

製作中のカヌーが置いてあり、カナディアン・カヌーが1台、カヤックが2台が置いてあった。

船のハルの曲線はとても美しい。特にヨットなどのように自然の力で走ろうとする船は、無駄のない流線型が必要である。

アメリカズ・カップなどはそのよい例で科学技術の粋を集めた曲線である。これらの曲線は渦を巻かない流線型で、高性能コンピュータと緩和法による繰り返し計算で解を求めるとともに、実際に模型を作って計算のベンチマークをするそうだ。

ハル(船底)の曲線は、とてもセクシーに見える。女性の持つ究極の曲線とでもいおうか。

そのハルの曲線のをどう作るのか。疑問に思ってこの工房を訪れた。

木はスプルース、杉、ヒバ等なんでも良いそうだ。要は最終的にグラスウールとファイバーでコーティングするので、強度、防水については材は何をつかっても良いということだ。

確かにハルの木目を美しく出すためには材を選ばなければならない。ベニヤで作るにしても船舶用の輸入品を使う場合があるという。いずれにしても節目が無いことが重要だ。

曲線を旨く出すためにはハルに張り付ける木の幅は小さい程良い。工房で使用していた木の幅は20mmである。

もう一つ重要なのはその木と木の繋ぎ目をいかにスムーズに接続するかである。

ここの工房では木に溝を掘っていた。掘る方法は特殊な鋸を使うそうだ。この鋸は市販されていなく、この工房独自で市販の鋸に改良を加えたものだそうだ。



上の図用に張り付ける幅の木端の片側だけに溝を掘り凹に加工する。反対側はその溝にはまるように凸に加工する。こうすると板と板がどのような角度になってもスムーズな接続が可能になるのである。

素人でこれを実現しようとすると、ルーターを使うことになる。工房の代表である相馬さんも、そのように言っていた。

説明してくれた相馬さんは、とても目が若くキラキラ輝いていた。私の愚問にも真剣に熱弁を振るって説明してくれた。(忙しいのに2時間以上付き合ってくれた)私たちが忘れていた子供の頃の目の輝きをそこに見たような気がする。

ALWAYSに出ていた子供たちのような目。こんな生き方をしている人もいるのだと羨ましく思った。質問があればいつでも連絡をくれと言ってくれた。

ちなみに、ホームページもある。http://www7.ocn.ne.jp/~s-canoe/





説得力のある文章

私のホームページは、小さな感動を書き留めることを主旨として始めた。ほとんど独断と偏見でその感動を書き留めてはいるものの、時々感想をもらうものと全くリアクションがないものとがある。

感想をもらうものは決まっていて、その話題に集中する傾向がある。この傾向は、きっと読み手に何らかのインパクトを与えているかいないかの違いから生まれるのだと思う。

つまり、ほんの小さな感動を文章にするとき、その感動が読み手に伝わるときと伝わらないときがあるのだということだ。

その差はいったいどこにあるのだろう。

このことについて、ホームページ「おとなの小論文教室」を立ち上げている山田ズーニーさんは、LESSON314の中で話題にしている。(http://www.1101.com/essay/index.html)

山田さんは、伝わる文章とは、「潔さ」を備えており「捨てる」ということが旨くできているのではないかと分析している。

小さな感動を誰かに伝えようとしている人は、自分が感動したことだから、あれも、これも、できるだけ正確に自分が感じたことを詳しく述べようとする。だから、本当に伝えようとしていることがボケてしまうということだと思う。

ひとつの文章では、述べたいことは「ひとつ」に絞って、他のすべてを「捨てる」勇気を持つということだ。

なるほどとは思うが、なかなかこれが出来ないのが私たち素人の浅はかさである。特に私のような理系の技術屋の文章は、このようになりがちである。

物事を正確に言わんとするため、どうしても複雑になってしまうのである。結果として技術屋の言っていることは「難しくて良く分からない」となってしまう。

また、彼女は、小論文教室の中で、自分の感動した「経験(事実)を羅列して書く」のではなく、経験を通して「自分の伝えたいこと」を伝えることに重点を置いて文章を書くように指導しているそうだ。

例えば、「原爆の悲惨さ」を伝えるのではなく、原爆を通して、その悲惨さ、その爪跡、責任の追及、平和への希求等を述べ、「生命の美しさ」に的を絞って結論をまとめるというようにである。

一方、伝わらない文章は、どうななのかというと「自分が…、自分が…」という自己主張に埋没している。

受けては分かってはいるけど(ある種の)疎ましさを感じてしまうのである。

人間はあまのじゃくなところがあり、これでもかこれでもかと迫ると逃げ出したくなる。

反対に、付かず離れずという状況はある種の魅力さえ生みだすことは、恋愛にたけた女性を観察すればすぐに分かることである。

「私の主張を聞いてくれ」が無意識に主題となってしまっている。そういう表現は、まわりがしんどい。

山田さんの「おとなの小論文教室」LESSON314は、私のように文章の下手な人間にとって、仕事の上でも趣味の上でも大変参考になる。

皆さんも是非参考にされてはどうでしょう。






子供たちのいない空間

故あって子供たちのいない状況を2週間味わった。大学生の長女は東京のアパート、高校生の長男は夏期講習で東京の予備校に通っていたので2人とも出払っていたのだ。

全国的に盆休みの週だったが不幸にして私は出勤していた。たまたま(滅多にないことだが)この期間は定時退勤で、(本来はこれが普通なのだが)日の明るい時間に帰宅した。

昼間、出勤はしていたものの、老後の生活というのは、こんな感じなのかとその片鱗に触れることが出来たような気がする。


もともと、子供の教育に関しても、勉強は当然だが、親が子供にするべき教育は親から独立して生活していけるように、その方法論を教えることが重要と考えている。

また、親自身子供を教育していく過程で、勉強していくもので親の人間形成に重要な過程であると考えている。

そう考えているので、日ごろから子供の居ない生活を想定しながら普段の生活を過ごしてきている。そういうこともあり、比較的スムーズに、この短い2週間を過ごすことが出来た。

仕事にかまけて、やろうと思っていてやれなかったことを存分に実行できた。腰痛で木工は思うに任せなかったが、日頃勉強しておかなければと思っていたことや、資料集め(いずれも当然仕事以外のこと)に有意義な時間が過ごせたと思っている。

仕事のない日曜日などは、何十年振りかで近くの図書館へ行って受験生と思われる学生たちに混じって、図書館に備え付けの机に向かった。おもわず学生時代を思い出してしまった。

若い受験生の中にいると、ふと自分もタイムスリップして学生に戻った錯覚に陥る。このような思いは、仕事の関係で大学を訪れるときにも感じることだ。

必ずその大学の(生協運営の)食堂に立ち寄ることにしているが、そのときに感じる懐かしさと似ている。

かみさんも久しぶりに家事の手を抜きまくり、フランス人に日本語を教える家庭教師の仕事の傍ら、バレーボール、日頃読みたいと思っていた小説を買い込み(あるいは図書館から借りてきて)読書三昧の日々を送った。


食事の後、ゆっくりお酒を飲みながらの会話。我が家は、どちらかというと夫婦間、親子間でのコミュニケーションは良い方だと思っている。(「大きなテーブル」を過大評価していて私が勝手に自分で思っているだけかも知れないが・・・)

したがって、子供たちが家にいるときは、話題の中心は夫婦間の話ではなく、学校での出来事、普段子供たちが感じていることを話し合うことが多い。

子供たちが居ないために、ゆっくりとした時間の流れの中で静かに普段異なる話題(老後の過ごし方とか)を話し合うことが出来た。(雰囲気を作るためのBGM、ゆったりとした音楽も大事。小野リサの新しいアルバム「Jambalaya-Bossa Americana」やゆったり目のジャズ等を終始流しながら・・・)

自分たちの考えを整理する意味で、とても充実した期間であった気がする。長男が大学生となり県外で生活するようになると、一層このような機会が今後増えてくるのだろう。


家の造りも、子供たちが出ていったときにちょうど良くなるように設計(子供部屋は子供が居なくなったときに書斎に改造する計画で、客間や和室のように普段使わない余分な部屋を無くしただけだが・・・、)しているので、だだっ広い無駄な空間もなく、いたずらに虚無感に煽られるようなことはない。

この経験は、老後の設計をしていく上に非常に役立った。第2の人生を成功させるには、日頃から老後に何をするか、そのための環境作りをどのように進めていくか、夫婦間でよく話し合い計画的に準備していく必要がある。

「50才からの人生設計図の描き方(河村幹夫著)」に、そこら辺の考え方が示されている。老後どのように生きていくのかは、人から教わるものではない。自分で考え設計していくものである。

老後の計画は計画の段階から楽しい。「50才からの人生設計図の描き方」の中で書かれていることは、あくまで方法論であり参考である。

筆者は、「50歳になったら、週末はすべて自分の時間に当てよ。」と述べている。これは正解だと思う。

私自身、一時期は仕事人間で休日も含めて、寝ているとき以外全て仕事のことを考えるという期間もあった。そのためかどうかは定かではないが体をこわし入院もした。

会社勤め最後の10年間の週末は、「自分たちだけのための第2の人生設計に一部の時間を費やしなさい」というアドバイスは説得力がある。

医療保険制度の崩壊や将来が不確実な時代に、老後の設計は決して簡単ではない。故に、長い時間と広範囲の知識が必要となる。

10年間を人生設計に当てるというのは長いようで短い。皆さん、心してこれからの10年間を生きようではありませんか。






白神山地

椎間板ヘルニアのリハビリを兼ねて、夫婦で白神山地の山歩きをした。ゆっくりペースで2時間程度の山歩きだったが、足腰の衰弱は予想以上だった。老いは足腰からとは良く言ったものだ。

ところで世界遺産という言葉は良く聞くが、そもそも何なのかよく分かっていないことに気付いた。インターネットで調べてみると以下のようだ。

世界遺産を保護するとは、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」を締約した国の拠出による「世界遺産基金」を用いて世界の貴重な遺産を保護しようとするものである。

締結国数は180か国で、世界では812か所(2005年7月現在)が世界遺産として登録されている。知らなかったが、日本では13か所もの世界遺産が登録されている。

白神山地は原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布しているので世界遺産として登録されている。

山歩きは、もちろんブナの原生林の中ではなく、3つの滝を見ながらの簡易な山歩きコースである。本格的なキャラバンシューズなど必要なく運動靴で登れる。

が、一番規模が大きく見応えのある3番目の滝までは到達できなかった。2番目の滝を見て引き返したのである。階段状に道が造ってあり歩きやすくなっているものの、かなりの急斜面で病み上がりにはちょっと堪えたためである。

日頃の足腰鍛錬の大切さを、あらためて思い知った1日だった。翌日、翌々日は足がパンパンに張っていたことはいうまでもない。(期待していなかったが、予想通り体重は減っていなかった)

一つ言い添えておきたいのは、自然の中に人間が入っていく場合は、自然を損なう可能性が多分にある。

当地にはボランティアのガイドさんが居て訪れた人を案内していた。私たちは、ちょうど昼食時に入山したので、コンビニで弁当を買い込み、それを持参し途中で食事を摂ることにしていた。

食事をしている最中に通りかかったガイドさんから「ゴミはちゃんと持ち帰ってください」と声をかけられた。

親切で言ってくれたのであろうが、ゴミを持ち帰ることなど当然のことで、私たちも細心の注意を払ってゴミを散らかさないようにしていた。

そんな基本的な注意をされたことで、せっかく森林浴を楽しんで良い気分になっていたのだが、何とも言えない後味の悪さを感じた。

結局、基本ルールを守れない少数の輩が未だに存在するのだなとチョット寂しい気持ちになった。





サイクリング(2)

椎間板ヘルニアの状況が少し改善してきたのでサイクリングを再開した。腰に負担をかけずに運動ができるので水泳と同様良いそうだ。運動しないとストレスが解消しないので暫くはサイクリングを続けることにする。



東北地方は秋真っ盛りである。トンボが群れを成して飛んでいる。尻尾の真っ赤な赤トンボもたくさん飛んでいる。産卵のため交尾をしているのだろう、2匹が連なって飛んでいる姿も多く見かける。

写真では見難いがアスファルトの路上にトンボが尻尾を上にしてとまっている。何かの習性か非常に多くのトンボが同じ姿勢で路上に止まっている。何十匹のトンボが同じ姿勢で路上にとまっている様は、異様な光景である。



どこまでも果てしなく続いているように見えるサイクリングロードは、写真で見ると素敵に見えるが、老体にとっては体力が持つかどうか不安になってしまう。(倒れたらどうしよう!当然携帯電話は圏外)

稲は西日本より早く刈り入れる。9月の初旬には写真のようにすでに頭をもたげている。





ちょっと高い橋から湖を見渡す。最近ブラックバスが繁殖し、元からいたフナ等の魚が激減している。釣りを趣味にしている人から見れば、引きが強いブラックバスは魅力的らしいが・・・



湖畔で一休み。河畔にはテーブルやベンチが置いてあり、散歩の途中に一休みするのにもってこいだ。向こう岸に見える森の中には米軍のベースの境界がある。

カービン銃を持った兵士が常に監視しており、不審な行動をすればすぐさま標的にされる。極東の拠点である三沢基地は、昨今の北朝鮮の動きに対して非常に敏感である。

サイクリングの途中で猛禽類に遭遇する。いわゆる隼や鷹の類である。隼を良く見かける。

土日2日間連続してサイクリングを楽しんだが、日ごろ運動しないせいか半日は動けなかった。(情けない!)





結婚できない男

フジテレビで毎週火曜日10時から放送されている番組である。「神様はこの世に男と女をお創りになった。悪魔がそれを夫婦にする」という意味深な言葉で始まるこのドラマはなぜか人を引き付ける。

「どーせ流行りの視聴率獲得をねらったドレンディ路線の番組か・・・」と思いきや、これが意外におもしろいのである。

結婚適齢期を過ぎた女医さんと腕のいい建築家の絶妙な会話。これを取り巻く世代の異なった男女との関わり。

それに忘れてはいけないのはタイムリーな演技をする(していると思われる)犬。これらが主な登場人物である。

私の子供たちにも絶大な人気を誇る番組である。どうして、このドラマが世代を問わず人を引き付けるのであろうか。

絶妙な会話というと、例えばこうである。診察室で、


女医「どうかなされました?」

建築家「なんか最近胃がむかつくんですが」

女医「何か悪いものでも食べました?」

建築家「特に変なものは食べてないな〜」

女医「何か心配事でも?」

建築家「あなたのように一人なら何も悩むことはないでしょうけど」

女医「あら、私だって悩むことはありますよ。あなたこそ人とかかわることが煩わしくて仕事一筋なんだから悩みなんか無いんじゃないですか?」

建築家「あなたに言われたくありませんね」


と言いながらこの建築家は、この女医さんを一番信頼していて、調子悪くなると必ずこの女医さんに相談に来る。

若い世代との会話は例えばこうである。

ストーカーにあった若い子(「ボーイフレンド選びは地引き網でガバッと男を集めてきて、その中から選択できるといいな〜」といっている現代っ子)と女医さんの会話。

女医「私はあなたより人生経験が長いけど一回もそんな経験無いな〜」

若い子「その年で経験無いなら、これから先、もう心配ありませんね」等々。

この会話のすれ違いというか相手を傷つけそうな危うい会話も楽しいが、これが喧嘩にならないのは、お互い理解し合った上での思いやりが、どこかに感じられるからなのだろうと想像している。

この微妙な演技を、モデル出身の
阿部寛(建築家)が、女医さんを夏川結衣が、現代っ子隣人みちるを国仲涼子が怪演している。

最近結婚しない人が多いのは、少子化、女性進出による職場の変化などとも大きく関わっており根が深い問題だと思う。

主人公の建築家は心の底で寂しさを感じつつ表面は偏屈者でどうしようもないキャラクターだ。

登場してくる人物はそれぞれの立場で、結婚とは何か、自分にとってどんな結婚が幸せなのかを模索していく。

いわゆる「大人のユーモアあふれるラブストーリー」で、しかも等身大の大人のラブストーリーをユーモアたっぷりに見せている。

でも来週で最終回、まことに残念。それにしても犬の演技はすばらしい、必見である!





しゃれた家具屋探訪

JR吉祥寺駅前はにぎやかで雑然(若者にとっては活気があると言うべきか)としているが、少し新宿から離れる方向に井の頭通りを歩いていくと、だんだんと閑静な住宅街が広がってくる。

何億円するか分からないセンスの良い一戸建てが、ちらほろと建っていて車庫にはベンツが止まっている。

その道路脇に目当ての家具屋がある。雑誌での紹介からカタログを取り寄せて、どのような店かあらかじめ知識を入れていたのである。

置いてある家具がすてきで、どうしても行ってみたくなった。

家具屋といっても量販店みたいな店はたくさんあるが、プロの大工さんを抱えて凝った無垢の木をつかった家具を展示している店は地方には少ない。

20坪足らずのショールームなので展示して有る家具の点数は少ない。でも重厚な無垢の木を使った家具を、少し余裕を持ってディスプレイしている感じは店のセンスの良さを感じさせる。

照明、ディスプレイは言わずもがなである。小さな店でセンスの良い店。何となく楽しくなってくる。

最初に訪れたのは「木巧舎」である。店内には100枚以上の無垢のテーブルの天板が置いてある。もちろん1枚板である。

ケヤキ、チーク、ウオールナット、ハードメイプル、タモ、パイン等木工を趣味にしている者から見れば涎が出そうな、一度は使ってみたい材が山のように置いてある。

値段は全て40万円以上。家にあるような1m×2mのテーブルを無垢の1枚板で作ろうとすると天板だけで60万円は下らない。

その他、アルモアール(チェスト)や椅子が置いてある。全て木で出来ている椅子(座面にクッションなどの柔らかい木以外の材料を使っていない椅子)は堅くてさぞかし座りごごちが悪いと思いきや、座面をお尻の形に合わせて削ってあり微妙に奥側に傾斜している形状は、長時間座っていても疲れを感じさせない。(実際長時間座ったわけではないので、そんな気がする)

形は洗練されていてシンプルですばらしい。親切で人なつっこい店員の兄ちゃんが「この椅子は、これ以上改良の余地がないと思います。何度も試行錯誤して改良を重ね最終的にこの形になったのです。」と説明してくれた。あながち誇張ではないようだ。

座ってみると本当にリラックスできる。ゆったりとした幅、お尻の形をトレースし、しっかりお尻を支える座面、肩が凝らない自然な高さにある肘掛け、背中を柔らかく支える背面の曲線、どれをとっても申し分ない。

こんな椅子なら5万円では安いと思った。(が、6脚そろえるととんでもない)

ついつい自分の実力も省みず、このような椅子が作れたらと思ってしまう。

プロの大工さんが作っている椅子なので、随所に高等なテクニックが施されている。もちろん金属は一切使用していない。椅子の足もすべて曲線でテーパーもふんだんに施されている。

こんな椅子への挑戦。老後の楽しみが一つ増えた。

もう一つの店は「SERVE」。前述の店の近くにあるが趣が全く異なるので、競争にはならないだろう。

北欧調の白っぽいハードメイプル材を用いたシンプルな家具が多い。センスの良い化粧っ気の無いすてきな女性が対応してくれた。

材木から板材を切り出すときから十分考えられた木取りをしているため、家具表面の木目がとてもすてきである。

昔僕らが小学校の時に学校でつかっていた木の椅子のようなシンプルなデザインの椅子が置いてあった。

これも無駄をすべてそぎ落としたデザインである。テーブルは1枚板ではなく剥いだものが使われているがデザインがシンプルなため飽きが来ない。

ダイニングテーブルに小さな引き出しを付けるのは、デザイン的にも実用的にも良いようだ。自分で作るときの参考にしよう。こんなデザインの家具なら自分でも作れそうな気がしてくる。

(ところが、音楽でもそうだがシンプルなものほど難しい。似たようなものは出来るが、作品に余裕が感じられない。そのため、ちっともすてきに聞こえないし見えない。不思議なものだ。

その作品を遙かに超える技術を持っている人が作り出す作品は余裕が感じられてすてきだ)

どうしたらあんなにシンプルなデザインが出来るのだろう。無駄を究極まで省いた工業デザインのようだ。

結構歩き回ったので、足が棒のようになったが、大いに収穫があった。それにしても技術力の差は月とスッポンである。(当たり前か)





学研の科学

50歳代の人は皆小学生時代に「学研の科学と学習」を知っているだろう。特に「科学」の付録は毎月胸をわくわくさせながら心待ちにしていたことを思い出す人が多いのではないだろうか。

確か学校で販売されていた。毎号次の月の予告が出ていて、今月号の付録もこれから1ヶ月楽しめると思うと同時に、次回の付録を楽しみに夜も寝れなくなるようなときめきを経験した記憶のある人が多くいるはずだ。

「科学」は最初から順風漫歩であったわけではないらしい。学研の学研科学創造研究所のホームページに「科学の50年史」(http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/material/50years.html)が掲載されている。

これを読むとずいぶん苦労して軌道に乗せた歴史が書かれている。「科学」スタート時の編集者は、なかなか売れゆきが伸びなかったが「科学の面白さを理解するには、書物でいかに詳細に説明しても理解されない。実際に体験しなければ感動や興味がわかいない。」という信念を持ち続けた。

また、付録、しかもおまけでない本格的な付録を付けて、かつ当時の小学生が十分購入できる価格設定を実現するのは至難の業であったと書かれている。

私たちの年代は科学技術にあこがれて育った年代である。科学には夢があった。将来の職業に科学者と決めていた人たちがたくさんいたのである。「科学」は当時の小学生の心をとらえた。

どうしてあれだけの魅力を持っていたのだろう。きっと世の中に商品化されていた製品の科学的仕組みを自分で体験できたからだろうと思う。まさに「科学」の編集者が意図したことが正解であったということである。

最初に手にしたカメラは学研の付録に付いていたピンホールカメラであった。当時カメラは非常に高く修学旅行に持ってくる生徒も少なかった。本当に金持ちしか持っていなかったのである。

付録のピンホールカメラはフィルムもちゃんと付いていて自分で現像する。もちろん白黒だ。動きの激しい被写体は撮ることが出来ず、じっとした静止画像しか撮ることが出来なかった。しかし現像してだんだん画像が浮き出てくるときの感動といったら、本当に感動ものだった。

化学反応を利用した液体の色の変化を体験できる実験セット。透明な液が試薬を添加することで赤や黄色に変化する。そのすばらしさ。どうして色が変わるか理解できなかったが、とにかく不思議で仕方なかった。

鉱物の標本セット。金色に輝く黄銅綱の、宝石とまがうような輝き。石英のつるっとした結晶等など、宝物のように大事にしたものだった。

昆虫の飼育セット。私は紋白蝶の卵を畑のキャベツから取ってきて、飼育セットで育てた。さなぎになって今にも蝶に変身しようとしたとき、暗くしておかないとサナギから出てこないと言われ、布でおおいを作って暗くしていた。

そのためサナギから抜け出す一瞬を見逃した。卵からさなぎまで数ヶ月を本当に心待ちにしていたのであるが、その一瞬を見逃してしまったのである。まるで親の死に目にあえなかったように悔しがったものだ。

鉱石ラジオから音が出たときは涙が出た。訳の分からない中国語か朝鮮語の放送は未知の世界からのメッセージのような気がして心躍らせて聞き入ったものだ。

自分で線を巻いて作ったモーターが回ったとき、どうして回転が継続するのだろうと思っていた疑問が一気に解けた。

倍率は大したことなかったが、ミジンコや珪藻類の細胞を肉眼で見ることが出来た顕微鏡。細胞が動いているのを目の当たりにし生命の神秘にふれたような気がした。

同じく倍率は大したことなかったが、宇宙をかいま見ることが出来た望遠鏡。

数え上げたらきりがない。小学校の最も楽しかった思い出の一つに「科学」の付録を心待ちにし、それを作って遊んだことがあげられる。

そして「大人の科学」の発売である。(詳しくはサイトを:http://otonanokagaku.net/

科学の50年史から

出版業界では文芸ものに比べて科学ものは売れないと言うジンクスがあるらしい。それにもかかわらず、小学生を対象に総計で670万部という途方もない部数をあげた。

実に小学生の3人に2人が手に取っていたと言うことである。そういえば同じ時代に誠文堂新光社の「子供の科学」があった。

これはこれで製作記事等が載っていて魅力ある愛読雑誌の一つであったが発行部数は比べものにならなかったようだ。

創刊号以降発行部数は伸びずいつ廃刊にするかが毎月の部数決定会議での話題だったそうだ。

そこにコペルニクス的発想の大転換があったのである。出版社の売りを無視した「印刷物にこだわるな」という発想である。

出版業界は当然の事ながら印刷物で勝負の世界である。もち屋がもちを捨てるのである。まさに逆転の発想である。

「子供に本当の科学の世界の不思議さ、面白さを伝えようとしたら本だけでは無理だ」、例えば、昆虫の観察にでは「如何に記載内容が優れたものであっても、ただ読んだだけでは「ああそういうものか」で終わってしまう。実際に原野に出かけていって未資の動きを目の当たりにし手で触ってみたときの感動は数倍、数十倍になるだろう。」ということである。

実物を見る、実際に試してみる。そんな材料を与えていこう。「科学」がその動機付けとなればいい、観察あるいは実体験の案内であって誌上体験であってはいけない。「子供たちに、科学の世界での実体験を!」原点はここにあったのである。

しかし実現には多くの障壁を乗り越えなければならなかったのである。何を作るか、器具をどう手に入れるのか、定価の厳しい制限の中で納まる付録が作れるのか、読者にどのように届けるのか等々。

そして「大人の科学」である。2000年に発売されたこの雑誌は学研が驚くほどの反響と引き起こした。

「大人の科学」総合プロデューサーは「子供の科学」で育った世代だそうである。ただし「大人の科学」は、少し趣を異にする。

1000円足らずの雑誌価格の中での付録は所詮限界がある。「大人の科学」であるから予算の幅を広げ本格的なものにして、かつて小学生の頃「科学」の感動を受けた大人たちが満足できる付録が出来ないかというようにコンセプトを変えたのである。

価格は2000円台から10000円台である。「大人の科学」の読者から寄せられた手紙に「とても欲しかったが当時科学を買えなかった」というのがあった。当時は貧しかったのである。

当時買えなかった人が「大人の科学」を購入して悦に浸るのは、また別な意味で感慨深いものがあるだろう。

それから、もう一つ。ごく一部の天才を除いては人の進路なんてチョットしたきっかけできまるらしいということである。小学校の時、たまたま理科が好きだった、その理由は「科学」の付録で感動を覚えたからだ、とか理科の先生が好きだったので選んだ、というようなことだ。

今日本で世界的科学の分野で活躍している人々の10人中8人は「科学」を読んでいて、その付録教材から受けた影響が大きいと語っているそうである。

成功の理由に、直販制度の導入と「特運」がある。

前者は学校での直接販売である。後者は、当時の国鉄が作った制度で、教材に限って特別な格安料金で運搬するというものである。

「直販」と「特運」により、瞬く間に販売が全国に広がっていき、業界で成功例が少ないとされた科学ものの大成功を導いたのである。

安い費用で、それなりの付録を作ることにも苦労している。

具体的に言うと、駄菓子屋にある玩具を作っている業者を足を棒にして探し回ったそうである。蛇の道は蛇というように安く作る手段は意外なところに転がっていたとプロデューサーは回想している。

お菓子のおまけは信じられないほど安いお金で製作されていたのである。確かにちゃちであるが、業界の人たちは、もう少しお金をかければ精巧な本格的なものが作れるポテンシャルを持っているのである。

かくして、「科学」は大成功を納め、「科学」の影響を受けて育った世代は必然的に「大人の科学」を欲していたのである。

大人のニーズを入れたチョット高価な付録は、現代社会の中枢をを支えている科学従事者の心を揺さぶったのである。

それにしても、物事を推進するモチベーションは小さくはあっても感動なのだとつくづく思ったものである。






バレーボール世界選手権

今回のバレーボール世界選手権は、メグ・カナ両エースを欠く全日本女子バレーとしては苦しい戦いを強いられた。結果として準決勝進出にはならなかったが、ずいぶん健闘したのではないかと個人的には思っている。

チャイニーズ・タイペイの試合を落としたのは痛かったが、それ以外は確実に進歩しているように見える。

まず、私のファンでもある竹下である。以前より少し細くなった(顔が明らかに細くなっていて、とても美人顔に見える)感じで、独特のちょんまげヘアー(失礼、宝来が同じようにちょんまげヘアーをしていたので全日本女子チームで流行るのかと思ったが流行らなかった)でキャプテンとしてチームを引っ張る。

トスワークは言うまでもなくレシーブに至っては本職の菅山を上回るのではないか。相手のスパイカーから繰り出される強烈なスパイクのコースを確実に読み切る。小さな身長で、外国の長身スパイカーのスパイクをブロックする。

予測して動いているとしか思えない。タイムの時、都度データー解析結果に耳を傾けていた姿が印象的だ。

イタリア・リーグでもまれてきた高橋は要所で確実に得点できる選手である。得点が読めることほど信頼に足るものはない。

注目すべきは小山である。走り高跳びの代表選手であったジャンプ力を生かしてバレーに転向した。荒削りではあるが、試合の度に進歩しているのが分かる。

体重を乗せたアタック、クロス/ストレートに打ち分ける技術、ブロックのタイミングなどの習得が課題だ。それによって自信も貫禄も備わってきそうな選手である。

最も人気がありそうなリベロの菅山は、リベロのレシーブ成功率が本大会で最高となった。


荒木もスパイカーとして試合の度に進歩し自信を付けてきた。控えのレシーブが売りの佐野も将来のアイドルになりそうで楽しみである。

チーム全体としては、全勝のセルビア・モンテネグロを逆転で破ったように、あきらめない・崩れないチームが出来上がりつつあることを感じさせる。

エース不在でこれだけのパフォーマンスを示せるチームに期待大である。それにしても日本選手は(カナは別として)細くて華奢なイメージがあるのは私だけだろうか。







美人顔

JALの機内誌ウィングで久しぶりにおもしろいエッセイを読んだ。養老猛の「美人顔」についてのエッセイだ。

美男美女の定義は時代によってずいぶん異なる。たとえば平安時代のそれは、下膨れで引き目鉤鼻といわれているのは周知の事である。このエッセイは、時代によって美人顔が異なる理由を明快に説明している。

エッセイの中で東京大学の教授がおもしろい実験をした話が載っている。100人の顔写真を撮り、それを平均化(重ね合わせ)したら美人顔になったそうだ。

美人顔とは、見る人の側の問題で、見る人が生まれて出会った人の顔の印象の重ね合わせでできあがるものであることを証明する実験であるそうだ。

見る人は、自分の見た顔を意識せずに重ね合わせて、自分の中に平均的な美人顔を定義づけるのである。

すなわち、見る人の中に形作られた顔が、その時代の平均的な顔なのだそうだ。

したがって、ある時代の美人顔は、皆一様に定義できることになり、何となく皆あの人は美人だと一致した意見となるようだ。

このような考え方をすると時代によって美人顔が異なる理由が説明できる。

すなわち、美人顔とは、突拍子もない個性的な顔ではなく、平均的な無難な顔なのだ。最近は巷に美人が多くいる。(私がおじさんだからかもしれないが・・・)化粧品の化学的進歩、プチ整形の浸透の結果だろう。

かといって、巷の人が皆女優として大成するかといえば、そこには個性が必要なので限られた個性的な人(顔も含めて)しか大成しない。

このエッセイは、実は重大なことを指摘している。美人顔になろうと、一生懸命化粧に労力と金をつぎ込む、はたまた、整形までして生まれながらにして親に(神に)もらった顔を変えることは、ひたすらこの平均的な顔に向かっているということである。

つまり、没個性をひたすら目指していることになるのではないだろうか。

それから、顔を美人と解釈するのは、あくまでも見る側の問題なのである。いくら自分側が努力しても問題の解決にならないということである。(私を含めて美人顔でない人たち、気にする事なかれ)

それでも、信じられないくらいの価格が付いている化粧品までも売れまくっている。事態はそう単純ではないようだ。





MAC景観

出張中であるのと時間調整の関係で夕食をMACで取らざるを得なかった。

夕食時のMACなど、きっと閑散としていると思ったが見事に予想を裏切られた。結構な客で満員なのである。

サラリーマンも多くいる。家族を持っているであろう、結構年輩の人(男女は問わず)が、夜遅い夕食までの間食として軽いものを取っているのではなく、明らかに夕食の代わりに、かなりのボリュームの食事を取っている。

夕食を自分で作るか、外食に頼っている若い独身ならいざ知らずである。

学校帰りの高校生も結構多い。家で食事をしないのだろうか。セットメニューにサイドメニューを加えて、しっかり食事を取っている。

塾全盛の時代なので、これから塾へ行くのだろうか。でも、ファッションや化粧の度合いを見ると、どう見ても塾に通っているようには見えない。(人を外見で判断してはいけないが)

年齢的に主婦層のおばさんが集団でMACを食べている。MACで井戸端会議である。家族の夕食はどうするのだろう。皆、帰りが遅いので自分たちだけで外食をしているのだろうか。

明らかに定職なしのプータロウみたいなのもいる。

格好から判断して明らかに、これから出勤する夜の蝶もいる。

どこの国籍か分からない外国人もいる。聞いたこともない外国語をしゃべっている。

私のように、出張レポートを書いているサラリーマンもいる。結構広い店内は、夕食の時間、結構込み合っていて大繁盛なのである。





JIG雑感

八重洲ブックセンターでJIGに関する書籍を探した。

最近、電動工具に補助として使うJIGに興味がわいてきたからだ。その理由は、JIGは、加工のし易さを助けるだけでなく、安全の面で電動工具と材と人間を結び付ける重要な道具であると認識を変えたためである。

例えば、私は、バンドソーを所有していないため、どうしても、テーブルソーを使って、厚い板から必要な薄い板を切り出すという「引き割」という作業をせざるを得ない。

テーブルソーを用いた引き割は、非常に危険でキックバック現象と隣り合わせである。今まで引き割り作業でキックバックを経験したことはないが、作業時にはいつも冷や冷やである。

いつかは重大事故につながりそうな気がしている。

そんなこんなで、アマゾンから洋書(
jigs and fixtures bible)を取り寄せたり、他の本がないか探していたのである。

さすがに、本の宝庫である八重洲ブックセンターには、木工関係の本も充実しており、「電動工具JIGブック」という本があった。

両方の本を見ていると非常に参考になる。プロの木工家が解説しているのであるが我々アマチュアにとって、大いに参考になるものが掲載されている。

例えば、ドリルで穴を開ける場合、垂直に開けるのは簡単ではない。慣れてくるとドリルガイドが無くても開けれるようになるが、いちいちガイドをセットするのは面倒に感じているアマチュアも多いのではと思う。

筆者はアクリル板に鏡のような反射板をセットして垂直を確認する。これはアマチュアにとっても簡単に採用できる方法で、まさに目から鱗である。

このようなヒントを満載している本である。自分の木工作業を振り返ってみると、引き割を始めずいぶん危険な体勢で作業をしていることが多いのに気が付く。

正確な加工を実現することは勿論であるが、安全に作業できるためのJIGは色々あり非常に勉強になる。これからの木工の中での大きな一つの課題にすべき問題であると思っている。




老人文化の到来

JAL機内誌WINGに養老猛の老人文化到来のエッセイがでていた。

今年は団塊の世代が大量に定年になるそうだ。確かに、人口の多いこれらの人たちが一期に定年になると老人の割合が高くなる。

日本の科学技術を支えていた段階の人たちが一期に定年になり第一線を退くことは、私たち技術屋の世界では、技術伝承が旨く行くか大問題なのである。

団塊の世代の人たちとそれ以降の人たちの間には、人に技術が付いている世代と紙などの媒体に技術ノウハウを残そうとチャレンジし始めた世代の境目がある。

団塊の世代の人のノウハウは、紙に残っていない。それらの人が退職すると、企業にノウハウが残らないのである。

テレビのニュースなどで、今年定年になる人が若い社員に技術を伝承している風景が取材されていた。企業にとっては大きな危機である。企業の存続さえ左右しかねない問題なのである。

それはそれとして、エッセイの中では、世間の商魂たくましい企業が、これら職を失う大量の人たちの市場を当て込んで、センス良い快適な生活や趣味の斡旋、はたまた世界一周旅行や海外移住まで紹介している。

年金制度の崩壊が危ぶまれている中で、そんなに豊かで余裕ある境遇になる人がたくさんいるとは思えない。

雑誌や広告では、退職する60歳や退職が視野に入ってきた50歳代の人たちを対象にしたものが多くなってきた。エッセイでは、「そんなにあおられるほど期待してはいけない」と警鐘を鳴らす。

本当にすばらしい老後というものは、人が考えるものではなく、まして雑誌やグラビアをみて選択するものでもない。

しっかりした、思想と考え方、老後に何をしたいのか、自分の確固たる意志が必要である。

60歳を境に、人間の能力の個人差が著しく大きくなる。運動能力は衰えるにしても、頭は、現状を維持できる人とぼける人の両極端に分かれる。それは、何かをやろうとするチャレンジ精神がどれくらい残っているかに依存するような気がする。

みなさん、大いに青春しようではありませんか。若者には負けられん。と、カラ元気で気合いを入れている今日この頃である。







テイ○ンのCM

テレビで、ゲジ眉の(失礼!)フランス人少女(カトリーヌちゃん)が、「だけじゃない帝人!」と宣伝しているチョット印象的なCMをご存じだろうか。なぜ印象的なのだろう?

CMの設定は、おませな少女がセクシーな大人の女性に対抗して男性の気を引こうとするシーン、飛行機のファーストクラスに紛れ込んで年輩の社長さん(みたいな人)の席を占領して自分の席だと主張するシーン、エンストしたポンコツ車を寄ってたかって修理し最新のスポーツカーに変身させついでに横に載っている女性も若く美しく変身させ「コリャやりすぎ!」と言うシーン、スーパーで買い物しているときに出くわす黒ずくめのやくざ風男に囲まれるシーン、といろいろなバージョンがある。

どれも共通するところは、無理に背伸びする少女の「おませさ」がかわいく表現されている点だ。この「かわいさ」が印象的なのである。

もう一つ「かわいさ」効果を上げている大きな要因に早口のフランス語がある。フランス語の発音は、(意外かも知れないが日本人にとって発音しやすく、東北弁に共通するところもあり)英語より親しみやすい。

瀟洒な雰囲気を持つフランス語は、「おませさ」をイヤ見なく印象深いものにしている。

「ポンコツ車」と「黒ずくめ」は「カトリーヌの部屋」

http://www.teijin.co.jp/catherine/index.html)で見られるので興味ある方は、是非、確認していただきたい。日本語吹き替え版とフランス語版があるのでフランス語版での再生をお勧めする。




太る

最近、体重計に乗って唖然とした。私の人生で最高記録を更新したのである。正直ショックであった。

実は、最近、少し仕事がハードであったし、出張も多く、結構、歩いたりして体を動かしていた。正月は、「食っちゃ寝」の悪循環からの脱却を試み、遅寝早起きで家の掃除の手伝いもした。きっと、1キロくらいは減っているだろうと確信していたのだ。

ところが、意に反して結果は人生最高記録であった。

カッターシャツの首がきつくなったのは、木綿100%の生地が縮んだのではなかった。階段を上るのに息が切れるのは、体重が重くなった分足に負担がかかっていたのであって、決して日頃の疲れが出ていたのではなかったのだ。

なんということだ。

これでも学生時代は、甘っちょろい(?)同好会には入らず、常に体育会系の伝統あるクラブに所属して体を鍛えていたつもりであった。体には自信があるはずだったのだ。

久しぶりに銭湯に行って、ふと風呂から上がったときに全身が写る鏡を見てみると、そこには自分のイメージと全く異なる、おなかが出っ張り、お尻が垂れ、足の細くなった老人が一人立っているではないか。

何キロになったかは言うまい。明日からは、運動を再開しよう。聞くところによると毎日歩くのが一番らしい。椎間板ヘルニアを患ってから、運動という運動をしていなかったが、これほどまでとは思わなかった。

老後の設計以前に、健康と体力を付けておかねば、と自戒しきりの今日この頃である。







栗原はるみ

世間であまりにも有名な栗原はるみさんを知ったのは、2005年に世界67ヶ国から公募された5000冊の料理書から、「Harumi's Japanese Cooking」が 「Cookbook of the Year」として第10回グルマン世界料理本賞(THE GOURMAND WORLD COOKBOOK AWARDS 2004)を日本人で初めて受賞したというニュースを聞いたときからである。

そのときは、「きっとしゃれた料理研究家だろう。けど、庶民の料理とはかけ離れていて、我々とは無縁かな・・・」と受け止めていた。

ところが、かみさんが参考にしている料理本の中に、栗原はるみさん著のものが数冊あることに気付いた。かみさんの話によると、栗原はるみさんは「カリスマ主婦」と呼ばれているそうだ。

1992年に出版した、自宅での料理と食事のスタイルを紹介した本「ごちそうさまが、ききたくて。」(文化出版局)がベストセラーになって以来、自らプロデュースする「ゆとりの空間」のほか、「栗原はるみショップ」を全国に展開している。

家にある著書をパラパラめくってみると、確かにセンス良い料理の写真が並んでいる。しかし、そのレシピを見ると、特殊な食材はない。

一般家庭の主婦が日常手に入る安い食材を使ってセンス良い料理を工夫している。大人気の秘密はここにありそうだ。

彼女の料理だけでなくライフスタイルそのものに共感する人が多くいると言うことらしい。そのことを実感したのは、2006年4月〜6月にNHK教育テレビで放送された「3か月トピック英会話(栗原はるみの挑戦、こころを伝える英語)」を偶然見たときからである。

以下、番組の紹介文(NHKのホームページより)

−人気料理家の栗原はるみさんが英会話に挑戦します。

栗原さんが学ぶのは、ごくごく普通の主婦が話しているような日常の会話。しかし、それは決して用件を伝えることだけではありません。相手を気遣いながら自分の思いを柔らかく伝えることができる、人に優しい英会話です。

番組では毎回、栗原さんが都内に住む様々なネイティブ・スピーカーの主婦と交流し、英語のおしゃべりに挑戦します。

講師の大正大学・西蔭浩子教授は、暗記が苦手な栗原さんのためにと、誰でも知っている簡単な単語を使って優しい気持ちが伝わるような、とっておきのフレーズとコミュニケーションのコツを伝授します。

13回にわたる挑戦を通じて、栗原さんは試行錯誤しながらも「こころを伝える」英会話を身につけてゆきます。

番組の最後には、栗原さんが世界に伝えたい日本の家庭料理のレシピを1品、英語で紹介するミニコーナーもあります。日常英会話を学びたい方や、ベーシックな英語から勉強を始めたい方、さらに料理に興味がある方も、ぜひご覧ください。−

栗原さんからのメッセージも添えられていて「英語が大の苦手だった私が、もしできるようになれば、みなさんも勇気が出ると思うの。いっしょにがんばりましょう!」、本当にやさしくて暖かい人柄が出ていて、世界の主婦に人気があるのもうなずける。

番組の中で、栗原さんは、近所に住んでいるネイティブ・スピーカー(東京のしかるべきところに住んでいる外国人は、それなりのステイタスを持った人たちであろうが・・・)の持ち寄りパーティーに、なんと「肉じゃが」を持っていく。

セレブたち(?)の持ち寄った高級料理の中で、「肉じゃが」はセンスの良い器に入って、ちっとも遜色なかった。

彼女のライフスタイルを見ていると、人生は生き方(自分の磨き方)であるとつくづく思った次第である。






もの作り

産業の空洞化で、かつて日本のお家芸であった「もの作り」の場が、海外に移動していると言われて久しい。

経済性を追求する企業活動として、生産の場を安価な労働力が得られる海外に移していくのは自然の成り行きであろう。その結果、もの作りの能力に関して日本はずいぶん衰退しているのではないかとの思いが強かった。

ところが、仕事の関係で小さな(大きさだけで工場の力量を類推する習性がついてしまった自分に反省)工場を見学する機会があって、その考えを大幅に修正せざるを得なくなった。

工場は、横浜市保土ヶ谷区の閑静な住宅街にある。ひっそりとした佇まいで工場だとあらためて言われないと分からない。確かに、建物には目立たないが工場らしき看板は有る。

面積は、本当に小さいのだが、置いてある、金属を加工する機械、測定器、検査装置、準備されている部品数の多様さ等々、物量に圧倒され、それらの品質グレードの高さに舌を巻く。

日本の基幹産業を支えている工場群のひとつである。「ものを作る」ということにかけては、働いている職人さんは超一流である。

テレビ番組で紹介されていたが、「深絞り」という技術は日本の川崎にある小さな工場しかできないのだそうだ。「深絞り」とは、ウオークマンの充電用電池のケースに用いられている製造技術である。蓋の部分は別として、アルミ製のケース表面に継ぎ目が無い。一枚のアルミ板を叩いて伸ばしてケース状に仕上げるのである。

その工場では、痛くない注射針も作っている。非常に細いので痛くないのである。小さな町工場が共同で人工衛星を作った話も新聞に掲載されていた。


しかしながら、機械・機器のような工業製品は、個々の製造技術で部品を作り、それらを組み合わせてできあがっている。

製品としての性能を発揮するようにものを作るということは、設計技術と、部品毎にバラバラになった製造技術を如何に組み合わせるかというエンジニアリング能力が必要である。

それぞれの部品の製造誤差をどのように組み合わせて一つの製品にしていくかである。

これもテレビ番組で紹介されていたが、川崎地区の小さな工場の製造技術に着目したエンジニアグループが会社を興し、コーディネート力を駆使して小さな工場の製造技術を組み合わせて高度な工業製品を生みだし、輝かしい業績をあげている。

話は代わるが、ユニークな商品を売り出し数々のヒット商品を市場に送りだしているカシオ電気社長が、「ヒット商品の条件」についてテレビでインタビュー受けていた。

ヒット商品に必要な条件は、既成概念にとらわれない発想と新しい技術であるそうだ。これがない製品は、一時的にヒット商品にはなるかも知れないが長続きしない。

G−ショック」というゴツイ時計がある。薄型主流で如何に違和感無くフィットするかを競っていた時計業界に、全く逆の新しい発想と技術を投入した。

それは床にたたきつけても壊れない強靱な構造であった。

G−ショック」は若者の支持を受けてたちまちヒット商品となり、今でも売れ続けている。「新しい技術を持たないとヒットが長続きしない」と言っていたのが印象的であった。

まだまだ日本の「もの作り」は健在であったのだ。






まぼろしのレストラン

JAL機内誌SkyWorldの4月号に浅田次郎のエッセイが載っていた。

「まぼろしのレストラン」と題して都内に昔存在した(と筆者は主張している)、各社国際線の機内食を食べさせるレストランの話を話題にしている。

海外出張の多い人で、機内食メニュー(紙切れ)をコレクションして自慢している人がいた。なんとバカな趣味だろうと個人的に思ったものだ。

たまたま、海外出張の多い部署に配属された役得で海外出張が多いのに、これ見よがしに「機内食は○○航空が良い」などと自慢げに話しているのを聞くと虫ずが走る。

そもそも機内食は限られた時間に限られた機材によって作り出される一種のインスタント食品のようなものである。すでに料理済みのものをレンジで暖めているだけといっても過言ではない。

国際線の機内を観察していると、海外出張が余りにも日常的な人は機内食を食べない人もいるくらいだ。(私などは滅多に海外出張がないせいか「もったいない」とばかり全て平らげることにしている)

本当に旅慣れている人は、自分の好みにあった少量の食事をして、ほとんど寝ているのが普通だ。

私はヨーロッパ線にしか乗ったことがない。次から次に出てくる機内食を全部食べていると体重が確実に増加する。

浅田次郎は機内食を自慢しているのではなく、30年前くらいに初めて乗った国際線に感動したことを機内食に例えてエッセイを書いている。確かに機内食には旨いものもある。エールフランスなどは、かなり凝ったものを出すことがある。

話題にしている都内にあったレストランは、航空会社各社の国際線の機内食をメニューにして選択できるようになっていたそうだ。当然、ウエイトレスは各社のユニフォームを着たスッチーもどきである。何だか怪しい店ではあるが、すぐにつぶれたそうである。

エッセイでは、夢を実現した初体験の話の例として機内食を話題にしている。なかなか妙を得ていると思った言葉に、人生、常に感動を求め「初心忘るべからず」ではなく「初体験の興奮忘るべからず」というのがあった。「初体験の感動をいつまでも・・・」ということらしい。繰り返し申し上げるが、くれぐれも怪しい話ではないので・・・







映画と感動

日本ではフランス映画はあまり流行らない。独断と偏見が強くエンターテインメント性が無いものが多いせいだろうと思っている。

もっとも、エンターテインメントに徹しているリュック・ベッソン系の映画は人気がありレンタルビデオ屋でも若干の量が置いてある。

何故人気がないのかと考えを巡らすと、一つに、フランス人は、映画を「芸術」ととらえているからなのだろうと推測する。

映画作りに関係している人が、一人の作家として、一つの芸術作品である「映画」を作り上げるので、作り手の美学・哲学が前面に出てきて、良く言えば深みや味がある作品、悪く言えば独断と偏見に満ちた作品に仕上がるのだと思う。

もう一つに、映画の主題選定がある。フランス映画では、比較的重い「人間の存在」を主題としているものが多い。例えば、「アメリ」「ユイファム」「アンジェラ」等は、フランス人のエスプリが前面に出ていて、人間の悲しさ・愚かさが随所に表現されている。

決して明るくてハッピーな雰囲気はしないし分かりにくい。お金もかかっていないようだし、CGによるスペクタクルも無い。

まるで「この映画の感動が、芸術の分からない君たちに分かってたまるか!」という声が聞こえてきそうだ。したがって、玄人受けはするが一般大衆受けしない映画になってしまう。

フランス映画を観て、重い主題をじっくり考えるのも、たまには良いのではないだろうか。このような映画は、感動も映画を見終わって、しばらくして思い出すときにジワッと盛り上がってくる。

感動と言えば、映画を見ていて感動の余り泣いてしまうことがあるのは私だけではないだろう。私などは、影響されやすい性格なので、すぐに映画の登場人物に感情移入してしまい、回りの目も気にせず大泣きしてしまうことが多い。

実は、この「感動」映画人に言わせると、計画的に用意されているものらしい。感動するメカニズムとは「忍耐」と「解放」をこの順でペアに配置することだそうだ。感動を煽るだけではダメで、その前に必ず忍耐という抑圧が必要なのである。

人間、困難に打ち勝ったとき喜びを感じ、その大きさは困難が大きければ大きいほど大きいものである。

そういえば音楽でも、その傾向は顕著で、確かにサビの手前で複雑な暗いコードが使われていてサビで単純なコードになるパターンが多い。

計画に乗せられていることが分かっているとしても、僅かな出費と2時間で感動を手に入れることが出来る映画は、すばらしいと思いませんか。





大人の不倫

「プラダを着た悪魔」を観て、今まで観た映画が思い出され、その中に登場したメリル・ストリープの印象を思い出した。

1949年6月22日生まれというから当年58歳である。アカデミー賞の主演・助演女優賞受賞は言うまでもなく、そのノミネートは数知れない大女優である。

彼女の作品を全部観ているわけではないが、どちらかというと強く知的な女性というイメージがある。

しかしならが、「恋に落ちて」、「マジソン郡の橋」の彼女は、こんなイメージとは違って平凡でまじめな女性の心ヒダを微妙に演じて秀逸である。平凡な人を演じて観客をうならせる俳優は数少ない。

「恋に落ちて」は1984年の映画で、クリスマスを話題にしていて、当時日本でもずいぶん話題になった。

大人の恋愛ものの代表だ。有名なロックフェラーセンターのクリスマスツリーとスケートリンク(東京の内幸町に、これを真似たスケートリンクがあったがチンケ!?)、街角を行き交う着ぐるみサンタの宣伝マン、クリスマス・プレゼントを買い求める人たち、町中流れるクリスマス・ソング。(山下達郎は定番・・・)

会社の同僚、友人、恋人、家族同士かけ合う「メリー・クリスマス」。映画では最初と最後にクリスマスがやってきて2人が再会する、その背景とストーリーは、いかにも万人受けしそうである。

メリル・ストリープの演技は、結構な歳であるにもかかわらず、清純さが香りたつようで、本当にかわいらしいと思ってしまう。(かわいらしさ、魅力は年齢に関係ない良い例、私も頑張ろう・・・何に?)

彼女の専売特許である強いできる女のイメージは全くなく、イラストレーターというキャリア・ウーマンらしい仕事もバリバリと言った感じはなくて地味。

対するデ・ニーロも、マフィアのようなアクの強い役どころではなく普通の建築現場監督。

決して不倫を推奨するわけではないが、微妙に心ときめき、かわいらしくなっていくメリル・ストリープを見ていると、不倫ってひょっとしてすばらしいことではないだろうかなんて思ってしまう!?

「マジソン郡の橋」は1995年の映画で、同名の小説「マジソン郡の橋」は全米で250万部を売ったベストセラーだそうだ。

日本でも話題になった。映画を作ったクリント・イーストウッドは、「相手役のフランチェスカはメリル・ストリープ以外に考えられない」と言ったそうだ。

アイオワ州マジソン郡の片田舎にある屋寝付きの珍しい橋をめぐって大人の恋愛が描かれている。

まじめで平凡、誠実を絵に描いたような人生を送ったであろう母の遺品を整理していた兄弟達は、その中に日記を発見し書かれている内容に唖然とする。そこに書かれていたものは母の不倫だった。

それは成人した兄弟達自身にとって青天の霹靂だったに違いない。母の不倫に対して、最初は否定的であった兄弟達も、誠実な母の育んだもう一つの愛の形に納得し、本当の愛とは何かを再認識する。
ここでもメリル・ストリープの演技力はすばらしく、冒頭でカメラマン、ロバートと出会う時の彼女の表情と家族と過ごす彼女のそれは外見は同じだが微妙演じ分けている。

雨の中、去っていくロバートの後を追って行きたい気持ちと、自分の愛する、自分を愛してくれている家族を残していけないという思いの間で揺れ動く葛藤を、夫と一緒に乗った車の助手席のドアに一旦は手をかけ戻すという微妙な演技の中で表現している。

「不倫はいかん!」と単純に割り切れない大人の恋愛もある。






三沢市の桜

三沢市は人口約43000人の市である。特徴的なところは米軍の基地があるということで、この他に約10000人のアメリカ人が住んでいる。近年ではフランス人が約100人加わる。

さて、三沢市の桜は例年だとゴールデンウイークの最中に満開をむかえる。全国的に暖冬であったため桜の開花は例年よりずいぶん早いと思われていたが、途中寒い時期があったため1週間ほどしか早くならなかった。


ここ中央公園は桜が満開である。(2007年5月3日現在)





写真が小さくて恐縮であるが、写っている子供たちはアメリカ人である。





桜の木下に提灯がぶら下げられて花見を盛り上げている。





米軍のベース入り口にも桜の木が1本満開であった。







タラの芽

山菜の中で「山菜の王様」と呼ばれる(九州生まれの私は青森に来るまで知らなかった)タラの芽は、山菜特有の苦味がほとんど無くコクのある旨みがあって本当に美味しい。

ここ青森の地では天然物を食べることができる。



下の写真の中央に写っている二股の木がタラの木である。タラの木の先っぽにタラの芽が出る。背の高さは人の身長前後である。木には棘があるので革手袋が必需品である。



天然物は見た目こそ良くないが、その味は格別である。天ぷら、お浸し、胡麻和えなどの和え物、味噌汁の具等いろいろな料理法がある。



これくらいあれば一家で天ぷらにして春を満喫するのに十分である。



ちなみに、ビタミンB1、B2、B12、K、βカロチン、カルシウム、カリウムを多く含み、血糖値を下げる働きがあるアルファタラミン、ベータタラニンという成分を含む優れた健康食材だそうだ。

スーパーで売られているタラの芽はほとんど養殖だそうな。

自生している物を、季節になると摘み取って来て料理し、春の恵みを満喫できるのは本当に幸運なことだと思っている。





デブの壁

JALの機内誌SkyWard(今まであまり気にしなかったが正確な名前はスカイ・ワードだった)に浅田次郎の「デブの壁」というエッセイが載っていた。

ラスベガスへ女性編集者とともに出張し、一緒にレストランでリブ・ステーキを食べる話だ。以前氏が女性編集者に「少しデブになったね」と傷つけた心証を、アメリカ人特有のデブの多いレストランで「少しもデブでない」とそれとなく弁解するためにである。

こんな粋な気配りは、なかなか出来るものではない。ここ三沢には人口の約4分の1、約1万人のアメリカ人が住んでいて、軍で鍛えている人は別として圧倒的にデブ(ゆうに百キロは超えている)が多い。

日本の若い人たちに統計を取ってみると、「自分は太っている」と思っている人が半分を超えているらしいが、アメリカ人のそれを見ていると、私が丸ぽちゃ趣味であることを差し引いても、日本人のデブは少しも太っているとは思えない。

彼らの太り方は尋常でないのである。エッセイの中でも1キロのリブ・ステーキと1キロのポテトと1キロのデザートを軽く各自が平らげている家族の描写があったが、みな一様にデブだったそうだ。

おまけにテーブルの前に壁が有ると思っていたのが、何と一家の主人の背中だったとの落ちが付いていた。壁に見えるほど大きく横に拡がっていたのである。

浅田次郎と女性編集者は、子供用の少な目のリブ・ステーキでも難儀であったらしい。

三沢ではアメリカ人と接する機会が都会より遙かに多いのだが、彼らの食生活にふれることが時々ある。

MACのハンバーガーは日本のそれと大きさが全く異なり遙かに大きい。ポテトの量も半端ではない。山盛りマスタードとケチャップにどっぷり浸けて旨そうに食べる。

航空祭やいろいろなイベントのなかで、アメリカ人の出している露店がたくさんあるが、そこで売っている食べ物の量は日本人が食べる量の2倍は軽く越える。デザートに至っては、吐きそうになるくらい甘い。コカコーラの量は1回に1リットルくらいは軽く飲む。

このような生活を子供の頃から続けていると、デブになるのは当たり前だと思えてくる。

成長期の子供は確かに太っていないが、高校生くらいになるとデブって来る。

太っている人が多いアメリカ人だが、軍につとめている人、上級クラスの軍人の家族は、太っていない。ダイエットしているしトレーニングを継続的にやっている。

映画に出てくるアメリカ人はスタイルが良くてカッコいいが、きっと筋肉トレーニングとダイエットを欠かさないのだろう。

確かに、年齢を経た俳優さんは、太っていないが筋肉がすごい。GIジェーンではないが、足のふくらはぎや二の腕を見れば如何に鍛えているかが分かる。

日本の女優さんでそれが目立つのは黒木瞳である。彼女のふくらはぎを見てみよ!鍛えに鍛えたスポーツ選手のようなカモシカみたいな脚である。

腰痛持ちの私は時々整体に通っているが、時々アメリカ人も来るという整体師が言うには、鍛えた軍人の筋肉の付き方は日本人と全く異なるそうだ。指圧をするにも全くやり方が違うしその圧力もずっと高い。

日本がオリンピックでアメリカに負けるのは無理無いことだと言っていた。確かに外見からも鍛えている軍人の筋肉はすばらしい。さわってみたことはないが、ターミネータバリの黒人のヒップは、こんもりと盛り上がり、胸板はドラム缶のように厚く、腕は日本人のウエストくらいの太さだ。身長も2m以上ある。

だが、これらの人たちは特別に鍛えている人である。付き合っているアメリカ人は管理職クラスの家族である。空母に勤めるハリソン・フォード似のいい男で、奥さんはシャロン・ストーン似。そろそろ中年にさしかかるにも関わらずちっとも太っていない。

まるでハリウッド・スターのようだ。だが、2人とも日頃から鍛えている。奥さんなどはベースで日本人も含めて開催されるマラソン大会に毎年参加している。

私も中年太りになってきたが、これらの人と比べると情けなくなるが、一般のアメリカ人のそれと比べるとずいぶん勇気づけられる。まだまだ太っているうちには入らない。

実は、アメリカ人の大半はハリウッド・スターのようにかっこよくないのである。





オトコの老い支度

朝日新聞に5月28日から連載されている「あなたの安心」欄に、「オトコの老い支度」という特集が始まった。全6回で、「仕事一筋で生きてきた男たち。退職後には、家事が、近所づきあいが、老いが待っている」というサブタイトルが付いている。

日頃から仕事にかまけている私などは大いに関心があるところである。

第1回目は、退職直前に妻に先立たれた人の事例が紹介されている。仕事以外の一切を妻に任せていた彼は、一人の生活リズムをつかむまで2〜3年かかったと告白する。

「今頼れるのは自分しかいない。一人になっても大丈夫なように(妻の生前から)備えておくべきだった」との後悔と自分自身の健康の不安をかかえ、「あらためて妻の存在の大きさに気がついた」そうだ。

オトコは、老後に備えるという意味でなく、むしろ日頃から妻の仕事(例えば主婦業)に興味を持つことが大事ではなかろうかと自省している。

世の中には「誰に食わせてもらっているのか」と豪語してはばからない御仁が居るようだが、(尻に敷かれているから?!言うわけではないが)とんでもないことである。

私も妻のやっている主婦業の全てを知っているわけではないが、病気などで寝込んだときや数日間留守にしたときなど、事の重大さに気付くことが間々ある。

主婦業が難しいのは、地域社会の関係を良好に保つという点とその多種多様さにある。地域社会とは、会社組織のように主従関係がない地域社会の中で、いろいろなことに気を配らなければならないという点で決定的に会社の仕事とは異なる。

会社の仕事には、職位に従った主従関係が存在し、組織としての強制力が働くので、好むと好まざるとに関係なく、ある程度の秩序が保たれている。

一方、主婦たちの地域社会は、主従関係など全く無いので、嫌いであれば付き合わなければ良いので相手の言うことを聞く必要はない。

組織的強制力がない地域社会で旨くやっていくには、付き合う相手に十分な配慮(気遣い、気配り)が必要であるということである。地域社会で、一旦、信頼を失ったら回復するのは不可能に近い。最悪の場合、その地域に住めなくなることだってある。

家庭内の内側に目を向けてみると、家事というのは立派な一つの職業である。

例えば、生活しやすいように、ものの収納を考える。そのためには家族の動線を考慮し見かけも良くしなければならない。

掃除・選択は日々のルーチン作業であるが、自分の時間を作るために常に効率良くこなす工夫が必要だ。

食事に至っては、家族の健康や子供の成長を考えメニューを決める必要がある。さらには、旬のものを添え、かつ、値段の安いものを買い求める必要がある。家事について、極めようとすれば本が書けるほどである。

このようにチョット考えただけでも、会社の仕事より遙かに複雑で考慮事項が多い。これらのことについて男性諸氏は、日頃から興味を持っているだろうか。

これらの作業をこなせるようになるのは難しいだろうが理解することは重要である。そうすればある程度手伝う気になるだろうし助言も出来るようになるに違いない。興味を持つことこそが重要である。

第2回は、男性が一人分の食事を作ることについてのポイントを解説している。一人分なので材料がどうしても余る。料理も作りすぎることが多い。作った後、必要な分だけを取ってラップに包んで冷凍しておく。

「どんな料理を作るか」は、インターネットのレシピサイト「クックパッド(http://cookpad.com/)」が参考になる。このサイトは、食材で検索すると、その食材を使ったレシピがたちどころにリストアップされる。

実際に開いてみると、現役の主婦でも十分役立つ(と思う)。例えば、東北名産の「長芋(ながいも)」で検索すると実に2793ものレシピがヒットする。

第3回の話題は退職後男性の「地域デビュー」について書かれている。地域デビューをスムーズに行うためには「○○してあげる」という発想を捨て去ることだそうだ。「してあげる」的発想は、頭ごなしな物言い、人の話を良く聞かない等の態度につながる。

地域付き合いでは、第1回で述べられているように、組織としての強制力が無いため、嫌な人と思われれば相手にされなくなってしまう。

また、女性は地域生活の先輩である。女性の意見を尊重するとともに、会社生活での常識を捨て去るべきだと書かれていた。

第4回は、介護について書いている。人間、必ず自力だけでは生きていけない時が来る。介護は究極の人間関係でお互いがむき出しになると筆者は言う。

介護する側は「我慢してやっている」という態度で決まったことを決まったようにやるのではなく相手の体調を気遣いながら柔軟に対応すること、介護される側は、常に「ありがとう」の言葉とともに感謝の気持ちを持つことが大事だということだ。

介護する側もされる側も、心と体を分けて考え、心は大丈夫だが体は老朽化してくるので世話をしてもらう、してあげると考えるとお互いに励みになるそうだ。

「老いと死を子供に見せて、しっかり生きろとバトンを渡す」ことが有終を飾ることになる。

第5回は、老後を快適に過ごすための住まいについて、ポイントをまとめている。体力、気力のある50〜60代のうちに準備すること、バリアフリーは家の中だけでなく家の回りの環境も良くチェックすること、妻との程良い距離が重要だと述べている。

第6回は、死を迎える前にはっきり決めておくべきことを事前に準備することと述べられている。自分の意志をはっきり伝えもめ事を残さないことである。


このようなことを考えていると、滅入ってくるが準備期間を考えると「まだまだ先の話」ではないのである。






レタス

浅田次郎の「空飛ぶレタス」というエッセイを読んで、そういえば、いったいレタスを初めて食べたのはいつだったのだろうか、と思った。

子供の頃、サラダという食べ物は無かったような気がする。野菜を食べるときは、メインの付け足しで同じ皿にキャベツの千切りが乗っていたのがせいぜいで、今のように色とりどりの野菜を品よく取り合わせてドレッシングで食べるサラダは無かった。

本当にいつ頃からサラダが食卓に乗るようになったのだろうか。レタスはサラダを食べる習慣が始まった頃から食べ始めたような気がする。

作者の家は、ずいぶん裕福であったらしく、戦後すぐにその時は来たらしいが、私の場合は、結婚して子供ができた頃のごく最近(といっても20年以上前)であると思っている。

自分が子供の頃は、確かに肉料理やハンバーグやコロッケなどのメイン料理の突き合わせとして野菜が添えられていた。

これらの野菜は、単なる付け合わせであって残しても良いものだと思っていたような気がする。

作者が言っているように、レタスは千切りにしなくても葉っぱのままで食べることができる。この柔らかさとみずみずしい食感はレタスにしかない。

普段あまり気にしたことがないが、言われてみてレタスのすばらしさに気が付く。

感動を気付かずに落っことしてきている物も結構あるものだと改めて思った次第である。





ボーズ社

音響機器メーカー、ボーズのスピーカーはプロや音楽愛好家の間ではつとに有名だが、スケートの荒川静が金メダルをかけたオリンピックで、出場前に気持ちを落ち着かせるために、ノイズ・キャンセリング機能を持ったボーズ社製ヘッドフォン「コンフォート・クワイエット」を使っているのが報道されて以来一般の人に知れ渡ったのだろうか、電車に乗っている若者で、このヘッドフォンを使っている人をチラホラ見かける。

外部の音を検知し、それと逆位相の波を発生させて雑音を消す機能を持ったユニークなヘッドフォンである。

どんな仕組みか興味があったのでインターネットで調べてみた。最近はインターネットの普及で検索については本当に便利になったものだ。

もともと騒音の激しい航空機のパイロットが快適に通信できるヘッドセットの開発が起点であったそうだ。

ユニークなところは、一つに、イヤーカップ内部に取り付けた超小型集音マイクで外部騒音をキャッチし、それらを瞬時に周波数データに変換し(ここが味噌だと思うのだが、どのような周波数データに変換するのかが分からない、きっとノウハウなのだろう)、同時に収集したノイズデータとは逆位相の信号を高速で発生させイヤーカップ内のノイズを打ち消す、というのが仕組みだ。

もう一つ、装着に快適性を求め軽量・小型化というヘッドフォンに課せられた厳しい要求に対して、これらの複雑な機能を小型化してヘッドフォン内部に組み込んだところがすばらしい。デザインといい重量といい一般のヘッドフォンと比べて遜色ない。

ちなみに、この外部の状況を瞬時に感知し逆行する動作に変える技術は、車のサスペンションへの応用も考えられており3〜5年を目途に製品化される予定だそうだ。

ボーズ社は、生み出す製品もさることながら、会社自体も特徴のあるユニークな会社である。MITの教授であったボーズ博士が大学内に立ち上げた研究所が起点である。

朝日新聞の7月12日にボーズ社のユニークな経営方針が紹介されていた。株式を上場しない、利益は配当せず全て研究費に充てる、いわゆる株式による資金力をベースに企業発展を展開する米国式株式会社の発想とは全く逆行する。

目先の利益には目もくれず研究開発を重視し定年はない。いわゆる人材確保最優先の会社なのである。

取締役の大半は、博士が教鞭を執っていたMIT出身者で占められる。研究者にとっては、まるで桃源郷のような研究所だ。

ボーズ博士の音響機器に対する考え方もユニークである。「音響製品の再生音はコンサートホールに忠実にすべきである」というのが哲学のようだ。

確かに「カタログ上のスペック」を見ると再生音の周波数特性は人間の耳を超えるものさえありボーズのスピーカーを越えるものは沢山ある。

彼の「真の原音再生」への執念は、音響性能を示すスペックと実際の聴き心地との関連を解明したのである。すなわち人間の聴覚とデータの関係を重視する心理音響学切り開き、独自の音響理論を確立したのである。

そこにはボーズ博士の「機器ではなく、美しい音楽の提供者でありたい」というポリシーが感じられる。

ボーズ・ブランドはアメリカの家庭用スピーカー市場の20%を持っており、ライバルJBLやインフィニティに大きく水をあけている。

ボーズ・ブランドは、社のモットー「Better Sound Through Research」に裏打ちされて確立されているのである。もの作りの手本を見たような気がする感動の記事であった。日本のソニーにももっと頑張ってもらいたいような気がする。




秩序

養老猛司によると人間が自然を支配したいという欲求を持つのは、本能的に秩序を求めて活動をするからだと分析している。

「なぜ人間は石油を必用とするのか」という話題を通して、6月号のJAL機内誌Sky Wordのエッセイの中で、この欲求と秩序の関係を考察している。

人間が石油を必要とする理由は、「現在の人間の文明を維持するために必用なのだ」という考えが一般的だが、氏は人間の脳が秩序を求める故に、その秩序維持のために石油が必用であるという論旨を展開している。

物理の法則に「秩序を追求していくとそれだけ無秩序が増大していく」というのがある。この法則は、熱力学第二法則「孤立したシステムにおけるエントロピーは減少しない」というもので、なにやらわけの分からない法則である。

エントロピーとは「無秩序」のことであり、非孤立したシステム(地球と宇宙)でエントロピー(無秩序)が減少する(地球上で秩序を追求する)時、それは常に環境におけるより多くのエントロピーの増大(無秩序の増大、すなわち環境の破壊、温暖化等)につながる、ということである。

ようするに、地球の文明が発達(何が発達寡欲分からないが・・・)すると、それに従って環境が破壊されていく、ということである。

物理の法則なので、必ず起こる現象なのである。

安定を得るために、便利性を追求するために邁進している人間の前には、それらに払った犠牲や努力と同じだけ、無秩序が増え克服すべき問題が発生していくということだ。

そのように考えると何やら難しい「熱力学の法則」が、にわかに身近なものになってくる。(でもないか!?)

確かに、石油消費の結果として地球温暖化の問題が浮上してきた。遠い将来の問題ではなく、私たちの子供の時代には必ず起こる問題として、もはや抜き差しならない問題となってきた感がある。

エネルギー関連の業界に従事している者として、氏がこれから展開しようとしている「石油と水」について、養老猛司に注目したい。





ダイエット(中間報告)

7月1日から2ヶ月間、会社の「健康キャンペーン」が始まったのをきっかけに、今までダイエットをしなければと何十回と決心しながら、その度挫折してきた実績を再びリセットして、新たな気持ちで(何十回とリセットしてきたが・・・)ダイエットに臨むことにした。

背景には、久し振りの結婚式出席を9月に依頼され、若い頃に作ったウエスト76cmの一張羅の礼服が入らないことが明白(当たり前か)になり、それを何とかしなければとの理由もあり、人生最後の(!?)ダイエットに臨もうと決心した。

これで成功しなければ、以降、もうダイエットには挑戦しないことにしよう。ということで現在ダイエットに励んでいる。開始当初69kgあった体重が7月29日現在で64.5kgまで落ちた。

私の人生では快挙と言っていいほどの減少である。最終的に8月の末にどうなるか分からないが、折り返し地点では4.5kgのダイエットに成功していることになる。

目標は、身長から割り出す標準体重64kgなので、あと500gに迫っている。

ダイエットに必要なのは、体重を減らす為のカロリーコントロールと適切な運動、ダイエット後リバウンド防止の為の肉体改造(高カロリー消費型肉体すなわち筋肉質肉体への改造)である。

そして、最も大事なのはダイエット期間中の健康管理である。健康のためにダイエットをしているのに健康を害してしまっては本末転倒もいいところだ。

私が挑戦しようとしているこのダイエットの方法は、仕事仲間の商社マンが教えてくれた究極のダイエット法である。

彼は、現役時代は100kgを超えるラガーマン(フォワードナンバー8)であったが、会社勤めを始めてさらに体重が増加してきたため、一大決心をしてダイエットに励んだそうだ。

結果、男性ファッション雑誌に出てくる阿部寛バリのいい男(長身で、体重には無関係だがイケメンである)で、最近流行のどちらかというと細めのブランドスーツを身につけ、テレビのCMで出てくるようなデキル商社マン風(実際デキルのであるが)である。

要は、彼のダイエット成功物語を聞いて(というかそのかっこ良さに惑わされて?)飛びついたのである。

理由はともかく、このダイエットは理論的で何となく出来そうである。

かくして私は、現在、無謀にも人生最後(?)のダイエットにはげんでいるのである。

ご存じのように世の中にダイエットに関する情報は溢れるほどある。あやしいダイエット食品や、その効果が疑わしい薬品等がかなりある。

その証拠に、私のかみさんなどは、ダイエット食など数限りなく試しているが、いっこうにやせる気配がなく「ふくよか円満」路線をひた走りに走っている。

最近は、「年を取ってやせていると皺が目立って貧相に見えるのよ、どちらかというと太めの方(ふくよかを通り越しているような気がするが・・・)が肌の張りもあって若々しく見えるの」とのたまい、やせようという気持ちが本当にあるのかどうか疑わしい。

人のことはさておき、中年以降の私も例外ではなく、自分の体重増を何とか正当化することに労力を払うようになってきた。例えば「それなりのステータス(ステータスなんて代物では決してないが!?)には貫禄が必要だ・・・」等々。

人生最後のダイエットは、今のところ成功しているように見える。その原因は、カロリーコントロールと運動だろう。

カロリーコントロールについては、カロリー計算により、朝食はたっぷりヨーグルト・小さなパン・たっぷりアメリカンコーヒー、昼食はコーヒーとトースト1枚、夕食は山盛りサラダという具合だ。これでは食の楽しみが全くないので夕食に極上のエスプレッソを飲む。

最初はお腹が減ってしょうがなかったが、ゆっくりと食材をかみしめて食べると満腹感が多少なりとも充足される。

運動については、仕事の忙しさにかこつけてさぼっていたが、方法を考えれば忙しいときだって結構デキルものである。それはウオーキングである。

これは、10時頃家に帰ってきても、12時までに歩けば、変質者と間違われる可能性は低い。もっとも、12時頃、腹の出っ張った中年親父が黒っぽいトレーニングウエアに身を固めフラフラと歩いている様はどちらかというとヨレヨレしているので、物取りや痴漢など出来そうに見えるはずがない。

週末は水泳とサイクリングである。水泳はきっちり30分間連続して泳ぐ。サイクリングは30km、ひた走りにといいたいが休み休み無理をせず。

サイクリングは大自然の中を疾走(?おじさんは疾走している気になっているだけだが)するので、無味乾燥なスポーツジムの壁をにらみながらひたすら堪え忍ぶ(スタイルの良いインストラクターを眺めるのは反対に楽しみだが)といった圧迫感から解放される。

ダンベル200回プレスによる逆三角形の肉体作り。見た目は相変わらず白豚みたいにプヨプヨしているが胸囲は10cmくらい増えた。こんな風に書くと、一見、猛烈に運動しているようだが、毎日やっているわけではないので、実質は結構ゆったりとしている。

長く続けるのが大事なので、途中でめげないように「軽く流す」ことに主眼を置いている。「気が乗らないときはやらない」と割り切るのが大事。きっちりやろうとすると必ず挫折する。

それでも飲み会などがあると、数kgあっという間に体重が増加する。これを減らすのは数日を必要とするので、後の苦労を考えて体重が増えそうな飲み会では摂取量をひたすら控える。

そういえば映画「プラダを着た悪魔」の冒頭に登場するスタイル抜群の美女たちの朝食はアーモンド2〜3粒だけであった。

先にも述べたが、ダイエット中は健康管理が大事である。血圧、脈拍、体重を毎日記録し大きな変化がないことを確かめる。

さすがに5kg近く体重が減ってくると、なんとなく(気のせいかもしれないが)体が軽くなったような気がする。階段を登っているときに足への負担は明らかに減っているし、鈍い腰痛を常に感じていたのだが、体重が減ってからはその鈍痛を感じる機会が確かに減ってきた。

体重減の効果は着実にあがっている(と信じたい)。体重が少しずつ減っていく様を記録につけて見るとなかなか楽しい。おまけに実際に減ってくると継続する勇気もわいてくる。このまま8月に突入してキャンペーンを憂愁の美で飾りたいものだ。

髪は増やしたいが体重は減らしたい。それにしても人間は、増やしたり減らしたりわがままな動物である。









親同士の見合い

人間の幸せを考えると結婚が全てではないが、国立社会保障・人口問題研究所2002年の出生動向調査によると、結婚年齢が高くなるばかりでなく、結婚しない人が増えているそうだ。

女性側の理由としては「女性の経済力向上」、「自由」、「未婚に対する世間の偏見が無くなった」など、男性側の理由としては、同じく「自由」が大きな理由となっている。調査によれば、確かに結婚の必要性を感じる人が少なくなっているのは事実のようである。

しかし、一方では、結婚したいと思っていて、なかなか結婚できない人も多いようなのだ。先頃、テレビのニュース番組で「親同士の見合い」という(私としては)信じられない光景が報道されていた。

結婚しようと思っている当人が見合いをするのでなく、その親同士が、いい加減いい年をした当人同伴で集団見合いをしているのである。

「結婚はしたいが、いまいち勇気がない」等の理由により、親が当人同伴で相手の、これまた当人同伴の親に話しかけ、写真や情報の交換をしている風景は、「親子それぞれが独立していない家庭がこんなにも多いのか」とあらためて問題の大きさを認識させられる。

過干渉な親とそれに依存する子供という核家族の縮図がそこに見える。少子化傾向の中で異常な程までに自分の子供を大切にする親。

例えば、運動会で子供たちのビデオや写真をとることに夢中になって、他の観客の事などお構いなしに、おまけにかけっこのトラックに進入してまで、良いアングルを取ろうと行動して傍若無人に振る舞う若い親御さんを見ると、本当にあきれかえってしまう。

そんなにビデオや写真を撮っても、後で見返すなどということはほとんどないのに・・・過干渉の結果として「親同士の見合い」というような事態を生じることになる。

子供はいつか家族から巣立ち独立していくものである。それを助けるのが親で、それは義務であり代償を求めるものでは決してない。

自分の親に受けた恩は、自分の子供に返していくものである。そんなことに考えを巡らせていると、逆に親を大切にしなければという気になってくるから不思議である。





体組成計

最近ダイエットをしているせいか体重が気にかかる。今までは乗りもしなかった体重計であるが、最近では毎日風呂から上がる度に体重計に乗っている。

8月5日付の朝日新聞で「体組成計」の話が出ていた。「体組成計」は体重を量るだけでなく、体脂肪率、筋肉量、内臓脂肪レベル、骨量などが一瞬にして表示される。体脂肪率などは体の部位毎に値が出てくるから驚きである。

一体どんな仕組みなのか日頃から疑問に思っていたが、この新聞記事でいくらか解明された。外部から微弱電流を人間の体に流し、体の「電気抵抗」を計っているのである。筋肉は電気が流れやすく反対に脂肪は電気が流れにくい性質を利用している。

しかし、これだけでは全体的な筋肉量や体脂肪率は分かっても、どこに脂肪が付いているか等の細かい情報は出てこない。これらの情報は、得られた電気抵抗値を内蔵した計算プログラムにより計算し導出される。

この計算プログラムは、約2000人分のデーターを統計処理して導き出された実験式を元に作られているそうだ。

当然、この「体組成計」はいろいろな人、すなわち、体型や生活習慣の違う人、スポーツマンやサラリーマ等々が使えるようにしなければならないので、導き出される実験式の元となるこれらのデーターは、測定対象とする人の情報を全て網羅する必要がある。

電気抵抗から得られる全体の筋肉量と体脂肪率から、日本人の体型別データーを統計処理し、内臓脂肪の付いている場所やレベル、骨量等の数字を類推する実験式を作ったのである。

具体的には、胴回りの寸法、年齢、身長、性別、職業、基礎代謝の傾向、全身スキャンデータ等のデーターと電気抵抗の相関関係を解析し実験式を作り込むという地道な作業を遂行したのである。

したがって、販売されている体組成計は集められたデーターの対象となった人にしか適用できない。実験式を導き出す統計処理に使用しなかった特異的体型の人では正確な数字は出てこない。

商品化するに当たって、これらのデーターを処理し実験式を導き出すのに実に2年半を要したそうだ。

耐震問題で巷では無責任な評論を含めた技術論争がかまびすしいが、日本の技術力たるや、まだまだ捨てたものではないと思っている。






ペリカンの万年筆「ペリカーノ・ジュニア」

朝日新聞にも紹介されていたが私が、今、愛用している万年筆がある。筆記用具は、最近優れたものが多く、会社で使っているゼブラのハイパージェルなどは、ボールペンを上回る書き味でメモをするときに全くストレスを感じない。

しかしながら、「ペリカーノ・ジュニア」の書き味を体験してからというもの、万年筆を新ためて見直し使うようになった。

そもそも、この万年筆は、ドイツで子供たちが万年筆筆記をマスターするために作られた万年筆だそうだ。子供たちが最初に正式なオートグラフの勉強に使う万年筆なのである。

ドイツにおける万年筆筆記は、日本における毛筆を使った書道のようなものである。日本人は基礎教育として小学校の時に毛筆による習字を習う。

「ペリカーノ・ジュニア」は、とにかく書きやすい。そもそも一般日本人にとってあまりなじみのない(作家や万年筆にこだわる人は別)万年筆なのに書きやすい理由は、ちょうど指が当たる箇所がへこんでいて、正規な位置できちんと指が固定されフィット感が優れている点だろう。

まだ、筆記用具の持ち方が身に付いていない子供に、正しい持ち方を覚えさせるための工夫が成されているのである。

ペン先も適度に硬く中字なので、強く押さえても綺麗な字がなめらかに書ける。おまけに1000円チョットと安価。

新聞によると、日本では子供用としてではなく、大人が自分で使うために買っていく人が多いという。文房具売り場では、ちょっとした人気商品らしい。

ポケットに挿すときのクリップが付いていないので少々不便に感じる人がいるかも知れないが、黄、赤、緑、青と原色を使ったデザインもシンプルで、インクカートリッジのインクの減り具合も外から分かる。

私が使っているのを見て、かみさんも購入した。なかなかの優れものなのである。





収納

家を設計するときに物の収納をどうするかということは重要事項の一つである。建て売り住宅のチラシなどに、収納能力が十分あることをうたい文句にしているものを見かける。収納力の大きい家は、一見、日頃使わない物を大量に収納できるという点で、家の中が片づき快適な暮らしが実現できるような錯覚を起こす。

確かに物の収納は重要である。室内が綺麗に片づいていて厳選されたものが置いてあり、物が的確に収納され必要なときに遅滞なく取り出すことができる家を訪れると、住んでいる人のセンスの良さとしっかりしたコンセプトが感じられ知的レベルの高ささえ感じられる。

 

スッキリしている家は収納スペースが少ない

しかし、片づいてスッキリしている家を詳しく観察してみると、決して収納スペースがふんだんにあって綺麗に片づいているわけではないようだ。むしろ収納スペースは、一般家庭より少ない場合が多い。そもそも家の中にある物が少ないということである。必要最小限の物を厳選して所有しているのである。とてもスッキリして見えるのは、どうもこのような理由からであるようだ。

 

収納スペースがたくさん必要な理由

快適な自宅生活は言い換えると、「無駄な物を所有していない」ということに尽きるのではないか。ところが「無駄な物を所有しない」というのは言うほど簡単ではない。どうしても、「捨てるのはもったいない」「取っておけばいつか役に立つことがあるだろう」「とりあえず捨てずに取っておこう」となる。特に、ものの無い時代に育った世代は、まだ使えそうなものを捨てることは罪悪と思っているので、この悪循環から抜け出せない。

これら「捨てるにはもったいない」ものは、結果として収納スペースに保管されることになるのである。一旦収納してしまって時間が経つと、収納した物の存在さえ忘れてしまう。引っ越しや大掃除の機会に収納された物を引っ張り出して初めて「こんな物があったのか」となってしまう。ここで思い切って捨ててしまえば良いものを「何かに使えるだろう、とりあえず取っておこうか」と悪循環の繰り返しとなり、再び収納庫の中に埋もれる。結果として、年齢を経る毎に物がだんだん増えてくるのである。

 

生活空間を整理するために

そもそも、人間が日常生活に必要な物の数は知れている。それにチョットだけ娯楽や楽しみのための道具が追加されれば、十分に充実した生活が送れるものである。有名人の豪邸などがテレビで紹介されるが、はたして、豪華絢爛な装飾品は、生活に癒しをもたらすものも必要だと割り引いて考えても、全て日常生活に必要なのだろうか。クリエイティブなストレスある日常生活を送っている人は、癒しのための無駄がそのクリエイティブ度に応じて多くなるどころか、むしろ無駄が少ない人が多い。

日常生活に最低限必要な物は何か、娯楽や楽しみのための道具を何に絞り込むかが重要なのであり、そのことが住人の知的レベルを決める。もちろん、これらは年齢によっても変化する。どこに住んでいるかの住環境でも異なるであろう。いずれにしても、上手な収納の原点は、必要な物を厳選し常に無駄がないかをストレス無くチェックしていくことがポイントである。

しかし、物をため込む習性は人間の本能ではないかと思えるほどで、油断するといつの間にか無駄な物を抱え込み所有している。これを防ぐには、しまい込んだ物を常に見えるようにしておくことが有効であると思う。生活空間を見渡すとき、収納されているものは常に視線にさらされ自然にチェックされることとなるからである。

 

日常生活の中に整理をするためのチェック機能を備えた例

そういう観点で、有名建築家の自宅で見習いたいサンプルを発見した。イギリスの人気建築家デイヴィッド・チッパーフィールドの自宅である。彼は収納物を外から全て見えるようにして、収納物を一種のコラージュに見立てて部屋の景観に加えることで調和をはかるという全く新しい発想で自宅を設計している。

基本コンセプトは、壁を無くし、パーティションを兼ねた透明な収納スペースを配置し、床はフルフラット。パーティションは、博物館の展示スペースのようでメンテナンスやどこに何があるか一目で分かる構造になっている。このパーティションは、収納してある物が全て見えるので、無駄な物はすぐに捨てざるを得ないし、収納物を見苦しい配置にも出来ないので常に住人にとって鍛錬を与えている緊張感のある空間として存在している。

この建築家自宅の紹介は、雑誌PEN(2006年4月1日発行、Vol:172)の特集記事「海外建築家が設計した自分の家」にある。私は、老後を過ごす第3の最終の家は、コレだと思った。

 

 

写真1は、右側がキッチン、中央がダイニングテーブル、ダイニングテーブルにはその下にキッチリ収まるベンチが配置されている。照明はつり下げられたアルミ製フード付きの細長い蛍光灯である。収納が窓側に配置されているが、収納が透明になっているので窓からの採光を妨げない。収納が透明である点は、仕切られた空間を圧迫しないという副次的効果も生みだしている。収納されている物は、まるでオブジェのように装飾の一部として日常生活にとけ込んでいる。

 

 

写真2は、リビングである。テーブルは10人が余裕を持って座れる大きさである。右側の収納スペースは、主に書棚になっている。4人家族が居住しているそうだが、2人の子供たちはプライベートルームを持っているものの、勉強や仕事はこの部屋で行う。収納スペースは個人に割り当てられ、割り当てられたスペースは、それぞれ思い思いに使用されている。面白いのは、それぞれ個人の趣味で収納スペースを使用しているが、自然と全体的に調和をとるようになるそうだ。共有空間では、自然に、いごごちが良くなるように全体的なデザインの調和を取ることに個人が気を付けるということなのだろう。

写真3はくつろぎスペースである。ソファーの形に注目していただきたい。一方向でなく四方に広がって座れる工夫がなされている。ソファーを囲む収納スペースを正面に見てくつろげるようになっている。このスペースにはプロジェクタも配置されていて、家族皆で楽しめるようにもなっている。

 

 

パーティション、収納、オブジェの役割を兼ね備えた家具(?)の配置は非常に合理的な設計である。1階層で限られたスペースを有効に利用しなければならないマンション形式の部屋には最も適した設計思想であるように思える。何故なら、建築家が実際に生活している空間であり、どこかの展示場のように、生活臭のない日常生活とはかけ離れたモデルルームではないからである。

理想をいえば、これらのパーティションが移動できるようにキャスタ付きであると、仕切位置を変更できるので空間の自由度がより増すと考えられる。







「ベイズの定理」を利用した迷惑メール判別フィルタ

ホームページを公開して迷惑メールが激増した。最初は、OutlookExpressの機能で「送信者を制限」していたが、毎回毎回送信側がアドレスを変更してくるので効果がほとんど無かった。そこで世の中に出回っている「迷惑メール判別ソフト」を探していたところ「POPfile」という有名なソフトに出会った。30日間試用期間があって、効果を確認してから購入するシステムになっているので良心的である。

このソフトは驚くべき効果を発揮し認識率が現在98%で、ほとんどの迷惑メールを正確に判別する。このソフトの特徴は学習効果があり、間違ったデータ(滅多に間違えないが)をユーザーが修正していくことで次第に進化していく。

このソフトは、「ベイズの定理」と呼ばれる確率を用いた統計数学を用いている。「ベイズの定理」とは、ある結果が得られたとき、その結果を反映して未来を予測するという定理で、迷惑メールの判別に利用すれば、迷惑メールに含まれるキーワードを学習することによって、今後出現する(であろう)キーワードを予測する事が出来る。確率を用いているので新しい判別結果をデータとして追加していけば、確度が上がりさらに判別機能を高めていく学習効果を持ったソフトにする事が出来るのである。

実際にどうするか。送られてくるメールを迷惑メールと非迷惑メールに分類し、迷惑メールに含まれるキーワードのうち出現率の高いキーワードと、非迷惑メールに含まれるキーワードのうち出現率の高いキーワードを選び出す。全体のメール数から迷惑メールに出現するキーワードそれぞれについて出現率の割合を出して迷惑メール率とする。上位のキーワードの幾つかに限定して、これを最終的な迷惑メール率とする。これらをソフトの中で「ベイズの定理」を用いて計算させる。最終的な迷惑メール率に近い確率で送られてくるメールを新たな迷惑メールと判別するのである。

迷惑メールと非迷惑メールの分類に間違いがある場合、人為的に分類のやり直しをしてやると、ソフトは学習し最終的なキーワードとキーワードの出現率をその都度修正し次第に正確に判別をするようになるというわけである。

その仕組みを知って、IT産業の進歩のすばらしさを認識したのであるが、その根幹をなす「ベイズの定理」が今から300年も前に発見されたものと聞いて改めて驚いている。

「ベイズの定理」は、18世紀後半のスコットランドの長老派教会の牧師であり、アマチュア数学者でもあったトーマス・ベイズによって考え出された。平成19年11月24日付け朝日新聞の日曜版に紹介があった。さらに驚いたことに、インターネットで頻繁に使用している学習型検索システムにこれが応用されているとのこと。

この「ベイズの定理」は300年もの間注目されることが無かったが、Microsoftが2001年に「ベイズの定理」を積極的に用い初めて状況が変わった。他社もその利用価値に注目するようになり、定理を応用した学習型の迷惑メールフィルタ「POPFile」の性能が世間の知るところとなったのである。




駅の立ち食い蕎麦

JAL機内誌SkyWard1月号、浅田次郎のエッセイの中に、「駅の立ち食い蕎麦」の話が出ていた。出張中に横目で通り過ぎることが多いが本当にうまそうである。「駅の立ち食い蕎麦」に注目するときは大体決まっていて、朝早くであるとか昼食時であるとか、とにかくおなかが空いているときが多い。

さらに貧乏性の私は、狭い空間でせかせかと蕎麦を掻き込んでいる姿そのものが美味しそうである。もうもうと上がる湯気、何とも言えない出汁の良いにおいが、すっからかんの胃袋を刺激する。寒い冬の早朝などは特にうまそうに感じる。実際、食してみるとたいしたことは無いことが多いが、行列が出来る店は有るもので、新橋界隈や上野界隈では、そんな店に出くわす。

そんな店には決まって古くからずっとこの店を守ってきたようなおばあさんが居て、無愛想に黙々と仕事をこなしている。そんな店に立ち寄るとき、最近、とても困ることが有る。

昔は、メニューが少なくて数種類しかないので、どうかするとメニューが無かったりしたものだ。注文が実に簡単だったのである。

今はというとメニューも豊富で券売機というものが置いてある。私などは、圧倒的な種類のボタンを前に、券売機の前で立ち尽くしてしまう。あまりにもメニューが多いのと、トッピングと称して個人の好みによって、素蕎麦が豪華絢爛に変身するである。

人気の有る店は、スピードが売り物だから、券売機の前で立ち尽くしていては皆の迷惑になる。結果的に私などあせってしまって、適当に押すことになってしまう。

他の常連客が美味しそうに食べている豪華絢爛蕎麦を手に入れることがいまだかつて出来ないでいる。いつか店が暇なときを見計らって券売機をじっくり観察してメニューのアレンジをしてみたいと思っているが、未だに実現していない。

券売機システムでは「横の客と同じもの」という注文の仕方ができない。

皆さん悔しいと思ったことは有りませんか?






役職

JAL機内誌SkyWard1月号の養老猛司のエッセイの中に「役職には(誰が就いてもかまわないが)たまたま自分が就いているのだ」と思う謙虚さが必要だというくだりがあった。

普通の組織では、職位が上がるにつれポストが少なくなる。少ないポストに選ばれるのは、それなりの努力、才能と運が必要だからか、自分が卓越したすぐれた特殊能力を持っていると錯覚しがちだ。

その証拠に、世の中には今の仕事を「自分の仕事」と言って自分しかできない仕事と信じている人が多いようだ。組織の仕事は、決して個人で独占してはならないのである。

組織生活が長くなると、感性が鈍くなるのか「自分の仕事」という言葉を(私も含めて)日常茶飯事に使っている。私は決して仕事は好きでないが、仕事にのめりこみすぎても弊害が出てくる。

最近、世間を賑わしている企業ぐるみの不正は、謙虚さ喪失のなれの果てではないだろうか。人間いかなるときも謙虚さを持ち合わせて生きていけば、このような不正に発展しないだろうし、世の中もう少しましなるような気がする。

先にも述べたが「自分の仕事」と言う背景には、自分しか出来ないという傲慢な自尊心が見え隠れしている。サラリーマンの世界に限れば自分にしか出来ない仕事などというものはほとんど無い。

確かに、要領の良し悪しや経験の有無があって仕事のスピードや出来には個人差がある。しかし、時間をかければ誰にでもできる仕事がほとんどだ。匠といわれるような職人さんが持っている技能のように、その人しか出来ないことなど皆無に等しい。

その証拠に、例えば、病気で長期入院したとする。会社に残してきた「自分の仕事」が、入院している間ストップしているかといえば、そんなことは全くない。入院から戻ってくると意外に仕事は支障なく進んでいるものである。

謙虚さを忘れると自分が偉くなったような気がして、それが態度に出て横柄な口のききかたをしたりする。もっともそれを甘やかす周りの人にも問題があるが、閉鎖された会社組織では客観的に自分を見ることができなくなり、それらが当たり前のように感じて来るから不思議である。

本当に権力が有って人間的にすばらしい人は謙虚である(ように見える)。真の人格者は、自然に周りが尊敬してくれるので、肩を怒らせて威張らなくても良いのである。「世の中の管理職諸氏、心せよ!」である。







筋電義手の開発

2月24日(日)のテレビ番組「My Goal」で久々の感動を味わった。すばらしい番組であった。

先天的に右手の無い少女の「茶碗を持って食事をしたい」というささやかな願いを叶えるために、東京大学の準教授横井氏の筋電義手作りプロジェクトを描いたドキュメンタリーである。

「筋電義手」とは私にとって聞きなれない言葉であったのだが、筋肉を刺激する脳からの微弱電流を利用して、人間の思い通りに動かすことのできる義手のことである。

−筋肉は脳から発せられる命令が神経を通して伝えられたときに発生する微弱な電気的刺激によって収縮する。このとき発生する電位は微弱ではあるものの体表面でも検知することができる。これを「表面筋電位」といい、筋電義手を動かすスイッチとなる。(Wikipediaより引用)−

この原理を使って精巧にできたロボット義手を動かすのだが、実際に子供に応用する場合、幾つかの大きな困難に遭遇する。

一つは、小型・軽量化であり工学分野での困難さである。もう一つは、義手の使用者側の訓練である。自分の脳からの命令が微弱電位に返還され、その信号によって義手が動くので、信号と義手の動きが一対一に対応するように使用者側で訓練をする。

テレビ番組では、これらの困難に直面した開発者、使用者である少女、少女を取り巻く家族や友達を描いている。困難はこれだけではないだろうが、2つの困難に焦点を絞ることによって、観ているものへの力強いメッセージを発信し感動を与えることに成功している。

生まれつき右手がない少女は、それでも底抜けに明るい。少女を育てたご両親の教育方針、それに基づいたご苦労に、その結果スクスクと真っ直ぐに育った少女に思わず涙した。

開発グループは、人間の手にできるだけ近いスムーズな動きの実現と軽量化という相反する要求を満足させるべく、中心となる先生、学生、一丸となって少女の笑顔を夢見て義手開発に立ち向かう。案の定1号機は失敗。装置の重さに辟易としている少女を見て開発グループに敗北感が漂う。

少女の望みは実に簡単なことなのである。「茶碗を持って食事をしたい!」なのだ。ところが、「茶碗を持つ」という手の動作が、ロボットにとってどれほど難しい所作であるか。5本の指の位置、それぞれの指の微妙な力のバランス、日常私たちが何の苦もなく行っている動作がロボットにとって途方もなく難しい。

番組の中で「手は第2の脳である」という言葉が出てくるが、なるほどとうなずける。

結果的に少女自身の気の遠くなるような訓練と開発グループの不断の努力により願いがかなう。自分の手で茶碗を持ってご飯を食べることができるようになったのである。

実際に筋肉を動かす電気信号は非常に複雑であり、それらに100%対応できるロボット技術は実現できていない。したがって、使用者には人間の発する複雑な電気信号とロボットを操縦するための簡単な電気信号の間を翻訳する途方もない訓練が課せられる。それはきっと想像を絶する地道な訓練であるに違いないのだ。

しかし、自分の手で茶碗を持った少女の笑顔には壮絶な苦労の微塵も伺えない。少女の笑顔と彼女を取り巻く家族や友達の底抜けに明るい笑顔とともに久々に感動をもらった。もちろん、開発者の血のにじむような努力にも拍手である。

なお、筋肉を動かすための微細電位の測定は、病気疾患の検出にも利用される可能性を持っており、今後、さらに期待される技術であることも追加しておく。







ダイエット最終結果

年齢とともに、新陳代謝機能が低下したり日常生活の運動量が減ってきたりストレスの種類が変わってきたりと体を取り巻く環境が体重増加の方向へ徐々に変わってきた。

このような状況を認識した上でダイエットについて考えを巡らし、一つのダイエット方法に着手して早半年が過ぎた。そのダイエット方法とは、@食事から摂取するカロリーを減らす、A適度な運動をする、Bカロリー消費型の肉体への改造である。

会社の健康キャンペーンをきっかけに、約2ヶ月間実施してある程度の成果を得たことは、「」に述べている。しかし、最終的な結果がどうなったか、皆さん興味あるところではないだろうか。

はっきり言って上記ダイエット方法は、私のように意志の弱い人間には本当につらい。特に@の食事量を減らすことについては、おなかが減って仕方がないといった感覚の問題に加え、必ず食べていた一膳のご飯を止めるといったような長年の習慣から決別しなければならないこともあり、ダイエットを始めた最初の3ヶ月間は大変であった。特に「長年の習慣を変える」ということは年齢とともに難しくなるようだ。

とりあえず健康キャンペーンでは何とか成功したものの、時期的に年末年始の忘年会や新年会のシーズン到来とともに、ダイエット3か条など忘れ去ってしまったのが実情である。白状すると、キャンペーン中69kgから64kgまで体重を落とすことに成功したが、年が明ける頃には67kgに戻ってしまった。まさにリバウンドである。

現在は再び64kgに戻っている。これを助けてくれたのは息子の受験である。子供の受験は親としては心配であるが、受験するのが自分でないから心配してもどうしようもない。せいぜい風邪を家庭に持ち込まないことぐらいである。

心配とは全く無駄な行為であるが、逆に「どうにもならないから心配だ」と言う人もいるくらいで、凡人たる私などは無駄と分かりながら心配する。

ただ心配していてもイライラするだけなので、子供もがんばっているから自分もがんばってみようという発想で、再びダイエット3か条を実行した。おかげで体重は元に戻った。また、イベントで高カロリーを摂取したと思うと、どこかで帳尻あわせをするといったふうに気が回るようにもなった。今後、人事異動の季節が到来するときに歓送迎会という試練が待っているが、今では何とか乗り切れそうな気がしている。

最近ではダイエット3か条を厳守するためのストレスも軽減してきたように思える。体が多くの食事を要求しなくなったためだろう。

それにしても、かみさん曰く、風呂上りの私の裸を見て「ぜんぜんムキムキにならんね〜」・・・?!







蒲田のラーメン屋

蒲田の場末(失礼!最近の蒲田はずいぶんきれいになった)で、若い兄ちゃん二人でやっているラーメン屋を見つけた。

特徴は、出汁がイリコであるところと、たまねぎをさいころ状に切って(ネギではない)山のように盛り付け油がギトギト。麺は自家製で太さが不ぞろいときている。

しかしである、これが不思議に旨いのである。油がギトギトなのにさっぱりしたイリコ出汁、不揃いだがコシの有る麺、角切りたまねぎのほどよい刺激、どれを取っても今までに食べたことの無い味だ。

夜遅くて他に開いている店が無く、仕方なく偶然に入ったラーメン屋だったが、すっかりファンになってしまった。

店のカウンターには(一人暮らし用の)冷蔵庫の半分くらいだろうか、50cm四方のガラス製容器が置いてあり、その中にイリコが、それも特大のイリコが山のように入れてある。

こんな大きなガラス容器が有るんだと思った。大きさは全く違って小さなものであるが、ちょうど昭和30年代の駄菓子屋の店先に並べられていた、ちょっとブルー色の四角いガラス容器と全く同じだ。丸いふたが付いていて駄菓子屋のおやじが5円玉と引き換えに、当たりくじ付きのお菓子を出してくれたのを覚えている。もっともほとんどスカ(はずれ)だった。

最初は、何が入っているのか分からなかったが、ラーメンを食べている間に観察してみると、容器の中にある黒い物体は干からびた魚であった。これを出汁に使うのだ。

トッピングはチャーシューと岩のり。この岩のりもうまい。生のりである。

オリジナリティが有り、お勧めのラーメンである。最近、東京へ出張すると決まってこのラーメン屋に通うようになった。







分業化

JAL機内誌SkyWard(3月号)の養老猛司のエッセイに、分業システムへの警鐘が書かれていた。

組織が大きくなるにしたがって効率良く仕事をこなすために分業というシステムが取りいれられてきた。業務フローを細分化し、企業活動を幾つかの作業単位に分割を行う。

それぞれの小集団は、割り当てられた業務に集中して、そのうち正確に遅滞なく業務をこなすことが出来るようになるので、企業活動全体が効率良くまわる。日本の大規模生産工場がこぞって採用してきた大量生産のシステムがその最たるものであろう。事実、日本経済は栄えたし私たちはその恩恵にもあずかった。取りあえず初期段階では成功した。

しかしながら、長く運営されていると組織が硬直化し始め、セクショナリズムが進行し効率とは逆のベクトルが働きだす。国鉄や郵便局といった親方日の丸的組織が肥大化したなれの果てが良い例だ。

民間企業は、親方日の丸ではないので仕方なく組織改革などを行って時代の流れに追従していかざるをえない。追従できなかった組織は衰退が待っている。

エッセイの中で養老猛司は、自分で全部やれるならば、仕事全体のバランスがわかり、どこにどれだけ手間がかかっていて、どこを効率的にやればよいかが的確に指摘できると書いている。

常勝をキープしつづけるトヨタなどは、社長自ら現場に頻繁に赴くというが、これも会社全体を把握するという姿勢の一環だろう。

「現場第一主義」という言葉が流行って久しいが、物事の本質は現場に頻繁にいくことだけではなく、全体を把握するという目的が背後に有るからなのだろう。






パーティー

私の隣に住んでいるアメリカ人もそうだが、フランスでも家に招いたり招かれたりしてホームパーティーが頻繁に催される。

頻繁にあるということがミソなのだが、各自が持ち寄るのは手間暇をかけていない手作りのお菓子や料理である。当然、材料は冷蔵庫にあるものでまかない見栄えも気にしない。ラッピングもせずに作ったままの容器に入れて持ち寄るのが普通である。頻繁にあるのでいちいち凝ってはいられないというのが実体なのだろう。

確かに、気軽に頻繁にホームパーティーが開かれるので、いちいち見栄を気にしていては、やっていけないという本音もあるが、そこには、招く側の誠意を重視し、手間暇かけずに如何に安くて美味しいものを振る舞うかという工夫を披露するのを楽しんでいる風がある。これってきっと素敵なことではないだろうか。

これに比べ日本では、家に客人を招く機会が少ないので、招く側も招かれる側もついつい気合いが入ってしまう傾向がある。招く側は豪華な料理を用意し、招かれる側は手土産に気を遣う。そこには見栄も無いとはいえない。

しかし、「招待するときは料理の質より誠意が大事」とするフランス人には学ぶところが多いのではないだろうか。人生を楽しく過ごしていくには、このような感覚が大切なのだ。

飲みながら仕事の延長よろしくコミュニケーションに力を入れているサラリーマン諸氏、近所付き合いの井戸端会議的ホームパーティーは、現役引退後の生活に重要ですぞ!








キャンディーズ

僕はキャンディーズのファンでは決して(?)ないが、週末、東京でキャンディーズの同窓会が開かれたというニュースが報じられていた。劇的な解散から30年である。

キャンディーズは僕たちの世代から数年若い世代の人たちが多感な青春時代に遭遇したアイドル・グループで、僕の友達にも例に漏れず熱烈なファンがいた。レコードはすべて所有していた上に刊行された印刷物はすべて手に入れていた。

彼はまじめな技術屋さんで海外にも留学し、今では会社の中心で活躍している。彼の名誉のために言っておくが、彼は決して「おたく」ではない。防衛省の石破大臣もファンだったらしいが、現代社会を支えている重要な人たちに人気があったのだ。

いったいどうしてそんなに国民的な人気を博していたのだろう。ほとんど時代を同じくして絶大な人気を誇っていたピンクレディとは、解散宣言をした後の人気が継続したのかどうかという点で、根本的に異なる人気であったような気がする

ピンクレディのファンの方には申し訳ないが、ピンクレディはその名の通りスタイルの良い2人が超ミニのコスチュームで行う振りがリズミックな音楽とともに人々を引き付けた。すなわち、そこには少なくとも「色気」に類する魅力があったのではないだろうか。

一方、キャンディーズは、「色気」は全く感じられず純粋さや可憐さを売りにしていたような気がする。人は成長するにしたがって純粋さを忘れると言われる。個人差は有るだろうが、社会に取り込まれて必ず周囲の社会との関係をうまく保つために、あるいは、組織に適応するべく、本来持っていた理想を曲げていく。

思春期にあった青年たちは、自分たちの理想と、就職のためには理想も妥協せざるを得ないと言う葛藤を感じていた。今まで長髪だった髪を「就職のためにリクルートカットにし」自分たちの信念に違和感を感じなかった若者は多かったに違いない。

私は、理想を曲げることは決して敗北ではなく妥協でもないと思っている。敗北や妥協を感じないで済むためには、その曲げ方にノウハウが有るような気がする。理想を成し遂げるためには紆余曲折は有るものの、形を変えて理想を実現することは、どんな境遇に置かれても可能だと思っている。

社会や組織にそぐわない理想であっても、修正し補強することによってほんのわずかであっても自分の当初考えていた理想の一部分を反映できる。

キャンディーズが持っている、ピンクレディと異なった人気の秘密は、ここにありそうだ。純粋さを保ったまま、尻切れトンボのように当時青春を謳歌していた若者の心に残り続けたのだ。30年前の野外コンサートで「普通の女の子に戻りたい」と、スタッフも知らないうちに突然宣言して解散してしまった唐突さが、この尻切れトンボ/ストップモーション感を当時の若者の心に引き起こしたのではないか。

不祥事の続く防衛省の石破大臣がキャンディーズのファンだったことは知らなかったが、政治、制服組み、背広組みの調和を訴え、純粋に防衛省の本来有るべき姿を模索しようと躍起になっている大臣の心境が、作為あるパフォーマンスでないとすると、本当に理解できるコメントである。

いい年をしたおじさんがビデオコンサート(開催された同窓会はビデオだけだった)に熱狂するニュース映像は、「いい年をして」という批判の目を向けるのではなく、社会の中心になって支えている40代50代の人たちに、まだまだ純粋さを求める心が残っているということを訴えているような気がする。この同窓会の企画は「世の40代50代の人たち、まだまだがんばれるぞ!」というメッセージを発しているような気がする。

まだまだ人間捨てたもんではないということを思い知った出来事であった。







久しぶりのサイクリング

今週末は久しぶりに仕事が無く天気も良く風も微風であったので3時間ほどのサイクリングに繰り出した。タイヤの空気が抜けていたので補充し、ついでに1年分の汚れを落とすために洗車した。ブレーキシューがずいぶん減っていることに気が付き、今度、自転車屋に行って新しいのを買ってこようと思う。

年寄りなのでシャカリキにスピードを出して走るのではなく、ゆっくり(それしか出来ないのだが・・・)道ばたの草花や周りに景色やらキョロキョロしながら約30kmを走った。おかげで翌々日に(すぐに現れないところが年寄りの証拠)筋肉が凝って体のあちこちが痛くなったが爽快な気分だった。

ゆっくりキョロキョロしていると植物などの自然の変化、思わぬところに花が咲いていたりしてビックリすることがある。雑草の一種だが小さな花がたくさん咲いている。ふと自転車から降りてじっくり観察してみる。小振りだがとても綺麗な花だ。花屋で売っている高価な花も綺麗だが、野に咲く可憐な花も素敵だ。この小さな花を写真に撮って記憶にとどめておきたいと思うのは私だけだろうか。デジカメで写真を撮ってみたが、そのときの感動はちっとも伝わってこない。



東北の地では田植えは既に終了しているが、水田にはなみなみと水が張られている。そこに水を供給している水路は、結構速い流れをたたえ大量の水を水田へと運んでいる。この脈々とした水流を写真に残せないか。これもデジカメで写真を撮ったが、その脈々さは伝わってこない。






バイクの大型免許を取ったせいで、関連ホームページを時々眺めるが、その中でHONDA CB1300の所有者s_boldorhttp://s-boldor.cocolog-nifty.com/cb1300sb/)さんのそれは、ツーリングの行く先々で撮ったちょっとした写真を載せている。その写真がプロ並みでバイクに興味がない人もバイクに乗りたくなるような、心温まるようなカメラ視線に感心させられる。

コメントやコントラバックで感想を述べられている方々も、このカメラ視線の暖かさに呼応して、ホームページはすばらしいコミュニケーションの場を形成している。うらやましい限りである。

ということで、改めて写真でもやってみようかという気になったサイクリングであった。








ヨット界のオグシオ

バトミントンのオグシオはその美貌もあってつとに有名である。最近、ヨット界のオグシオこと「コンカマ」(音があまり良くないが・・・)が時々メディアをにぎわしている。

私が高校〜大学の7間ヨット部に所属していたからではないが、女性がヨットで活躍し、しかもオリンピックでメダル獲得の可能性が高いとなると、じっとしてはおれない。

マリンスポーツはいろいろあるがヨットはどちらかというと日本ではマイナーな部類に入る。ヨット競技の中で、比較的知名度が高いのはアメリカズカップである。最もお金のかかる別名「海のF1」と言われるレースとしても有名だ。1844年設立のニューヨーク・ヨット・クラブ(アメリカ)がイギリス艇に圧倒的な差をつけ大勝したのに敬意を表し、ヴィクトリア王女が同クラブにカップを贈ったことが始まりである。

アメリカズカップは国と国のプライドを掛けた戦いであるということもあって、アメリカは優勝してカップを自国にキープすることに心血を注いできた。その結果、150年間カップを保持してきたが、近年は他国にカップを奪われている。

カップ争奪戦のドラマは日本ではあまり知られていないが、アメリカズカップ参加常連国の間ではカップを奪われた人の人生を左右しかねないほど、国民を熱狂させている。

造船技術大国の日本は、1992年にニッポンチャレンジとして参加し始め、準決勝進出まで果たしたが、資金難により2003年以降のアメリカズカップには参加していない。ヨット・ファンとしては寂しい限りである。

ヨット競技はヨットの種類によって分類されている。そのうち、470級(470はヨットの全長)といわれるクラスは、日本の大学選手権に取り入れられていることもあり、競技人口も比較的多い。(ちなみに私もヘタッピーながら大学4年間この470級に乗っていた)

下に示す写真は、北京オリンピックでメダル獲得の期待がかかるヨット界の「オグシオ」こと「コンカマ」のスキッパー(舵取り):近藤愛、クルー:鎌田奈緒子コンビの華麗なクローズホールド・セーリングである。

Abeam Consulting Japan

 http://www.abeam.com/jp/aboutus/commu_edu.html より引用)

470級の特徴は、写真のようにバランスを取るときにトラッピーズ(ハーネスとマストからのワイヤーで体を吊り下げる)を使って体を乗り出すこと、メインセール、ジブセール、スピンネーカ(追い風専用)という3枚の帆を駆使して船を走らせることにある。日本人の体格に合った小型艇であるので日本でも上位入賞できる可能性大である。

チーム・アビーム

「コンカマ」は、昨年7月ポルトガルで開催された470級世界選手権で4位、8月のプレオリンピックで2位と実力は世界トップセーラーと互角である。そして20082月時点では何と世界ランキング2位なのである。本当にメダルの期待高しである。

そもそも、ヨット競技とは、レース海面に設置されているブイを定められた順序に定められた回数分回って、フィニッシュしたときの着順によって順位が決まる。出来るだけ速く走るために、テクニックを磨くとともに、規則の範囲内で走りやすく艤装を工夫し、セールなど各部を風の強さに合わせてチューニングしていくといった地道な練習と調整が必要である。

日本が、セーリングでオリンピックに参戦したのは、1936年の第11回ベルリン大会からで、比較的歴史が浅く新しい。1996年のアトランタ大会において、470級女子の重由美子、木下アリーシア組が見事銀メダルを獲得している。

腰痛持ちの私は、いまさらヨットは出来ないが、また一つ北京オリンピックが楽しみになった。





ヤマハ電動スクーター「パッソル」で世界一周を遂行した藤原かんいち氏の記事を、熟年バイク雑誌「風まかせ」最新号で読んだ。この記事は「旅」を特集した記事中の一つである。

ところで「旅」という言葉は実は分かっているようで定義が難しい。どうも距離や時間によって決まるものでも無さそうだ。遠くに行って宿泊するのが「旅」かというと一寸違うような気がする。近場の散歩の中にも新しい発見があると「旅」をしたような感覚を味わった経験があるのは私だけではないだろう。

藤原氏は「旅」について記事の中で次のように語っている。「・・・(途中省略)いろんな体験や発見をすることで少しでも自分が変わろうとする行為が旅じゃないか(途中省略)・・・」

彼は「ドキドキしながら楽しむ心境」と表現しているが、「旅」から得られる緊張感が魅力なのだと記事の中で語っている。また、晴天のすばらしさは、雨に濡れそぼって辛い思いを経験した後は遙かにすばらしく感じるように、非日常的行為は普段の感覚差を大きくする効果がある。さらに「旅」で忘れてはいけないのは「人との出会い」である。旅先では地位とか年齢に関係なく平等に裸の人と人のつながりが生まれる。

「旅」には移動手段が必要になるが、ここでバイクと結びつく。緊張感を楽しみ変化に魅力を感じている人たちは自然を直接感じられる乗り物を好むようだ。そういう意味でバイクが最良かというと個人の好みもあるが、かなりいい線行っているような気がする。

この特集記事を読んで、「旅」とは必ずしも遠くへ宿泊を伴う行為ではなく、日常の平凡な人生のなかに如何に多くの発見を見いだすかで、人生そのものを「旅」にすることが可能であるということを改めて認識させられた。実は人生を魅力的な「旅」にすることが、人生を楽しく充実して過ごすコツなのではないだろうか。

またまたバイクが欲しくなる記事を読んでしまった。








分解

理科系の人間なら誰しも経験があると思うが、身の回りにある機械装置(と書くと大げさだがノック式ボールペン等日常使っている仕組みが簡単なもの)をやたら分解したことがなかっただろうか。ない人はよっぽど不器用かものぐさ(失礼!?)であろう。

最近、オークションで20年くらい前のカビ入りズームレンズを手に入れたからではないが、カメラのメンテナンス関係ホームページを覗いていると、古いカメラを分解・清掃・手入れをして再生させる趣味を持っている方が意外に多いことに気付く。

精密ドライバーはもとより、カニ目レンチ等の特殊工具を駆使して分解していく。古いカメラなので部品が破損していても取り替える部品が無い。がらくた同然の同型カメラを数台分解して使える部品を取り出して利用している。

古いカメラのシャッターやズーム機構は複雑で図面もないので、手探りで分解していく。組み上げたのだから分解できるはずだと強い信念を持って・・・それにしても機械装置を分解するという行為がどうしてこうも人々を魅了するのか。

複雑で精密な機械装置には、ある種の芸術的美しさがある。理科系のものの考え方と音楽や絵といった芸術的行為には似たところがあり、多くの研究者が優れた芸術家であったりすることは珍しくないことから、理科系の人たちが芸術を好む傾向があることが分かる。理科系に人たちはこの機械装置の芸術的造形に惹かれるに違いない。

それにしても寝食を忘れるくらいに分解に熱中するのは何故だろう。子供の頃、安物のドライバーセットを買ってもらって大いに興奮したことは未だ記憶に新しい。家中の壊れてもいない機械装置を分解して壊してしまうことも多く、両親はドライバーセットを子供に買い与えたことをきっと後悔していたに違いない。

機械を分解する行為は、人間の本能的な欲求「好奇心」を大いに刺激する。聞きかじりで恐縮だが、アメリカの心理学者、アブラハム・マズローは「人間の欲求には、生理的欲求、安全の欲求、親和の欲求、自我の欲求、自己実現の欲求があり、人間はこれらを順番に満たそうとする性質がある」と解析している。

「好奇心」は、知識を増やし自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されたいという「自我の欲求」、さらに自分の能力、可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいという「自己実現の欲求」を満たす根源である。

「好奇心」が人によって異なるのは当たり前で、「機械を分解する」なんてもっての外と考える人も存在する。(むしろ多いかも知れない)いずれにしても「好奇心」は本能に根ざした押さえることの出来ない欲求なのだ。

話はそれてしまったが、分解は機械装置が複雑になればなるほど時間を要し、分解途中のものが部屋に散乱することになる。家内の要求で改造した子供部屋だが、いつの間にか分解途中の機械装置であふれることになってしまった。壁面を全部机にしておいて良かったと思っている今日この頃である。

それにしてもズームレンズの分解は、ズーム機構がコンパクトに収まっている関係で非常に難しい。巷では「素人は手を出さない方がよい」カテゴリーのものらしい。






散髪

男性にとって毎日(?)剃るヒゲはその最たるものだが面倒くさいことが結構ある。その一つに「散髪」がある。私などは坊主派で中学生から大学生になるまで坊主だった。ヨットをやっていて海の紫外線で髪の毛が真っ赤になるのがいやだったからだが、洗髪も体を洗うついでに顔と頭を洗えるので石鹸だけでOK、シャンプーやリンスなどは無用。ずいぶん乱暴な洗い方だがシンプルで無駄がなかった。

だだ、欠点もあって大学入って髪を伸ばし始めたら急にモテだした記憶がある。(と自分で思っているだけだが・・・)幸いなことに、最近、いい男も含めて短めの髪型が流行っているので坊主に近い髪型でもおかしくない。昔の坊主頭はヤーさんと相場が決まっていた。もっとも、私など頭が薄くなり、最近の流行に便乗していると言われてもいたしかたないが・・・。

短めの髪型が流行っているからなのかどうか分からないが、パナ○ニックから「カットモード」という商品が出ていて結構人気商品であるらしい。仕組みはバリカン、チョット見栄えの良いデザインになっている。「誰でも簡単に散髪が出来る」というのがキャッチフレーズだ。

私事で恐縮だが、2〜3ヶ月に一回美容院で散髪(家内に言わせると美容院のそれは散髪ではなくヘアカットであるそうな)する面倒くささと3000円の投資は、かなりのものである。

商品の値段が1万円弱なので、計算では4回分で十分元を取ることになる。仕組みはというと、バリカンに髪の長さを調節するアダプターがついている。バリカンのアダプターは昔から有り、1分刈りや3分刈りといった数ミリの調節が出来たが、このアダプターをつけることによって、数センチの長さのまで髪を一定の長さにそろえることが出来る。

アダプターは数種類があって、ヘアスタイルによってアダプターを変える。さらに、すき刈り用のアダプターもあって、髪の毛の長さだけではなく量を調整できる。

これなら素人でもできそうだと思い、とりあえずインターネットで使用している先人たちの感想を検索してみる。検索して分かったことだが、この機械は結構使っている人が多く、色々な評価が掲載されている。結論をまとめてみると、「坊主頭にするのは簡単かつ綺麗に出来る」、「中くらいの長さからショートヘアくらいの髪型だと結構難しい」である。

中くらいの長さの髪型は、頭のてっぺん、側面、後ろ、耳周り、生え際とそれぞれ髪の長さが違う。アダプターは色々な長さのものが揃っているので、適切なアダプターを使えばきちんと設定した髪の長さに切れる。

しかしである。長めのところと短めのところの境目を自然につなげるのが難しい。虎刈りというのは、髪の濃淡が出来てみっともないが、この境目のところが上手くいかないともっと悲惨なことになる。

この調節は慣れが必要で、いきなり上手く散髪が出来るわけではない。世の中、うまい話はそうそう無い。散髪を職業にしている人が何年も修行して一人前になっているというのに、いくら良い道具を使ったからといって素人がいきなり簡単に自分で散髪できるようになるほど世の中甘くない。

が、美容院に行くことを考えると、3〜4回で元が取れてその後ずっと節約が出来る。何年かかるか分からないが念願のバイク資金の足しになりそうだ等と邪心と誘惑に負けて購入に踏み切った。ちなみに家内も、無い髪に3000円もかけているのはアホらしいとばかりに、大賛成であった。

ところで、実際の使用感であるが、以下に第1回目のレポートをする。まず、全体を4cmに仕上げた。これはアダプターを使えば簡単で、虎刈りにもならず一様にカット出来る。

次は側面、後ろ、生え際である。それぞれ3cm、12mmとアダプターを使いおそるおそるやってみた。後ろの生え際は、さすがに自分では出来ないので家内に手伝ってもらった。頭頂部分の4cmと側面・後ろの3cmの境目は、鏡を見ながら微妙な調整に時間がかかる。虎刈りになるのは何とか防げたが結構難しい。大騒ぎをしたが、結論は「難しいがそれを乗り越えれば使える」である。

後の掃除が大変だが、それなりに養生しておけば解決しそうだ。機械のメンテナンスは電気かみそり同様、掃除や注油など結構大変である。

それにしても「身だしなみは大変」である。







蒲田のラーメン屋(2)

豚の背脂

最近通い始めた東京蒲田のラーメン屋は、いりこ出汁と自家製極太面で個性的な味を出しているが、豚の背脂(「せあぶら」と読む)を使っているのも特徴だ。

注文を取るときに、麺の堅さと背脂の量を聞いてくる。麺は固め、普通、柔らかめ、脂は大、中、小から選べる。

豚の背脂は、ラードのようなもので見た感じ白い色をしており高級グリース(時計などのような精密機械にも使えるグリースのこと、車などに使うグリースとは全く異なっておりサラッとしている)のようである。

肉屋で簡単に手に入るらしい。知らなかったが、中華料理、特に餃子などのジューシーさを増すために使うようだ。脂だが料理のサッパリ感を引き出す。ちなみに、すき焼き用の牛肉やステーキに付いてくるのはヘットと呼ばれている牛の脂身でサッパリ感はあまりないようだ。

ラーメンに背脂を使うと麺のつるつる感が増しスープにコクが出てくる。ただし、品質の悪いものは、くどくて胸焼けする。

品質の良い背脂は、リノール酸が少なく、飽和脂肪酸であるパルミチン酸やステアリン酸等の含有量が多く融点が低めとなる。融点の低い、品質の良い背脂は、サラッとしてクドさ控え目なのだそうだ。

リノール酸は、多く摂取し過ぎると善玉コレステロール(HDL)を低下や免疫力の低下、さらには過剰反応を引き起こす場合があり、様々な感染症、花粉症、アトピー等になる可能性があるということである。 (以上全て受け売り)

ラーメン好きで美味しいラーメンを求めて旅をする人が居るくらいだからラーメンって本当に奥が深いのである。







ドングリ

JALの機内誌スカイワード2月号に、養老武司氏の「ドングリ」を話題にした久々に面白いエッセイ掲載されていた。

飽食の時代になって久しいが、氏によると私たち団塊の世代の食べ物に対する感覚は「食べ物は有難い」であるそうな。食べ物に飢えていた人々は、旨い不味いより「そこに食べ物があるだけまし」という感覚を持っていたというのだ。

今の世の中、食べ物=美味しくなければならない、という方程式が支配的だ。その証拠に私たちの子供達が食事をしている様子を観察していると、美味しい(好きな)ものから食べ始め、嫌いなものは無理して食べないのである。

それとは逆に私たちは、不味いものも残さず食べて、美味しいものは最後の楽しみに残しておいたものだ。「もったいない」という感覚が染みついている。

しかし美味しいものから先に食べるのは一理ある。おなかがすいているときに美味しいものを食べると、きっとその美味しさは格別なものになるだろう。

話をドングリに戻すが、筆者が外国に旅行した際にドングリを振る舞われたらしい。当然、美味しくなかったそうだが、ドングリの成分はクリに似ているそうだ。

そもそもドングリとクリは同じブナ科の植物で他にクヌギ、ナラがあり、でんぷん質が豊富である。これらの植物は文明発祥の地に集中していて、古代人類は、定住を初めてから、これらブナ科の木の実を食していたようだ。

巷ではメタボリックやダイエットという飽食が原因で流行る言葉が横行しているし、一方では食糧の自給率が低いだの食糧危機の話題も取りざたされている。

氏は次のように一刀両断に回答を提示する。“人間唯一の武器である「適応性(寒いところから暑いところまで人類が一番広い範囲に居住しているのは適応性が優れているからだ)」を駆使して、不味いものでも食べられるようになって無駄や贅沢をやめれば良い”というのだ。

そうはいっても、人間様、きっと不味いものを旨くする工夫をして美味しく食べるに決まっているが・・・

さもありなんである。久々にスカッとしたエッセイであった。







捜し物

古くて恐縮だが井上揚水の「捜し物は何ですか」という歌がある。今でも「知る人ぞ知る」歌なのだが、私は捜し物がすこぶる不得意である。だから自分のテリトリに有るものは必ず決まった場所に置いておく。置く場所を決めておくのである。

したがって、有るべきところに無い場合は最悪である。別の場所を探していて目の前にあるのに見過ごしてしまう。「無いな〜」と言っていると、かみさんが私と同じところを探して「ここに有るじゃない」とばかりに、いとも簡単に見つけてくる。

かみさんに言わせると探し方が悪いのだそうだ。「有るだろう」と思って探すときと、「ここには無いだろう」と思って探すときの探し方に大きな差があるというのだ。「どうせここには無い」と思い込んで探すと、探し方がいい加減で有っても見逃しているということだ。

捜し物が旨くできないのは、「思い込み」で物事を判断しているという一つの良い例である。歳とともに思考に柔軟性が無くなるためか、この「思い込み」は強くなってきて日常生活の至る所に悪影響を与えている。

例えば、仕事上では判断を誤ったり、私生活では「頑固者、融通の利かないオヤジ」とばかりに若い人たちから敬遠されたりする。

そんなことを考えていると日常生活の中で「思考の柔軟性」が如何に大事かということが分かってくる。「思考の柔軟性」を保つにはどうすればよいか。

歳を取ってくるとなかなか出来ないことであるが、若い頃かつて私たちがやってきたように、色々な新しいことに興味を持ち、自分の知らない世界を知って感動することではなかろうか。

新しいことを知るには、モチベーションの維持、努力と多大な労力を伴う。労力を惜しんでいては感動など得られない。労力をかければかけるほど感動は大きなものに成り得る。

感動すればまた感動を味わいたい、そうなるとさらに知る努力を続けられる。このサイクルが、思考の柔軟性を維持していくのに、頭脳の若さを保つのに必要不可欠なのだと思うこのごろなのである。

実際はそうなっていないのが難点だが・・・









MAC雑感(2)

出張の際、昼食などに私もよくMACを利用する。喫茶店や飲食店でもかまわないのだが、ちょっとした仕事を片付けたり、何かまとまった考え事をするのに居心地が良いというのが主な理由だ。

どうしてそうなのだろうかと、改めて考えてみると皆が私と同じような目的で利用しているので、よけいな気を使わなくてよいからなのだと気付く。グループでおしゃべりをするために利用している人もいるが、都会、特にビジネス街のMACは圧倒的に一人で利用している人が多いような気がする。

サラリーマンが多いせいか、仕事の延長でPCに向かって交渉結果を送信している営業っぽい人、携帯に向かってメールのやりとりに忙しいOL風の女性、最近はシーズンなのか、パリパリのオーソドックスなスーツを着たリクルーターがエントリーシートに向かって熱心に自分のアピール点を書き込んでいる。

うまく書けたのだろうか。同じ年頃の子供を持つ親にとっては気にしてもしょうがないが何となく気になる。

店の方も、そういった目的の利用者にとって居心地の良い環境を作るように工夫しているようだ。BGMもものを考えるのに邪魔にならないボサノバやスローなジャズ系が流れていることが多い。オフィス街のMACは、それでも比較的若い人が多いのだが、若い人が好むポップなボーカル、重めのバラッド、ヒップホップなどは聞いたことがない。

今日、昼食に立ち寄ったMACはビル・エバンスのコンシエルトがかかっていた。とても若い人が好んで普段聞いているとは思えない。でも、雰囲気は大変良い。都会の喧噪の中では数少ない静かな空間だ。

通信機能の付いたPCさえあれば結構たくさんの仕事がこなせる。仕事がこなせるということは、極端な考えをすれば、わざわざ会社に行かなくても良いということだ。このような孤立した一時的な空間と仕事場との境界線がなくなりつつあることは、人間関係を良好にするという意味からすると少々心配なところもある。

携帯電話やブロードバンド付きのPCの普及に伴って若い人たちの人と人のコミュニケーション能力が低下したとよく言われる。

確かに職場を見渡すと、仕事の中に入り込んでいるメールは膨大なものがある。メールは便利だが、真意が伝わりにくい。「そうではない」と抗議がでそうだが、私のような年齢の人間は、たとえメールを使ったとしても、必ず仕事関係の人と面と向かって話をする機会を仕事の流れの中でどこかに入れる。字で表現できることは限られているからだ。

そういう意味で若い人たちのメール、特に携帯メールを観察してみると記号をうまく使っている。記号は、その形に意味がある。怒っている記号は、どのように怒っているのかある程度わかるように、いくつかのパターンがあり、かんかんに怒っているときと、すねているときとは記号を使い分けることで、文字で表現できない部分を補っている。これも時代の流れかとも思うが、コミュニケーションの重要性は、私たちと違う形で実現されていると楽観視している。

子供とメールのやりとりをしているとデコメールという手法を多用している。子供たちがどういう状態にありどういう気持ちで生活しているか、手に取るようにとはいかないが、それなりに理解できるような気分になるから不思議だ。ご存じと思うがデコメールは、形もユニークだが動くのである。ピコピコと動くデコメールを見ていると、こんな表現方法があるのかなと感心したりする。

仕事の企画書などデコメールを使って書いたらどうなるだろう、などと不謹慎なことを考えてみる。

ものを考えるのにMACは良い場所だという話からデコメールまで話題は外れまくってきたが、要は、自分の考えていることをうまく表現することは大事だということだ。その手段は時代とともに変遷するが、人間の欲求としての自己表現欲は本能的に存在し、それは今も昔もそう変わっていないような気がするのである。若者もそれなりに工夫しているということか!









ジーパン

この年になって似合わないのにこだわって着ている服にジーパンがある。私が最初にジーパンを履いたのは大学生の頃だった。それ以来、ジーパンをはき続けている。ジーパンには今でも色々なタイプがあるが、当時流行っていたのは、スリム、ストレート、ベルボトムの3種類であったと記憶している。

足の短い私は、当時の雑誌平凡パンチか何かに書いてあった「スリムは足の短い日本人向き」という言葉をひたすら信じて一貫してスリムを愛用している。途中、他のタイプに浮気もしたが似合わないことが判明し(スリムが似合っているかはさておいて)結局スリムに戻っている。

そもそもジーパンはデニム生地のパンツのことで、アイロンをかける必要もなく丈夫で長持ちするので普段着としてはすこぶる便利だ。一昔前はラフな着こなしの代名詞のような感じがあったが、最近ではかなり正式な場所でもジーパンで通用するところが増えつつある。大学の卒業式にジーパンを履いて出席し周囲のひんしゅくを買ったが、今だったらきっと許される範疇ではないだろうか。ただし、きちんと着る必要があるだろう。ジーパンはジャケットやカチッとしたスーツの上着と一緒に着ても違和感がない。

ジーパンのラフな着こなしについては、ダメージ加工と呼ばれる少しほころびた、あるいは、少し穴の開いたものが流行している。出始めは大いに違和感があったが最近では慣れてしまっているから不思議だ。

ジーパンの原型はキャンバス生地で縫製したパンツのポケット部分を銅リベットで補強したワークパンツだそうだ。その後、素材がキャンバス生地からインディゴ染めのデニム生地へと変わって現在に至る。丈夫で長持ちのはずだ。

ジーパンの主なブランドは、リーバイ・ストラウス、ラングラー、エドウイン、ビッグジョン、ボブソン、GAP等がある。私は昔から何故かマイナーなボブソンである。

例に漏れず中年太りでスリムが入らなくなって久しいが、ここ数年のダイエットの効果が功を奏したのだろうか、昔のスリム(今のスキニーに近くパッチ(死語?)と言われていた)が何とサイズダウンして履けるようになった。ジーパンは腰で履くのでおなかの周りが少々メタボでも履けることを差し引いても何となくうれしい。

そもそも、脱ぎ着に不自由するほどのピッタリスリムを履いている中年おじさんが格好良いかどうか分からないが、自己満足の世界では最近の明るい話題だ。






バイク雑感

40歳になったときから毎年人間ドックを受診することにしている。そもそも人間ドックは精密検査ではないが、病気の予兆を知るために少しでも助けになればという考えと、一種の保険のつもりで受診しているというのが本音である。10年以上も続けて受診していると医療機器の進歩が著しいことが感じられる。もっとも数値が年々悪化していくのを目の当たりにするということもあるのだが・・・

数値の悪化は致し方ないとして、とりあえず医療機器の進歩から話をしてみると、例えば胃カメラである。どちらかというと不得意な検査である。当初は直径8mmのファイバースコープだったのでファイバーが喉を移動するたびに吐き気を催し七転抜倒していた。そのうち6mmに細くなったのでずいぶんと楽になったが、いまだに要領を掴めないでいる。最近はさらに進化して鼻から挿入する細いタイプになっているようだ。

鼻から挿入するタイプは舌の奥をファイバーが刺激しないので楽なのだそうだ。鼻から挿入するタイプを経験したことはないが、体験した人に聞くとかなり楽らしい。

しかし看護師さんに聞くと、鼻から挿入するタイプでも鼻腔が曲がっている人(世の中には鼻腔が曲がっている人はかなりいるようで、自分で鏡を見てみると曲がっていなくもないような気がする)はかなり苦しいということだ。

データー処理機能も著しく進化している。医者もカルテに書き込むということが無い。すべてコンピューターがオンライン化されていてキーボードをたたいてカルテを作っている。レントゲンや各種検査結果も電子化されていて、検査の直後から医者の手元の画面で見ることができる。同じ病院であればどの科にかかっても検査履歴がすぐさま呼び出される。人間ドックで言えば昨年の結果と比較がすぐさま出来る。

今ではレントゲン結果などフィルムネガをバックライトボードにかざして医者が患者に説明している風景は見られない。みな電子データーで送られてくる画像を手元のPCの液晶画面で覗き込む。現像の待ち時間など一切無い。

検査データーが毎年悪化することが手に取るように分かる。結果を知って落ち込むことになるが、「少しでも改善を」と浅はかな考えで、人間ドック1週間前は節制を心がけるが、そんなことで問題が解決するほど健康の問題は甘くない。

ここら辺で何とか挽回しないといけないと常々思っていたところだが、一大決心をしてダイエットと筋肉作りをこの一年間続けてみた。その結果、数値が少しではあるが改善され始めた。肝臓の健康状態を示すγ−GTP、血清中の脂肪量を示すコレステロール、糖尿病の指標であるグルコアルブミン値などの数値が若干ではあるが下がり始め正常値に戻ったのである。

ダイエットを始めて気が付いたが食事の量は確実に減らせる。現代人の空腹感はほとんど習慣に左右されている。食事の量を減らし初めて半年は本当につらい毎日であったが、習慣になってしまうと当たり前になってしまう。少し食べ過ぎたときは、体が正直に食べ過ぎたという感覚を知らせる。したがって、食事の量をコントロールできるようになる。胃が小さくなったのか以前食べていた量を体が要求しなくなった。

筋肉の方はなかなかマッチョにはならないが体の筋肉量は微妙に増加している。体脂肪率も少しずつ低くなってきた。嘘か本当か分からないが体年齢は10歳若い。こうなってくるとつらかったダイエットや筋肉トレーニングがおもしろくなってくるから不思議だ。

体の改善が順調になってきたら次は脳だ。ものの本によると筋肉と脳は鍛えれば鍛えただけそれに答える臓器らしい。運動能力などは維持するのが精一杯でただひたすら低下していくのを見ているしかないが、この本が正しいとしたら朗報である。

バイク雑誌「Baikejin」5月号にこんな記事が載っていた。「ライディングが脳を活性化!大学教授が実証した!!」任天堂DSの「脳トレ」で有名な東北大学の川島教授が、バイクに乗ることで脳が活性化すること、日常生活にバイクを取り入れることで様々な脳認知機能が向上し、ストレスの軽減や脳と心にポジディブな影響を与えるという研究結果を発表したのだ。さらにさらに朗報である。

最近中高年のバイクが人気だが、これらの人々が若々しいのは何故か?という疑問から川島教授がバイクと脳機能の関係を解明した。

バイクだけが脳機能を活性化するわけではないだろうが、脳の老化現象の進行を止めるためには仕事だけではなく、新たな挑戦を含んだ趣味や息抜きが必要であるといくことだろう。

人間ドックは夫婦二人でいつも一緒に受診するが、担当の看護師さんは10年来の付き合いで、そのうちの一人がライダーであることもあり、ときどきバイクの話をするのだが、バイクのバの字も知らない老獪な婦長級の看護師さんも「やりたい事をやらしてあげれば」と、「危ないから」といって取り付く島もないかみさんにコメントしてくれる。これもまことに頼もしい。

バイク購入への道はまだまだ険しいが少しずつ少しずつである。あんまり少しずつやりすぎると歳を取りすぎて本当にバイクに乗れない体になってしまう・・・








万歩計

中高年の運動不足が巷の話題になって久しいが、休日の早朝や夕方になるとウオーキングをしている人にたくさん出会う。

人間はいったい1日に何歩くらい歩いているのだろうか。スカイワード5月号に掲載されている浅田次郎のエッセイによると氏の1日の歩行数はたったの380歩なのだそうだ。実際に自分の行動を検証した結果だそうで万歩計の不調や調整不足ではないということだ。

ウオーキングは健康維持に効果的であり、そのためには1日に1万歩くらい歩く必要があるらしい。万歩計を装着することが流行った時期があったが、当時はベルトに付けるものが主流であった。ベルトに付けた万歩計は中高年の象徴でもあったのだ。

エッセイでは、医者である娘さんに氏が勧められた万歩計はポケットに放り込んでおくだけで正確な歩数(歩行以外の振動を拾わない)をカウントする精度の良いものだそうだ。また、ベルトに付ける万歩計はファッション的に見てもあまりかっこよくないと思われる方も、こんな万歩計なら抵抗感がないだろう。

果たして自分は1日にどれくらい歩いているのだろう。会議のための移動、現場の見回り、といったことで歩いている。さらにエレベータを使わずに出来るだけ階段を利用している。だが計ってみるとせいぜい数千歩だ。

土日は季節が良くなればサイクリングや水泳、ウオーキングをするが、これらの運動でやっと1万歩くらいだ。ウイークデイは運動不足も甚だしいことが分かる。

そこで毎日、階段登りを始めた。階段を上り下りするのはかなりの重労働だ。20分間、両手に6kgのウエイトと足にそれぞれ2kgのウエイを付けて2階と1階の間を上り下りする。

たった20分だが冬でも汗だくになる。今時分だとパンツ1枚で階段の上り下りをしている。端から見るときっと滑稽に違いない。

しかしである。この運動を1年間も続けていると結構体質の改善に役立っているようだ。まず、体脂肪率が激減した。BMI値というのもずいぶん改善された。私が使用している体重計は、体重、体脂肪率、骨格筋率、BMI値、体年齢というのが表示される。

特に体年齢はつらい運動の励みになる。週間単位で年齢が若返るのである。どういう仕組みで体年齢を導出しているのか定かではないが、確実に若返っているような気にさせてくれるので、結構面白がってやっているところもあるというのが正直なところだ。

現在では実際の年齢より10歳若いところでサチッている。今の運動ではここら辺が限界のようだ。けれども10歳若いというのは、本当かどうかは別として、なかなか心地よいものである。

階段登りは、疲れて12時くらいに仕事から帰ってくると億劫であるが習慣というのは恐ろしい。半年も続けていると習慣になってしまったのだろう、やらないと何かやり残したようで気分が悪い。

日頃怠惰な生活に流されやすい私は物事を習慣付けるまでは大変だ。しかし、いったん習慣付いてしまえば結構続くものである。皆さんもお試しあれ。







バイク雑感(2)

昨年大型バイクの免許を取得して1年が経った。運転の技量は元々無い上に、全くバイクに触っていないのでもう乗れないかも知れない。教習所に行って少し練習でもするか、と密かにもくろんでいる今日この頃である。

バイクを購入する計画は全く白紙だが、乗るとしたらどんなバイクが良いだろう、と思いを馳せている。トレイルで山道を走破するガッツは無いのでオンロードのネイキッドを視野に入れる。昔からのあこがれであった1000cc以上のバイクが欲しい。でも重量がかなりあるので自分の年齢と体力を考えると無理ではないか。そうすると車種はある程度限定されて来る。早く走る必要はない。ゆったりと余裕を持って長距離を楽に走れるバイクが欲しい。

居住性の面からスクーターも視野に入ってくるが、教習所で体験した大型スクーターのレスポンスの悪さや機械との一体感の無さを思い出すと、とりあえず除外して考える。

ネイキッドタイプのバイクはそれほど種類がないので選択肢は限られる。海外のバイクも個性的なものが有り魅力的だが、日本の道を走ることや維持費のことを考えると国産車かな〜。

当初からホンダCB1300を考えていた。売り上げからいってもナンバーワンだし、雑誌の試乗レポートを見ても評判が良い。歴史もそれなりに古いのでこなれているという点で信頼性も高いと思う。

しかしである。車重が270kgも有る。ヤマハのFZ1フェイザーが、排気量1000ccで車重が225kgと軽い。おまけに国内仕様車は低中速領域のレスポンス性をリニアにして馬力を落としているので初心者には運転しやすいだろうと思われる。

とりあえずヤマハのバイクショップに行って跨ってみることにする。

私「(おそるおそる)見るだけですけど、かまいませんか」

バイクショップの店員「どうぞ、どんなバイクをお探しですか」

私「リッターバイクなんです。昨年免許を取ったばかりの超〜初心者です。年寄りですし非力なので、どんなバイクが良いでしょう」

バ「目的は何ですか、ツーリングとかだったら、う〜ん、そうですね、FZ1フェイザーなんか、リターンライダーの方の人気ですよ」

私「これですか、結構派手なデザインですね」

バ「そうでもないですよ、お客さんの感じだと40歳くらいだから(お世辞がうまいね〜このやろっ!)お似合いですよ」

私「そうですか、これでも50歳を超えているんですよ(内心にっこり)」

バ「そうは見えませんね」

私「非力なんですけど大丈夫でしょうか」

バ「全く問題有りません、FZ1フェイザーは200kgくらいですよ、このクラスのバイクなら300kgくらいが普通ですから、ずいぶん軽いバイクです。」

私「そうですか、足つきはどうでしょう」

バ「どうぞ跨いでみてください。どうです?」

私「スペックではシート高は高めですがシートが細いので、足つきはよいですね。」

バ「欧州仕様は馬力はありますがピーキーなエンジンなので乗り慣れた人でないと十分にバイクの性能を引き出せないと思いますが、国内仕様はアクセルのレスポンスもリニアで素人にも扱いやすいと思います」

私「へ〜そ〜なんだ!」

バ「だからといってベテランに物足りないかというとそんなことは有りません、腕に自信のある人でも面白さは十分に持ったバイクです」

私「・・・・・・!」

とまあこんな会話が交わされることだろう。バイク屋の店員さんも積極的に勧めてくるので、ついついその気になるのは致し方ない。しばらくはバイク屋さんとこんな会話を楽しむしかないかなと思っている。







ファッション

東京に出張して感じることに「どうして皆同じ格好をしているのだろう」というのがある。例えば数年前に流行ったビロードのジャケットである。皆、一斉に同じものを来ていた。もちろん違うものを着ている人もいたが巷で見る7割くらいの人が同じ格好をしているのである。没個性である。不思議な日本人特有の現象だ。

一応ビジネスマンの端くれなのでスーツのことに触れるが、最近流行っているスーツはスリムかつ縞模様。皆、同じ格好だ。

スーツの形に関していえば、その昔、中年メタボ体型に優しいゆったりしたシルエットが流行った。パンツもタックが入ってゆったりしていた。いわゆるルーズなケンゾー・ファッションだ。

スリムなスーツを無理して着ている中年の方には申し訳ないが、メタボ体型がかえって目立つ。悔しいけど私はスリムなスーツさえ入らない。

ジーパンもそうだ。一昔前にブーツカットが流行った。昔のベルボトムだが女性は一斉に同じ格好をしていた。ヒールの高い靴を履いて靴を見え無くできるので、足が長く見える。

最近ではスキニーという形が流行っていて、これは昔のスリムである。ぴたっとしているので着たり脱いだりするのに一苦労する。自慢(腰で履いているので出っ張ったおなかは邪魔にならないだけ・・・)するわけではないが私などは30年前からスリムで通している。

シャツの襟の形もそうだ。今はワイドカラーが主流だが、一昔前はタブカラーが流行っていた。シャツの形はゆったりとしたドレス型からスリム型に変わっている。色もカラフルだったが今は白が主流。ネクタイはスーツの形に合わせて太くなったり細くなったり大忙しだ。

一様に同じ格好をする理由は、それを採用する個人にも原因がありそうだが、衣料品を売っている店側にも問題がありそうだ。流行のものしか売っていないのだ。

イギリスを起点とするトラッドはあまり流行廃りが無い。イギリスが古いものを大事にするのは周知の事実だが、頑固なこういう考え方も有って良いのではないだろうか。

いずれにしても、商魂に踊らされることなく自分の気に入った格好をしようではないか。

もともと大学の卒業式にジーパンで出たように非常識なファッションが好きな自分ではあるが、最近きちっと保守的に決めてみるのも刺激があって良いものだと思っている。










牛丼

吉○屋の牛丼が一斉を風靡して久しいが、学生時代に一時期毎日のように牛丼屋に通った記憶がある。

牛丼はシンプルさ、客を待たせない即応性、老若男女を問わず客層の対象が広い点、多くも少なくもない適量性などから、日本が開発したファーストフードの先駆けだろう。

ダイエットしているせいもあり、肉類を食べることを極力控えているので、焼き肉などは以ての外、牛丼もここ数年間食べたことがなかった。しかし、どうしようもなく肉が食べたくなるときがある。たまたまかみさんが出張中なので夕食に牛丼屋ののれん(?)をくぐった。

久々に(本当に久しぶりに)牛丼屋のカウンタに腰を下ろしてみると、学生時代にタイムスリップする。店には、遅い時間にも関わらず思った通り若い人でにぎわっていた。残業帰りの若いサラリーマン、夜遊びに繰り出す前の腹ごしらえだろうか、ラフな出で立ちでチョット突っ張った若いカップル、そしてアメリカ人。

簡単かつ短時間にパワーを充填するために、残業で疲れた若いサラリーマンは、牛丼にオプションのトッピング、生卵、山盛りネギ、カレーなど追加しもりもり食べている。健康にも気を付けているのだろう、サラダも付けている。

しっかり栄養を付けて、睡眠時間を出来るだけ稼ぐ。それが健全なのかどうか分からないが、昔の自分を見ているようで違った意味でほほえましい気分になる。

三沢の牛丼屋で特徴的なのはアメリカ人が多いことだ。アメリカ人人気の店は、焼き肉屋、ラーメン屋、中華料理屋とこの牛丼屋である。やはり牛肉が好きなのかな(?)とも思ったりするが、ラーメンがどうして好きなのか未だに分からない。

働いている店員もバイトがほとんどで若い人が多い。マニュアルがキッチリしているせいか、動線に無駄が無く素早い。キビキビしているので見ていて気持ちが良い。これも昔と変わらずだ。

牛丼屋に行って活力をもらった気分になった。(実際は脂肪を付けただけかも知れないけど・・・)






誕生日のプレゼント

6月14日は私の誕生日だが、一人暮らしをしている娘とかみさんからバースデーカードをもらった。そのカードがしゃれている。飛び出す絵本のようにカードを開けると立体的な工房が現れるのである。



アウトドア用品やゴルフセットやワークベンチなどアメリカの納屋を表現したものだ。それにメッセージカードが添えられていた。

ちまたでは父の日を当て込んで結構高価な商品が商魂たくましく売られているが、心のこもったアイデアだ。ずいぶん節約したものだが、インパクトのあるプレゼントだった。

一本取られた〜!

ちなみにカードはmade in USAであった。





マスコミの暴力

全盲のピアニスト辻井伸行さんが「第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で優勝した話は、不況不況で暗いニュースが多い中、明るい話題で私たちに勇気を与えてくれたニュースの一つだ。

このコンクールは、「ショパン・コンクール」のように一般にはあまり知られていない。最難関といわれ日本人初の快挙だそうだ。

ニュースには必ず「盲目の」という修飾語が付く。しかし、ピアノを経験した人ならある程度分かると思うが、ピアノに限らず楽器を演奏するのに目の見える見えないはあまり関係ない。

実際に演奏するときは曲のイメージを夢想し、イマジネーションの中で楽器を演奏する。暗譜して感情移入できるようになる、それくらい弾き込まないといい演奏は出来ない。もっとも楽譜を読むことが出来ないのは大きなハンディではある。

コンクールでの優勝は、彼に音楽的才能があったということだ。「全盲の」は余計であるし失礼ではないかと思う。センセーショナルな話題を提供しようと躍起になっているマスコミの、「目が見えない→すごい」という軽薄な構図が見え見えである。

優勝後の610日に行われた記者会見で、「1日だけ目が見える日があったら」という質問をした記者がいた。デリカシーが無いにもほどがある。人間としての尊厳を傷つけると言ってもいいくらい失礼な質問である。一体何を考えているのだろう。腹が立って仕方がなかった。

辻井伸行さんを特集している番組を幾つか見たが、NHKで報道されたものは非常に良かった。特に印象的なのは、お父さんのインタビューの中で、お父さんが伸行さんの希望を聞いたときに、彼はこう答えたそうだ。「僕は目が見えないけど一瞬だけ目が見えるようになりたい。その一瞬が終わったらまた見えなくなってもかまわない」「どうして?」「お母さんの顔が見たいから・・・」

お父さんは泣きながら声を詰まらせて語っていた。私も涙が止まらなくなり番組の最後はどうなったか覚えていない。

伸行さんは、コミック「のだめカンタービレ」がとても気に入っているそうだ。その理由は、主人公のだめがクラシック界の慣行にとらわれずのびのび演奏している姿がコミックの中で表現されているからである。

いずれにしても、マスコミ殿、才能ある純粋な若いピアニストを潰さないようにしてもらいたい。







ツリーハウス

フランス人の知り合いにツリーハウスを作っている日本人がいるとのこと。紹介してもらったので、早速、見学に行くことにした。

ツリーハウスといえば、子供の頃、隠れ家を木の上に作ろうと考えたことを思い出す。有名な映画「スタンドバイミー」にも出てくる。

木の上の家なんて、思ってみただけでもワクワクする。


下の写真のように木の上に家がある。全部で5棟ほど有り立派な風呂も木の上にある。地上でドラム缶の中にお湯を沸かしポンプで木の上まであげるのである。シャワーも完備されておりなかなかである。













下の写真は各種イベントを行うステージだ。











シグマリオン2

一斉を風靡したかどうか分からないが、OSとしてWindowsCEを使ったPDAがもてはやされた頃、モバイルギアなどといったキーボード付きのPDAが流行った。流行が下火になった頃、出張の移動時間を無駄にしたくないのでシグマリオン2を購入してワープロ機能のみを今でも使っている。

今では携帯電話の性能が格段に上がってきたので形の大きなキーボード付きPDAは流行らなくなった。したがって、過去の遺物として今やオークションでは2000円前後で取り引きされている。後継機のシグマリオン3でさえ1万円前後だ。

今でも使っている理由は、メールのチェックや移動中にちょっと文章を書き留めることに目的を限定すると十分に実用になるからである。欠点といえば筐体がチャチであること、特にヒンジ部分が弱いのが欠点である。持ち歩くものであるので少々手荒な扱いをしても壊れないような丈夫さに配慮が足りない。

しかし、上記のような目的で使用するときには性能的に十分である。この文章もシグマリオン2を用いて新幹線の中で書いている。ノートパソコンもずいぶん小型になって持ち歩くのに苦にならない程度になったがやはり重い。年末から流行りだした小型のPCのコンセプトはこれに近い。

シグマリオンの大きさは実によく考えられていて、日本人がブラインドタッチでキーボード操作をするのに必要な最低限の大きさだ。文章をスラスラとストレス無く入力するにはブラインドタッチを前提としたキーボードがどうしても必要だ。

シグマリオンのそれはブラインドタッチでキーボード操作を行うぎりぎりの大きさで、これよりもちょっとでも小さいとスムーズなブラインドタッチは出来ない。手の大きな日本人や外国人などは使い難いかもしれない。

携帯電話の打ち込み速度が信じられないほど早い高校生に出会うが、私などはとてもではないがそんな風になれそうもない。携帯電話での文章作成は時間がかかる。おまけに入力に気を取られて思いついたことを忘れてしまう。考えを整理したりアイデアを文章にしたりする目的には全く使い物にならない。音声でワープロ入力が出来ないかものかと思っているくらいだ。

そういった意味でも今使っているシグマリオン2は壊れてもらっては困る。世の中にはもう部品もないだろうからオークションでもう一台スペアを手に入れておくか、などと思うこの頃である。









キッチン

例によってJAL機内誌スカイワードネタだが、8月号の広告に、キッチンの宣伝が出ていた。キッチンの広告ではあるが、書かれている文章が粋でちょっと感動!。

文章を書いているのは中村孝則というカッコいいジャーナリストだ。彼の才能は料理だけでなく多方面にわたるらしいが、今回は料理ジャーナリストとして文章を書いている。

氏は、「料理の旨さの元は調理環境にある」と言う。もちろん料理の腕が無い人に旨い料理はできないが、美味しい料理は料理を作る環境、すなわち厨房の工夫にあるというのだ。

「料理通信」という雑誌で、人気レストランのシェフを訪問しシェフの厨房で人気料理を作るという企画をしている。俗称「お勝手探訪」というらしい。厨房と勝手に裏舞台に入り込むことを掛けている。舞台裏に入り込むというのは人気シェフであればあるほどいやがられる行為だし失礼千万なことである。しかし、そこは料理ジャーナリストとして名を成した人の特権だろう。

氏は、人気シェフの厨房でいろいろな工夫を発見する。料理に集中できるように、随所に工夫が凝らされている。なかなか気が付かない発想の転換という工夫がなされているのだ。

ユニークな工夫という点では、料理だけでなく世の中に工房と名の付くものに通じるものがある。

氏は、「口福(こうふく)」という言葉を使って「思わず人が集まるキッチンもひとつのご馳走になる」と文章を結んでいる。キッチン広告に載っている文章なのだが、なかなか粋な文章だと感心している。


男の料理

最近巷では「男の料理」というものが流行っているらしい。決して中年男性だけが対象ではないようだ。その証拠に本屋に置いてある料理本の著者には結構若い人が多く本の数も多い。

例によって本屋で立ち読みをしていると、「おとなのねこまんま」という本が置いてあった。今年の1月に出版されたもので、すでに増刷されて続編まで出ている。

正直に言うと「男の料理」に密かに憧れてはいたが、「九州男児、厨房に入るべからず」という格言が九州に有るのか無いのかは知らないが、九州男児の端くれである私は、何となく気恥ずかしいというか気後れしていたところだった。

手に取ってパラパラとめくってみると、「これなら私でも出来そうな料理ばかりだ」。「ねこまんま」と聞いて連想するのは、昔、家で飼っていた(飼ったことは無いが)犬たちが食べていた餌である。今でこそドッグフードなるものを世の中のペットたちは食べているらしいが、私が子供の頃の犬たちは、夕食の残りご飯にみそ汁をかけたものを食べるもの、と相場が決まっていた。いわゆるこれが「ねこまんま」だ。

インターネットで「ねこまんま」を調べてみると、「かつてペットの餌代を軽減するため人間の残飯を混ぜて犬猫与える食事のこと」とある。東日本ではご飯に鰹ぶしをかけたものを、西日本ではみそ汁をかけたものを「ねこまんま」というそうだ。

もっとも「ねこまんま」は動物たちばかりが食べるわけではない。人間も食べる(実は結構好きなのだが・・・)が、人間の場合、行儀の良い食事方法ではないとされているのが一般的だ。

ところが、この本に載っている「ねこまんま」は、実に旨そうなのである。料理本に載っている写真は専門の料理写真家が撮っていて本当に美味しそうに見えるのだが、それを割り引いても旨そうなのである。

激ウマ・激安・激早の「ねこまんま」ご飯が136品も収録されている。残り物のおかずを選んでご飯にかけるだけなので、「これなら私にも出来る!」と思った次第である。

滅多に本屋でこの手の本は買わないのだが、つい買ってしまった。しばらくこれで(料理のうちに入らないかも知れないが)シンプル料理を楽しもうと思っている。

 











トランジスターラジオ

8月の朝日新聞日曜版に「あのとき空間が変わった」という記事が載っていた。1955年、私の生まれた年に小さなトランジスターラジオがSONYから発売された。オリジナルはアメリカの会社らしいが、SONYの小さなトランジスターラジオが世界市場をせき巻きしたのは記憶に新しい。

記事はこの小さな機械の技術的面を述べているのではなく、この機械を持ち歩けるようにしたことで、人間の生活が変わったと言っている。この小さな機械を持ち歩けるようになったことで、人々は公共の場所をたちまち個人空間に変えてしまうことができるようになったということらしい。

その後世の中に出てくる小型の機械をみてもそうである。ウオークマン、ポケベル、携帯電話、携帯ゲーム機等等。いろいろな機械を小型化することに関しては日本人の得意とするところだ。

公共の場に勝手に個人空間を作ることは、私たちの生活に大きな変化をもたらした。しかし迷惑顧みずといった他人のことを考えない行為が氾濫するという問題も同時に発生させている。

いずれにしても、電気製品が氾濫している今の世の中、記事のようなものの見方もあるのだなと筆者に感心している。

トランジスターラジオ

8月の朝日新聞日曜版に「あのとき空間が変わった」という記事が載っていた。1955年、私の生まれた年に小さなトランジスターラジオがSONYから発売された。オリジナルはアメリカの会社らしいが、SONYの小さなトランジスターラジオが世界市場をせき巻きしたのは記憶に新しい。

記事はこの小さな機械の技術的面を述べているのではなく、この機械を持ち歩けるようにしたことで、人間の生活が変わったと言っている。この小さな機械を持ち歩けるようになったことで、人々は公共の場所をたちまち個人空間に変えてしまうことができるようになったということらしい。

その後世の中に出てくる小型の機械をみてもそうである。ウオークマン、ポケベル、携帯電話、携帯ゲーム機等等。いろいろな機械を小型化することに関しては日本人の得意とするところだ。

公共の場に勝手に個人空間を作ることは、私たちの生活に大きな変化をもたらした。しかし迷惑顧みずといった他人のことを考えない行為が氾濫するという問題も同時に発生させている。

いずれにしても、電気製品が氾濫している今の世の中、記事のようなものの見方もあるのだなと筆者に感心している。

チロルチョコ

私たちの年代の人なら誰でも知っている「チロルチョコ」。遠足の時、「お菓子500円分自由選択」という決まり事がどんなに小学生の私たちの心を躍らせたか。限られた予算の中で、ひたすら目指した「友達の羨むお菓子選択」。自分が納得するお菓子選択に悩んだ青春の日々。

遠足の当日、たとえその日が雨で中止になっても友達とお菓子選択の成果を見せ合うときの楽しみ、画期的な選択を絶賛されたときの喜び、皆さん経験有りませんか?

青春をかけたお菓子選択の中で必ず皆が選んでいたのは、この「チロルチョコ」なのである。何たって当時1個10円だった。ただし、容積の割にはチョコレートの割合が少なく当時はヌガーでごまかしている(ごめんなさい!)ようなチョコレートだった。

そのチロルチョコが最近売れまくっているらしい。10月の朝日新聞に関連記事が掲載された。「チロルチョコ多彩に成長中!」

記事は何故チロルチョコが躍進しているか、その工夫と成功までの失敗の数々、そしてこれからの展望を述べている。

躍進の秘密は年間に20〜30もの新作を出し続けていることとコンビニでの販売だ。手ごろな価格で一口サイズ、チョコレートを買いに来たのではないが、ふと商品棚を見ると新しい味が出ている。ちょっと買ってみるか。

一方、コンビニは1週間単位で100種類近くの商品を入れ替え、常に客の購買意欲を刺激し続けて成長を遂げてきた。まさに2つのコンセプトがコラボした成功だ。

もちろん失敗作も多々あるそうだ。ウナギ味、たこ焼き味等々。確かにウナギ味のチョコレートは勘弁してもらい気がする。

要は常に変貌し続けることが重要だと言うことだ。どんなに老舗のブランドであろうと頑なにそれを守り続けるだけでは成長もあり得ないし成功もあり得ない。

年齢とともに頭が固くなりつつある自分に、柔軟さと変貌し続けることの大事さを教えてくれた記事であった。

ちなみに今のチロルチョコは値段が20〜30円でサイズも少し大きく3センチ四方である。

 









オメガの新聞広告

ここ1ヶ月、朝日新聞にオメガの1面広告が出ている。時計の宣伝としては一風変わった広告だ。腕時計の中身(ムーブメント)と有名ハリウッド俳優(ジョージ・クルーニー、ミハエル・シューマッハ、シンディ・クロフォードなど)が拡大鏡を付けてドアップで移っている。

時計のムーブメントとオメガのロゴがなければ何の宣伝か分からない。時計のムーブメントなんか見たことも無い人はなおさらだ。拡大鏡は時計師には必須の道具だ。細かい時計の部品をピンセットで取り扱うときに目に付けて使用する。

日本では朝日新聞全国版朝刊の1面広告で12回にわたり掲載される予定だそうだ。しかも日本だけでなく世界8カ国以上で行われる広告だ。

今でこそ電子部品で構成される腕時計で素人が手を出せないが、昔の腕時計のムーブメントは「構造がどうなっているのだろう」と興味津々の技術屋にとっては、その造形美、構造の複雑さなど憧れの的だった。構成部品はピンセットを使わないと取り扱えないくらい小さいので、それを見るときに使用するのが拡大鏡だ。

私が父から譲り受けた拡大鏡は目の周りの筋肉で挟み込むもので、装着がなかなか難しいし使いこなすのにコツがいる。この宣伝に出てくる拡大鏡は頭に巻きつけるバネが付いていて固定が容易そうだ。

ところで本題だが、オメガがこの広告で宣伝しようとしているのは機械式時計なのだ。今の時計業界は正確さを追求した結果、電波時計に落ち着いている。しかもドライブ機構は電気だ。電子化されている部分が多くなり機械部分が極端に少ない。この世界的傾向に反して機械式を宣伝している。

オメガは時計ブランドでは有名で月面まで行った唯一の時計であることは皆知っている。憧れといっても良いかもしれない。ステータスとしても申し分ないので、所有欲をそそる。しかし値段はゼロが2つほど多い。それでも全世界で売れ続けている。

オメガの素晴らしいところは、機械式時計の伝統をかたくなに守り続けているだけではなく、機械式時計の調速機構に250年間使用してきたアンクル式をコアキシャル式に進化させたことだ。

機械式時計を正確にするために必要不可欠な機構に脱進機と調速機がある。調速機は、いわゆるテンプと呼ばれる部品で、正確な往復運動で精度良い時を刻む。脱進規は調速機に一定の動力を与え続ける機構だ。これら2つの機構のバランスが整ったとき、正確なときを刻む時計が完成するのだ。同じ時計をいくつも作って、その中で一定の精度以上のものをクロノメーターと称している。

時計の構造はまことに奥が深い。時計の機構部品を見るにつけ、人間の器用さに感心するとともに、オブジェとしても十分耐えうる形をしているものだと、いまさらながら思うのである。









変革

初めて黒人大統領を選択したアメリカ、政権交代した日本、不況にあえいでいる企業、どれをとっても大きな変革を期待されている。しかし、現実は厳しく今のところ効果が現れているようには見えない。支持率の低下、上向きにならない景気、国民の苛立ちはだんだんと増加しつつある。

117日の朝日新聞「勝間和代の人生を変える言葉」に面白い記事が掲載されている。「人は消去法でしか学べない」である。この論理は脳科学者 谷祐二氏のものあるらしい。人間が物事を旨く効率的に出来るようになるためには、多くのことを試してみて旨くいったものと旨くいかなかったことを区別し旨くいかなかったものを消去していくことの繰り返しだということだ。

私は趣味で大工の真似事をしているが確かにもっともな事だと思う。だが、いちいちゼロからいろいろなことを試していると、達人と同じくらい、あるいはそれ以上の時間がかかるし、結局才能が無いことから達人になれない可能性のほうが大きい。

しかし、人間はこれらの行為を効率的に行うために「学ぶ」という行為を工夫してきた。先人に学ぶ、歴史を勉強する、そして、今、企業で盛んに利用されているコンサルティングである。けれども人間の本質、脳の特性は基本的に変わらない。「消去法で学ぶ」行為は如何に旨く教えを受けても、いろいろと試して旨くいったものを選択していく行為を繰り返す。教えを請う事で効率的に出来る部分は試してみる範囲をある程度狭めることなのである。教えを受けたからといって、いきなり旨く出来るようにならないのは皆さんの経験から明らかである。

こういう特性を持った人間にとって、大きな変革は少なくともいくつかの試行錯誤があってなしえる行為である。したがって、変革を成し遂げるには時間がかかる。それが大きな変革であればあるほど長期間を要する。不況の中で明日の生活にも困っている人に、「時間がかかる」といってもなかなか理解してもらえないかもしれない。しかしながら、こればかりは致し方ない。

企業活動についても同じことが言える。企業活動が旨くいっていないとき、特にその企業活動が一般市民の関心事である場合、「いったい何やってんだ!」と言いたくなる。でも少なくとも変革を目指して地道な活動を展開している場合は、失敗を繰り返していることに対して「まったく進展していない」と即断することは、地道な努力をしている企業に対して拙速感をあおるだけで、かえってブレーキになっている。暖かく見守っていくということも必要ではないか。

人間の脳の仕組みが「消去法」でしか進歩しないものであるとしたら、ある程度の時間は必要であると考えるのである。

達人といわれる人たちの技量は、何十年という自分の人生の大半を一つのことに打ち込んで、いろいろなことを試し失敗して最も良い方法を選択してきた結果なのである。







ボイラーの故障

11月も終盤、すっかり冬になりずいぶん寒くなったこの季節に、石油給湯器が故障した。便利にならされてしまった我が家にとって、寒いときにお湯が出なくなることほどつらいものは無い。

給湯器には燃焼状態を見られるように小さな窓が付いている。これを覗くと燃焼している炎の色がオレンジ色をしている。正常な燃焼をしている場合、炎の色はブルーである。不完全燃焼しているためセンサーがこれを感知して燃焼をストップしたと考えられる。これは明らかに燃焼系の故障だ。

とりあえずサービス会社(ボイラーの販売・据付を行っている会社で給湯器の製造業者から製品を買い取り据付とその後のメンテナンスを含めてサービスを提供する会社)を呼んだ。やって来て言う事には「もう10年も経っているので製造メーカーも部品作っていないし、これからいろいろなところに故障が生じる可能性があるので、新品に付け替えたほうが良い」。しきりに付け替えを勧める。

そもそもボイラーは20年くらいの耐久性はある。途中で部品が故障することはあっても、故障部品を取り替えることで延命できるのである。

どこが悪いか原因を調べずに新品に取り替えるというのは、ずいぶん乱暴な話である。だが最近の電気製品には良く見られる傾向で、マイコンが入っていて制御している状況では、部品というよりは中身の大半をそっくり入れ替えるような修理をすることが普通だ。新品に換えたほうが安く上がるという考え方も一理ある。

しかし、ボイラーの中身を覗いてみると、まだまだ手を入れられるような構造になっているので何とか部品を交換することで修理が出来そうではないか。

数年前も故障したが、このときの修理では燃料供給用のコントロール・バルブを交換することで復旧した。

サービス会社は「新品交換」を主張し、その根拠もあいまいで当てにならないので、給湯器を製造しているメーカーに直接連絡して診断してもらった。

確かに部品供給は製造中止になって5年間くらいしか保障していないのが普通だ。だが結構部品ストックはあって、保障期間を過ぎてもメーカーは部品を持っていることが多い。故障しやすい部品はなおさらで多めに保有しているので残っている場合が多いのだ。

結局、今回の故障箇所はステッピングモーターという部品で、燃料と空気の混合割合をお湯の供給量によって調節するための弁を駆動しているモーターの動きが渋くなっていたことが原因だった。この部品を取り替えることで修理が完了した。交換作業はものの10分。



今回の一連の故障で思ったのは、ユーザーは使っている機械についてある程度知識を持っていることが必要だということだ。ボイラーであれば、燃料の供給系、キャブレターに相当する燃料と空気の混合部分、燃焼系、排気系からなっていて今起こっている故障と現象からどの系統がおかしそうだということくらいは診断できることが必要なのだ。

もっとも、それぞれの系統を構成している部品でどこが壊れやすいのか、それぞれの部品がどれくらい寿命を持っているのかなどは素人に分からないことが多いので専門家に任せるしかない。

そういう部分はプロに任せるしかないが、少なくともどういう系統で成り立っているのかブロックフローダイアグラムくらいは、ユーザーとして理解しておくべきだと思う。

いつ頃からか「ものを大事にする」とか「長く使い続ける」とかいう習慣が無くなった。エコが叫ばれる今日この頃、もう一度原点に立ち返って、ものを大事にする習慣を復活させてはどうだろう。










ロボット・クリエイター高橋智隆

朝日新聞の12月1日付に高橋智隆さんの紹介があった。彼は自宅の2階を工房としロボットの研究、発明、開発、デザインなど全てを1人で行うロボット・クリエイターである。

彼の作品である「クロイノ」は、人間に近い歩き方と親しみやすいデザインにより、TIME誌の「2004年のクールな発明」特集で取り上げられ一躍時の人となった。

ロボット開発の大半がチームで行われている現状を見ると、一人で設計から製作まで全ての行程を行い、他に類を見ないユニークさを出していくのは並大抵な才能と努力では出来ない。

ロボット・クリエイターを目指す子供達へのメッセージのなかに、その秘訣がありそうだ。「算数と理科をしっかり勉強してください。失敗を恐れず、まずは作ってみること。失敗は必ず次の作品に生かされるから、もの作りは面白いのです」

立命館大学卒業後、就職に失敗、1年間勉強し京都大学に入り直して、在学中にロボット作りを始め、卒業と同時にベンチャー「ロボ・ガレージ」を立ち上げた経歴もユニーク。

「開発者の執念が伝わってくるようなもの作りをしたい」という彼の発想を具現化する努力は超人的でその姿勢はとても厳しい。時の人となった今でも「人間ってとてもよくできていると感心します!特に怪我が自然に治るなんて素晴らしい。ロボットはそうはいきません」と謙虚さも忘れない。

就職氷河期に落ち込んでいる学生諸君、もの作り日本を憂いている団塊世代の人々にとって勇気の沸く明るい話題だ。








中年とバイク

若者の車離れは最近の自動車不況とあいまって巷の話題である。いわんやバイクなど不便極まりない乗り物は倦厭されるのは自明の理である。かつては年間100万台売り上げた時代があったらしいが、近頃はバイクの売り上げは減少傾向の一途をたどっていると聞く。

そんな状況でかねてから疑問に思っていることがある。それは「何故、最近中高年にバイクが人気なのか」ということである。1000円ETC効果に便乗し高速道路をたまに使うことがあるが、高速道路のサービスエリアでは売れなくなったという割には多くのバイクが停車しているのを見かける。

どんな人が乗っているのだろうと興味を持って見ていると圧倒的に中高年が多い。いったいどうしたわけなのだろう。確かに中高年は昔に比べてずいぶん元気になった。しかし、若いときに比べて確実に体力、知力、運動能力が落ちている。バイクをしかも大型バイクを取り回すのは明らかに不自由だ。

おまけに移動手段だと割り切ったとしてもその快適性や利便性を考えると、どう逆立ちしたって車に軍配が上がるに決まっている。なのに中年いやかなり高年齢の方にバイクが人気なのはなぜだろう。

私はバイクを所有していないが、「風まかせ」という中高年向けバイク雑誌を創刊のときから愛読している。最近の題名を並べてみるとこうである。

何事にも負けず我、前へと進む男なり

我、走り続ける男なり

我、人馬一体を極めたり

我、好敵手と高めあう男なり

我、夢に生きる男なり

我、戦い続けるタフな男なり

我、旅を愛する男なり

我、質実剛健な男なり

我、バイクを愛し続ける頑固者なり

・・・

これらの題名からは、私たち世代の男達が理想とする「男の生き様」を連想させる。私たちの世代は「男」というものにある幻想を抱いていた。自分自身を省みるとその幻想と程遠いが、「こうありたい」というものがある。

バイクとは確かに人を移動させる手段としては不自由で快適な道具ではない。この不自由で決して快適ではない道具を使いこなすということは、人生の後半に差し掛かって理想を達成し得なかった男たちが、幻想を現実のものにする最後のチャンスだ。

不自由で快適でない不完全なものを支配することで夢を実現させる。もちろん好きだからとういうこともあろう。しかし乗らなければという意味でバイクに乗っている人も少なからずいるのではないだろうか。そう考えてくるとバイク中高年人気の理由が見えてくる。

ところで、人生の総仕上げのための投資と考えると、まことに安い買い物ではないか。だが、この気持ちを家族に理解してもらうのはなかなか難しい。また、毎年繰り返す年末に思う課題の一つである。








新手の振り込め詐欺

振り込め詐欺が世間を賑わして久しいが、相手もさることながらあの手この手を考えニュース番組などで紹介されるにつけ「なるほどな」と感心している次第である。だが感心してはいるものの「自分は絶対に引っかからない、第一、振り込むお金もないし」などと高をくくっている。

今までに経験が無いかというとそうでもない。「私が出張中に事故を起こし急遽お金が必要になった、至急振り込め」という電話がかみさんにかかってきたことがある。「はは〜ん!」とピンときたかみさんは、ここぞとばかり散々相手をあれこれと質問攻めにしたらしい。とうとう最後に相手が疲れ果てて向こうのほうから電話を切ったそうだ。なんとも恐ろしい限りである。

いつものJALネタで恐縮だが、JAL機内誌スカイワード12月号に掲載されている浅田次郎のエッセイの中に「新手の振り込め詐欺」に遭った話が出ている。

氏は毎年年末になると恒例で取材という役得を利用し北海道へ旅行する。その際必ず事務所にタラバガニを土産に買って帰り忘年会を催すそうだ。決まった店で買うので顔馴染みにもなっている。タラバガニを堪能し年末を過ごすという贅沢な催しを習慣としておられる氏にはまったくうらやましい限りである。

ところが、今年に限って忙しく役得も利用することが出来なかった。しかし、習慣とは恐ろしいもので、なんとしても「タラバガニを」とばかりに夢にうなされるほどであったそうだ。まさにタイミングを計ったように電話がかかって来て「毎年この時期にはお世話になっております。いつものタラバガニを宅急便でお送りします。つきましてはウン万円を送金願います。」

タラバガニにうなされ続けていた氏は、何も考えずに早速振り込み宅急便が届くのを心待ちにしていたそうだ。届いたタラバガニは実のほとんど入っていないひどいものだった。

冷静になった氏は、以下のように考えをめぐらしたのだが後の祭りであった。そもそも、顔なじみではあるが自分の電話番号を教えたはずはない。おまけにクール宅急便の送料が高いことを差し引いてもべらぼうに値段が高い。そういえば「いつものタラバガニ」という割には物量を言っていなかった。などなど。考えてみれば見るほどおかしい。これはまさに「新手の振り込め詐欺」であったと気付いた。

氏も「振り込め詐欺」に引っかからない自信は十分にあったろうし、いわんや「振り込め詐欺は悪行ではあるが引っかかるほうも悪い」という持論を展開しているくらいだ。この手の「振り込め詐欺」は、私も間違いなく引っかかりそうだ。改めて油断大敵、自戒の念を持って納得した次第である。





ハッピー・リタイアメント(3

小説の話とは全く関係無いが、私のような年齢なると昨今の年金問題は人ごととは思えないところがある。だからだろうか、いつものように本屋で立ち読みをしていると、ついその手の本を手に取っていることがしばしばある。最近の高齢化社会の情勢を反映してか、その手の本は山積みされている。そこに驚くべきことが書いてあったのだ。

「約40年間サラリーマン生活を過ごしてきた期間に有る余暇よりも、平均寿命を男性80歳までとするとリタイアしてからの20年間の余暇のほうが遥かに多い」というのだ。本当にそうだろうかと思ったので簡単な試算してみた。

22歳で卒業して定年60歳まで約40年間働き、平均寿命が79歳なので約20年間リタイア生活をするとする。αを睡眠や食事などに費やす時間で余暇に使えない時間とおくと「余暇(リタイア)−余暇(会社)」の値は、αが3時間より多くなれば常に正となる。αは睡眠だけでも平均的に7時間、食事などを入れればゆうに10時間は超えると考えられるので、確かにリタイア後の余暇は会社生活における余暇よりも大きな値となる。

この計算では労働時間を8時間としているが、今時1日8時間なんていうのは、不況の世の中、皆無だろう。リタイアしてからの余暇とサラリーマン生活における余暇の差はますます広がるばかりだ。ここで言いたいのは、たった20年間とはいえリタイア後の自由な時間は「意外に有る」と言うことなのだ。

週刊朝日臨時増刊「夫婦で考える定年後のお金と暮らし」の中でアドバイザーとして有名な大前研一氏は、「老後の余暇を十分に楽しむためには少なくとも20以上の趣味が必要」と述べている。もっとも趣味の数はあまり問題ではないが、リタイア後の長すぎる余暇を楽しむ趣味の割合は相当なものだと言うことだ。

私もいくつかの趣味があるが、老後の余暇を存分に楽しむためにはとうてい足りない。寝食を忘れて没頭できる趣味はそう簡単に見つかるものではない。

皆さん、20年間を過ごす趣味探しは急には出来ない。今から老後のことを考えて趣味探しに「心して取りかかるべし」である。




大雪

2010年3月10日は久しぶりの、というか数十年に一度の大雪であった。とりあえず記録に残しておこうと写真を撮った。

下の写真は車庫のシャッターを開けたときの積雪の様子である。





シャッターを開けるもの大変だったが、その後に控えた雪かきは良い運動になったのは言うまでもない。



あぶらーめん

貧乏学生であった私は、特にラーメンが好きだったわけではないのだが、昼食によくラーメンを食べる習慣があった。

博多ラーメンは「替え玉」というシステムがあって、汁を出来るだけ消費せずに麺を食べた後、麺だけを追加注文することが出来る。すなわち、一杯分の汁で二杯分の麺を食べることが出来る画期的なシステムなのだ。これにライスを付ければ、欠食している学生のおなかを満たすには十分な昼食となる。

というようなわけで、今でもラーメンを食することは時々あるが、歳を取るにしたがってあっさりしたものが好みとなり、最近では、月に一度くらい食べるのがせいぜいだろうか。

ところで、ラーメンにとって汁は必要不可欠、なくてはならないものという感覚がある。特に私のような「替え玉」の経験があるものにとって汁は大事だ。ところがである。汁の無いラーメンというのが世の中にある。

東京に住んでいる娘から「是非、食べてみよ!」との要請に、なかなか実現しなかったが最近食することが出来たのでインプレッションを書いてみる。

汁の無いラーメンというのは、まったく想像できなかったが、いわゆる麺に汁を絡めたスパゲッティを想像されたい。とはいうものの、味はしょうゆ味で洋風では決してないのだが・・・

麺は極太ちぢれ麺、ねぎを油で炒ったトッピング(カリカリしていてかなり旨い)、ごく厚のチャーシュー(大きいだけでなく分厚い、あっさりしてやわらかくこれも旨い)、ねぎにメンマ、なると、岩海苔とごく普通のラーメンとあまり変わらない。汁が無いのだけが異質。値段も630円でとてもリーズナブル。

このあぶらーめんを食べさせてくれる「あぶらー亭」は、甲州街道沿い桜上水駅交差点近く。ダンプやタクシーの運ちゃんが夜遅くまで集まってくる。運転手さんたちが常連となっている道路沿いの飲食店は、間違いなくハズレが無い。

出張の際に夕食として食するが、テリトリーが異なるので毎回毎回行くわけにはいかない。インターネットを見ていると、なんと通販があるではないか。早速、注文した。お店で食べるのとは多少味は落ちるものの、手軽に家で食することが出来るのは、とても便利だ。

かくして、我が家では、休日の昼食などで、時々現れるようになった。日本人のラーメン好きは有名だが、汁の無いラーメンも珍しくてたまには良いのではないだろうか。

ラーメンの汁は、なかなか捨てがたいが、中年のおっさんにとって健康に悪いのはいうまでもない。汁無しラーメンは、旨くて健康のためにも良し、一石二鳥。結構おすすめなのだ。







デジタルフォトフレーム

久しぶりに電気店に行ってみるとデジタルフォトフレームの専用コーナーがある。最近人気の商品らしい。

デジタルフォトフレームは、SDCFカードに入っているデジタル写真データーを写真立てのようなデザインのフレームにスライドショーのようにして表示する。いわゆる写真立てのデジタル板だ。

出たての頃は、こんなものが売れるのだろうか?とはなはだ疑問であったが、就職1年目の長女が少ない給料から誕生日プレゼントを送ってきた。デジタルフォトフレームである。

まず、一体どんな機能があるのだろうか。もらったデジタルフォトフレームは、時計、写真の表示(何パターンかのスライドショー、1枚表示、サイズ変更可・・・)。もっと高価なものは動画や音声の再生が出来る高機能のものもあるらしい。

デジタルフォトフレームの人気の理由は、価格が安くなってきたと言うこと、メモリーの中にある数百枚という写真をアルバムをめくるように表示できるところにある。想い出を手軽に楽しむにはもってこいの商品だ。

そのせいか贈り物としての購入が80%近くあるという。欧米では、写真を家庭や仕事場に飾ることは珍しくないが、日本ではそのような習慣がない。

私のような年代では飾ってみようと思っても、「照れくさい」という感情が先立ち、なかなか実行に移せない。

デジタルフォトフレームは、密かに写真を飾ろうと思っている中年以上の方にとって、身近に写真を飾り始めるのに良い口実ではないだろうか。






奇怪な自然現象

休日の夕方、夏に多く見られる現象に、水田から湯気が上がっている現象が随所に見られる。まるで霧がかかっているようになり、ここ三沢市では視界が悪くなり飛行機が欠航する。

日中、比較的気温が上がり水田の水も暖められて温度が上昇する。夕方になって大気の温度が下がってくると、水の比熱が大きいため水温と水が接する大気の温度差により、大気中に結露が起こり霧が発生するのだろう。

原因は簡単だが、現れる自然現象はとても不可思議に見える。
















ガレット

最近ガレットを時々家で作るようになった。ガレットはフランスの北西部ブルターニュ地方の伝統料理である。原宿などで見かけるがクレープ屋さんで売っているクレープに似ている。クレープは「お菓子」というイメージがあるが、小麦粉に卵、牛乳、砂糖を加えて作る。ガレットは小麦粉の代わりにそば粉を使う。

ガレットはお菓子ではなく、ハムやチーズや卵を入れた軽めの食事だ。ブルターニュの人たちはガレットにシードルというのが定番である。シードルはりんごのお酒だがアルコール分は少ない。一時期サントリーが売り出していたが、日本ではいまいち人気が出なかったのでポピュラーにはならなかった。

ガレットを作るのでシードルをスーパーに探しに行ったが見つけるのに苦労した。売っていたのはニッカのシードルドライ。ガレットに良く合う。

ガレットは錦糸卵のように、そば粉に卵と水を加えて混ぜたものを薄く平らに延ばしてフライパンで焼く。オムレツのがわみたいな薄い生地が出来るが、これにハム、チーズ、卵を載せて出来上がり。

実に簡単な料理で私などの不器用な人間がやってもそれなりに出来るシンプルな料理である。フライパンでもかまわないが専用のクレープパンがある。最初はフライパンでやっていたが、専用のクレープパンを通販で手に入れて使っている。

クレープパンはクレープを焼くときに使うだけではなく目玉焼きなどに利用できそうだ。

あまり見栄えが良くないので写真は次回。







ガレット(2)

ガレット・コンプレットはハム、卵、チーズが入った典型的なガレットである。

 

材料

そば粉 1カップ

水+卵(1個) 400ml

ロースハム 2〜4枚

うえ乗せる卵 1個

ピザ用シュレッド・チーズ 適当

塩・こしょう 適当


 

そば粉に水+卵を加えて泡立て機でよく混ぜ、ラップをして12〜24時間冷蔵庫で休ませる。




フライパンを中火で暖めバターをなじませる。その後ふき取る。バターに粗密があると綺麗に焼けない。


生地を流し込み焼く。トンボ(野球やサッカーのグランド整備に用いるトンボのイメージ)みたいな木の道具はガレットを均等にのばす。

表面が乾いてきたらヘラでひっくり返す。これは結構コツがいる。ガレットの表面が乾いてぶつぶつが出来てきたら、ヘラを差し込んで裏返す。エイヤっと思いっきりやるのがコツだ。

ハム、卵、チーズの順に乗せる。卵は他の材料に比べ火が通りにくいのでハムの隙間(ハムを中心が空くように並べる)を生地の真ん中に空けておく。



チーズをまぶして、チーズが溶け始めたら四隅を織り込む。



軽く塩・こしょうをして出来上がりである。



周りにサラダを乗せて見栄えを良くして完成。シードルを忘れてはいけない。







ナビゲーションシステム

遅ればせながらナビゲーションシステムを導入することになった。もちろん新品を購入するつもりは毛頭なく、オークションでの入手となった。

 

ナビゲーションとは

現在、車載されているナビゲーションは、一口で言うと、車の位置を把握し、位置情報と地図情報を結びつけ、これらを組み合わせることによって、目的位置までの効率的なルート選択、ルート上の店などの情報を提供し、車を使った移動の利便性をはかる道具である。

価格が数万円から十数万円まで幅がある理由は、このうち「ルート状の店などの情報」を提供するか、ワンセグや音楽のAV機能の充実度に違いがあるためである。単に地図帳の代わりを期待するので有れば、数万円のもので十分実用になる。

地図データを保存する媒体としては、HDDDVDCD、メモリーカード・フラッシュメモリーなどがある。当然、振動に強いのは可動部分を持たないものが優れているし、記憶媒体の容量の違いによる情報提供料の違いなどがあり、使う人の目的によって適切なものを選択する必要がある。

 

ナビゲーションの仕組み

そもそもGPSとは、Global Positioning Systemの略で、複数の人工衛星からの電波を受信する事で、自分の位置を確認する三角測量の原理を用いている。民間用の測定精度は、誤差数メートルから数十メートルであり、他の技術と組み合わせて精度を上げている。

精度を上げるためにナビゲーションシステムに用いられているのは、ジャイロセンサーである。

 

ジャイロセンサー

ジャイロセンサーは、正式にはジャイロスコープと呼ばれ物体の角度や角速度を検出する計測器である。私が子供の頃「宇宙コマ」というおもちゃがあったが覚えている人もいるかも知れない。一定の角度を保ったまま回転するコマで科学技術にあこがれる子供心を大いにくすぐってくれたおもちゃの一つだ。ジャイロセンサーは、その原理を使ったものだ。

現在、ナビゲーションシステムに使われているものは、コマのような回転のかわりに誤差が小さく部品数が少なく小型に作れる棒やリングの振動を用いた方式である。振動する物体に加わるコリオリの力から角速度を検出する。

ジャイロセンサーの用途は意外に広く、自動車横滑り、カメラの手ぶれの検出やカーナビゲーションなどに用いられている。

 

進化したナビゲーション

ナビゲーションシステムとするには、位置情報と地図情報を重ね合わせる必要があると先に述べたが、目的地までの最短経路、渋滞情報などをリアルタイムに組み合わせることでドライブをサポートすることになる。

カーナビの普及率は、低価格化の効果もありある調査によれば8割程度とのこと。また、元々車に付いているものではなく、別途購入する割合が多いと言うことだ。私のように未だに地図片手に車を運転している人は珍しいと言うことになる。

 

売れ筋

売れ筋は、ポータブルなナビゲーションで、機能を位置検出と地図情報との結び付けで運転するのに最小限の機能に限定し小型・低価格なものである。もっとも基本的な位置情報の取得方法は変わっていないので、最近の新機種は付加機能が充実してきていると解釈するのが良いだろう。ポータブルなものは取り外しも簡単で電池内蔵のものが多いので徒歩や自転車などの他の乗り物にも利用できるメリットが人気の理由だ。

 

パソコンとの連携

パソコンとの連携は重要なことで、ルート情報や周辺情報などをカーナビと共有することができる。

 

リアルタイムな道路情報の提供

道路の状況は地図情報だけでは不足する。渋滞情報、事故情報、故障車情報、工事情報、速度規制情報、車線規制情報、所要時間情報、駐車場の空車情報など、日々刻々と変化するさまざまな交通情報を集約し、ナビゲーションシステムに表示するシステムに道路交通情報通信システムがある。このためには、ユーザーは欲しい情報に対応したレシーバーを装着する必要がある。

道路交通情報通信システムの情報は、電波ビーコン、光ビーコン、FM多重放送で送信され、ビーコンは情報量が多いメリットがあるが、専用のレシーバーを設置する必要がある。FM多重放送のレシーバーは、ナビゲーションシステムに標準で設置されていることが多いが情報量が少ない。

受信できる情報にはレベル1からレベル3までの3段階あり、レベル1では文字情報のみ、レベル2では地図状の情報を受け取ることができ、渋滞情報などを視覚的に把握することができる。レベル3ではカーナビの地図と重ね合わせて表示することができ、渋滞情報以外の様々な情報も受け取ることができる。

GPS受信機、地図閲覧ソフト、地図データを用意してPCをカーナビとして使う方法がある。

 

我が家で導入したナビゲーション

私がオークションで購入したナビゲーションは、SANYOのポータブルなものでゴリラシリーズNV-SB360DTである。

取り付けも簡単で、反応も早い。バッテリーを内蔵しているので持ち歩いて利用できる。

ビーコンやFM多重放送用専用レシーバーが付いていないので交通渋滞などのリアルタイムな情報入手は出来ないが、ナビゲーションとしての最低限の機能を確保している。

 

安全設計

もっとも、音楽はともかくワンセグ機能はよけいな気がする。(運転中にTVを横目で見るのは危険極まりないと思うのだが)

一方、パーキングブレーキをオンにしないとナビゲーションが、操作できないようになっている。安全運転のために配慮された設計なのだろうが、運転中はワンセグ機能を殺すくらいの配慮が必要ではないだろうか。

 

車への装着

「装着が簡単」が売りの当該商品だが落とし穴があった。車から電源を取ろうとすると12Vか24Vが大半だ。ところがこのナビゲーションは5Vと特殊。

簡単に電源供給できるように付属品にシガーライター経由で電源が取れるものが付いている。

ところが私の車は、たばこを吸わないのでシガーライターを殺してETCに利用していたので、シガーライター経由で電源が取れないことが判明。

再びシガーライターのコネクト部分を復活。ダッシュボードの裏側でコネクトする事にした。また、電源用の配線は写真のようにカーステレオの一部から取り出し、ダッシュボード上を這わせることにした。(ダッシュボードに穴を空ける方法もあるが・・・、目立たないのでまあまあかなと思っている)







アナログ

東北の6〜7月は、やませのシーズンである。暖かい空気の下に冷たい空気が回り込み、霧が発生する現象で、どうかすると暖房器具を出してこなければならないほど気温が下がる場合がある。結果して視界が悪くなる。

視界が悪くなると飛行機が飛ばないので、出張するときはこの時期はもっぱら新幹線を使う。

新幹線を利用していて気付くのは、東北地方と東京を結ぶ列車に年輩の人たち、きっとリタイアした人たちと思われる人たちの団体客が多いということだ。東北地方の夏は涼しいからだろうか、とにかく多い。皆さん動きやすい私服で、旅行ガイドブックを眺めたり、仲間同士で楽しそうに話しておられる。

観察してみると、時々面白い光景に出会う。初老の男性だったが、録音用の小さなカセット・テープレコーダを片手に、停車駅の放送を録音している人がいた。駅に停車する時のアナウンス、出発するときのアナウンス、発車のベル(最近は音楽がほとんど)の録音だ。

メモ帳も一緒に持っていて、なにやら細かな字で書き込んでいる。きっと備忘録だろう。

普段私は新幹線の中で寝ているか仕事をしているかで、停車駅でのアナウンスなどなかなか気が付かないが、確かに駅の放送はそれぞれ違っていて特徴がある。面白い着眼点だと感心した。ちびた鉛筆とカセット・テープレコーダ、懐かしく何となくほほえましい光景であった。デジタル技術が幅を利かせている昨今だが、元々人間はアナログなんだと思い出させてくれるシーンでもあった。






ヘリコプター搭乗体験記

三沢基地の航空自衛隊が公募していた「ヘリコプター搭乗体験」の抽選に当たった。懸賞など当たるはずがないと思っていることもあり応募などしたことがなかったが、たまたまかみさんが応募して当たったのであった。今回搭乗したのは輸送用のヘリコプター○○である。

 

僅か20分程度の搭乗であったが、初体験と言うこともあり、とてもインパクトがあった。何に感動したかというと、自衛隊所有のヘリコプターは非常に合理的というか実用的な設計がなされていると言うことだ。

例えば、乗員のためのイスや内装がとてもシンプルなのである。イスはアルミパイプとキャンバス地の布で出来ているが、軽く丈夫に作ってあるだけでなく、座り心地もそんなに悪くない。重装備でしかも長距離乗らなければならない隊員達にとって乗り心地は無視できない。決して豪華ではないがそれなりである。

もともとこのヘリコプターは輸送用であるらしく、人間だけではなく物も輸送対象だ。床はヤスリみたいな滑り止めが付いていて輸送する人間や荷物が動きにくくなっているし、一定間隔でカラビナが付いていて輸送物を固定するのに便利に作られている。カラビナに引っかからないように床面から少しへこまして装備されている点も見逃せない。

 

内装は構造物の地肌を隠すと言うよりは、搭乗者がぶつかったときに怪我をしないように、キルティングのような緩衝剤が入った内装が施されている。

 

乗車口や輸送物を搬入する開口部は、落ちないように手すりやロープは張ってあるが、ドアではなく一部開口している。(素人的には外と通通なので恐怖感はある)

 

非常用の出入り口は、開口操作のやり方が大きな字で書いてある。非常事態に備えて日頃から訓練しているのだろうが、そのインストラクション通りに操作すれば誰でも開けられる。

 

写真で気付かれるかも知れないが、騒音防止ヘッドセットを付けている。とにかく騒音と振動がすごい。バタバタというローターの回転音、エンジン音、開口部があるため風を切る音などうるさくて話が出来ない。広報担当の隊員は、口で言う代わりに紙を用意していて、それに注意事項を大きく見えるように書いて提示していた。

なかには、サンダル履きや強風で飛びそうなアクセサリーなどを付けているご婦人達を見かけたが、正直言って常識では考えられない格好だ。こんな搭乗者にも、にこやかに対応している広報担当の人たちの様子を見ていると、私自身見習うべきことがたくさんあった。とても有意義な体験でありました。


自衛隊の広報担当の方、休日のお仕事、本当にご苦労さんでした。





LED

青色LEDの特許を巡って、個人と所属する企業のどちらに権利があるか、個人の企業貢献をどう評価するか等の議論が盛り上がったことは記憶に新しい。

最近、DIY店をうろうろしていると光量も十分ある白色LEDなるものが販売されている。これらは、一般家庭で用いている白熱球や蛍光灯と差し替えられる。価格は数千円とかなり高いものの寿命や省エネの観点でお買い得感を宣伝している。

青色LEDは、その発光量が通常のLEDより圧倒的に高く脚光を浴びたが、白色LEDは青色LEDチップを蛍光体でパッケージして青色光を白色光に変換している。すなわちパッケージ次第で自由に光量の十分な発色が可能になる。

当面は情報端末やテレビのバックライトとして需要成長を見込まれているが、将来的には自動車のライトや一般照明に一気に市場拡大の可能性を秘めている。

一般照明の全電力に占める割合は16%で、一般照明にLEDが普及すれば省エネに貢献できそうだ。理論的には、LEDの明るさは白熱球の約20倍、蛍光灯の約5倍と、発光効率では圧倒的に優れている。

仮にLEDの発光効率を現在使用されている照明の2倍と仮定すると、全世界の照明をLEDに代えると約8%の温室効果ガス削減量に貢献するそうだ。今後、いっそうLEDの光が日常生活に入り込んでくることだろう。

一方、照明の持っている役割は、ただ明るくするといった実用面だけではない。殺伐とした現代社会に生活している人々の「心の癒し」の意味もある。間接照明の多様や白色ではなくやわらかい昼光色が好まれたり、照明器具のデザインが重視されたりと、照明の重要性は以前にもまして高くなっている。照明の世界に、単に効率優先でLEDを導入するのは抵抗が大きいかも知れない。

そういう視点で私自身自宅の照明を眺め回してみると、白熱灯を用いた照明が結構ある。生活の中心であるリビングにはルイ・ポールセンの白熱灯が3つあって、日常生活の中心的場所を照明している。白熱灯はそのうち製造中止になるだろうと思っているが、未だに白熱灯を使用している。サイズや仕様が同じだからと言って、蛍光灯やLEDに差し替えたらよいと言う単純なものではない。この照明器具は白熱灯が差し込まれて初めてやわらかな雰囲気を醸しだすようにデザインされている。「困ったものだ」と頭を悩ましている。

科学技術だけで割り切れない世界が身近にもある。







日航機墜落事故

25年前の夏、520人が亡くなった日航機墜落事故が起こった。読売新聞に「25年後の夏 日航機事故」と題して3日間の特集記事が掲載されている。

注目すべきは、米国家運輸安全委員会から派遣された事故調査官の一人が、日本の事故調査委員会が正式に原因調査の結果を公表した9月14日より3週間以上前に、現場で散乱していた破片の一部に不自然な修理跡を見つけ「事故原因に繋がる修理ミスではないか」と気付いていたところである。

当時、事故原因の究明に携わった関係者の話を総括すると、誰しもが「日米の明らかな技術力の差が明確になった」と証言している。米技術者は「油圧システムが全て故障したと言うことは、油圧システムが一カ所に集まっている圧力隔壁の部分で何かが起きた」という手がかりを元に原因を究明したのである。

正式な事故調査委員会の公表は、ニューヨーク・タイムズが9月9日に原因をすっぱ抜いた直後、それを追認する形で同日米ボーイング社が修理ミスを認めてから、8日も経った9月14日であった。

仕事の関係で、日航の羽田整備上を視察したことがあったが、実に合理的・的確にメンテナンスが行われていた。イスの装丁剥がれ等の細かい無数の不具合まで全て文書化し分析してメンテナンスにフィードバックする、いわゆる品質保証体制も完璧であった。

人の命に直結する「空の安全」を確保するために厳しいシステムを運用していることに感心したものである。

日航は、墜落した日航機の垂直尾翼、圧力隔壁等の残存機体を展示している社員教育施設「安全啓発センター」を造った。この施設を見学するに至り、負の遺産をさらけ出してまで社員の安全意識高揚のために役立てている同社の姿勢は、この事故を如何に真摯に受け止め、今後の安全文化醸成に地道に取り組んでいることを示している。

この「安全啓発センター」には、亡くなったご遺族が死の直前に書き残した手記が展示されていることも付け加えておく。

ただ、羽田整備場には5人の米ボーイング社の社員が常駐しており、メンテナンスデータを本社に送り続けている。ボーイング社本体内には、些細な故障やトラブルの集計、評価・検討がなされ、機体を軽く作ることと構造的に十分な強度を維持することの相反する要求をギリギリのところで行う安全設計のノウハウを蓄積している。残念ながら、これらのノウハウが全て日本にもたらされているとは言い難い。

先に述べたような圧倒的な日米の技術力の差はここにありそうだ。







ホタルノヒカリ

日本テレビで毎週水曜日夜10時から放映されているテレビドラマだ。元はマンガ雑誌「Kiss」(講談社)に連載中の人気アニメで、しかも今テレビ放映されているのは「ホタルノヒカリ2」なのである。

テレビは滅多に観ないが、かみさんが観ていたのを横目で傍観していたが、思わず最後まで観てしまった。一風変わっていてとても面白い。

何が変わっているかというと、「干物女」こと雨宮(綾瀬遙)、堅物部長ことぶちょお(藤木直人)のやりとりが素晴らしく面白いのだ。それを支えているバイプレーヤーもなかなかのもの。

20代の女性と言えば恋や仕事にめいっぱい全力投球していて、特に恋愛に関しては大いに輝いていそうな感じがするが、主人公雨宮は、恋愛にはいっこうに関心が無く、仕事はそこそこにこなすが家に帰ると、学生時代のジャージに身を包み、縁側に寝そべって干物をかじりながらビールを飲んでごろごろとだらだら過ごすことをこよなく愛する女性。

「めんどくさい」「ま、いいか」「てきとー」が口癖で、家の中も洗濯物でいっぱい、寝床も万年床。「干物女」とは、干物をかじるからではなく、このような生活スタイルの女性を総称して言うらしい。でも、そんな干物女を綾瀬遥が可愛く演じていて思わず目が釘付けになってしまった。

こんな雨宮が恋をする。当然だがいろいろと問題が生じる。これら日常を描いているホームドラマみたいな番組だ。そういえば、休日に出歩かない、恋愛もめんどくさい若者が私の周りにも結構いる。もてない私も若い頃は恋愛に走り回っていたような気がするが、ずいぶんと様相が変わったようだ。価値観の相違だろうか。

でも、作者はこの作品で、「移り変わりのあまりにも早い今の世の中、たまには、まったりと縁側で昼寝でもしたら?」と言っているような気がする。

綾瀬遥もとっても可愛いが、白状すると実は「あさみちゃん」のファンなのだ。






ジョゼと虎と魚たち

田辺聖子の同名短編小説を犬童一心監督が映画化した。主人公ジョゼことくみ子を池脇千鶴が、ジョゼに心を寄せる大学生恒夫を妻夫木聡が演じていて、恋愛の残酷さを見事に描いた作品だ。

恋愛の完成には確固たる意志とそれを成し遂げる努力が必要だ。単に「良い人」だけでは、それは出来ない。

恒夫は、足が悪いというハンディキャップを背負ったジョゼことくみ子と知り合う。くみ子は、自分の世界を持つユーモラスで知的な女の子だった。彼らはお互いに惹かれ会うが、その恋は永遠には続かず途中で壊れてしまう。

池脇千鶴は、関西弁でぶっきらぼうな態度の中に魅力的な少女を演じていて素晴らしい。一方、妻夫木聡も、弱さ・ずるさを彼持ち前のさわやかな演技で好演している。

「僕が逃げた」と言って、ジョゼと別れた後大泣きする妻夫木の演技は切なく哀しい。また、別れ際に恒夫に、拾ってきたSM本を餞別に渡し、淡々とした態度で見送るジョゼ。思わずせつなさを感じ、涙を禁じ得なかった。

ジョゼの愛読書にフランソワーズ・サガンがある。サガンの人生観は「私は孤独が好き、でも生きていくためには愛が必要不可欠。それ故、私にとって愛は永遠ではない。そんな人生を生き抜くためにはユーモアが必要、まず第一歩は自分で自分を嘲笑することから始める。」というもので、ジョゼが電動イスで風をきって颯爽と走るラストシーンは、正にサガンの人生観そのものだ。

何もない深海魚の住む真っ暗な海底から、恒夫を通して光や風を一時的にしろ味わった。そして今、深く深く傷付いて再び海底に沈む。「ま、いーか」とばかりに、重い人生を軽く流し颯爽と電動車椅子で通りを闊歩するジョゼの生き方に深い感銘を受けた。






FON

FONは公衆無線LAN共用システムの提供と、それを実現する無線ルーターの販売を行っている。なんだか難しいが、要は、FONが販売している無線ルーターを購入し会員になれば、その無線LAN環境を自分が使用することはもちろん、他人にも使用させることによって、FON会員が自宅(無線ルーターを設置した場所)だけでなく、(会員数が増加すればするほど)世界中至る所で、しかも無料で使えるようになる、という便利な仕組みを提供している会社なのである。

会員は、初期投資として、この無線ルーターを購入する必要があるが、僅か数千円の投資で済む。無線LANの使用環境を得るには、幾ばくかの投資が必要であるが、一番安いものでも月額数百円程度必要である。これに対してFONは、初期投資数千円で半永久的に使い続けられることを考えると、1年も使用すれば元が取れると考えられる。

特徴は、会員が設置する無線ルーターは個人宅に設置する場合が多いので、会員が利用できる範囲が、郊外の住宅街を中心に拡がっていると言うことだ。今、日本で公衆無線LANが都市を中心に拡がっているのを考えると、新しい領域で拡がりつつある。

もっとも問題もあって、日本の法律には「事業者に無断で、インターネット環境を他人に貸与してはいけない」と言うものがある。FONは、元々個人が構築しているインターネット環境を、FONによるルーターを付加することで自分だけでなく会員である他人に自分のインターネット環境を利用できるようにすることになるので、この法律に抵触する可能性がある。

もっとも、「他人」の定義が曖昧なため、どの範囲を他人とするかなどの議論の余地があり、即法律違反とはならないようだ。

IT業界は本当にいろいろなアイデアが生まれ、商売に繋がっていく。今年、我が娘もIT業界に就職したが、時々電話で話していて「そんなのあり!」というような商機に繋がりそうなアイデアが満載であり、IT業界の人たちは発想がずいぶん違うようだと感心しているところである。

大変だが面白そうな業界であるようだ。











筋肉痛

「歳を取ると筋肉を使った後の筋肉痛が遅くやってくる」と良く言う。階段登りや腕立て伏せなど筋力トレーニングをさぼって久しぶりに再開したときなど、確かに若い頃は翌日に筋肉痛になったものだが、歳を取ってくると1〜2日ほど遅れて筋肉痛になる。

どうしてそうなるかインターネットで検索してみると、年齢とは直接関係ないと言うことを知った。

筋肉痛の原因は筋肉の中に乳酸が溜まるからだ、と言うことは一般に良く知られている。筋肉に蓄えられているエネルギーが消費されたとき、体は消費されたエネルギーを補足するために新たなエネルギーを作る。乳酸はこのときの化学反応で生じる物質である。

乳酸は筋肉を圧迫し、圧迫された筋肉を動かそうとすると筋肉が痛む。これが筋肉痛であるそうだ。乳酸は、うまく燃やしてやれば筋肉を刺激することはない。運動の後クールダウンは、乳酸を出来るだけ燃焼させて筋肉に残留する量を減らしている。

不思議なことに3〜5歳の幼児期には筋肉痛が起こらないそうだ。

もっとも、筋肉痛の現れの早い遅いは年齢に関係なく、弱く長い負荷の運動では早く痛みが出て、強く短い負荷の運動では遅く出る傾向がある。

これを聞くと私たち年寄りは、一見、安心して良いかのようだが、加齢により筋力が徐々に落ちる→若いときには強く感じなかった運動が強い負荷となってしまう→筋肉痛が遅く出る という構図らしい。

要は、歳を取っても「筋肉を鍛えなさい」ということなのだ。最近は階段登り30分、腕立て伏せ50回は最低限毎日やろうと心に決めているが、遅く帰宅したときなどはどうしてもサボりたくなり、そのままシャワー、ベッドへと安易な選択をしがちだ。皆さん、筋力トレーニングをさぼってはいけません。

亭主なんかパトロンと思えばいいじゃない!

朝日新聞のアスパラクラブ(無料で会員になれてイベント情報等の提供を受けることが出来る。)の季刊誌「ネクストエージ」に衝撃的な見出しとともに次のような記事が掲載されている。

もともと「ネクストエージ」は、熟年のセカンドライフの在り方を、いろいろな側面から記事にしていて、なかなか面白い。

この記事は、「熟年離婚」について、アスパラクラブが行ったアンケートに基づいており、日頃、仕事中心の夫が気付かない妻のホンネが赤裸々に書かれている。

50歳以上の熟年夫婦の離婚に対する一般的な考え方は、妻側で一度も離婚を考えたことがないが30%、夫側が50%。それ以外は、離婚を一度は考えたことがあるか離婚の可能性があると答えている。

この結果は、妻はかなりの人が離婚を考えたことがあるのに対し、夫はそれに気付かずノーテンキに人生を過ごしているという状況を示している。意外なのは、50歳を過ぎてからの離婚は比較的少ない。それは「30年間我慢してきたのだから今更面倒」というあきらめの境地が本当の理由のようだ。

そうはいっても、「今更面倒」と思っている妻のホンネは大変恐ろしい。題名の「亭主なんかパトロンと思えばいいじゃない!」は序の口。「今までさんざん苦労してきたが、夫が介護状態になった時、思い知らせてやる」とか「浮気をした夫に対し、分かれないでいることが裏切った夫への報復」とか「夫が退職するときに『私も主婦業を退職するからね』と密かに心に決めている」とか。

一方、「一度も離婚など考えたことがない」と仰る御仁は、「家庭は夫婦の分業、妻の労に報いるべし」、「相手の重荷にならず相手を重荷にせず、相手を縛らず自分も縛られず」、「見返りを求めない奉仕」、「私は夫に大事にされていると思ってみる、他人にはない夫の良さを考えてみる、私が選んだ人だからと思ってみる」、「男はメンツを潰されるのが大嫌い、そこそこの操縦が必要」、「絶え間ない忍耐、それなりの無関心、何気ない思いやり」と含蓄のあるお言葉の数々。

皆さんいろいろと工夫されているのだなと改めて考えているところだ。まさに「これらの言葉の重みが我が身に染み渡る」である。







零戦

本で「永遠のゼロ」を読んだからではないが、たまたま三沢航空博物館に映画で使われた零戦が展示されるとあって、珍しく土日が休みだったので、足を運んだ。

小学生の頃は、プラモデルでさんざん零戦を作ったことを思い出す。風防がスライドするものや車輪が出し入れできる精巧なものもあったが、高くて買えなかった。ただ、当時は戦争の悲惨さや特攻隊の若くして命を失った若者の気持ちなど考えにも及ばなかった。

零戦は、当時の戦闘機としては敵なしだったそうだ。設計の基本は「出来るだけ軽く作る」だ。操縦士を機関銃から守るための鋼鉄製の板を付けずに防御を犠牲にした高性能だった。そのためいったん敵の戦闘機の銃弾を受けると、すぐに墜落したそうだ。写真を幾つか紹介する。











運転用のパネルは外されている。

エンジンは付いていない。ただし、デモ用にプロペラを回すための小さなエンジンは付いている。












たまたま、4万人目の来場者が来たと言うことで、特別にプロペラを回してくれた。当時のエンジン音とは、かなり違うと思うが、何となくハーレーのバイクのような音だったのが印象的だ。




以下にプロペラが回っているビデオ映像と音声を載せておく。マニアックな人には珍しい映像だろう。










お掃除ロボットルンバ

世の中には便利な機械があるものだ。ここで紹介するのは、部屋の床を勝手に掃除するロボットだ。

私のようなものぐさは、ソファーで寝転がっている間に、勝手に床を掃除してくれるロボットがあったら、どんなに便利だろうと常日頃思っている。今の人工知能を駆使すれば値段はともかくとして、技術的に実現は可能だろうと思うからだ。そしてついに市場に登場(私が知らないだけで数年前から販売されている)したのだ。

まず、人工知能だ。これにより、@部屋の形状、家具の配置を記憶する、A汚れ具合を把握する、B汚れた箇所をいろいろな方向から平均4回掃除する、といったパフォーマンスをする。

綺麗に掃除する機能としては、ゴミをかきだす、かきこむ、吸い込むという3つの動作を同時に行い、効率よく確実に部屋の隅々まで掃除をする。

動きの特徴は、段差を検知して回避、コードなどの絡まり防止、掃除範囲の限定(他の部屋に行かない)、自分で戻って充電するなど、自分で考えて動き回り、本当に勝手に掃除をするのである。

まったく、世の中進歩したものだ。ブログを見ると結構評判もそこそこのようで世界40カ国400万世帯以上で利用されているらしい。約8万円の投資が必要だが、ものぐさが一層ものぐさになってメタボが加速しそうなので今回は見合わせるが、導入の価値は十分にありそうだ。

インターネットの公式ホームページを覗いてみると、動画もあって楽しい。一見の価値はありますよ!






デジタル時代のコミュニケーション方法

近頃の若者のコミュニケーションは、私達のように人対人を基本とするものからデジタルなものへと変遷している。デジタルなコミュニケーション方法は当然だがメリットもありデメリットもある。だから「昔のコミュニケーション法が良いとか、人と人のコミュニケーションは面と向かって話をするのが原則だ」などと言うつもりは毛頭ない。

もっとも大きなメリットは、一見赤の他人であった人たちが、一つの話題、あるいはキーワードで結びつく、ということだろう。一つの話題に対して色々な考えに基づく意見が出され、広い情報が入手できる可能性が大きくなる。もっとも、犯罪の温床になると言うデメリットと表裏一体ではあるが・・・

さて、世の中で行われているデジタルなコミュニケーション方法は大別して以下の3つがあるようだ。

一つは、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)というもので、社会的にネットワークが構築できるサービスやWebサイトで成立するネットワークである。ブログも、コメントやトラックバックが可能という点で双方向のコミュニケーションが出来、ある話題に赤の他人が集中できる可能性を持っているという点では一種のSNSに分類される。SNSの日本での例はmixigreeである。

もう一つは、チャットに代表されるリアルタイムな情報交換である。最近は通信速度の劇的な増加に伴って、文字だけではなく画像などもリアルタイムに情報交換できるようになった。

もう一つはツイッターで、その中間に位置する。ツイッターは140字以内の文字列コミュニケーションであり、発言が時系列的に並べられる。いわゆる、「口コミ」的な発想のコミュニケーション方法である。

これらのコミュニケーション手段の特徴は、今までのコミュニケーション範囲が友人・知人に限られていたものから、同じ話題・キーワードに対して興味を持った人たちが世界中から集まってくる点だ。すなわち、これらの手段は、ネットワーク上にバーチャルな、自分と直接関係しない人間関係が新たに構築できる場を提供している。

では、どんな利用の仕方あるのだろう。例えば、土地勘のない場所へ出張したとしよう。「昼食にラーメンを食べたいが、土地勘がないので適当に見つけた店に入るのも癪だ、評判の店で食べたいものだ」。そこでツイッターを利用する。「この辺で美味しいラーメン屋は?」とつぶやくとたちまちツイットが集まってくる。これら意見を参考にして美味しい店を見つけだすことが出来るのだ。

インターネット上にあるバーチャル店舗にツイッターが張り付いていることもある。一例で恐縮だが先ほどラーメンを話題にしたので「宅麺」を紹介する。Googleで「宅麺」を検索すると一番上に出てくるが、全国のラーメンを網羅しているらしいが、評判の良いラーメンをランキング付けして紹介している。ページを見て所望するラーメンを宅配便で届けてくれるのである。ラーメン好きにはこの上なく便利。自宅で旨いラーメンを楽しめるのである。

このページに一角にツイッター情報がリアルタイムで表示されている。訪れた人がランキングを見るのと同時にリアルタイムでもたらされるツイッター情報も参考にして、ラーメンを選択する仕組みになっている。現存する最新のITビジネスではないだろうか。







バイク雑感(3)自然が呼んでいる

トイレに行きたいことを宴曲に表現する英語に「自然が呼んでいる(Nature calls me)」というのはご存じの方も多いと思う。ちなみにフランス語ではトイレのことを「プチ・コワン(小さなかどっこ)」というが、日本でも「かわや」といったり「はばかり」といったりで、洋の東西を問わず奥ゆかしい宴曲な表現が多い。

奥ゆかしい表現の善し悪しは、うんちくのあるところだが、寒い時期にバイクに乗っていると、自然からの呼びかけが頻繁にあって、なかなか奥ゆかしくなれないのが凡人の常だ。冬装備を十分にしていても、すきま風は微妙にウエアから進入してくる。長距離を走っていると、とにかくもよおしてくるから困ってしまう。

私の場合、目安としては1時間くらいか。高速道路を利用している分には、一定距離毎にパーキングがあり、不便に感じたことは、ほとんど無い。ところが、一般道を使っているときは、公衆トイレなど見過ごすので、ついついコンビニなどに立ち寄って用を足すことが多い。

トイレだけ使わしてもらうのも気が引けるので、飴やガムを買うことになる。そうすると、いつの間にかタンクバックの中にお菓子が増えている。

私はたばこを吸わないので、時々、コーヒーを飲むことにしている。コーヒーが極上の嗜好品として不動の地位を築いていることは、何世紀にもわたって廃れないことや、コーヒー豆の調達を巡って戦争が起こることなどを見ても分かる。

ところが、カフェインの故、コーヒーは離尿作用があり、気分転換に大いに効用が期待できるのだが、頻繁にもよおしてくるのを加速するから始末に悪い。さらに、私の年齢になると、残尿、頻尿など、老化現象も加わる。この時期、中年のバイク乗りにとっては「魔の季節」といわざるを得ない。

YSPで無駄話をしていたら、この悩みは私のような年齢層ばかりでなく、若い人たちにも共通のものであることが判明した。皆、同じ悩みを抱えているのだ、とチョット安心。

どのような対策を講じているのだろうか。色々聞いてみると、皆、異口同音に「できるだけ水分を採らないようにする」であった。離尿作用のあるコーヒーなどは「絶対に飲まない」という人さえいた。要するに徹底した水分管理が必要だと言うことである。

コーヒー好きの私にとって冬のツーリングは辛い。冷え切った早朝にバイクを車庫から押し出すとき、そのピンと張った空気に思わず負けそうになるが、「何事にも負けじ、我、戦い続ける男なり(雑誌「風まかせ」から引用)」なのである。







動脈硬化

最近、頭痛がするので用心のために脳ドックを受診した。脳ドックでは、脳のMRIばかりでなく、首の動脈のエコー、血液検査等多岐にわたる検査が行われる。そこで「動脈硬化」について、色々と知見を得ることが出来たので紹介する。

日本人の疾病による死因は、第一位が癌で第二位が「動脈硬化」による心筋梗塞や脳梗塞であり、一位と二位の差はほとんど無い。現代人は、4人に1人の割合で、心筋梗塞や脳梗塞で亡くなっているのである。

動脈硬化とは、コレステロールが血管の壁に「プラーク」と呼ばれるコブを作り、血管を狭くしたり、血管の弾力性が無くなったりする現象である。このうち血管内の壁に出来たコブ(プラーク)が剥がれると血管内に血栓を作り、血管を塞いで心筋梗塞や脳梗塞を引き起こす。

困ったことに、動脈硬化は自覚症状がない。心筋梗塞や脳梗塞は突然やってくる。動脈硬化が「サイレントキラー」と呼ばれる所以である。

コレステロールは人間の体に必要な脂質の一つだが、量が多すぎると血管にプラークを形成する。コレステロールをコントロールしているものに、LDLとHDLがある。LDLは体にコレステロールを運ぶ役目、HDLは体からコレステロールを回収する役目を担い、人間の体は、これらよりコレステロール量をコントロールしているのである。

LDLを悪玉、HDLを善玉と呼んでいることは、ご承知の方も多いと思う。血液検査でLDLの量を気にしているが、近年、LDLとHDLの比が重要であるとされている。

動脈硬化を促進させる原因としては、脂質異常症、糖尿病、高血圧、喫煙があり、いずれも注意が必要だ。このうち脂質異常症は、LDLが相対的に高すぎHDLが低すぎる症状を言う。

 

脂質異常症

脂質異常症は、高LDLコレステロール血症、低HDLコレステロール血症、高トリグリセライド血症の3種類があり、高・低コレステロール血症は、LDLとHDLのバランスが崩れたもの、高トリグリセライド血症は、いわゆる高脂血症と言われる中性脂肪が多い症状である。

 

脂質異常症の診断基準(日本動脈硬化学会から引用)

脂質異常症は、3種類有ると先に述べたが、どのような基準により診断されているのか、以下のような基準があることが分かった。

 

    高LDLコレステロール血症→LDLコレステロール値が140mg/dL以上

    低HDLコレステロール血症→HDLコレステロール値が40mg/dL未満

    高トリグリセライド血症→150mg/dL以上

 

LDLコレステロール値は、直接測定することも出来るが、ばらつきが大きいため以下に示すように、総コレステロール値から算出することが推奨されている。

LDLコレステロール値=総コレステロール値−HDLコレステロール値

       −(トリグリセライド値/5)

 

以上の数値が判断基準を満たさない場合は、脂質異常症と診断される。

 

管理目標値(以下日本動脈硬化学会から引用)

では、いったいどのように数値を管理していけば良いのだろうか。これも指標が日本動脈硬化学会から以下のように示されている。

 

LDLコレステロール値の管理目標値

    危険因子無し→160mg/dL未満

    危険因子1〜2→140mg/dL未満

    危険因子3個または特定の危険因子有り→120mg/dL未満

    既に動脈硬化による心疾患を起こした→100mg/dL未満

 

危険因子:加齢(男:45歳以上、女55歳以上)、高血圧、糖尿病、喫煙、冠動脈疾患の家族歴、低HDLコレステロール血症

特定の危険因子:糖尿病、脳梗塞、梗塞性動脈硬化症

 

HDLコレステロール値の管理目標値

    40mg/dL以上

 

トリグリセライド値の管理目標値

    150mg/dL未満

 

脂質異常症と診断された人の管理方法

では、脂質異常症と診断された人は、どのよう治療方法が有るのだろう。このためには以下に示すLH比の値により治療方法を選択する必要がある。

LH比=LDHコレステロール÷HDLコレステロール

 

治療戦略

LH比の管理は以下のようになっている。

 

    一次予防→2.0以下

    二次予防→1.5以下

 

これは、LDHコレステロールを前述の値如何に押さえた上で、LH比を管理すると言うことである。

 

なお、危険因子(糖尿病、高血圧、危険因子3個以上)が有る場合は、1.5以下を管理値とする。

 

予防

    一次予防→生活習慣の改善(食事業法と適度な運動)

    二次予防→薬物療法(LDHを下げる薬、中性脂肪を下げる薬)

 

いずれにしても、自覚症状のない動脈硬化の進行には十分な注意が必要だということだ。私と同年代の皆様、心して年末を乗り切りましょう。






Simeji

巷ではi-phoneが売れているようだ。東京で電車に乗車している人を見ていると、2/3くらいがi-phoneを使っている。携帯電話の冬商戦もi-phone中心に展開しそうな気配である。

i-phoneの売りは、いろいろあるけれど、アプリソフトをダウンロードし、その利便性が限りなく進化し続けるところではないだろうか。私自身この利便性を享受するところまでには至っていないが、最近、Simejiというフリック入力のソフトを使っている。

Simejiというソフトは、Android搭載のスマートフォンユーザーのためのソフトだが、元々スマートフォンには、日本語入力ソフトが付いている。が、このソフトは「草の根」ソフトとして最も知名度の高いソフトの一つである。

何故、それほどまでに知名度が高いのか。使ってみると一目瞭然である。通常の日本語入力ソフトは、携帯電話でおなじみの「え」を入力するときには「あ」のキーを4回押して入力する。ローマ字入力は言わずもがな。

Simejiは、「え」を入力するときに、「あ」を押すと上下左右に「い」「う」「え」「お」が現れてきて、指をスライドするだけで「え」が入力できる。もちろん「あ」の入力は指をスライドせずに離せば入力できる。結果として、どの日本語入力ソフトより早く入力することが可能になる。タッチパネル方式を採用するi-phoneならではである。

Simejiの知名度の高さは、「はまりそうになる」遊び心と素早く入力が出来るという実用性を兼ね備えた点にあり、最近まれにみる希有なソフトといえる。これからのIT産業でのアイデアは、「遊び心と実用性」がキーワードだ。

物の価値観が加速度的に変化しているのを実感するとともに、最新のIT情報に触れることは、私のような年齢層の固くなった頭に油を差す効用も見逃せない。






フィットネス

加齢とともに衰えてくる新陳代謝、数年前から食事量を減らして体重増をかろうじて押さえていたところ、ここへ来て栄養の摂取量と代謝量のバランスが狂いだした。どうも代謝量の低下が加速し始めたようである。結果して、またまた相対的に摂取量が代謝量を超え始め体重が微増し始めたもよう。

そういえば、カッターシャツの首周りがきつくなってきたが「きっとシャツが縮んだからに違いない」と高をくくっていたのだが、太ってきたのが原因だったのだ。

ここ東北の地の厳しい冬は、ウインタースポーツに興味がある人は問題ないが、根性のない人は外でウオーキングなどの運動が殆ど出来なくなる。そんなこともあり冬になって体重微増がさらに加速し始めた。言い訳がましいが、九州生まれの私は社会人になってからスキーに挑戦したが「時、既に遅し」、おまけに才能無しということも手伝って、ボーゲンの域を脱することが出来ず結局ものにならなかった。

これ以上食事量を減らすのもいかがなものかと思案していたところ、「Wiiフィットプラス」というゲーム感覚で運動が楽しめるソフトが発売されており、巷で評判になっているらしいことを聞きつけた(チョット遅すぎないか!冷汗)。ゲームとは縁遠い生活を送ってきた自分が、まさかゲーム機を購入しソフトまで購入しようとは思っていなかったが、意に反して(?!)購入してみることにした。当然だが価格が手ごろな設定であることも付け足しておく。

ダイエットにかかわるノウハウ本やDVDなどは山ほど書店に並んでいる。これだけ多くのうんちくが語られると言うことは、ゴルフ本と同じで奥が深く(?)なかなか好ましい効果が現れない証拠であるなどと独断している。

しかしながら、この「Wiiフィットプラス」の評判を見てみると、まずゲーム感覚で楽しむことが出来るので長続きすること、効果がグラフなどで客観的にみられるので達成感も得ることが出来るとのこと。私のように何をやっても三日坊主のものぐさにとって特に注目すべき点は「長続きする」と言う評判である。

とりあえず四苦八苦してセッティングが終了したところである。時節柄、今年の正月太りを回避できるか「乞うご期待(誰も期待していないか?)」というところである。

To be continue






タイム・マネジメント

読売新聞の連載記事に「朗働のススメ」というのがある。当て字ではあるが「楽しく仕事をやろう」という主旨に思われる。日頃、ルーチン業務で流されている職場に、「目から鱗」の視点でアドバイスを発進していて、読んでいてなるほどと思うことがしばしばある。

その中の記事で「タイム・マネジメント(要らない仕事、やめる仕事)」というのがあったので紹介する。

不況の中で企業は仕事を合理化しようと躍起になっている。不況風が吹き荒れているのは、就職状況が芳しくなく昨年に比べてさらに就職内定率が低下しているという事実を見ても明らか。就職内定率低下は年末になると毎年新聞紙上をにぎわしており記録更新を続けている。

採用が減ると言うことは、将来的には企業内で仕事をしている人の人数が減ることにつながる。一方、業務そのものはいくら合理化したとしても劇的に減るものではない。リストラで社員の数も減っていることもあり、結局、個人の労働負担が増えていることになっている。少ない人数でたくさんの仕事をこなすためには、業務の効率化やスリム化が当然のごとく取りざたされるのである。企業内で重労働にあえいでいるサラリーマンは本当にご苦労さんである。

では一体どうしたら業務の効率化が進むのだろう。記事の中で、一つの作業の時間短縮はもちろんのこと、業務全体の流れを見直し、いらない仕事は止めてしまうという勇気が必要だと述べている。

業務を非効率にしている原因は2つ有る。一つは価値の低い仕事をだらだら長時間やり続けること、もう一つは生産性の高い一部のエース社員に仕事が過度に集中していること。

前者はルーチン業務を何も考えないで機械的にこなしている場合に起こる。楽だからである。後者はエース社員でしかできない仕事をやってもらって、誰でも出来る仕事を他の人にやらせることで、エース社員の負担を減らすことが可能になり、その結果、エース社員の仕事の進捗が著しく早くなり、会社全体としては効率が上がることになる。実際に実行した企業が成功した事実が報告されている。

仕事を楽にする工夫を考えて絞り出すには、頭を使い結果としてかなり辛い部分がある。物の本によると、脳を使ういわゆる考える活動は、結構辛いものらしい。歳を取ってぼけない人は日常から脳を使う習慣があり、歳を取っても使い続けているからなのだそうだ。辛い部分を乗り越えれば楽な世界が拡がっているという希望を持って(言い聞かせて)、現状の修羅場を乗り越える必要があるのだ。「苦あれば楽あり」である。

努力無しでは楽は出来ない。





Wiiフィットの使用感と効用(ファーストインプレッション)

2010年12月25日に使用を開始した。とりあえず1週間続いたので三日坊主にはならなかった。僅か1週間であるがインプレッションを書いてみる。

まず、特筆すべきは、ものぐさな私が「三日坊主ではなかった」ことである。何故、三日坊主にならずに続けることが出来たか。理由としては以下の3点が上げられるだろう。

 

1 飽きさせないゲーム性がある

運動は人間にとって、ジョギング中毒にでもなっていなければ、基本的には「辛い」ものである。辛い運動をどうやって持続させるか。

Wiiフィットのメニューはゲーム性のある運動と辛い運動を混在させ辛い運動を目立たなくしている。運動して健康上の効果があるメニューは「有酸素運動」、「筋力トレーニング」と「ヨガ」に分類されるカテゴリーの運動である。これらの運動は正直言ってかなり辛い。だが、これら効果のあるメニューとゲーム性の高いメニューを旨く組み合わせることによって効果的運動の辛さが紛れる。

 

2 誰でも出来そうな運動から始まっている

レベル設定が初級から始まって上級へと段階的に上がっていく仕組みだ。私のように普段運動と縁遠い生活をしている人間でも、初級の運動は比較的取り組みやすい。このように初級レベルが「もうチョットで実現できそう」な比較的簡単なレベルであること、点数制にして成果が目に見える工夫が成されていること、ビギナーズラックではないが時々良い点数が出ること、で「持続性」がキープされる。トレーナーが時々誉めてくれることもやる気を起こすのに役立っている。

さらに、一人でやるのではなく複数でやると、「もう一回やろう」はさらに加速する。

 

3 進捗が目に見えるために「次も頑張ろう」となる

これは逆の効果もある。グラフで体重やBMI値が日々示されるが、だんだんと数値が悪くなってくると「やる気」が失せる。しかし、チョット多めに運動をやると確実に数値は横這いか若干下がり始める。これを何とか維持しようという気になるから不思議だ。結果の「見える化」は職場だけでなく、ゲームの場でも重要だ。

 

4 孤独なトレーニングではない

効果の上がるメニューは当然だが辛い。しかしながらトレーニングに付きものの孤独なイメージや「体をいじめる」的な自虐性が皆無である。孤独で無味乾燥だと思われがちなランニングは景色が替わって楽しいし、一緒に伴走してくれるペットがいるのも心強い。筋力トレーニングにはトレーナーが付いて丁寧に指導してくれる。さらに時々誉めてくれたりするのもうれしい。

家族や仲間が参加できるようになっている点も、さらに孤独感をうち消す。

 

今回、1週間使用して分かったことであるが、Wiiフィットの運動メニューは、@バランス、A筋力、B俊敏性を組み合わせて作られている。これらの組み合わせ方が実に良く考えられている。

私の年齢で著しく劣っているのはバランスである。バランス感覚は、自分の姿勢を把握する平衡感覚とそれを実現させるための筋力で成り立っている。歳を取ったときの身体年齢はバランス感覚を日頃鍛えているか否かにより大いに差が出てくるものと実感した。

体重の推移は大晦日の年越しそばを深夜に食したときがピークで年末から上昇傾向にあったが、年が明けてからは下がり始め、結果としてWiiフィットを導入したときと変わらずであった。正月太りを回避できたことは、とりあえず結果オーライと言うことか。





新しいコミュニケーション手段の到来

私のように古い人間はメールによるコミュニケーションは苦手である。そもそも仕事を依頼したり受けたりするときにメールだけでは心許なく、顔を突き合わせて話をしないと真意は伝わらないのではないか、と内心思いつつメールを使っているというのが実状である。

映画「ソーシャルネットワーク」を観て感じるのは、今まさにコミュニケーション手段の大きな変革が起こっているということだ。もはやそれが良い悪いと言っている場合ではなく、否が応でもこれらのコミュニケーション手段を使わざるを得ない状況になっていて、その結果が社会に大きな影響を与えているのが現実である。

エジプトのムバラク政権の崩壊・民主革命は、facebookを使った若者たちが情報を共有し結集した結果だと報道されている。

インターネット上に、現在、存在すコミュニケーション手段は、Twitter、ブログ、Ustreamに代表される動画共有などがある。

表現者、伝達者、受信者の順番で一定方向の情報伝達が行われていた従来のコミュニケーションと異なり、最近のインターネット上のコミュニケーションの発達は、表現者、伝達者、受信者がそれぞれ立場を入れ替えて、縦横無尽に相互作用を行ってコミュニケーションをすることを可能にしている。

このコミュニケーション手段の特徴は、コントロールすることが非常に難しく結果を予測することが不可能である点だ。合理的な意志決定をするためや問題解決のためにコミュニケーション手段を使おうとすると、計画的に目的を達成することが非常に難しいということになる。また、とんでもないデマがアッという間に拡がって収拾がつかなくなるといった弊害がある。

いずれにしても、私達はこれらの新しいコミュニケーション手段と付き合っていかなければならない。だとすると、若者のコミュニケーション手段だと遠巻きに倦厭するのではなく、自ら積極的にこれらのコミュニケーション手段に接し、その問題点、可能性、限界を知ろうとする姿勢を持ち続けることが大事ではないだろうか、などと思っている今日この頃なのである。






透明骨格標本

例によって本屋で(本を買わずに)立ち読みに徹しようと、近所の本屋に立ち寄った。ふと目を引く本があった。生物の図鑑が置いてあるところに、ひときわ色の美しい小動物の骨格写真が表紙にアレンジしてある。

手に取ってみると「透明骨格標本」と書いてある。パラパラとめくってみると、それはまるで芸術作品のようで、思わず手にとって30分ほど眺めてしまった。「繊細なガラス細工のような」と表現するとイメージが湧くと思う。

「透明骨格標本」というのは、骨格の周りの肉の部分を薬品で透明化し、軟骨と硬骨の色を変えて染色し標本にしたものだ。従来の骨格標本は、骨の周りの肉を薬品でそぎ落とし骨格だけを取り出す。

このように「透明骨格標本」では、骨が生きているときと同じように筋肉と共存している状態で標本になっている。したがって、生前の自然な状態で骨を観察することが出来る。

従来の方法だと、肉をそぎ落とすときに無くなってしまう細かい骨や軟骨が、どうしても出て来る。標本としては、優れておりメリットがたくさんありそうだ。ただし、手間がかかり作るのに数週間かかるそうだ。

骨格標本は、小学校の頃、薄暗い理科室に置いてある人体骨格模型の印象が強く、どちらかというと気味悪いイメージがある。

しかしながら、「透明骨格標本」の、アルシャンブルーにより青っぽく染色された軟骨、アリザリンレッドにより赤っぽく染色された硬骨が複雑に入り組んだ様は、繊細なガラス細工のような幻想的で不思議な印象を受ける。この「透明骨格標本」は、額に入れて部屋に飾っても素敵だ。

もっとも、蛙を飲み込んだ蛇の「透明骨格標本」は、蛇の腹の中で蛙が溶けながら骨格が崩れている様子が克明に表現され、いくら学術的に素晴らしいと言っても、グロテスクで気味が悪い。










非常用グッズ

3月11日の北関東東北大規模地震により被災された方には、心からお見舞い申し上げます。

 

はじめに

東北地域は、3月11日、4月7日と大きな地震に見舞われた。私の住んでいる地域は幸いにして大きな被害は無かったが、海岸線は建物倒壊、浸水など大きな被害があった。

2日間程度の停電が起こったが、停電してみて改めて思い知ったのは私たちの生活が「如何に電気に依存しているか」であった。照明が無くなるだけでなく、ライフラインが絶たれる。

東北地方で冬季大切な暖房は本格的な暖房をするためにファンヒーターを使っている家庭が多い。ファンヒーターは野外に大きなタンクが設置されており、ファンヒーターへ燃料を供給している。燃料の枯渇も問題だが、ファンヒーターは動力源を電気に依存している。停電すると燃料は十分にあっても使い物にならない。

ライフラインの水についても、電動ポンプなどを使って送液するものは同じように使い物にならない。

基本的な物もそうであるが、快適に生活するということに対して、あまりにも電気を使いすぎていることを改めて認識させられた。

例えば、蛇口をひねればお湯がいつでも出る、トイレのウオシュレット、便座の暖房、各種の電化製品。当たり前と思われる全ての便利さを支えているのが電気なのだ。

今回の経験で、改めて便利さにあぐらをかいている自分を再発見し、子供の頃の不便さを何の違和感もなく生活していた頃のことを思い出した。「便利さを享受してはいけない」といっているのではない。ある程度の不便さを不便と感じない感覚を日頃から身に付けておくことの重要性を感じたのである。

 

準備は出来ているか?

非常時の想定は再現がないが、今回の非常時をベースに最低限必要なものを考えてみた。水、食料、火、照明、仮設居住設備である。日頃から、それなりに備えてきたつもりであった。

火、照明は、キャンプ用のツーバーナー、ランタン、燃料はホワイトガソリン。仮設居住設備はテント、それに類するキャンプ用品。ところが、どれも家族4人を想定しているため大型すぎる。車でのオートキャンプを想定しているものなので持ち歩けない。

これでは、車が支えない状況になった今回の場合、全く使い物にならない。今回の経験は見直す良い機会である。

 

火、照明

小型、必要最低限、機能優先、と考えてくると、着目すべきは登山用品である。特にソロで登山をしている人たちは、これを追求しているはずだと考えて、インターネットを探してみる。

マニアックな人たちがたくさんいる。インターネットの便利さを痛感するとともに、停電すると「これも使えないのか」と思う。

10年前、キャンプ用品のブランドはコールマンで品質が一番良かった。スノーピーク( http://www.snowpeak.co.jp/index.html )というブランドも、そのころから知っていたが、品質が中級(スノーピークさん、ごめんなさい!)、コールマンのコピーという印象が強かったので敬遠していた。

ところが現在のスノーピークは、研究を重ね品質も良く世界のアウトドアシーンをリードしている。世界最小のバーナーやランタンなども作っており、その性能もピカイチである。実際に登山用品店へ行ってものを見てきたが、素晴らしい製品だ。実際に使っている人のインプレッションも悪くない。

ということで早速スポーツ用品店へ買いに行くと、世の中、私と同じような思考パターンの人がいるとみえ品切れで、入荷待ちである。

小型・軽量、品質、性能を吟味して、スノーピーク製の製品を揃えることにした。余談だが、「地(ストーブ)」、「天(ランタン)」、「焚(クッカー)」というネーミングも何となくセンスが良いではないか。

 

ギガパワーストーブ(地)



画像はスノーピークのホームページから引用。

http://www.snowpeak.co.jp/catalog/products/list/78



実際に手に取ってみると、作りもしっかりしている。何と言っても胸のポケットにはいるほどの小型さに驚く。「ごとく」も4本ありクッカーを安定して載せることが出来る。

火力2500kcalは十分な容量。燃焼時間はガスカートリッジの容量に依存する。最も小さいガス缶でも2食分は軽くこなせる。

ガスは、手軽さがメリットだが、低温でガス圧が低下し火力が落ちるデメリットがあった。最近は、ガス組成を工夫することで、ずいぶん改善されている。

このタイプのストーブの宿命だが風に弱い欠点がある。オプションのウインドスクリーンは必要。


画像はスノーピークのホームページから引用。

 

ギガパワーランタン(天)


画像はスノーピークのホームページから引用

http://www.snowpeak.co.jp/catalog/products/list/85

 

ソロクッカー(焚)



画像はスノーピークのホームページから引用

http://www.snowpeak.co.jp/catalog/products/list/59

チタン製、アルミ製がある。チタン製は軽いが価格が高く、熱伝導がアルミに劣るため調理性が良くない。アルミ製はスミフロン加工がしてあるので焦げ付きし難い。アルミ製を選択した。ソロキャンパー用だが2人でも急場を凌ぐには十分だ。

 

素晴らしいのは、ストーブ、ガス缶、クッカー全てが一つにパッキングできるところだ。大きさも収納状態でφ103mm×130mmとすこぶる小型である。まことに合理的だ。




つめかえ君

何か冗談のような名前だが、なかなか実用的な製品である。ガス缶を利用するバーナーやランタンは専用のガス缶を使う。この専用ガス缶は、中に入っている液化ガスを使い切ってしまうと捨ててしまう消耗品である。

ところが、頻繁にバーナーを使い始めると、ガス缶代は馬鹿にならない。そこで誰しも考えるのは「安いカセットコンロ用のガス缶から液化ガスを専用ガス缶へ移し替えて再使用できないか」ということである。これを可能にする器具の名称が「つめかえ君」である。まさに行為そのもので製品イメージが分かりやすい。

「知る人ぞ知る」という製品で、キャンプを趣味にしている人たちの間ではポピュラーな製品だ。

知らなかったが、カセットコンロ用のガス缶は私達が使い終わったと思っていても若干残っているらしい。これらの残りガスを集めて一つのガス缶に詰め直すことも出来る。

要はカセットコンロ用ガス缶の口と専用ガス缶の口を繋ぐものだが、扱っているのが引火性のガスなので、漏れないようにキッチリ装着できることやゴムパッキンが入っているなど工夫されている。

缶から缶へのガス移動の原理は簡単で、カセットコンロ用ガス缶と専用ガス缶を「つめかえ君」で接続し、移動元のカセットコンロ用ガス缶を暖め、移動先の専用ガス缶を冷やして、缶同士の温度差を付けることにより液化されたガスを移動させる。

値段が結構するが、すぐ元を取るし、安全性を考えるとこれくらいの投資はやむを得ないだろう。

なにぶんにも引火性のあるガスを取り扱うので十分な注意が必要であることは言うまでもないことだが・・・



株式会社アルバのホームページからの引用

http://www.alva.ne.jp/




 

照明

停電時の備えとして、懐中電灯、ランタンを用意していたが、本当に役立つのは頭に付けるヘッドライトである。1回目の地震でLED製のものを揃えていたが、本当に持っていて良かったと思う。

両手が使えるし、人間が見ようとする方向はあたまの向きなので、すこぶる便利であることが分かった。ソロキャンパーが口を揃えて推奨しているのも納得である。

 

電池式ラジオ

停電時にテレビが使えない。情報を入手する方法はラジオだ。電池もいずれ無くなるので、ハンドルで自家発電できるタイプが望ましい。

商品の選定は終了したものの、これらの品々は、売り切れでしかもいつ品物が入るか未定とのこと。

準備中である。




非常用グッズ(2)

ストーブとクッカーが揃ったので早速湯沸かしと炊飯テストをしてみる。パッキングの様子を写真で示す。サイズはφ118mm×130mm。横に置いてあるのは500mlのペットボトル。カップラーメン1個分のお湯と食後のコーヒー1杯分のお湯がちょうど沸かせる。ポットの容量も830mlでちょうど良い。






メッシュケースを取ると・・・ウインドスクリーンのφが118mmのため少々出っ張るが問題ない大きさである。





優れている点は先にも述べたがストーブとガスカートリッジが収納できるところである。ガスカートリッジはポット内部のスミフロン加工に傷が付かないように逆向きに入れてある。







バーナーとガスカートリッジをセットした状態。野外で風がある場合ストーブの火が消えるのでウインドスクリーンは必須である。






野外で500mlのお湯を沸かす時間は、外気温18℃の場合で約4分弱。2500kcalの火力は十分である。なお、いうまでもないことだがポットやカップの取っ手が熱くなるので手袋は忘れないように!





炊飯

炊飯の練習と言うことで、1/2合の米を炊いてみる。米を洗って30分くらい寝かせて置く。その後、ポットの蓋の上に重しを乗せて弱火で沸騰を待つ。やがて吹きこぼれ始める。





吹きこぼれが最高潮に達する。





吹きこぼれが一段落して、暫くするとするとちりちりと音が変わってくる。





ちりちりという音、少し焦げ臭くなるにおいが出だしたら、火を止めてポットを降ろし逆さまにして蒸らす。






暫く蒸らして蓋を開けてみると、スミフロン加工のせいか焦げ付きもなく、まあまあのできあがり。水の量を間違えて少し芯が残った。





とりあえず一人分のご飯が出来た。




それでも桜

地震、津波の被害は甚大である。それでも5月に入り桜が満開になった。自然の摂理は淡々と繰り返される。自然を支配していると勘違いしている人間への警鐘だろうか。それにしても自然の偉大さ、畏敬さを見せつけさせられる。「それでも桜」である。

十和田官庁街の桜(ポインタを画像に合わせると別の画像が現れます。)







ギガパワーストーブ地のオートイグナイターについて

評判通り、オートイグナイターによる着火は確実ではない。風のない条件の良い状況で、かろうじて着火するかしないかである。したがって、ライターなどの着火源を準備することをお勧めする。なお、100円ライターは、ソロクッカーの中にガスボンベ、ストーブと一緒に放り込んでおけば邪魔にならない。

オートイグナイターで確実に着火するためには、ワンアクションで一発火花が飛ぶだけでは不十分で、電池を使って複数回火花が飛ぶものが必要である。別に所有するコールマンのランタンでは、乾電池によりスイッチを押している間、複数回火花が出続ける。これなら確実にイグナイターで着火できる。

これから「地」を購入しようと考えておられる方は、オートイグナイター無しのものを選定されることをお勧めする。約1000円の購入費節約と軽量化を手に入れることが出来るからだ。もっともオートイグナイター付きのものを購入し後からオートイグナイターを外しても良いが、ネジがオートイグナイター用に若干長いので、ネジだけを取り付けると出っ張って固定される。実用上、不便はないが。






体幹筋肉を鍛える(Wiiフィット導入その後)

怠け者の私が珍しくWiiフィットを続けている。導入してから100日を超えた。効用をまとめてみる。

Wiiフィットを起動すると最初に体測定を選択する。体測定では体重を測定しBMI値を出すとともにバランス感覚を測定する。

バランス感覚の測定結果はバランス年齢として表され、老化をとらえる指標としては分かりやすい。自分の年齢より上の年齢が表示されるとガックリ来るが、若い年齢が表示されると嬉しくなってまた頑張ろうという気になる。

表示されるバランス年齢が正しいかは別として、バランス感覚に着目し老化現象をとらえようとすることは、老化とともに筋力が衰えバランスが旨く取れなくなってくる実態を考えると理にかなっているように思われる。

体測定の内容は、立位で重心が適切な位置にあるか、それが動かずに一定時間キープできるかを測定することと、体重移動が意志と連動して旨く出来るかをゲーム感覚で測定する2本立てである。

Wiiフィットを始めた頃は、これらバランス感覚の測定結果がすこぶる悪く、測定されたバランス年齢が自分の年齢を超えていた。

体幹筋肉、特に腹筋と背筋のトレーニングを始めてから改善が見え始めた。バランス年齢は自分の年齢より20歳くらい若い値を示すようになった。腹筋と背筋を鍛えるのに最も効果的なのは、筋力トレーニングメニューの中の「身体水平支持」である。

最初は、初期設定の30秒をキープするのがやっとだったが、繰り返しているうちに楽にクリア出来るようになる。出来るようになるとキープ時間を少しずつ増加していく。トレーナーと競争するようなチャレンジメニューもあるので励みにもなる。

体幹筋肉を鍛えるとバランス感覚が格段に向上するが、姿勢が良くなるという副次的メリットもある。日常生活でも腹筋に力を入れ気味なるので自然と姿勢が良くなる。私と同年輩の方を見ていると猫背気味で姿勢の悪い人が意外に多い。

ダイエット効果は、もう限界なのだろうか、少なくとも今の食生活では体重の減少が顕著に見られない。






コンフィ・ド・フォア・ド・ポーク・オー・ポモウ

知っているフランス人がバカンスに日本へやって来た。1ヶ月のバカンスだ。フランスのお土産を持ってきてくれた。


「コンフィ・ド・フォア・ド・ポーク・オー・ポモウ」訳すと、リンゴ風味の豚の保存用フォアグラ、となる。ちょうど味は、コンビーフのような味だ。通常フォアグラはレバー臭さが多少あるので日本人には好き嫌いがある。

このようにリンゴ風味だと、このレバー臭さが押さえられているので、食べやすい。フランスで売っているものをそのまま持ち込んでくれたので、防腐剤や酸化防止剤など一切は行っていない。早速頂きました。その美味しいこと!早く食べてしまわないと・・・


 






三沢航空祭

台風の影響で危ぶまれた航空祭、蓋を開けてみれば快晴だった。多少風が強かったがとても気持ちのよい夏の日であった。航空祭は例年他県からの観客で通常の三沢の人口の3倍にふくれあがる。当然、車の大渋滞がそこら中で起こる。

10年ぶりくらいでブルーインパルスのデモを見た。殆ど毎年、航空祭開催日は出勤していた記憶がある。見たといっても、ベースの中へは行かず穴場で昼の弁当を食べながらの観賞となった。穴場とは空港近くの球場だ。






今年のブルーインパルスの飛行は風が強いのと大気が安定していないため(?)上下の飛行は行わず水平飛行を中心としたものだった。前日の練習も台風の影響があったのか、すぐに止めてしまった。前日の練習は当日披露しない技も試していて通常はなかなか面白いのだが。













写真のように夜間照明が写っているが悪しからず。







正確に話すことと正確に伝えることの違い

最近、仕事でもプライベートでも、「正確に話すことと正確に伝えること」は大いに異なっているということをつくづく感じる。私は技術屋なので出来るだけ事実を正確に伝えようとするが、それがかえって話を分かり難くしている。話しを聴いてもらっている相手から「話の内容が良く分からない」とよく言われるのがその証拠だ。特に、バックグラウンドが異なる人と話をするときは話したいことが良く伝わらないことが多い。

私は常々、コミュニケーションとは分かりやすい話し方に努めようとする話し手と、話の内容をある程度予測しながら聴いている聞き手の両者が存在してこそ良好なコミュニケーションが成立すると考えている。

それは例えば外国語を勉強するときに顕著に感じることができる。外国語初心者は相手のしゃべっていることを正確に聴こうとする。一部聞き取れない箇所があると、それに拘泥し継続して話が聞けなくなって結局全体が分からなくなってしまう。一方、ベテランになってくると細かい部分が聞き取れなくても、適当に流して推測を駆使し全体を把握する。全体を把握すると言うことは、分からない部分を正確に推測するのに役立つ。また、全体が分かっていると相手が何をしゃべろうとしているのかある程度予測することができるので、余裕が生まれるし推測がより正確になってくる。

全体を分かる、すなわち話題が何かをあらかじめ分かった上で会話しているときは、コミュニケーションは比較的容易に出来ると実感した人も多いだろう。あるいは、会話の主導権を握って、自分が話題を提供しているときは同様な理由で、さらに楽に意志疎通が出来るだろう。

このように良好なコミュニケーションには、話し手と聞き手双方の努力が必要である。

ところが「説明をする」というシチュエーションがある。この場合は、聞き手の努力を期待することは難しい。このための特効薬はない。低姿勢で望むことは大前提条件だが、専門用語は使わない、聞き手が知っている何かを例に出して「これと同じような・・・」というように、聞き手が既に持っている知識・イメージを助けに説明する工夫が必要だ。

もう一つは聞き手に伝える情報を極力絞って少なくすること、聞き手にインパクトのある印象を残すことである。インパクトのある印象深い話はオチがあったり、動画があり視覚に訴えたりと、話し手のセンスにかかわる一工夫が必要である。眠くならない講演を聞いていると、そこら辺のツボが確実に押さえられていることに気付く。

私達の職場は工場を持っているので、危険に対する感度を最大限に研ぎ澄ましておく必要がある。事前に危険を察知してトラブルを起こさないことが大事である。そこでヒューマンエラー防止の専門家や研究者を呼んで講演会をお願いしている。総じて難しい話が多く理路整然としてはいるが、聴衆にうけないし印象に残らないものが多い。

印象に残っている講演が一つある。この講演は、トラブルが起こったら如何に悲惨なことになるかという映像が示され、それを起こさないための訓練の動画、この動画は、うら若い20代の女性が声が裏返るほど絶叫しながら必死の形相で訓練をしている様子を会場に映し出した。この映像は聴衆の目を釘付けにした感動的なものであった。

私も、歳を取るにつれて人前でしゃべらされる機会が多くなってきた。こんなふうに印象に残る話が出来たらいいなと思うこの頃である。







蒸気を使った掃除

家庭の掃除は自分でやることが常識であったのは過去のこと。最近ではダスキンや大小さまざまな掃除業社がいて、お金を払って掃除をしてもらうことが多いようだ。私の年代では掃除を外部に頼むのは気が引ける、というのが本音だが、自分で掃除しても綺麗にならない部分をお願いすると、それなりの費用対効果が期待できそうだ。

先日、蒸気を使った掃除のデモンストレーションをやってくれるというので、その威力を見ることが出来たので感想を一言。

使用する蒸気温度は約100〜130℃くらい。今まで各種洗剤、研磨剤、金たわし、コンパウンド、ヤスリ、ワイヤブラシなど使えるものは何でも試してみたが台所周りなどに見られる頑固な汚れはどうしても取れなかった。蒸気を使うと洗剤も使わないのに嘘のように簡単に取れる。しかも表面を傷付けないので掃除後の掃除も簡単だ。

換気扇の頑固な油汚れも簡単に除去できる。薬品などを使うとどうしても表面が荒れて後からの掃除が大変だが、表面がスムースなのでしばらくの間はふき取りだけで十分だ。

かなり高温の蒸気を使うので、対象を選ぶのかと思うが、意外に温度に対して繊細だと思われる壁紙の汚れも、長く蒸気を当てないように注意して使うと簡単に落ちる。

蒸気洗浄のメリットは、頑固な汚れが落ちることも大きなものだが、薬品を使わないということにも大きなメリットがある。汚れが良く落ちる薬品に限って激薬が多く取り扱いや残留した薬品の危険性が高い。

蒸気を使った掃除道具スチームクリーナーは、日本ではあまり普及していないがヨーロッパではかなりポピュラーで、インターネットを捜してみるとスウエーデンのエレクトロラックスとドイツのケルヒャーが2大メーカーである。

余談だが、スチームクリーナーを使ったデモンストレーションにはオチがあって、超高額な年間掃除契約や機器販売がセットになっていた。アブアブである。皆さん、これらの業者をおちょくるためには、それなりの下勉強をお勧めする。

それにしてもスチームクリーナーの威力には、勉強になったと同時に感心させられた。導入を考えてもいいかなと思ったりしている。






飛行機の燃料系統

洗練されたデザインに仕上げられたラウンジの中に、既に引退し、しかも少々塗装の剥げかけた飛行機の操作パネルが飾られていた。その操作パネルは壁一面のガラス張りの棚に、しゃれた旅の本と一緒にさりげなくおかれていたのである。

何故私の気を引いたのか?その操縦パネルは明らかにスクラップだが、スッキリしたラウンジのデザインに妙にマッチしており、工業デザインの無駄のないコンセプトをそれとなく主張していたのだった。

機種によって違うのだろうが、たまたま見かけたこの操作パネルは3系統だった。

もう少しパネルを良く観察してみると、3系統ある上にそれらの系統が相互に対ラインを組めるように構成されている。すなわち3つある燃料系統のうち2系統がダメになってもエンジンに燃料を供給し続けることが出来る仕組みになっているのである。

3重の安全が確保さているということだ。さらに系統構成が一目でわかる表示になっていた。すなわち系統構成そのものが操作スイッチと共に表示されていたのである。操作ミスを防ぐ好事例のひとつではないだろうか。

その操作パネルを眺めながら、濃いエスプレッソでガツンと朝の眠気を吹き飛ばして今日一日がスタートする。

ところで、この文章はエクスペリアとブルートウース・キーボードで作成している。実に快適である。重いノートパソコンを持ち歩かなくて良いメリットは実に大きい。




ロートレック

東京駅近くの三菱一号館美術館でロートレックの作品展示会が開催されている。ロートレックの作品はフランスで有名なミュージックホール、ムーランルージュの宣伝ポスターとして日本では有名でご存じの方も多いと思う。これらのポスターはリトグラフを用いたいわゆる版画だ。作品になる前のデッサンなども合わせて展示されている。

展示もさることながら美術館の雰囲気が素敵だ。明治時代に建築された当時の洋風事務所の一部が改修され美術館として一般に開放されている。リニューアルされているとはいうものの、その作りは当時の重厚さを残しており、歴史の重みを感じさせてくれる。高い天井、重い扉、煉瓦造りの壁、どれをとっても明治時代にタイムスリップしたような錯覚を覚える。

その雰囲気は旧帝国大学の学舎を思い出させてくれる。身近な映像としてはテレビドラマ東野圭吾「ガリレオ」シリーズに出てくる帝都大学湯川準教授の教室をイメージしていただくと分かりやすい。

下の写真は、美術館前の小さな公園でのワンショット。被写体が良くないのであしからずであるが雰囲気は感じていただけると思う。ここには外にテーブルとイスを出して食事も出来るレストランが幾つか併設されている。

 




 

さて、肝心の展示についてだが、ロートレックの絵は基本的にキャバレーなどの客寄せのためのポスターだ。それらポスターの中でその時々のスターを表している。しかし宣伝用のポスターの中に、ミュージックホールで働く女性たちの悲哀やそれをとりまく栄養過多の太った金持ちパトロンなどを描いていて、いつの世にも存在する人間の動物的営みの哀しさがにじみ出ている。

いずれ歳とともにスターの座を去らねばならない女性の運命、本人たちは分かっていても時の人としてちやほやされて得意満面の表情をしている。ポスターの主人公を観ていると、思わずポスターの前に立ち止まってしまう。色使いも独特で、たくさんの色を使っているわけではないのだが、朱色の使い方がとても印象的だ。

展示会ではポスターだけではなくポスターになる前のデッサンも多数展示されている。キャバレーや娼婦小屋で働くスターではない女性やそれをサポートする男性、愛人との日常生活を描いているものもある。

これらのデッサンは、映画「エディットピアフ」の中で描かれている、彼女が有名になる前の日常映像に重なる。極貧のどん底で、それでも明るく生きようとしている人々の日常。

私などに彼らの生活、悩みなどとうてい理解できるものではないのだろうが、取るに足らない仕事に四苦八苦しながら忙殺されている私の日常と比べると、自分の日頃の悩みなど取るに足らない実につまらないものだと改めて考えさせられる。

また明日から元気を取り戻していけそうな気がしてロートレックに感謝である。






非日常の体験

人生において何がつまらないかというと、日常がルーチン化して毎日決まり切った生活を繰り返す状態に陥ることだと常々感じている。

人間、前向きに生きていくには「希望・夢」が必要だ。希望・夢というと何か大げさだが、「明日こんなことをやってみよう」という極小さなもので十分だ。

人生を楽しく充実して生きていくためには、このような些細な希望・夢の積み重ねが必要ではないだろうか。誰しも、宝くじが当たるようなビッグイベントは、そうそうに無い。

些細な希望・夢を見つけるためにはどうするか。些細な希望・夢は意外に身近に転がっている。「希望・夢がない」と嘆いている人に限って気付かずに見過ごしていることが多い。

道ばたに転がっている小さな希望や夢に気付くためには、普段からいろいろなことに興味を持って身の回りを見回してみる習慣をつける必要がある。

見慣れた身の回りにも自分の知らないことが意外に多いものだ。好奇心を持って知らないことを知ろうとする習慣を身に付ければ、そこには意外な希望や夢を見いだすことが出来る。

 

とはいえ、いきなり日常の中に知らないことを見いだすことは難しいかも知れない。手っ取り早い方法は、日常から大きく環境を変えることだ。そのためには旅行をしてみることではないだろうか。旅行は、自分の知らない世界に足を踏み入れ、知らないことを発見するもっとも容易な方法である。

旅行は一人旅がよい。自分のペースでことを運べるからだし自分をじっくり振り返ることも出来る。自分を振り返ると、知っているつもりでも意外に知らない自分を発見することが出来る。

 

旅の手段

マイペースで駐車スペースを気にする必要のない自由な旅が計画できるという点で、バイクは旅の道具としてすこぶる都合の良い乗り物ではないだろうか。もちろん何人かが集まってツーリングするのは別の楽しさがある。

バイクの一人旅のメリットを挙げると、

    小型な乗り物なので路地に入り込めるなど自由度が大きい。

    車に比べてより自然を感じられる。

    操縦が難しく運転に集中することにより雑念を忘れることが出来てストレス解消になる。

    ロマンを実現できる。

    簡単に冒険した気分になるので手軽に冒険心をくすぐることが出来る。

    途中で故障する確率が高く自分で解決すべく脳を駆使する結果、老化防止になる。

 

なぜ、バイクが熟年に人気なのか

若い人たちは、危険極まりない、決して快適でないバイクという乗り物に、前に紹介したメリットがあるということが分からないのだろうと思っている。

熟年世代は、若い頃バイクに乗った経験がある人が多い。今バイクに乗っている熟年世代は大半がリターンライダーだ。危険で快適でない乗り物という多くのデメリットと比較して、あまりあるメリットを体験している熟年は、子育てが一段落付いたなど一区切りついた年齢にリターンするのだ。

全国各地で試乗会や講習会などバイクに関する各種イベントが開催されている。これらのイベントを大いに活用して、出来るだけ多くの人たちにバイクの素晴らしさを体験してもらいたいものだ。

 

雑誌「かぜまかせ」

「かぜまかせ」は、熟年世代向けバイク雑誌だ。この雑誌の特徴は、文章が多いということだ。文章を読むことにかったるさを感じる世代にはなかなか相容れないものだろうが、そこに書かれている内容は、人間の生き方、人生観などに言及し、若い頃に持っていた今は忘れ去った希望や夢など心の奥底に眠っているものを刺激する。

毎号(隔月発刊)タイトルとともに、一行に凝縮された思いが書かれている。手に取るたびに、その一行に目を奪われ、現状の生活から考えてとても実現できそうにない、その一行に非日常の体験への夢を馳せるのである。それは私にとって至極の一瞬である。2ヶ月に1回訪れるこの瞬間が実に待ち遠しい。

 

再び非日常の体験

旅は、非日常の体験をし、新しい発見をするための方法としてかなり有望な手段であることは前述したが、とはいえ度々旅に出る機会のある人はむしろ幸運だろう。

私などは、現場を預かる仕事上、何かあった場合1時間以内に出社できるようにしておかなければならない。ここ10数年間、旅行らしい旅行をしたことがない。また、家族を持つと一人旅などなかなか難しい。

だからといって、旅が出来ないかというとそうでもない。休日の早朝出発して昼食に間に合うように帰ってくる早朝ショートツーリングだって立派な小旅行だ。道ばたの些細な変化を発見するという旅の目的は十分達成される。

そういう意味で、バイクという移動手段は、大人のおもちゃとしては少々割高ではあるが男のロマンを満足させてくれる道具の一つだと思っている。しばらくは切っても切れないものになりそうだ。







ブラッスリー・グー

牛込神楽坂にあるフランス料理店ブラッスリグーは庶民的フランス料理をリーズナブルな料金でふるまってくれる人気の店だ。店の雰囲気は以前このホームページで紹介したパザパと違ってスッキリ、モダンな感じだ。もともとランチが安くて美味しいことで有名らしい。フランス人にも評判が良い。要予約。

ディナーの場合、料理の選択方法、価格設定はパザパと良く似ている。幾つかある前菜とメイン、デザートを選択し価格はどれでも2500円。コーヒー、アルコール類は別料金だ。料理は高級なものは無くフランスの家庭料理。

私は鴨もも肉のコンフィをいつも注文する。家庭的な料理ではあるが80度の油で1週間揚げ続けるという料理方法は日本の家庭ではチョット難しい。家で作れないのでいつも注文することとなる。

キャベツ、ジャガイモ、タマネギなどの野菜にマスタードを絡めて軽く火を通した付け合わせの上に鴨のもも肉をコンフィしたものを乗せていただく。もも肉の皮のパリパリとした食感が素晴らしいのと岩塩を使った塩加減が素材の美味しさを引き立てている。

パザパのように、フランスの下町にある庶民の店というゴチャゴチャした雰囲気はないが最近通いだしたおすすめの店だ。




電子書籍

楽天がカナダの電子書籍メーカーkoboを買収したニュースは、関係者の間ではかなり衝撃的な話題だった。「小さな端末で長編小説や技術文献を手軽にどこでも読める」、「電子データーにすれば本棚が要らなくなりそうだ」などチョット考えただけでもメリットが多そうなのだ。ところが意に反して日本ではなかなか流行らない。個人的には、今回の買収、日本における電子書籍ブレイクのエポックメーキングになるに違いないと大いに期待しているところだ。

電子書籍が流行らない理由として、まず、日本人が本を読まなくなったということが上げられるだろう。テレビは言うに及ばずインターネットのインフラ状況が飛躍的に改善され、画像・動画に依存した情報が主流になった今、字を読むという非効率な作業が倦厭されている背景があることは否めない。

確かに「読む」という行為はかなりの労力を人間に強いる。漫然と画面を眺めている方が楽に決まっている。ただ、労力と引き替えに、限定された画像データーに比べ無限に広がった想像の世界へ読者を導いてくれる。「読む」という行為は、単に非効率といって簡単に止めてしまう訳にはいかない魅力がある。

字を読むと言うことは、頭をかなり使うので、脳の老化を防止する効用もありそうだ。高齢化社会を迎え、体力を鍛えるだけではなく読書によって頭も大いに鍛える必要があるのではないだろうかと常々思っている。

次の理由としては、電子化する際の規格が統一されていないというのがある。読者にしてみれば、高い投資をして端末を買ったが規格が合わずに使えなくなったとなるとやってられない。かつてビデオテープ規格の「VHSかβか」が思い浮かぶのは私だけではないだろう。

端末の使い勝手の悪さとコンテンツ不足もある。端末の使い勝手についてはi-phoneに代表されるようにずいぶんマン・マシン・インターフェイスが改善されてきた。コンテンツ不足は、楽天が乗り出してきたことでインターネットを介した配信が充実され加速されるだろう。来年こそ流行りそうではないか。

面白いメリットとして、こんなのがあった。「エロ本を見ているときのハザード対応が簡単」。若い人たちは自分の部屋でエロ本を見ていてオカンが突然入って来たときにどう対処するか。指一本でたちまち痕跡を消すことが出来る。これはかなりのメリットだ!ということで電子書籍のオチでした。



トランジット・ロマン

毎度おなじみのJAL機内誌スカイワードに掲載された浅田次郎のエッセイ。

旅の楽しみは、3つあり、計画・準備をするとき、旅をしているとき、旅が終わって記憶をたどるときにそれぞれ楽しみがあると言われる。

しかし、それは旅の初心者が言うことで、旅慣れたジイサンにはこれらの楽しみを超越したものがあるという。

それは「トランジット・ロマン」である。

トランジットとは、いわゆる待ち時間のことで、海外へ旅するときのように複数の航空会社を乗り継ぐような場合、「待ち時間」は比較的長く数時間になることもある。旅慣れたジイサンはトランジットで決して退屈しない。むしろロマンを感じながら悠々とこの数時間の空白を埋めることができる。

これこそ旅慣れた経験豊富なジイサンにしか出来ない技である。

今回のエッセイは、旅慣れたジイサンの自慢話ではあるが、その理由が掲載されている。「旅慣れて旅を如何に効率的に過ごすか」いつも考えている多忙を極めるビジネスマンにお勧めのエッセイである。「手段としての旅」にきっと彩りを添えてくれることは間違いない。

答えは敢えて伏せるが、JAL機を利用する機会がある方は是非一読を・・・




フジコヘミング

引き続きJALスカイワードネタである。12月号にフランスの片田舎サクリモーサに住むフジコヘミングの近況写真が掲載されていて、ふと彼女を思いだした。

フジコヘミングは数年前に大ブレイクした女性ピアニストである。NHKドキュメンタリ番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」で紹介されるやいなや、大反響を呼びたちまちスターダムへ駆け上がった。

類い希な才能を持ちながら、幼少の頃から貧乏で大変苦労し、芸大卒業後も無国籍というだけで疎外され、ビッグチャンスを掴みかけたところで聴力を失うというアクシデントに見舞われる。彼女の不遇なリトグラフは、あまりにも有名でご存じの方も多いと思う。

彼女の曲は人から進められて聴いたのが初めてだった。それまで名前を聞くのも初めてだったし彼女がどういう人かも知らなかった。

「奇跡のカンパネルラ」を初めて聴いたとき、「音の表情がとても深いな」というのが第一印象だった。おまけに自然に涙が出てきて止まらなかった。とても人を引き付ける音を出す人だと思った。

後で知ったことだが、彼女の評判には賛否両論がある。「ミスタッチが多い」等一部のクラッシクファンからの評判はすこぶる悪い。一方、熱烈なファンも多い。

私は自分の好みの音楽にジャンルを設けないことにしていて、聴いてみて良いものは良い、嫌いなものは嫌いである。本来、音楽の好き嫌いというものは、人それぞれの感性の影響を受けるものなので好みによるところが多くとてもファジーである。おまけに聴く人のそのときの精神状態にも左右される。「聴いて良ければ、いいじゃない。」の世界であり、「食」に通じるところがある。

機内誌に掲載されている写真に写った彼女は、草花と自然、猫などの小動物に囲まれ、多忙なコンサートをこなしている日常に比べると牧歌的で自然体であった。






レコード

我が家にはレコードプレーヤーがある。しかもクオーツロックである。アンプがないのであるだけで音を暫く出していない。娘の引っ越しでミニコンポがいらなくなったので貰って来た。このミニコンポのアンプを使ってレコードを聴こうと画策。

レコードの出力はレコード針の振動を電気信号に変換しているので微弱かつインピーダンス変換が必要である。したがって、アンプに繋げるためには、増幅とインピーダンス変換をするイコライザーアンプが必要だ。プレーヤー→イコライザーアンプ→ミニコンポのアンプという順に繋げてとりあえずレコードが聴ける環境が整った。

お気に入りのジョーサンプルの「CARMEL」が30年ぶりに復活した。すり切れるほど何回も聴いたLPだが少しもデジタルに負けない臨場感とスクラッチノイズを味わった。アナログもまんざらではないなと思っている次第である。

ちなみにレコード針は消耗品だが、三沢には未だにレコード針を売っている店があるから有難い。



オオワシ

私の勤務地である青森県六ヶ所村では猛禽類が棲息している。電線に普通に止まっている大型の鳥がカラスではなくてワシやハヤブサだったりすることはしょっちゅうだ。猛禽類の中で大型・勇壮なのはやはりオオワシではないだろうか。全長が1m、羽を広げると2mを超える。

工場の近くにある尾駮沼に毎年オオワシのつがいが飛来する。もともとロシアが生息地だが、冬季には越冬のために温かい日本北部に飛来する。ここのところ毎年同じつがい(だと思う)を見かける。

厳冬のこの時期に仲むつまじいこのつがいを見ていると、厳しい冬季を凍えずに威風堂々と過ごしているようで、まるで幾多の人生の危機を乗り切ってきた老獪な夫婦を連想させられる。自分自身も小さなことに拘泥せず、堂々と人生を生きていけたらと、オオワシの姿から教わっているところである。

それにしても、魚を狙って狩りをする姿は優雅である。





文明の利器

月を跨ぐ毎にスカイ・ワードネタで恐縮である。1月号に浅田次郎氏のエッセイ「文明の利器」が掲載されている。カーナビなどを例にとって、人間の飽くなき「便利さの追求」に警鐘を鳴らしている。

人間の文明は、確かに便利さを追求することで発展してきた。しかし、度を超した便利さの追求、一寸した労力を惜しむために追求しては、かえって人間の能力を退化させる。カーナビなどは、その最たるものだと氏はおっしゃる。

何を隠そう、私も過度の方向音痴なのでバイクに乗るときカーナビを使いまくっている人間だ。頭を殆ど使っていない自分にとって、氏のエッセイは当たっているだけにとてもきついご指摘と受け取った。

言い訳がましいが、バイクでは乗車中に地図を見ることが難しい。いや出来ないと言った方が正確だ。タンクバックの中には上部が透明なものがあって運転しながら地図を見ることが出来る。しかし、実際にやってみると、知らない土地で道順を検討するなどを運転しながら行う芸当は、個人的能力云々という議論を超えていて危険極まりない行為だ。

地図を見ながら道順を検討するには、一旦バイクを止めてゆっくりと落ち着いて検討する必要がある。そしておおまかな道順を頭に入れてから、おもむろに出発となる。

運転中に道順を確認するとなると、どうしてもカーナビのお世話になる。「バイク」のところで述べているように、無線でヘルメット内のスピーカーにカーナビの案内アナウンスを流している。「600m先の交差点を右折します」「300m先の交差点を右折します」「この交差点を右折します」という具合に曲がる角へ近づくに従ってアナウンスが流れる。

右折を失敗すると、カーナビは即座に道順を新たに訂正し直す。安全のためにも、カーナビはバイクに必需品だと思っている。氏のおっしゃるように確かに助手席に人を乗せて走る車の場合は必ずしも必要ないかも知れない。

便利さを追求し出来るだけ早く短時間に目的地に到達することが目的の旅ならいざ知らず、ゆっくりと迷いながら旅の過程を楽しむといった趣向なら、脳の活性化の効用も考えて、カーナビは必要ない文明の利器なのかも知れない。





出張明け

今日の朝は出張明けである。いつもは新幹線でその日に帰るが打ち合わせが長引き最終に間に合わなくなり泊まりになった。

翌朝、早朝ゆっくりの朝を今回泊まった初台のドトールで過ごしている。この店は朝早くからやっていて初台駅の真上にある。マロニエの木の葉が朝日を適当に遮ってまるでセザンヌの絵のように部屋の中が木漏れ日であふれる。ロールカーテンで遮光しているよりも暖かみがある。冬日には有難い。

BGMはボサノバ、朝一番なのに旨いコーヒーを求めて、新聞・雑誌に見入る普段着のお客さんは結構多い。圧倒的に一人のお客さんが多いが中には親しい人同士世間話をしている人も少数いる。こんな雰囲気では人の話し声はむしろ心地よい喧騒だ。この雰囲気にしばらく身をまかせながら、スマホとブルートウース・キーボードでこの文章を書いている。

シナモンロールを頬張りながらカプチーノを味わう。人人で溢れ返っている新宿の近くにこんな落ち着いた空間があるのが信じられない。日頃どちらかというと時間を無駄にしたくない自分だが、こんな時間も良いものだと改めて思っているところだ。

あっ!BGMに懐かしいバートバカラックがかかっている。

窓から通りを眺めているとそろそろ町が目覚めたようで、通り過ぎる人の数が増えてきた。

さあ、私もそろそろ始動だ。




指導者

昨年起こった未曾有の自然災害、福島原子力発電所事故を経験した日本にとって、今、必要なのは強力なリーダーシップだ。最近の読売新聞に歴代の指導者たちの「指導者考」が連載されている。第1回のキッシンジャー元米国務長官から始まり、中曽根康宏元首相、ジャック・アタリ元欧州復興開発銀行総裁、山内昌之東大教授、西元徹也元統幕議長と続く。

強力なリーダーシップが必要な事態とは、

@    賛否が拮抗していて判断の幅がない場合、

A    今までに経験したことのない新たな決断をしなければならない局面

である。

必要なリーダーの資質というのは、先人が歩んだことのない道を歩む「勇気」と、難局に屈しない「ねばり」で、長期的な視点に立った判断をタイミング良く下せる能力を持っていることである。

判断を下すタイミングは頃合いがある。どんなに正しい判断だとしても時期が適切でないと上手くいかない。反対にそんな苦労しなかった判断でもスムーズに進むことがある。

また、場当たりな対応でなく自分自身が明確な方針をあらかじめ持っておくことである。明快な方針は、詳細な中身や手順を熟知している現場を動かすのに必要なのはいうまでもない。明快で分かりやすい方針を持つための十分な勉強も必要だ。戦争、天災に遭遇したときどう対処すべきか、決意と手法を常に念頭に置き、自己鍛錬を怠ってはならない。

最も重要な局面、最も困難な局面で、中長期展望に立った理念や戦略を示せることも必要だ。平時と緊急時を切り分けられる能力、平時はチームワークを形成し緊急時は時間の感覚を持ちながら早い決断、熱意、行動を行う。もちろん大役を果たそうとする気迫も必要。良き指導者はまず自分が変わり、次に人々を変えるものだと連載記事は主張する。

自分などは、この「指導者考」に遠く及ばないが、読んでいてなかなか得心がいくのは私だけだろうか。




防衛大学の卒業式

息子が防衛大学を卒業するということで、式典と謝恩会に出席してきた。そもそも大学の卒業式は、親が行ってもあまり意味がないので行ったことがない。しかし、内閣総理大臣や防衛大臣が出席するし、「愛と青春の旅立ち」であったように、卒業生が一斉に帽子を投げ捨て卒業を喜ぶというしきたりが有名である。

3.11以来自衛隊の評判はすこぶる良い。日本はどちらかというと軍備にお金を裂くことは、あまり好まれないのだが。学長や野田総理大臣は、ここぞとばかりに自衛隊を宣伝していた。面白いのは総理大臣や防衛大臣は、来賓ではなく訓辞を行うのである。政府直結の大学ということだろう。

防衛大学は、自由気まま、一種のモラトリアム的な一般大学と違って、全員寮生活、過酷な状況に耐えられるようにと、下級生は上級生にひたすら鍛えられる。しかも理不尽な鍛え方もあると聞く。昨年の大震災時、自衛隊の活躍は、日頃の鍛錬が生きたものと考えられる。非常時は、訓練したことしかできない。スポーツでもそうだが本番に強くて120%の力が出せるはずがない、練習で鍛錬したことしか、本番は出ないのである。

インターネット上では、帽子投げの動画がアップされているが、写真を掲載しておく。下の写真の赤丸の中、帽子が飛んでいる様子が分かるだろうか。





帽子を投げた卒業生は着席していたイスを蹴散らして式場から飛び出していくのである。







水泳

久しぶりに本当に久しぶりに水泳に行った。ただただ、怠慢というだけの理由で1年以上足が遠のいていた。僅か1時間程度の、それも休み休みだったが完全にバテてしまった。ここ数年の体力の低下が著しい。

日頃使っていない筋肉を使ったせいか、普段あまり凝らないところが2日後に筋肉痛として表面化した。おまけに肩や腰まで痛くなってしまった。何もしなくても歳を取ると肩、首や関節の痛みが顕著になる。

これらの痛みは骨を支えている筋力が低下することによって関節がズレることから生じる。肩こりが激しかったときにダンベルを用いたウエイトトレーニングをしたら痛みが軽減した経験がある。

最近また肩こりが激しくなりダンベルを始めたところだが、水泳でこれだけ痛くなるということは、筋力低下が思っているよりかなり進んでいるということだ。

理想としている水泳は魚のような泳ぎだ。といっても具体的イメージが難しい。以前、水泳をやっているときに私より遙かに年輩の方が泳いでいた。ゆっくり、力を入れずに、自然体で、流れるように。私が力任せに必死で泳いでも、ゆったり泳いでいるこの方の方が早い。船が水を切るように進んでいく。

距離を泳げば余分な力が抜け自然体で泳げるようになるだろうと楽観的に思っている。要は継続できるかどうかだ。




ブレイク

タレントのローラをご存じだろうか。昨年から大ブレイクしたモデルである。その人気の秘密は、ぺろっと舌を出したり頬を膨らませたり独特のタメ口にあり一度見たら忘れられない。想像するに、今や常識となった記号と活字を組み合わせたメールの書きぶりが、そのまま実物の人間になったようなキャラクターなので、時流に旨く乗ったのではないかと思っている。

メディアで仕事している人たちは、ヒットを飛ばすことが一つのステータスだろうから、これが予測できたらと人一倍思っているはずだ。しかし、大ブレイクを自由にコントロールできたら素晴らしいと思うのは業界の人だけではないだろう。

大ブレイクはどうして起こるのだろう、その理由は一体なんだろう。インターネットを徘徊していると「なるほどな」と思われる答えに行き当たった。

あるブログでは以下のように分析している。タレントを例にとってみよう。飽きられた女優が捨てられて、そこに空きスペースが出来る。その空きスペースに、前と違ったキャラクターの女優が置き換わると、その女優はたちまちブレイクするというのだ。

価値観が多様な現代において、飽きられたものが削除され空きスペースが出来るサイクルは、たくさんあると同時にまことに早く回っている。環境が大きく変わったときにも同じサイクルが生じる。その環境に合うことをしていた部分や停滞していた部分に空きスペースが出来る。

大ブレイクを起こすためには、スペースが空いたときにすぐに行動できるように準備をしておくことが必要だ。

自分にとって当たり前でないことや普段しないことをしてみる、自分の得意分野とは全く違った新しい分野へ移動してみる、すなわち決まり切った日常から離れランダムに移動してみる。それを長期的にやり続ける、失敗しても良いからやり続ける。以上のことを日頃からやってチャンスが来たときに空きスペースに入り込む準備をしておけということだ。

従来からの感覚だと、「目的を設定してそれに邁進する」のが王道であったが、移り変わりの早い現代においては、目的なんてどうでもいい、何でもいいから試すこと、後は乗っかるだけ、空きスペースと自分の持っているものがマッチングするとブレイクするということなのだろう。要は何事も好奇心を失うことなく、いろいろなことに興味を持って生活して行きなさいということだと思う。

これって、老けないための対策と同じではないだろうか。それにしても、現代で時流に乗っかる感覚は昔とずいぶん違っている。






電子ブック戦争

楽天が昨年の11月にカナダの電子ブックリーダーメーカーkoboを買収した話は、当時かなりセンセーショナルで私も「その他」「雑感」に掲載した。

2012年7月2日、いよいよ楽天は「Kobo Touch」を日本市場に投入することを表明し販売を開始した。価格は超戦略的破格値の7980円だ。

詳しいハード面のスペックは別の情報源にゆずるとして、サイズは165×114×10(縦××厚)mm、重量は185gでちょうど文庫本くらいの大きさだ。Wi-Fi接続が可能なのはいうまでもない。

これがブレイクするかどうかは、パソコンやi-phoneとの親和性、電子化フォーマットの規格浸透度合い、コンテンツ量などに密接に絡んでおり、ファクターが多く複雑なので予測が難しい。さらに、本を読む習慣を忘れつつある日本人にどれだけ読書の重要性をアピールできるかという大きな根本的課題もある。三木谷氏も当日の発表会で「日本の読書離れは国家的な危機ではないか」と述べている。

これまでの電子書籍市場へは、いろいろなメーカーが参入してきたが旨くいっていない。今回の楽天は、どこが違うのだろうか。それは、オープンかつグローバルなプラットフォームEPUBリーダーの採用であるという。また、「Facebookと連携している唯一の端末」ということもある。SNSを利用し、世界中の人と感想を共有したり新しいソーシャルな楽しみが無限に広がっているように見える。最終的なコンテンツ量は150万冊を目指すという。

楽天は、はたして「読書革命」を起こすことが出来るか?大いに興味を持っているところである。






安全・安心

3.11以降、公私の場を問わず「安全」と「安心」という言葉が頻繁に使われるようになったことにお気付きの方も多いだろう。ところが、この「安全」と「安心」を並列で使っていることが実に多いのに驚く。これは間違いだ。

政治家が決まって使う枕詞に「国民の皆様の安全・安心を第一義に考えて・・・」というのがあるが、あまりにもいつも言っているので挨拶みたいになってしまってあまり説得力がないと感じるのは私だけだろうか。

話は逸れたが、「安全」と「安心」は決して並列では語れない。「安心」は「安全」と「信頼」によって形成される一種の感情である。ちなみに「安心」という言葉を辞書で引いてみると、“安心とは、仕組みが安全であり、その安全性を確信して心が穏やかな様を言う”と載っている。すなわち、「安心」は、「安全」と「信頼」を土台として出来上がっているもので、そのどちらが欠けても揺らぐ。

例えば、飛行機は完璧に安全ではない。(確かに、滅多にないが時たま落ちて多くの死者を出す)にもかかわらず、大多数の人が「安心」して乗っている。確かに、一方で、たまに落ちることがあるから飛行機には絶対に乗らないと言う人もいる。大多数の「安心」して乗っている人たちは、いわゆる航空業界を「信頼」して、100%安全ではないけれど「安心」して乗っているのである。私もその一人だが、リスクとリターンを天秤に掛けて「安心」しているのが正直な話だ。

大事なのは、リスクとリターンをしっかり説明して、個人がどちらを取るか判断できるだけの材料・知識を提供するということだろう。事業者は、「しっかり説明する」説明責任を怠ってはいけない。難しいことでも解りやすく説明する義務がある。原子力産業に欠けているのは、素人に分かりやすい懇切丁寧な説明だ。

世の中に100%安全はあり得ない。100%安全と言っている人を「信頼」する事は出来ない。世の中の出来事は、100%安全ではない、信頼に少々疑問もあることが現実的だろう。だとすると「安心」を得るためにはどうすればよいだろう。

「安全だが信頼できない」に対しては、リスクにはこんなものがあり、それらを回避するためにこんな対策が成されているといった説明を誠心誠意、徹底的に繰り返し「信頼」を得る。

「信頼しているが安全でない」に対しては、許容できるリスクを正しく理解してもらう。すなわち、リスクよりもリターンが大きいことを説明する。喫煙が良い例かどうかわからないが、発ガンの危険性を十分に理解しているにもかかわらず、たばこを吸う人は後を絶たない。ガンで命を落とすリスクよりも大きなメリットがあるからだろう。

これら、二つのケースから言えることは、「安全」や「信頼」が不完全でも「安心」を得ることは可能であるということだ。

「安全」と「信頼」の積で「安心」を勝ち取ることが出来る。



電子書籍戦争(2)

我が娘から誕生日に楽天から万を期して戦略的に出された電子ブックリーダーkoboを貰った。IT産業に勤める娘の予想は、三木谷氏と同様今年は電子書籍大ブレイクらしい。私も全く同感だったので大変嬉しいプレゼントである。本好きのかみさんも合わせて購入した。もちろん娘も発売前、会社から支給され既に利用している。

楽天の戦略にまんまとハマリまくっている感は否めないが、今年こそ電子書籍元年となりそうな予感がするのは私だけだろうか。7月19日にkobo端末の発売と同時に楽天の電子書籍ストアが開店するというので早速アクセスしてみた。ゴールデンタイムのPM9:00〜12:00はアクセスが集中したとみえ、開始のためのセットアップソフトのダウンロードが遅かったりといろいろとトラブルもあったようだ。

私もトラブルに見舞われ、結局まともに使えだしたのは22日の夕方からである。それまで悪戦苦闘(?)一番厄介だったのはプロバイダーのせいでアクセスできるストアがアメリカのものになって日本語コンテンツが現れないと言う現象だった。最初、原因が分からなかった。

たまたまi-phoneの電話回線によるアクセスではちゃんと日本語のストアにアクセスできたので家庭で契約しているプロバイダーが原因であることが分かったのだ。なぜだか理由は分からないが結果としてそういう現象であった。

解決方法は、koboのセットアップを電話回線を使ってやり、後はkobowi-fi機能を使えば家庭の無線LANで日本語コンテンツがダウンロードできる。

Kobo端末はカラーには対応していない。したがって、雑誌やビジュアル系の書籍向きではない。あくまで字を読むと言うことに徹すれば十分満足できる商品だと思う。大きさは大きすぎず小さすぎず、取り扱いもしやすそう。合わせてブックカバーも購入したが、この品質で3000円近くするのは少々高過ぎないか!。ブックリーダーを安く買っても実際に購入する人はブックカバーも同時に購入するはずでトータルの金額は結構高くなる。Koboを割安感で売っている楽天に「やられた」という感じだ。

説明書が簡単すぎて自由に使いこなせるようになるには時間がかかるが、マスターすればすこぶる便利。大いに利用できそうだ。早速、小説の電子データーを購入して読書に励んでいる。電子データーは書店で紙の本を買うより1〜2割程度安いようだ。多読する人にとっては経済的である。

大ブレイクするためには日本語コンテンツを如何にたくさん準備するかにかかっている。楽天さん頑張って!




楽天koboがんばれ!

7月19日 発売以来トラブルが続出しているkoboである。インターネット上ではまさに「炎上」状態だ。主なトラブルは、セットアップ、プロバイダとの相性、ストアとの接続、楽天のトラブル対応など。私から言わせれば、これら全て(想定範囲内の)初期トラブルの部類ではないだろうか。

世界にこれだけ浸透している電子書籍端末koboは、使い慣れてしまえばアッという間に拡がってしまうに違いない。何と言っても、使い勝手がシンプル。よけいなものが無い。機能てんこ盛りは便利そうで実は使いづらいことが多い。小説を読むことに特化して使用する分にはすこぶる便利。むしろ、よくぞここまでシンプルに機能をそぎ落としたものだと感心しているくらいだ。

クレームの中に、ユーザーは「PCに詳しい人ばかりではない」というのがある。確かにバカチョンで便利を享受できるのが当たり前の現代社会では、このような声は多くあるかも知れない。しかし、過去を振り返ると便利を享受するためには、それを使いこなすためにある程度の知識と仕組みの理解は必要ではなかったか。自動車なんてその最たるものだった。今でこそ自動車は滅多に故障しない。しょっちゅう故障していた4〜50年前は、運転免許を持っている人たちは車のメンテナンスを学び、ちょっとしたメンテナンスは自分たちで出来る知識と技量を身に付けていた。今や、車は運転するだけのもの、メンテナンスはディーラー任せ。もっとも車も電子化が著しく素人が手を出しにくくなっているのが実状だが。ハードの面でもそうだがソフトの面でもその仕組みをある程度理解していないと、ちょっとしたことでハングアップする。ある程度リカバリーは自分で出来ることが望ましい。

ものを使い続けるためにはメンテナンスが必須だ。品質が格段に向上した日本の製品は確かに殆ど故障しなくなった。しかし、故障の頻度が少なくなっただけで故障はゼロではないし、最低限必要なメンテナンスはしなければならない。便利にドップリ浸かっている私達は少々油断があるのではないか。

もっとも、メンテナンスの必要性や簡単な仕組みを説明しない供給側にも問題がある。インターネットが普及した昨今、商品開発元にアクセスすればこれらの情報が見られるのでまあ良しとしよう。

大事なのは、ノートラブル、ノーメンテナンスな商品なんて世の中に存在しないということを、便利を享受する人たちは十分認識すべきだ。そう言う意味で、企業活動として楽天を見ていると、そんなにあこぎなことはしていないように見える。要は、これからいろいろなニーズに応えて改善を加えていけば電子書籍として革命を起こすことは間違いないと思っている。

楽天koboがんばれ!だ。





8月26日

久しぶりのキャンプである。子供が小さいときは頻繁に行ったものだが、夫婦2人になって10年ぶりくらいだろうか、本当に久しぶりである。昨年の地震に備えてではないが、2〜3日くらいは野外で独立して生活できるようにと装備のチェックを兼ねて近くのキャンプ場へと出発したのだ。

テントとタープの設営の仕方は覚えているつもりだったが、細かいところ、要領良い手順などすっかり忘れている。あーだこーだしている内に1時間はかかってしまった。今回は料理に凝るつもりはなかったので、スパゲッティをゆでて具はレトルトを利用、それにフランスパン、チーズ、サラダ、ビールというシンプルなもの。








お隣にハーレーで乗り付けたソロキャンパーがいたが、ものの十分で設営完了。手本にしようと横目でちらちらと観察していると、ソロテント、シュラフ、3段に畳めるローテーブル、小さめのイス、バーナー、パーコレーターであった。インフレータブル・マットではなく普通の銀色のマットであった。バイクはハーレーのエレクトログライドウルトラリミテッドで収納容量は相当あると思われるがマットは外側に積載。夜露を気にしてかカバーを掛けていた。

私はテント内にインナークッションを入れているが、今回使用してかなり寝苦しかった。若いときに比べると体が贅沢になったのだろう。インプレータブル・マットは快適な睡眠のためには必要だと痛感した。それにしても今のソロテントは一瞬にして設営が可能だ。出した時点でバネの力で開いて自立し、後はペグで固定するだけ。フライシートがある場合は一手間多いが15分もあれば十分だろう。到着後疲れているときの設営のしやすさは、バイクでソロキャンプする場合、重要なポイントだ。





拡大鏡付き半田作業台

かねてから欲しかった道具である。高齢化して細かいところが見えなくなったこともあり拡大鏡は必須。半田付けをする際に、左手に半田、右手にこてを持ち、接続部分を固定する第三の手があると助かるなと思っていたところだ。

いかんせんプロ用はそれなりの値段。この度、安いものが手に入った。さすがに安物だけあってネジ部分などの固定性はいまいちだが、私のようなアマチュアが使用するのには全く実用上問題はなさそうだ。

 

 

 


つづく

 

 










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